週末に旧世界へ女子旅した時の紀行文を一応上げときます
「はい、というわけで!」
派手な装飾のついたゴスロリ衣装に身を包んだ円が、細い右腕を真上に伸ばす。腕を伸ばした際に、魔女風の黒い三角帽子の鍔に指がぶつかって三角帽子が大きくずれたが、彼女は気にしていないようだった。
「ここから我々の女子旅が始まるぜー!」
円が晴天を指差しながら宣言する。見た目こそ雲一つ無い青空だが、実際には私の端末側でグラフィックの設定をいじって、負荷を軽減するために雲のテクスチャを減らしている。
「そう言うてもなー、まどっち。ここ、なんもあらへんやん」
頭に狐耳を生やし、巫女装束で着飾った巡がおっとりとした口調で突っ込む。周囲を見渡すと、緑の山々に囲まれ、麦畑と思しき農地が山間に細々と広がっている。殺風景というわけではないが、あまりに牧歌的すぎてランドマークと言えるようなものは何もない。あるのは精々、木造の納屋やら石造りの粉引き小屋と水車やら、そういった旧世界の建造物くらいのものだ。
今、私たち三人がいるのは農地に挟まれた農道のど真ん中だった。長閑なユーラシア大陸西部のどこかの農地に、突如、時代錯誤な現代女子学生3名が突っ立っているわけである。
「めぐ、いきなり有名な観光地にログインしても面白くないって決めたじゃん。我々の目的は旧世界を旅した過去の人類と同じ時間を過ごして、のんびり有意義な女子旅をすることなんだぜ?」
円が両腕を広げて、その場でぐるりと回った。ひらひらとレースのついたスカートが揺れる。旧世界の人類と同じ時間を過ごしたいはずなのに、どうしてこいつは明らかに自分のコスプレ趣味に合わせた魔女装備一式を選んでしまったのだろうか。
そして、巡も。確かに巫女服は時代こそ合っているかも知れないが、経度が100度ほどずれている。二人合わせて、大昔に流行った同人弾幕シューティングゲームの主人公コンビのようだ。(知らない人は2000年代のゲームアーカイブから『東方プロジェクト』で検索しておくと余計な知識が増える。)
「輪ちゃんはどう思う?」
巡が私に声をかける。
「場所より何より、まず世界観でしょ。近世のヨーロッパに似合った格好にしてくれないと興ざめなんだけど……」
「せやけど、りんちゃんはどうなん? それで合ってるん?」
そう言われて、私は自分の姿を改めて確認する。VRMMOのゲームエンジンを流用して旧世界を再現したこの世界では、ユーザーは面倒な事に種族とか職業とかスキルとか、ゲーム固有のプロパティを設定する必要があった。
私は人間の行商という設定にして、予め調べておいた商人風の服飾を装備しているはずだった。はずだったのだが、煌めく宝玉を付けた帽子とパステルカラーの色調の洋服、そして色鮮やかなロングコートは、やはりゲームのどこからか流用した装備にしか思えなかった。
「色んな商品を扱う行商のつもりなんだけど……」
「りんちゃんは錬金術師のほうが合ってるぜ。素材を集めて調合して、そして戦うやつだ」
円が笑いながら、手にした杖で大釜の中身を混ぜ合わせる物まねをする。そういえば、そんなゲームもあったなと思い返す。
しかし、私たち三人はグロテスクな魔物や悪の組織と戦いたいのではない。断じてそのようなことはないのだ。種族や職業やスキルの設定は世界の都合であって、私たちは私たちなりの楽しみ方を目指して、ここにログインしてきたのだ。
とは言え、魔女に巫女に行商って。三人揃って後衛職なんて、冒険のパーティだとしたらバランスが悪すぎる。もし戦うとしても即全滅だよ、これ。
「まあ、通信費はいいとして計算量料金もあるから、さっさと行こうぜ」
円が農道を歩き始める。
「待って。こういう時は乗り物を使うほうがいい」
私は円を制して言った。
「せやな。どこまで歩いてええかもわからんし……言うても、うちは乗り物とか持ってへんけどな」
「私も。一人乗りの箒しかないや」
私はコートのポケットからペラペラの小冊子を取り出して自分のスキルを確認した。『馬車召喚』。これだ。とりあえずワンモーションでスキルを発動できるようにショートカットリストにスキルを設定しておく。これでデフォルトの恥ずかしい詠唱を省略して、ちょっとした動作だけで目の前に馬車を召喚できるはずだ。
「よし、馬車を出すね。ちょっと離れて」
「本当? 竜とかオークとかが曳いてるやつじゃなくて?」
「うるっさーい! もし馬じゃなくても、可愛いウサギが曳いてるやつに変えるから!」
そう言いながら、私は指先で空中に小さく星マークを描く。すると、どこからともなく農道の上に、二頭立ての四輪馬車が出現した。どうやらこの世界ではインターフェース上のゲームの数値情報が非表示になっているらしい。消費されたリソースやポイントは分からないが、とにかく成功である。
「しっかりノーマルな馬車やん! ちょっと安心したで」
巡と円が拍手する。しかし、巡は馬車の前方に腰かけているはずの御者の姿を見てぎょっとしたように尻込みした。
「木偶の人形や」
「えー?!」
御者はコミカルな木製の人形だった。ぎこちなく手綱を握りしめ、頭を360度ぐるぐると回転させている。恐らくこれがこいつの待機のモーションなのだろう。こいつを作ったデザイナーは多分、作業中に何か危ない薬をキメていたに違いない。
「行先を教えてね!行先を教えてね!」
「うわあああ!喋ったあああ!」
円が思わず飛びのく。
木偶の御者は私たちの方向に向き直り、羊皮紙のマークシートを差し出して問いかけてきた。マークシートには行先となる地名が書いてあるようだったが、すべて文字化けしていて読めなかった。
「なんか、駄目だ……こいつ……」
私は肩を落とした。なんだかすごい申し訳ない気分だ。
「行先を教えてね!」
「今、決めるからちょっと待ってろ!」
円が叫ぶと、御者はぴたりと動作を停止した。いきなり停止すると、これはこれで気持ち悪い。
「まどっち、これなんとかできるん?」
「適当に文字列をデコードすればなんとかなるだろ。コンソールから直接、読めばわかると思う」
そう言って、円は杖を構えてぶつくさと呪文を唱え始めた。いきなり旧世界の世界観をぶち壊し始めた円は音声認識でコンソール用コマンドを唱え、空中に半透明な四角くて黒いコンソール画面を呼び出すと、マークシートの文字列を変換して表示させた。
付近のチェックポイント
1.トレント
2.ミラノ
3.リレンツ
4.ウィーン
5.何もしないで召還(※消費されたマジックポイントは戻りません)
「だとさ。なんか思ったより普通だなー」
円が新しく書き換えた羊皮紙を差し出す。ミラノやウィーンがあるということは、当時の都市がチェックポイントになっているようだ。とすれば、きっとここはオーストリアとイタリアの国境くらいの位置だろうか。
直接、これらの主要な都市に行ったのでは何の面白みもない。本当にただの観光になってしまいそうだ。
「でも、そのまま送り返すのも癪だし、とりあえず一番上に書いてあるトレントを指定して、適当に移動しよっか」
「せやな」
私たちは『1.トレント』を指定して御者にマークシートを手渡した。
「行先は……UnicodeDecodeError: 'ascii' codec can't decode. ごめんね! よく分からないや! 別の行先を教えてね!」
御者は甲高い声でエラーメッセージを読み上げた。書き換えられた羊皮紙を読み込めなかったのだ。なんというポンコツな木偶だ。
「あ、あー……しまった」
「本当に木偶やなー……」
円が頭を抱える。
仕方なく、文字化けした羊皮紙から適当に見当をつけて印をつけ、再度、御者に手渡す。
「行先は『Trento』だね! それじゃ、出発しよう!」
無駄に流暢な発音で、御者は行先を復唱した。ようやく、これで旅が始まる。セットアップには時間がかかったくせに、御者は素早く手綱を動かし、すぐに出発しそうになったので、私たちは慌てて四輪馬車に乗り込んだ。
一切舗装されていない山間の農道を、ゆっくりと馬車は進み始めた。一応、馬車はスプリングが効いており、あまり揺れは気にならない。しかし、外の風景は本当に旧世界の田舎そのもので、進んでも進んでも全く代り映えしない。山、畑、山、時々、果樹。
大自然と言えば聞こえが良いが、旧世界の人類はこんなところで生活していて、きっと暇で仕方なかったに違いない。
時折、農民と思しき人影とすれ違うが、彼らNPCから見れば、私たちは単なる普通の旅人にしか見えないように設定されているようだった。NPCは設定された生活AIの通りに動き、いちいち私たちという違和感には突っ込んでこない。誠に大人しい世界である。
「これ、まどっちの移動魔法か何かで、ショートカットとかできへんのー?」
巡が馬車の椅子の上で足をぶらぶらさせながら言う。延々と続く同じ風景に、彼女は既に飽きているようだった。
「すまんが、そういう魔法は習得してないんだなー、これが」
コンソールに直接アクセスできるんだから、別にスキルの習得なんて関係無さそうだが、あえて私は黙っていた。折角、馬車を出してそれっぽい雰囲気になってきたのだから、ゲーム的な要素は最小限に抑えて旅の余韻に浸ったほうが目的に合っている。
「あ、その代わり、私も召喚魔法できるぞ」
「それじゃ見して」
「よし!」
天井の低い馬車の中で折れ曲がった三角帽子を押さえながら、円は杖を振り始めた。危ないからやめてほしい。というか、この狭い空間に何を召喚する気なのだろうか。
「神の恵みより大地に育まれし賜物の礎よ……鮮やかなる陽光、流れ降りし雨水の素……そして灼熱によって紡がれし生命の源! 我が契約の下に出でよ!――」
円が自らアレンジした禍々しい中二病な詠唱の終わり際に、彼女の杖先からポワンと白い煙が立ち上った。どうやら馬車をぶち破るような巨大なものではなかったようだが、一体何が召喚されたのだろうか。
煙が消えると、そこに現れたのはビスケットが盛られた木の籠だった。仰々しい詠唱の結果がこれとは、肩透かしもいいところである。
「お菓子やん」
「そうだけど」
「お菓子を召喚して、どないすんねん」
「食べる」
そう言って、円はナッツの練り込まれたビスケットをつまんだ。
「ちょい待ち! これあれやないの? 敵につこうて、毒状態にするとか、そういうやつ」
なんだかありそうな話だ。魔女の召喚したお菓子なんて、口をつけたいとは思えない。よく見ると紫色だったり緑色だったり、なんか毒々しい極彩色の見た目だし。とても食用だとは考えにくい。
「じゃあ、解毒してから食べればいいじゃん。もしくは食べてから解毒する」
円が口を尖らせて反論する。
そういう問題なのだろうか。しかし、召喚された以上、そのままにしておくのも気が引ける。
「もー。しゃーないなー」
今度は巡が極めて適当な呪文を唱え、ビスケットに向けて御幣を振った。御幣から煌びやかな光の粒子が拡散し、ビスケットが一瞬、光り輝く。
「ドク・キエーロ」
「まさか貴公……解毒魔術の使い手?!」
「魔術やない。巫術やで」
巡がニヤリと口元を歪める。今は魔術でも巫術でもどっちでもいい。問題は、本当に解毒できたかどうかだ。
「あ、なんか普通の色になってるぜ。これなら行けそう」
円は手にしていたビスケットを口に入れた。時折、慎重そうに咀嚼音だけが口から洩れる。
「どう?」
「どや?」
私と巡は不安になって円に尋ねた。円は口の中のビスケットを嚥下し、しばらく黙っていた。これでいきなり倒れられでもしたら、女子旅どころじゃないんだけど。
「お祖母ちゃんのビスケットって感じ」
「お祖母ちゃん……?」
どこにお祖母ちゃん的な要素があるのかは不明だが、とりあえず毒は大丈夫のようだ。巫術に感謝しつつ、私と巡もビスケットをつまんだ。
ちょっと塩気のある素朴なビスケットの味が口の中に広がる。確かに懐かしい感じがする。別に昔、食べたことがあるわけでもないのに、なんだろう。この懐かしさ。
その時、なんとなく私はこの世界の作者が、きっと物凄い執着心を持った、ノスタルジックなセンスの持ち主なのだろうと思った。そうでなければ、ビスケットの味で懐かしさを演出するなんてことはしないだろう。
そのセンスはこの世界全体についても言える。最新のVR技術に依存しながら、旧世界を極力、再現しようという矛盾した行為。作者は何故、人気のアクションファンタジーやストラテジーのゲームではなく、このような旧世界を構築しようとしたのだろうか。
「誰か、飲み物出してくれない? 私、酸性雨しか出せないんだ」
円がビスケットを片手に尋ねた。
「液状のポーションだったら私の荷物にあるよ」
「サンキュー♪ 流石は行商様!」
「ただし5ゴールドちょうだいしまーす」
「えー」
円が落胆した調子で首を振る。
「わかったよ。今回は特別に0ゴールドで売却してしんぜよう」
「普通の受け渡しじゃ駄目なわけ?」
「床に一旦ドロップした奴で良ければ……」
「わかった。買うぜ」
私が円と巡にそれぞれポーションを売却し、馬車の中は呑気なティータイムとなった。
ポーションと言っても、ガラス瓶に入ったそれは、レモンやミントで風味よく香り付けされた普通の水のようだった。円が唱えた最強即死氷魔法によって出現させた小粒の氷を入れて適度に冷やしたポーションは、爽やかなレモネードに近い飲み心地だ。
ゲーム内のステータスが回復しているのかも知れないが、それも数値の上では見えず確認できないので、実質的に単なる飲み物である。
「それにしても、よくこんなところ見つけたよな」
「せやなー。りんちゃんって、あんまりVR興味ないんかと思っとったで」
二人の視線が私に集まる。別にVRに興味がないわけではなかった。ただ、自分に合った世界が無かっただけだ。
「まどっちが最初に、どっか新しい世界がないかって言うからさ、適当に見繕っただけだよ」
運良く見つけたこの世界はとある有名アクションRPGの二次創作で、無名の個人がクラウドサーバ上で丸ごと世界を提供していた。研究用のシミュレータでもなければ、イベント用のパブリックスペースでもない。単なる趣味で作り込んだという注意書きが添えられていた。
種族によって見た目こそ違うが何か特性があるわけでもなく、スキルの威力は制限されて日常生活レベルの性能しか発揮されない。巡の狐耳は着脱可能なアクセサリー扱いで、最強即死氷魔法で出てくるのは殺傷能力ゼロの氷の粒である。まあ、これはこれでギャグっぽくて良いのかも知れない。
ゲームエンジンの基幹部分に手を出していない分、ユーザーの設定に多少の綻びは見られるが、大まかには近世のヨーロッパを再現した旧世界というに相応しい世界だった。私たちは純粋に物珍しさから、週末にこの世界に集まって過ごすことに決めたのだった。
「あ、牧場や」
ダラダラしているうちに、馬車は山間の開けた場所に牛が放牧されている一角に出た。
「集落があるのかな」
「ちょっと行ってみようぜ」
木偶の御者に馬車を停止するように命じて、私たちは牧場に向かった。私たちが馬車から離れていくと、馬車は紫色の煙を吐きながら透明になっていき、やがて何もなかったかのように消滅した。
「第一村人、発見ー!」
物凄く古いテレビ番組のフレーズじゃなかったっけ、それ。
それはいいとして、牧場には家畜の世話をしていると思しき、壮年の農夫がいた。
「こんちわー!」
円が手を振りながら近づいていくと、農夫は帽子を取って恭しくお辞儀を返した。まるで、王族か何かにでも出会ったかのような敬虔な態度だ。
「これって言葉、通じてるのかな」
「さあ?」
さっきの御者が日本語で会話を返したのだから、恐らく言語は共通化されているはずだった。しかし、それにしても農夫の態度はあまりにも仰々しい気がする。
「誰かが、なんか高貴な種族に設定されてるんじゃない? それじゃなかったら、ただの旅人じゃなくて、お忍びの貴族って扱いになってるとか」
「貴族か、いいねー。それじゃ今から貴族感、全力で出して行くぜ」
貴族感ってなんだ。深刻な語彙力の不足と噛み合っていない会話に不安になりつつも、私と巡も円に続いて農夫に近づいていった。
「こんなところで……何か御用でしょうか、奥方様方」
農夫は緊張した面持ちで尋ねてきた。どうやら、やはり貴族か何かと思われているらしい。なんだか堅苦しい感じである。
「うむ。苦しゅうない」
「へい……それで、御用向きは?」
「うむ。旅の途中で、なんとなくブラブラしてあそばせているだけだぜ」
「そうですかい。何もないところですが、どうぞお好きなだけご覧になってくだせえ」
そんな適当な貴族がいるわけないだろうという突っ込みは置いておいて、少なくとも会話は成立するようだった。農夫は相変わらず恭順とした様子で私たちを見ている。
「そうだ! 記念撮影しておこっと。おっちゃん、ちょっとそこ立ってて」
円は農夫をその場に立たせ、その横に立つとVサインを作った指先で片目を隠した。
「記念撮影!」
何も起きない。
「あれ? おっかしいな……」
その時、突然、私たちの足元の地面が盛り上がってきた。土と草を掘り返し、地面にできた穴からネズミのような奇妙な生物が出現する。
私たちは慌てて後ずさりした。
「スクリーンショットは禁止されていマウス! ハハッ」
「なんだこいつ?!」
「スクリーンショットは禁止されていマウス! ハハッ」
ネズミ風の生物は耳障りな警告を繰り返した。恐らく、元になったゲームのナビゲート用のマスコットキャラなのだろう。どう見ても世界観が違いすぎる。しかし、こいつもあまり趣味が良くない見た目とモーションをしているな……。
「いいじゃん! ただの記念撮影くらい!」
円がネズミに向かって杖先を向ける。
「それとも、私たち最強Sランク冒険者パーティとやろうっての? このネズミちゃんよ……」
そんないきり立ったところで、私たちのスキルではこいつにすら勝てないと思うのだが。
その時、ネズミの目が赤く光った。
『今ログインしてる、そこの魔法少女の人?』
男の声がネズミのスピーカーを介して聞こえてきた。どうやら世界の管理者のようだ。
『絵だったら描いていいからさ。それで我慢してくんない?』
「あ、はい」
『ごめんね。機能追加の予定はないんだ』
「いえ、ご丁寧にありがとうございます。わがまま言ってすいません」
『悪いね。そんじゃ』
そう言い終わると、管理者のネズミは地面の穴と一緒に跡形もなく消え去った。最初から何もいなかったように。
「駄目かー!」
円が地面に突っ伏した。
「でも、絵だったら描いてええんやろ? 描けばええやん」
「そんな高性能な芸術系生産スキル、持ってないぜ……」
私たちは三人揃って大きく肩を落とした。まさかこんなところに大きな落とし穴があるとは。旅の記念撮影が残せないとなると、自分で手記でも作らないことには記録を残せない。
「あのう、奥方様」
農夫が牧場の奥を指差す。
「先程、宮廷画家だと仰る方がこちらへいらっしゃいまして、その方であれば、絵を描いてくださるかと」
「マジで?!」
なんという幸運。誰のスキルだか分からないが、やはり幸運は持っておくべきだ。グッドラック・イズ・ベスト。私たちは農夫に礼を言って駄賃を渡すと、急いで牧場の奥へと駆け出した。
そこには大きなモミの木が立っていた。青々と茂るモミの木の木陰で、一つの人影が佇んでいるのが見える。あれが宮廷画家だろうか。
「すいませーん!」
私たちは人影に向かって手を振って声をかけた。
声に気付いた人影が立ち上がって振り向く。しかし、その姿は明らかに普通の人間からはかけ離れていた。頭にはねじ曲がった山羊のような角が生え、背中からは巨大な蝙蝠のような羽が伸びている。
半竜人だ。旧世界を再現したこの世界に、このような場違いな種族のNPCがいるわけがない。
他のユーザーだ。
「……」
半竜人は眼鼻の整った顔立ちをした少女だった。ひだ付きの緩やかなローブを纏った彼女は、私たちを無言で一瞥し、何か思案するように小首を傾げた。
「ドット湯治チリ砂糖根? 江戸船邪骨?」
半竜人の少女は謎の単語を発した。私の耳にはなんとなく上記のように聞こえたが、どちらにしても意味は通じない。どうやら使用言語が違うようだ。
「何? えーっと……めぐ、今この子、ジャポネって言った?」
「わからへんけど……」
「江戸船邪骨?」
「せ、せやな……イエス。ウィーアー、ジャパニーズ。ウィーアーフロム、ジャパン!」
巡がとりあえず日本人であることを表現しようとする。英語が伝わるのかすら分からないが、とにかくコミュニケーションをとってみるしかない。半竜人の少女は巡の言葉を聞くと、喉を押さえ、息苦しげに声色を変えながら呪文を唱え始めた。どうやら音声を自動翻訳しようとしているらしい。
「え……あ……じょ……じょ……」
「じょ?」
「じょ……定命の者よ……我に一体何の用だ?」
半竜人の少女はついに日本語を発したが、相変わらず正しくコミュニケーションできているのかは怪しかった。なんだよ、定命の者って。
ゲームエンジンに付属されている自動翻訳機能があまり高性能ではないのかも知れない。彼女の発したい文章と、翻訳されている文章に齟齬が発生している可能性がある。
「まさか貴公……ドラゴンボーンのロールプレイ?!」
円、お前も十分にロールプレイしているだろうという言葉を飲み込みつつ、私も半竜人の少女に声をかける。
「絵描きの人って聞いたんだけど」
「その通り……我の精密描写をその目に刻むが良い」
少女はスケッチブックを取り出すと、私たちに差し出した。
そこには繊細なタッチで、モミの木と牧場の風景が描かれていた。正しく精密描写という言葉に相応しい風景画だ。
「すごーい! なにこれー!」
「思い知ったか、定命の者よ。これが我の力なり」
要するに精密描写のスキルを持った職業、彼女が件の宮廷画家ということで間違いないだろう。言葉遣いと外見はザ・悪の魔王という雰囲気だが、彼女の無邪気な笑顔からは敵対心は感じられない。むしろ、他のユーザーに出会えて喜んでいるというほうが適切だろうか。
「ねえねえ、私たちのことも描いてよー」
円が無遠慮に半竜人の少女に依頼する。
「……良かろう。我の力を味わせてやる」
少しの間をおいて、ローブの裾から徐に絵筆を取り出すと、半竜人の少女はスケッチを開始した。絵筆を持つ右手と視線が素早くスケッチブックの上を走る。そして、ものの5分も経たないうちに絵を完成させた。そこには、私たち三人の姿が見事に描写されている。動作のスピードも正確性もAクラスだ。
「早っ! しかも上手! 本当にすごいじゃん!」
「やっぱスキルやからかな。人間業とは思えへんわ」
「その程度の賛辞は我には不要なり。して、汝らは何者ぞ?」
少女は満更でもない様子で笑みをこぼしていたが、そういえば自己紹介がまだだった。私たちは日本からこの世界にアクセスしていることや、自分たちの名前を明かした。
「相分かった。我が名はサキュエ・フェルミ。由緒正しきフランス王室の宮廷画家である。今後はサキュエと呼ぶが良い」
少女は尊大な言葉遣いとは裏腹に、恥ずかしがっているかのように俯き加減に顔を伏せながら自己紹介した。私たちの適当な観光客設定とは違って、非常に畏まった設定付きの自己紹介である。
「よろしくね、サキュエちゃん」
「ところで、さっきゅんはどうしてこの世界に来たの?」
「さっきゅん?」
「サキュエだから、さっきゅん」
初対面の外国人ユーザー相手にいきなり渾名をつける円の馴れ馴れしさには呆れる他ない。というより、通じるのかどうかも分からないのに、さっきゅんって呼んで大丈夫なのだろうか。
「我は、我が力を究めんがため修行しておる。修行の旅の最中である」
「やばい。修行とか意識高すぎるぜ、さっきゅん」
口調は変だけど普通に答えてくれてるし……。すごく優しみを感じる、サキュエちゃん……。
修行ということは、絵の練習ということだろうか。翻訳のせいで意図がずれている可能性もあるが、もしかすると彼女の絵はゲームのスキルだけではなく、彼女本来の才能による影響もあるのかも知れない。
「されど、絵のモチーフには恵まれておらぬ。動かぬもの、心持たぬもの……空虚なり」
「それやったら折角やし、もっとうちらを描いてくれへん?」
巡がサキュエに提案する。意外というようにサキュエは目を丸くし、照れを隠すようにスケッチブックに顔を埋めた。
「我は修業の身。それでも汝らは……その魂に代えて我が力を欲すか?」
なんとも大袈裟な表現だが、これも誤訳のせいだろう。多分、本当の意味ではそこまで大した要求ではないように思える。
「大丈夫だよ。さっきゅんの絵は本当に上手だし。さっき見せてくれたみたいに、私たちを描いて。ね?」
私は笑顔でサキュエの目を見た。彼女の澄んだ藤色の瞳は、見ている者を吸い込むような魅力的な光を放っている。
「……よかろう。杯を交わすまでの間、この身を汝らの傍らに置こう。覚悟するが良い」
そう言って、サキュエは僅かにほほ笑んだ。
それから私たちは小さな牧場の中で、サキュエの望む構図でポーズを取ったり、それぞれ勝手にしょぼいスキルを試し打ちしてみたり、思い思いに時間を過ごした。
サキュエはどんな構図でも正確に描写してくれた。しかも神業といえる高速で。彼女の筆はまさに魔法の筆だった。
私たちはつい時間を忘れて彼女の絵に夢中になり、その技能を褒め称えた。旅の記録として、これ以上のものはないと確信したからだ。そしてサキュエのほうも、私たちを描いた絵はすべて譲ると約束してくれた。
屋外での行動に飽きると、私たちは牧場の建物にもお邪魔した。小さな牧場ではチーズが生産されており、それが彼らの集落における生産物のすべてであるようだった。彼らはチーズを他の集落で別の農産物と物々交換し、生活を成り立たせていることが分かった。こうした農村の生活の情景も、サキュエの筆によって記録に残された。
一般のNPCからすれば、旅の貴族が自分たちの牧場で奇妙な行動をとっているように見えるのだろうが、それを意に介する者はいなかった。農民も家畜も、我関せずといったペースでそれぞれの行動を繰り返している。
目の前の情景を形作っているのはゲームの生活AIだが、もしかすると、現実でも実はこんな感じだったのかも知れない。農民は畏れ多くて身分の高い人々とは気安く接しないし、接したとしても先ほどの農夫のように畏まってしまうのだろう。
それはある意味で当然の成り行きとも言えたが、しかし、少し寂しさも感じさせるものだった。旧世界の身分社会を否定するわけではないが、折角ここまで来たのだから、集落の人間とももう少し交流していったほうが楽しいはずだ。だって、これは自由気ままな女子旅だし。
そんな風に私は感じたのだ。だから、私はみんなに一つの提案をした。
「ここに泊まる?」
「そう。最初に目標にしていたトレントまでどれくらいかかるか分からないし、ただありがちな宿に泊まるってのも普通過ぎるかなって」
「せやなー。こういう静かな集落で一晩っていうのも、悪くないかもわからへんね」
「確かに……とはいえ、泊まらせてもらえるのか?」
「そこは行商さんのスキルで交渉してもらわな……なあ?」
交渉に関しては問題ない。手間賃をばら撒くだけなら行商でなくてもできるが、私には説得というスキルが備わっている。一般のNPC相手であれば、説得の成功は容易のはずだ。
「あとはさっきゅん次第だけど、どうする?」
「良かろう。我も今宵、この集落にて杯を交わすこととする」
「オッケー! それじゃ、交渉してくるよ」
私は喜び勇んで農夫たちの下へと向かった。
農夫は貴族の皆様にはご満足いただけるような食卓をご用意できませんとしきりに断ろうとしたが、そこは説得のスキルでごり押した。苦しゅうない、よきにはからえラッシュである。本来、私たちは貴族でも何でもない、ただの女子学生なのだから、どんな粗末な食事でも寝床でも構わなかった。
それから日暮れまでに、農夫は集落の人間を銘々にあたって、できる限り良い食卓の準備を整えようとし始めた。なんだか無理を言ってしまって申し訳ない感じもするが、こういう僻地で農民が食べている食事が一体どのようなものなのかという期待のほうが、私の中では大きくなっていた。
日暮れが近づき、私たちは集落で最も広い家へと案内された。家の中では、燃料となる動物の脂肪や油の代わりに、木の鉋屑に火を点けて灯りをとっていた。その揺らめく光は十分に屋内を照らし、暖かな雰囲気を醸し出している。
「なんかええ感じやな」
「森のコテージって感じ?」
「さっきゅんはどう? 絵になる感じ?」
「うむ。ここも我が筆の餌食としよう」
サキュエは私たちとともに食卓の準備をする家の主人や農夫たちを描いた。食卓は小さく、テーブルクロスもナプキンも置かれてはいない。ナイフやスプーンやフォークといった食卓に必要な道具も一つとして揃っていなかった。そして、椅子も無かった。
貧しい農家の家の中で、全く場違いな魔女と巫女と行商が同じ場面に居合わせている絵は、なんとも滑稽に思えたが、サキュエの技術はそれらを奇妙に調和させていた。
家の子供たちはかまどで火を起こし、母親を手伝っている。他の家から来た牛飼いや、別の集落で物々交換を行ってきた農民が立ち寄り、牧場にはない食料を置いていくと、それを母親が調理していく。
準備の途中で、乾いた小さな樽やひっくり返した盥を農民たちが持ち寄ってきて、私たちに椅子の代わりにするように勧めてきた。彼らは皆、私たちと顔を合わせるたびに帽子を取り、ゆっくりとお辞儀をしていく。私たちは逐一、礼を述べるのだが、彼らは口を利くのも憚られるといった調子で、すぐに出て行ってしまった。
集落のもてなしは細やかに進み、やがて料理が出来上がり始めた。
小さな木の椀に、刻んだカブが浮かんだ白い汁が注がれる。
「ベシャメルソースかな?」
恐らく円の言う通りだろう。小麦粉とバターと牛乳、そしてチーズを使って鍋で煮込んだソースだ。この周辺で手に入る食材を有効に活用している。
「ええ匂いやなー」
他に、そのまま切ったチーズの欠片や、薄焼きにしたパンのようなものが皿に揃えられる。さらに、ゆで卵を入れた丼が用意された。
そして、最後にワインまでもが供された。この周囲には葡萄畑は無かったから、恐らく誰かが取っておいたものだろう。
「わしらは水と牛乳を飲みますので、お酒は奥方様方がお召し上がりください」
そう言って、家の主人は取っ手付きの小樽にワインを注ぎ、私たちに順番に手渡した。サキュエはワインを受け取ると、水の入った杯を農夫から受け取り、ワインを水で割った。
私もサキュエの真似をして、ワインを水で割った。それを見て、円と巡も水割りの儀式に参加する。現代においてワインを水で割ることはないが、きっと旧世界ではこれがテーブルマナーなのだろう。アルコールも薄まるし、悪酔いも防げる。家の主人は何も言わずにその様子を見ているだけだった。
食卓の準備が整い、家の者たちが床に座った。乾杯の時だ。
「どないするんや?」
「誰か乾杯の音頭をとらないと……」
自然に私と巡の視線が円に向かう。
「私? えーっと、皆様。今晩は我々のために晩餐をご用意いただき、誠に感謝します。えーっと……神の賜物に感謝し、日々の糧を得られた今日という日を忘れずに、乾杯!」
円がワインの杯を持ち上げた。私たちも杯を持ち上げて乾杯と言葉を返す。しかし、あまりに恐縮しているのか、家の者たちはただ頷いているだけで、乾杯に返す言葉はなかった。
それから、家の者たちは私たちの動きをじっと観察して、食べ物には手を付けなかった。どうやら、私たちが先に手を付けるのを待っているらしい。
「よーし、食べようぜ」
円が素手でカブのベシャメルソースに指を突っ込む。生憎、誰も食器を召喚するスキルは持ち合わせていない。私たちも各々、チーズや卵に手を出した。それを見てから、家の者たちもようやく食事に手を付け始めた。
「美味い……」
カブのベシャメルソースを頬張ると、まろやかなソースの味と瑞々しいカブの風味が口いっぱいに広がった。簡単な素材だけで作られた料理なのに、どうしてこんなにも美味しく感じるのだろうか。
私は考えを巡らせようとしたが、美味という感動の前ではそれらは陳腐な理屈にしかならなかった。旧世界の品種改良されていない野菜や酪農製品に、味を期待することは間違っている。だが、実際は違った。その仮説は退けられ、私たちはこの細やかな晩餐を楽しみ、心から食欲を満たしていた。
途中でデザート代わりに、果実の実が皿に盛られた。酸味の強い葡萄に似たもののようだった。正しい品種は分からない。しかし、こちらもやはりスッと喉を通り、食後の胃を穏やかに満たす。
あっという間に、私たちは食事を平らげていた。解毒の巫術も、氷の魔法も、ゲームのスキルは一切関係なかった。小さな牧場で、最善を尽くして供された晩餐は、麗しき旧世界の味として私の舌に刻み込まれた。
この世界で旧世界を体験すれば、そこに思慕の念を抱かずにはいられない。これが作者の思惑なのだとしたら、それは完全に成功している。
「本当に美味しいね、ねえ、さっきゅん?」
「あれ? さっきゅんは?」
振り返ると、サキュエはいなくなっていた。誰にも気付かれず、彼女は食卓から姿を消していた。
私たちを描いたスケッチだけを残して。
「トイレじゃないの?」
「何も言わずに、スケッチだけ残していなくなるかな? 常識的に考えて」
「せやな……あ、でも、そういえば一緒に来る時に、杯を交わすまでって言っとったような……」
まさか。本当に、杯を交わした時にいなくなってしまったのだろうか。
「さっきゅんも食べていけば良かったのに……」
サキュエが本来座っているはずだった、ひっくり返した盥の前には、料理がそのまま残されている。食事に夢中で全く気付かなかった自分が、急に酷く惨めに思えてきた。
「未成年だからワインを飲む前にログアウトしたとか?」
「うちらも変わらへんやろ。それに、アルコールは影響せえへんで」
「じゃあ、なんでだろう。計算量料金が不足してたのかな」
思い当たる節はそれくらいしかなかった。要するに、世界にログインしている時間に限界が来たのだ。それは凡そ経済的な問題で、問題を回避するために負荷を落とす設定が推奨される。
しかし、ユーザーの中には世界への没入感を高めるため、計算量の限界までグラフィックの設定を高める者もいた。サキュエの精密な描写を振り返ると、彼女がそうした設定を施していた可能性は否定できなかった。
「まあ。仕方ない。旅ってのは一期一会ってもんだぜ」
確かに、そういうものかも知れない。しかし、こんな辺鄙な世界で出会った半竜人の少女の印象はあまりにも強烈で、私は忘れることなどできそうになかった。
その後、夜が更けてから、私たちは一旦、旧世界からログアウトした。就寝する前に本当の食事を摂取しておく必要があるからだ。
完全食品を謳ったパウダーを水に溶かして、一気に飲み込む。カロリー、ビタミン、ミネラル……ただ肉体を維持するためだけの物質が身体に流れ込んでくる。これが本当の食事だった。
私は食事を終えると、虚ろな気分で端末の画面に目をやった。そこには、サキュエの残したスケッチが画像データとして保存されたフォルダが表示されている。
データのプロパティを確認すると、確かに高い解像度の画像であることが分かる。ゲーム内のスキルの助けを借りていたとは言え、高精細の精密描写を繰り返させたのが、結果的にサキュエのログイン時間を削ることになってしまったようだった。
旧世界にはフレンド登録のシステムも、メッセージのやりとりも、コミュニケーションを円滑化する機能はまるで無かった。そんな中で、彼女に偶然出会ったのは、奇跡に他ならなかった。
「また、会えるかな……」
私は画像をスライドショーで一枚ずつ確認しながら、小さく呟いた。
牧歌的な風景の中、場違いなコスプレ状態の私たちの姿が映し出される。なんだか一枚一枚がとても懐かしく思える。そしてスライドショーの最後の一枚として、晩餐の準備の絵が表示された。
「……!」
その片隅には、『Again, on the weekend.』と小さく書かれていた。