【上】女王陛下と触手の出逢い
上・中・下の3話で完結します。
よろしくお付き合いください。
「僕と結婚して下さい」
その男とは初対面だった。
ここはどこだろう。青く美しい空間。地上のものとは思えない。
キラキラと光が海面に反射するような明かりが見える。
まるで海中にいるかのようにも見えるが、呼吸が出来る以上は海中などということはあり得ない。
先ほどまでは船上にいた記憶がある。
船が怪物に沈められそうになった。
軟体生物の足のような形状の巨大な触手が何本も船を覆っていた。
私は兵士達に指揮を出しながら自らも剣を手に取り、船にまとわりつく触手に切りつけた。
無駄な抵抗かとも思われたが、この国の女王として私には責任がある。
新たに作り上げた軍艦の進水式を終え、処女航海中にまさかこのような怪物に遭遇するとは。
触手なのか足なのか知らないが、それがこの大きさでは本体はさぞ大きいことだろう。
そう思った矢先、その『本体』は姿を現した。
私の思い出せる限りはここまでだ。
それから何があった。
私は、なぜ今ここにいる?
怪物に襲われ海に落ちたのか?
運よく怪物に食われることもなく、この男に助けられたのだろうか。
「あなたは、私を助けて下さったのか?」
目の前の男に問いかける。
男は年のころは私よりも10は若そうだ。
端正な顔だちをしている。
「助けたと言えるかは微妙なところですが、貴女をここにお招きしたのは僕です」
「ここは?」
「僕の住処ですかね。
美しいところでしょう? 貴女にお見せしたくて」
確かに美しい場所だ。
地上にこのような場所があるとは。信じられない。
「貴女の責任感と強い意志、毅然とした態度。
その美しさに僕の心は奪われてしまいました。
どうかお願いします。僕と結婚して下さい」
この者は私のことを知らないのだな。
私はこの国の女王であり…。
だがそんなことは言う必要もない。
迂闊にそんな情報を出してしまって男が豹変しても困る。
「すまないが私は既婚者だ。
夫がいる。娘もひとり。
だから結婚することは出来ないよ」
私は生まれながらにして王位に就くことが定められていた。
26歳で王位に就き、その後結婚した。
33歳の今は、5歳の娘がいる。
「そうですか…。
貴女は今、幸せですか?」
「幸せだよ。結婚の申し込みありがとう。
久しぶりに胸が躍った」
夫は家柄で選ばれた相手で、私たちの間に情熱はなかったが。
それでも娘を授かったし、国政についての仕事にも協力的だ。
申し分のない伴侶と言える。
「いえ…。
残念ですけど貴女が既婚者で今幸せだとおっしゃるのであれば僕にはもう何も出来ませんね。
幸せでないというのであればお助けすることも出来たと思うのに」
男は寂しそうに微笑んだ。
「気持ちだけありがたく受け取らせてもらう」
仮に私が独身だったとしても、この身は国のもの。
己の婚姻すら自由になるものではないだろう。
だがもしも私が女王などではなく単なる一人の女であったのならば、この男に惹かれたかも知れないな。
率直に好意を向けられて嫌な思いはしない。
といっても少し私には若すぎる相手だと思うが。
「帰らなくては。
ここがどこなのか教えてくれないか?」
私がいなくなって側近たちは探していることだろう。
「送りますよ」
男がそう言ったかと思うと、私の立つ足元が揺れた。
そして地面が浮かび上がる。
「!?」
そのまま上昇を続ける。
私は今、何の上に乗っている?
何か分からないが弾力のあるものの上にいるぞ?
男の姿はもう見えない。
上昇を続け、そして…。
海面に出た。
海の中…だったのか?
いやそんなはずはない。
私が乗っていた『もの』は今度は海面を移動し始めた。
そして陸まで着く。
その『弾力あるもの』から降りて、地に足をつける。
この場所には見覚えがある。
私の乗っていた船が出た港だ。
振り向くと『弾力のあるもの』がちょうど海に潜ろうとしているところを見た。
「あれは…」
私の乗っていた船を襲った巨大な触手…!?
私はその上に乗っていたのか?
しかしそれきりだった。
港に戻ると、私の乗っていた船が停泊していた。
被害者は出なかったようだ。
船も帆を折られる程度の損傷で済んでいた。
私一人が怪物に海に引きずり込まれた、と兵士が証言した。
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そしてそれから15年。
女王エリザベスは48歳。
彼女を支え続けた夫は昨年病により死去した。
「女王陛下に謁見申し出の書簡が届いているんだが、誰だろう。海王クラーケンというのは」
秘書官は国家や女王宛てに届いた書簡を仕分けるのが仕事だった。
そのうち必要と思われるものだけを女王に直接届ける。
「不審な物は同封されていない。
だがこの書簡を届けに来た使者の姿を誰も見ていないんだ。
こんなものを女王に直接渡すべきではないだろう…」
「それはなあに?」
その書簡を秘書官が処分箱に入れようとしていたところ、寸前に取り上げる者がいた。
「女王陛下宛てのお手紙ね?
わたくしが渡して来てあげるわ」
女王の娘であり、今年で20歳になる王女シルビアだった。
女王は執務中だった。
彼女の勤勉で理知的な国政運営により、国は恙無く運営されている。
エリザベスの目下の課題は娘の結婚相手の選別と、最近少々きな臭くなっている隣国との関係だった。
ただ娘の結婚にしても時期を焦っているわけではない。
独身のまま王位を継いだエリザベス同様、伴侶を急いで探すこともない。
隣国との関係といっても、隣国との間には海峡を挟んでいる。
そのため仮に争いが生じるにしても海戦を余儀なくされる。
海上防衛にはもともと十分に尽力していたため、今までは隣国に脅威を感じることはなかった。
ただ、近年隣国の統治者が変わったことをきっかけに海軍に予算の多くを投入しているという情報が入っていた。
情報だけではなく、実際に小さな衝突が何件か起きている。
これは警戒しなければならない。
しかし少々奇妙なことがあった。
隣国の艦船との間で小さな衝突が起きるにしても毎回のように隣国側の船が自滅するように沈没してしまい、争いにまでは発展していないのだ。
「お母さま、よろしくて?」
王女シルビアは執務官に囲まれている女王の前に分け入った。
「なんです? 仕事中ですよ。
それにここでは陛下とお呼びなさい」
「すみません陛下。お母さまにお手紙が届いてましたの」
「手紙は秘書官が仕分けして持ってくるはず」
「そうでしょうけど…。
海王クラーケンさんという方をご存じですか?その方からです」
「知りませんねぇ…。謁見の申し出ですか」
「お会いするのですか?」
「わざわざ書簡にして申し入れて下さったのです。
お会いしましょう。
不審な者であればこのような前置きはしないでしょう」
女王エリザベスは定期的に一般の謁見を受け付けている。
その一環でもあった。
そして当日。
玉座に座るエリザベスの前に謁見に来たこの若い男。
彼はその端正な顔に柔らかな笑みを浮かべてこう言った。
「単刀直入に申します。
女王陛下。僕と結婚していただきたい」
エリザベスはその顔に見覚えがあった。
15年前と全く変わらない。
「あなたはまさか…」
「覚えていて下さいましたか?
僕です。以前は名乗るのを失念しておりました。
海王クラーケンと申します」
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よろしければゼヒ…