1話:ツワモノ
「はぁっ、はぁ……ッ!」
村から離れた森の中で走り続ける。私は魔物に襲われているのだ。最初は採取していた薬草や果物入れた籠を抱えていたが今はそんな物を抱えている余裕は無く放り投げて走り続けている。
魔物の名はロットンウルフ。見た目は痩せさらばえた途轍もなく大きな狼の腐っている死体に木々巻き付いている異形な形をしている化け物。
頭の左右に巨大な枝分かれした角
あばらが浮かび、肉などは細くこびりついている程度しかなく、体には幾つの空洞が空いている。
腐っている腐臭が距離をとっている自分の方にまで漂ってくる。
普通は生物として生きられない構造をしているが魔物にはそんな事は関係ない。
魔物に常識など通用しないのだから。
ロットンウルフはその見た目からは考えられない強靭な力で恐れられている。ギルドの討伐クエストでもAランクに登録されている化け物だ。普通の人間がそんな化け物の攻撃を喰らえば掠っただけで死んでしまう。
唯一の救いと言えば見つかったのが森の中だった事だ。
ロットンウルフは体が腐っているためにまともに真っ直ぐ歩く事が出来ない為、木々にぶつかって追いかけてくる。腐食する部分が多く、五感の殆どが衰えている欠点も上げられる。もし見つかるのが荒野などの遮蔽物が無い場所だったらすぐに食い殺されていただろう
「あぐっ!」
だが、肝心な所で根が飛び出ていた所に足をとられてしまい転んでしまった。その際に腕や足を擦ってしまい血が出てきてしまい熱を持つ。あまりの痛みに蹲りたくなるが、そんな余裕は無い。早く動かなければと焦り立ち上がろうとする。だが一度だけ相手との距離を確認しようと後ろを向いた。
「――――――ぁ」
目の前に映るのは腐った狼の顔。
臭うのは途轍もない腐臭。
あれ程の距離をとっていたのに転んでしまった短時間で、もうここまで距離を詰められてしまった。
奴はまるで私を品定めするように顔を近づけ臭いを嗅ぎ、死んだ魚の様な白ずんだ眼で見てくる。
そして、品定めは終わったのか此方に大きな口を広げてゆっくりと近づいて来た。その光景を見て私は無意識の内に歯をガタガタと震わせてしまっていた。
ここで私は死ぬんだと悟った。
結局都会に出ることも村で一生を過ごし、恋人も作る事無くこのまま生を終えてしまうのかと。自分が死ぬ恐怖よりも先に死んでしまう両親に申し訳ないという心に溢れた。少しでも嫌な思いはしないように目をギュッと瞑る。
――――ドンッ
何かがめり込む音がしたと同時に、圧迫と腐臭が嘘の様に消えた。
あぁ、私は死んでしまったのか。
身体の肉を食いちぎられ苦しんで死ぬと思っていたが、そうでなかったなら良かった。
あまりに痛みなどの苦しみが一切来なかった事に拍子抜けに感じる部分もあるが死んでしまった今となってしまっては、どうしようもないか。
すると少し遠くの方からドンッ!と大きな音と共に振動が私を襲う
まさか死んでもまたあんな化け物に会わなければならないのか?
それは何と言う残酷な仕打ちだ、もしそんな事があれば私はずっと神様というものを怨んでやると思った。
『大丈夫か?』
だが私の考えを否定するかの様に少し篭った男性の声が聞こえた。なんで突然男性の声が聞こえるのか意味が分からない。もしかして私はそこまで心から恋人というものに憧れていて死の間際に、そんな幻聴が聞こえてしまっているのかと思うと恥ずかしく感じた。
『もしかして、怪我でも―――あぁ転んで膝擦ってんじゃねぇか、結構血ぃ出ちまってるし。ほら手ぇ出しな、まずは立ち上がんねぇと消毒もままならんぞ』
随分と私の幻聴は流暢に喋るなと思い恐る恐る目を開けると、目の前には手が差し伸べられていた
「え?」
目の前には大柄の黒ずくめ男性が此方に手を差し伸べていた。
まず眼に入るのはボサボサの長めの黒髪。
男性にしては長いと言える髪を、顔にかからない様に額の位置で長めの布の様な物を巻いている。
そして、首から下から全てを覆う様な物を身に纏い、更にその上から胸、肩、腕、腰、脛、腿等の要所に黒く硬そうな何かの防具が付けられている。
口元にもその防具が有り、此方から見えるのは目元から上だけだ。
ガタイは男性にしても大柄、肉体は全身覆われていてあまり分からないが、その上からでも筋肉の盛り上がりが分かる。少なくとも一般男性の体格とは段違いなのだろう。
目元は少し鋭い事と、その格好も相まってロットンウルフ程ではないが、怖く感じてしまい身を引いてしまう。
『―――あぁ、悪い。このままじゃ怖いか』
そう言うと彼は結んでいる紐を解き、口元の防具を外し素顔を晒した。
彫りの深い顔立ちで美形と言われるには十分。若干目元が釣り目で睨まれれば怖いという感情を抱くだろうが、今はまるで悪戯が成功したかのような表情で笑みを浮かべている為、少し無邪気さと明るさを感じさせる。
歳は二十代中盤程度だと推測できる。言うなれば子供っぽさを残した大人の様なものだ。
「大丈夫か?」
「え、ぁ、はい」
頭が混乱していて、気の抜けた返事しか出せなかった。
そんな私を見て軽く笑いながら頭を撫る。防具を纏っている為、若干堅さを感じるが痛みは無く、軽く触れる程度でやってくれて心地よさを感じる。
その心地よさに目を細めていると少し離れた所から、木々をへし折る音と獣の呻き声の様なものが聞こえた。
それと共に、まるで現実に引き戻すかのようにロットンウルフが木々をなぎ倒しながら顔を覗かせていた。先程の恐怖が蘇り「ひっ!」とまた情けない声を出してしまう。
「ちょっと待ってな、すぐに終わらせてくるからよ。後、ここから動くんじゃないぞ。アイツをもう少し遠くに飛ばすから大丈夫だとは思うけど、流れ弾みたいな感じで被害受けちまうかもしれないからな。終わったら水でその傷洗おう」
怯える私を落ち着かせるように、優しい声で喋りながら手に持っていた防具を口へ再び装着する。だが、あまりの唐突な登場にまだ混乱してしまい彼の言っている事の半分も理解できなかった。
彼はそのまま振り返り、明らかに怒りで興奮状態になっているロットンウルフへ歩き出す。混乱した頭でも今から彼があのロットンウルフ相手に挑みに行くことだけは理解できた。私は慌てて彼を引きとめようとする。
「す、すぐに終わらせるって……ッ!あのロットンウルフを武器も持たずに―――」
『武器ならある』
私の声を遮って彼は腕を掲げる。
『俺の武器は拳だよ』
そう言い放つと、彼はロットンウルフに向かって跳んだ。そう跳んだのだ。別に何か足元に飛ばす道具があった訳ではなく、その脚力だけで何mも先のロットンウルフの元へその一跳びで近づいていく。あまりの現実離れした光景に口を開けて呆けることしかできない。
私が呆けている間に彼はロットンウルフの面前にまであと少しまで近づいていた。
「ガアァぁぁッ!!!」
面前にいる彼に向かってロットンウルフは先ほど自分が吹き飛ばされた怒りと今から仕留めてやるぞという威嚇を含めた咆哮する。
先ほどまで私が受けていた咆哮とは段違いの声量に思わず「ぐぅ…っ」と手で耳を塞いで声を漏らす。だが、彼はその咆哮を恐れずに耳を塞ごうともしないでそのまま突っ込む。
『口が臭ぇんだよ』
「―――ガッ!?」
そう言って右のアッパーで開かれた口の下顎を打ち抜き強制的に閉じさせる。ロットンウルフは舌を噛み千切りながら顔を上へ吹き飛ばされる。
『歯磨いてから出直して来い』
淡々とした言葉と共に彼は腰を捻って体を回転させて蹴りをロットンウルフの横顔に放つ。攻撃を受けたロットンウルフは声をあげる事も出来ないまま、まるで瞬間移動したかの様に木々をへし折りながら吹き飛ばされる。
着地した彼は直に吹き飛ばした方向へ跳ぶ。
「凄い……」
この光景にそう言うしかなかった。
特に村の外に出た事の無い村娘の私が見たことがある戦いの光景と言ったら村人の男性達が熊を大勢で囲んで狩りをする程度のものだ。それに比べたらこの光景はなんなのだろうか。あまりに常識からかけ離れ信じられなく、そして強すぎる光景。もう凄いという言葉しか見つからない。
だが、一つだけあの人間離れした動きを可能とする方法を知っている。
「魔装具?」
『魔装具』
武具に魔物の魂を宿しそれを操る人間は超常の力を得ることができるという武具。それは剣や斧だけでなく盾や防具などの幅広い種類の装備があるらしい。性能はその宿した魔物の特性が発現することにより、まさに千差万别のものとなっている。
私はそんな貴重な物を見たことは一切無く書物の中でしか見たことが無い為、彼が本当に魔装具を使っているかなんて分からない。
「………………」
遠くの方で木々が折れる音や振動が此方まで響いてくる。おそらく彼がロットンウルフ相手に戦ってのものなのだと分かる。
ここを動くんじゃないぞ。そう言われた私は彼の言う通り今居る場所から動かないことが正解なのだろう。だが、今私はロットンウルフへの恐怖よりも魔装具による超常的な戦いというものを見たいという好奇心が勝ってしまっている。もし助けてくれた人がロットンウルフと拮抗する様なら考えなかったが、あまりにも圧倒的な実力差に彼なら周囲を巻き込む様な戦いをしないんじゃないかという楽観的な考えを抱いてしまう。
無意識に唾を飲み込み喉を鳴らす。
分かっている。危険な場所に態々出向くなんて馬鹿な人がする事だっていう事は。だが、生まれて禄に村を出たことの無い私にあの光景は途轍もなく惹かれるものだった。見れたかもしれないのに見なかったら私はきっと後悔してしまうんじゃないかと思ってしまうのだ。
「ちょっと……ちょっとだけなら」
別に近くで見ようとしている訳じゃない。木の陰に隠れて遠目でもいいから見れれば十分なのだ。離れていれば巻き込まれるなんて事は滅多に無いだろう。そう自分に言い聞かせながら彼が向かって行った方向へ歩き出す。
彼の向かって行った方向に近づいていくにつれて音と振動が大きくなっていく。その事実が自分が戦いの場に近づいていると実感させる。
「いた」
歩いて目的の光景が見える場所まで着いたので慌てて木の陰に隠れ、頭だけを出して観察する。
「グラァぁぁあッ!!」
『しッ!』
ロットンウルフが咆哮をあげながら前足で襲い掛かる。
面を被っていても聞こえる彼の声。その声と同時に放たれる拳の一撃がその攻撃を向かい撃つ。
グシャ!
「ガぁッ……ァぁぁアッ!!!!!!」
何かが砕ける音と共にロットンウルフが悲鳴を上げる。最初は彼が押し潰された光景を想像してしまったが今目に見える光景では、攻撃を仕掛けたロットンウルフの腕が途中でへし折れ拳が砕け散っていた。だが、それでけでは彼は止まらなかった。そのままもう片方の左腕に飛び掛り一振りの蹴りでへし折る。
なんていう出鱈目な身体能力だ。Aランクに分類されている魔物の腕を一殴りでへし折るなんて尋常ではない。魔装具使いという人間はこうも人外染みた力を持つのか。それとも彼がずば抜けて強いのか。魔装具使いを見るのが初めてな私には分からない。
そう驚いているうちにロットンウルフが咆哮をあげながら顔を上に向けて何やら青白い光の球体の様な物を作り出していた。
「なに……あれ?」
その球体はとても幻想的でとても綺麗に光っていて、周りから吸収するように段々と大きくなっていく。私はその球体に思わず身を乗り出して見惚れてしまう。
球体は次第に大きさと光を増して、まるで太陽かと思えるほどの眩しさを放ちながら直径5mまで大きくなり―――
シュッ
「え?」
その球体から小さい音が鳴ったと気づくと視界一杯に光が迫ってきた。あまりの唐突な事にそれが何なのか理解出来るわけも無く私は怖がることも驚くこともなく固まっていた。
光が迫って後少しで自分に届く寸前で影が割って入って来た。
『ったく、人の話を聞かない嬢ちゃんだ』
先ほどの彼の声が聞こえた瞬間
―――ギュ゛ュィィインンッッッ!!!!!
「っぅ……ッ!!」
眼と鼓膜を潰さんとばかりの強烈な光と甲高い大音量が目の前から発せられて声すらもあげられず、尻餅をついて耳と眼を塞いで縮こまる。遅れてはあるが、まるで肌を焼くような熱が乗った突風が襲って来る。まったく状況を掴めないが兎に角身を守ろうと更に縮こまろうと必死になる。
少し経つと音と風は止み、眩しさも多少落ち着いた。何が起きたのか知ろうと眼を開けようとしたところで身体が何者かに持ち上げられた。
『流石に自ら進んで地雷踏みに行かれたら助けようもねぇぞ』
「え?え?」
眼を開け自分を持ち上げているのは誰だと見ようと上を向くと、居たのは先ほど遠く離れた所でロットンウルフと戦っていた彼だった。
「貴方はさっき離れた所に居たのに何で……」
『その離れた所にいた人間を寄越させた原因が何言ってんだか……』
私の疑問にまるで呆れた様に答える彼。原因というのが何かは未だに理解できていないがその言い分だと彼は遠く離れていた位置からほんの数秒で私の目の前に来たという事になる。あの数百mの距離をつめるだなんて現実が無さ過ぎる現実に更に頭が混乱する。
「貴方は一体―――」
『人に尋ねるより、自分が生きることを考えな。そら、もう一撃くるぞ』
「え?」
シュッ
再びあの音が鳴ったと気づいたと同時にまた視界一杯に光が迫っていた。また呆けていると彼は私を抱えたまま体をズラした。
その時、私の目の前を光の何かが横切っていたのを見た。その光は段々と細くなっていきやがて消え、その光が向かって行った先を見ると木や岩、地面が抉れていた光景があった。
「なに……あれ?」
『何ってさっきからアイツがあの球体から打ち出してきてる魔力の塊だろ』
「あの綺麗な球体が魔力?」
『見惚れることは勝手だが、アンタが少しでも触れたりしたら消し飛んじまうぞ』
「ひ……っ!」
この光景を見た後の消し飛ぶという言葉に異様な重み感じ変な声をあげてしまった。
話している内にまた球体から再び放たれるが、今度は一発などではなく連発で襲ってきた。それを理解した彼は「チッ」と舌打ちをしながら一発を避ける。
『今から跳びまわるから、気持ち悪くなったら言いな』
「わ、分かりました」
そう言っている間に彼は跳び上がり、先程まで自分が立っていた場所に魔力の攻撃が撃たれていた。到着した先はロットンウルフの真横で意表をついたと思えば、またすぐに攻撃が襲って来る。今度は後ろ、木の上、岩の後ろと様々な場所に移動するのだがすぐに撃ってくる。そう思っていると急に攻撃が止んだ。もしかしたら敵の魔力切れにでもなったかとロットンウルフに眼を向けると動きが止まっている代わりに、頭上の魔力の塊が更に光を増しながら大きくなっていくのが見て取れた。これから何が起きるのだろうと思っていると上から「ゲッ」という声が上がった。
『ちょいとスピード上げるぞ。舌噛みたくなきゃ歯食いしばっとけ』
「へ?」
『いいから歯食いしばれ』
「んぐっ」
何がなんだか分からないが言われたとおりに歯を食いしばる。
頭上の球体から再び放たれる。今回は単発でも連発でもない。全方位へ一斉に放たれた。
『いくぞ―――っ!』
身体が先程とは比べ物にならないほどの凄まじい速度で引っ張られた。
「く―――っ!」
凄まじい風圧が私を襲う。私を担いだまま彼が移動しているというのは理解できたが、あまりの速さで焦点が合わず自分が何処にいて何処を向いているのかが何も分からない。そうしている間にも音と光が止まない事から、あの魔力の攻撃が続いているのが分かる。ということはこの人はこの無数に放たれている攻撃を全て避けながら移動しているのか。こんな焦点も定まらない速さでどうやって避けているのだろうか。人間離れもあまりに凄すぎて意味が分からなくなってくる。
そんな状態が少し続き状況も分かってきたところで急に勢いが止まった。やっと焦点が定まったと思えば自分が居たのは少し離れた大きな岩の陰の裏だった。
『すぐ終わらせてくるからここで待ってな。今度は出てくるんじゃないぞ』
「え、あ、はい。すみません……」
『よし、いい子だ』
私の頭を少し撫でて再び私の視界から消えた。どこに行ったのだろうと探すと彼は空中でロットンウルフに向かって跳んでいた。きっと足手まといの私を安全な場所に置いて戦いに行ったのだろう。余計な手間を掛けてしまったと申し訳なく思っていると光の束が彼を襲う。
「危ない!」
空中では足場が無いから避けることなんて出来ない。まさに直撃だ。あの地面を抉るあの威力の攻撃を喰らってしまって無事な訳も無く、もしかしたら消し炭になってしまったかもしれない。
もし私が好奇心で彼の後を追わなかったらこんなことには……。そう思いつめていると彼がいた所からあの甲高い音が鳴り響き光の束が消し飛んだ。
「嘘……」
そこには彼の姿が見えた。右拳を振り下ろしたような格好から察するに、彼はあの光の束に向かって拳を振り下ろし消し飛ばしたらしい。彼はそのままロットンウルフに近づいて行く。
『終いだ』
頚椎の骨を砕きロットンウルフは糸が切れた操り人形の様に倒れ、彼は着地する。そして彼は口元の防具を外し素顔を晒して私に向かって笑みを浮かべて言うのだ。
「すぐに終わるって言ったろ?」
そんな彼に私は反応出来ずに固まる事しか出来なかった。
◇
「じゃぁ、貴方はあのロットンウルフを討伐しに私達の『コーラスト村』に来てくださったんですか?」
「あぁ。と言っても依頼主の話じゃ生息地はもっと遠くの沼地ってことになってたから、ここまで来る予定なんて無かったんだけどな」
今私は助けてくれた彼と談笑しながら村までの帰路を歩く。
「まぁ焦ったよ。沼地探しても小さい獣ぐらいしか居ねぇからさ。本命のデケェのがどこにも居ないってな」
「私も焦りましたよ。薬草の採取をしていたらいきなりロットンウルフが現れたんですから。でも、何故この森にまであのロットンウルフが来ていたのでしょうか?」
「さぁな、常識が通じない魔物は何しでかすかなんて分からないからな。いくら考えたところで正解なんて見つからねぇさ」
彼は口元を覆っていた防具を外し、両手にはこれでもかと改めて採取した詰めた大量の薬草の籠を持っていた。流石に助けて貰っておいて、薬草採取まで手伝って貰おうだなんて申し訳ないと言ったのだが、彼は大丈夫だからと言って手伝ってくれたのだ。
「でも凄いです、あのロットンウルフを一人で倒してしまうなんて」
「そうか?」
「そうですよ!Aランクに指定されている魔物を一人で、しかも格闘技だけで倒すだなんて普通じゃありませんよ!」
ロットンウルフ
五感の劣化、腐食による弱点の露出などの欠点があるにも関わらず、Aランクに指定されているのは強靭な肉体。確かに五感の劣化は致命的だが、奴は敵がいると分かった途端に無差別に暴れだし、そのあまりにも予想できない動きと尋常ではない攻撃力に近づいたものは瞬殺される者が殆どだ。それに加えてあの魔力を圧縮した球体から放たれるレーザーめいたものは並みの防具では簡単に貫通してしまうほどの威力をしている。
ロットンウルフを倒す定石としては、壁役と魔法使いの複数編成、もしくわ魔装具を持った者となっている。
結局この知識も書物で読んだことがある程度で実際どうなのか確証めいたものはない。
だが、そんな相手を一人で倒すなんて凄いと思うし、それも数発だけで終わらせるなんて異様な光景だった。自分は勿論戦いなんてした事が無いし、見た事だって狩りで親や知り合いが小動物を仕留めている場面程度しかない。そんなレベルのものとは比べ物にならないロットンウルフとの戦いを見て私は興奮気味になってしまい彼へと迫る。
「やっぱりその装備は魔装具ってやつなんですか?」
「装備って、この防具の事か?」
「はい、あんな速く動いたり殴っただけで吹き飛ばしたり出来たのは魔装具の何かしらの力があってのものなんですよね?」
「随分と高く評価して貰って申し訳ないが、俺は魔装具なんてものは使っていないよ。あれは純粋な身体能力だよ」
「え゛」
予想外な言葉に思わず固まってしまう。魔装具だから可能だと思っていたレベルの戦いをただの身体能力だけで?今彼は簡単にその一言で済ましていたが身体能力だけであの力は信じられない。もし彼がやったことを村の男性にやって貰うとしたら何年、いや鍛えたところで一生の内にあのレベルに辿り着くことが出来るかと言われれば不可能としか言えないだろう。
ただの防具なら大丈夫かと試しに彼の片腕に恐る恐る触れる。
若干表面がザラザラしていて、思っていたよりも重そうだ。最初は特殊な金属の何かと思っていたが、触ってみると明らかに何らかの生物一部だったことが分かる。一体何の魔物から作り出されて装備なのだろうか書物でしか魔物を知らない村娘の私には検討もつかない。
「確かに一般の装備からしたら上等なものだけど、これ自体に何か特殊な能力が付いてるとかはねぇさ。説明するとしたら凄ぇ堅い凄ぇ重い装備ってだけだ」
「普通の装備には見えないし、あの戦いを見たからてっきり魔装具か何かかと思いました……」
「まぁお望みの魔装具じゃなくて申し訳ないが、こんな防具で良かったら持ってみるか?」
「え、良いんですか!?」
「別に構わんさ、ちょっとやそっとじゃ傷一つつかないし」
戦いに無縁な私にとってこういう装備云々は無縁だった為、好奇心で触ってみたりしたいという気持ちが表情に出ていたのかもしれない。彼は苦笑しながら腕に着けている防具を外して私の目の前に掲げてくれる。
「この紐の部分だけを持てよ」
「紐だけ、ですか?」
「まぁいいからいいから、言う通りにしなって。持てみれば分かるさ」
彼の発言に疑問を抱きながらも言う通りに紐を掴む。別にこの段階で変わった様子は無い。
「んじゃ、離すぞ」
何が起きるのだろうとドキドキしながら両手で掴みむ私だったが、彼が手を離した途端
「え―――」
グイッと重力に逆らわずにそのまま両手ごと地面へと持っていかれ、手が完全に地面に着く前にこれは不味いと頭で考える前に手が勝手に離れた。
その防具はドンッ!と重い音をたてて地面へと落ちる。
あまりの驚きで固まってしまい、だんだんとこの状況に理解が追いつくと大きさに対しての異常な重さに驚いた。腕に着けるのだから、そんな重くしている訳がないだろうと思っていたが、予想を遥かに上回る重さだった。
それに何が凄いってこの防具を要所要所とは言え、この重みのする物を複数身に纏いながら闘っていた事だ。もし、この防具を着けたら私は立つ事すら出来ず、そして力自慢の男の人でも歩くことも難しいだろう。
「ははは、まぁそうなるわな」
「分かってるなら教えて下さいよ!!」
「先に言っちゃぁつまらないだろ?それに助言はしたし」
「もうッ」
不貞腐れる私を横目に、笑いながら防具を拾い再び腕へと装着する。
「……貴方はもっと優しい方だと思っていました」
「男ってのは優しすぎるより、少し悪餓鬼っぽさがある方が良いんだよ」
そう言いながら、先程と同じように優しく頭を撫でてくれる。
その心地よさにまた目を細めて、気持ちよさそうにしていると、まるで悪戯が成功したかのような表情で私の顔を見ていた。
「だろ?」
「……ぷぃ」
そっぽを向く私の反応に満足したのか、彼は高笑いをする。
……確かにこういう人の方が一緒に居た方が楽しいのかなって、思ってしまったけどもッ。
私が拗ねて顔を横に逸らしていると、彼が背伸びをして骨をボキボキと鳴らし始めた。
「……さてと」
「どうしたんですか?」
「村も目の前に来た事だしな、そろそろ俺は戻ろうかなと」
「ぁ」
彼の言葉を聞いて目の前を見ると目の前には見慣れた村の門があった。
私は無事に帰れたという事になると同時に彼とのお別れの時間が来た知らせともなる。
「そ、そうだ、私の家でお食事でもどうですか?お礼もまだですし!」
「こんな怪しげな男が突然現れたら村人が驚くだろ」
「そ、それは私が皆に!」
「もうギルドに連絡したし、あのロットンウルフの死体を回収係が来るまでハイエナみたいな奴等から守らないといけない」
Aランクのロットンウルフの素材は需要が高く、高値で取引される。
そんな金になるモノを長時間放置していると、偶然見つけた人間が勝手に持ち出す場合がある。だからギルドが回収に来るまで、そういう相手から討伐した死体を守らなければならない。
「う~……」
「そうウネることはねぇさ。別にもう会わない訳じゃない」
「……また会いに来てくれます?」
少し不安の気持ちを抱きながら尋ねると、彼は再び苦笑すると頭に手をポンッと置く。
「あぁ、アンタみたいな美人にならこっちから望んで会いにくるさ」
変わらず飄々とした態度で答えると、彼は後ろへ振り向き歩き出す。。
このままで別れてはいけない。そんな思いに駆り立てられ、私は慌てて引き止める。
「せめてッ!せめて貴方のお名前をッ!!」
「名前?あぁ、言ってなかったか」
彼は笑いながら後ろに振り向き、言った。
「アドルフだ、今は『ノーランス村』っていうド田舎の村に住んでる」
その姿を見て、胸がドキッと高鳴る。
「アドルフ様……」
「ハッ、様はやめてくれ、ガラじゃねぇ。……じゃぁまた。今度は魔物なんかに襲われるなんて場面じゃなくて、平和な再開をさせてくれよ」
そう言うと彼は足を曲げ腰を落とし、空へ跳ぶ。あの装備を着けての跳躍に驚きはしたがリアクションを取る暇も無く私は彼に聞こえるように叫ぶのだ。
「私はマルタ!マルタですッ!!この村で貴方が来るまで待っていますッ!!」
声が聞こえたのか、彼は振り向かずに腕だけを上に上げて答えてくれた。
やがて姿は見えなくなり、寂しさが胸を締め付ける。胸の前に手を組み、目に焼き付けた彼の背中を思い出す。
「アドルフ様……」
私は彼と再び会う未来を、想い願うしかなかった。