16話:石抱
「~♪」
昼食を食べ終えて机に戻ると、先に戻っていた先輩が鼻唄を歌いながら花に水をやっている。
「朝から鼻歌なんて機嫌が良いですね。なにかあったんですか?」
「ふふっ、今日はアドルフが帰ってくるのよ。多分連絡だと、もうそろそろと言ったところらしいのよ」
優しい声音でこちらに嬉しそうに語りかけてくる先輩。そのなんと微笑ましい光景に思わず私も笑みを浮かべてしまう。そうだ、すっかり忘れてしまっていた。彼女は一人の恋する乙女なのだということを。例え、いつも恋する相手であるアドルフをまるで暴君の様に暴力を振るっていても、彼女は恋する一人の乙女なのだ。
「良かったですね。先輩、アドルフさんが帰ってくるのまだかまだかと待ち続けていましたもんね」
「それはもう。報告書がこっちに届いてから、もう待ち遠しくて仕方なかったわ」
「へぇ、報告書ですか。見せて貰っていいですか?」
「いいわよ」と言って、此方に報告書を手渡してくる。ひとまずざっと目を通すだけだが、 全体的にアドルフが高評価をしている事が見て取れた。
「流石アドルフね。評価は最高で、コメントの所には絶賛の言葉ばかり」
「良かったですね」
「ええ、本当に良かったわ。ゴブリンに襲われた時、アドルフはたった一人で立ち向かって圧倒的な力を見せつけて」
私にとびっきりな笑顔を向けて言うのだ。
「ーーーーAランカーみたいだった、ですって」
その言葉を聞いた瞬間、私の体が思わずビキッと氷づくように固まってしまった。
そんな私をお構い無しに先輩の言葉は続く。
「アタシはあれ程口酸っぱく、初心者らしく戦えと言ったのに、あの人の鳥並の脳みそは、その事を忘れてしまったらしいの。ゴブリンが大量に襲って来たのなら、初心者らしく逃げるという選択肢を選んで欲しかったの。それなのに、ゴブリンどころか、オーク達も殲滅するだなんて……。もうね、私はアドルフに会いたくて会いたくて――――仕方が無いのよ」
アドルフさん、超逃げて
段々と冷え切っていった言葉に、自分が責められている訳でもないのに、思わずヘビに睨まれた蛙の様に震えてしまう。これはもう彼へのお仕置きは諦めるしかないのか、それとも後輩という下の立場として、なんとか彼女の機嫌を取ってそのお仕置きを阻止するべきなのか。自分はどうすればいいのだと、そんな事で悩み一先ずは阻止できなくとも今の彼女の高ぶりを静めようと話を掛けようとする。
「あれ?」
目の前に居た彼女が居ない。考え込んでいた内に、どこかへ行ってしまっていたらしい。
どこへ行ったのだろうと、考え始めたところで奥の応接室の方からゴドンッと重い物音が聞こえた。その物音が何なのかは分からないが、一先ず行ってみようと足を運ぶ。
「せんぱ~い。何してるんですか、そんな大きい物音たて――――」
応接室に入った瞬間、その目の前の光景に思わず絶句してしまった。
「せ、先輩?その、何か見慣れない塊の様なものは一体……?」
「何って石抱よ。見て分からないの?」
「いや、そんな万人がそんな物騒なモノを見たことがあるのが当然の様に言われましても……」
先輩が持っていたのは石抱のセット。ジグザグの凹凸の有る座る方の石の板に、座らせる相手、もうこれはアドルフさんしか居ないだろう。そのアドルフさんの上に抱かせる大きく重たそうな石が三枚ある。
私も知識はあったが、まさか生で、しかも職場の応接室で見ることになるとは夢にも思わなかった。それに、先ほどまで恋する乙女のようだと感じていた女性が、そんな可愛さの欠片もない拷問器具を持っている姿を見ると、やはり先輩は先輩なのだと謎の安心感を抱くと共に「あ、もうこれは止められない」という事実を理解してしまった。
「アドルフが仕事から帰ってくるんですもの。しっかりとお出迎えする準備をしないと」
「……そうですね、お出迎え大事ですもんね(棒読み)」
まるで夫の帰りを待つ妻の様な発言とは裏腹に着実に準備が進んでいる拷問器具に、もう関わるのも面倒だと「頑張ってくださいね……」と、我ながら死んだ声で言って応接室のドアを閉めた。
自分の仕事場に戻りながら溜め息を吐くが、フリージアとアドルフの過剰とも言えるやりとりはいつもの事かと思い、深く考えることを辞めた。
タイミングが良いのか悪いのか。それは作業について、一、二分の事だ。書類の束を纏めて、一息つこうと紅茶を飲んでいると入り口の方から、暢気な男の声が聞こえてきた。
「おーす、今帰ったぞ」
「げッ」
先ほどの話題の中心となっていた人物、アドルフ本人が依頼から帰って来たのだ。思わず、言ってしまった言葉を聞いた彼はムッと顔を顰める。
「げッてなんだ、げッて。人が汗水垂らして働いてきたのに、迎える第一声がそれか?そこは笑顔でおかえりなさいの一つや二つやるもんだろ」
「――――――――」
自分の頭の中で、カチッと音が鳴った様に感じた。一瞬、それで固まってしまったが、黙ったままでは駄目だと思い、謝罪の言葉を言う。
「それはすみません。誰かさんのせいで、先ほど色々あったもので」
「受付嬢ってのは愛嬌や笑顔大切なんだ。分かったかな、カトリナくん」
分かっている、分かっているよ。これは軽いアドルフさんのふざけたノリの一つだという事を。
だが、最初は仲裁に入ってどうにかしようと考えていたが、そんな考えは今の一瞬で消え去り、その代わりに早く目の前の男をあの石抱に座らせてやろうかという考えが頭の中で一杯になった。
「そういえば先輩が応接室でアドルフさんを待っていますよ」
「あ?応接室だ?いつもならここで軽くやってきた事の報告くらいするもんじゃないのか」
「まぁまぁいいじゃないですか。それに先輩、依頼先から送られてきた報告書を見て大層喜んでいましたよ。あちらで随分と活躍されたとか」
「喜んでた?フリージアが?」
「えぇそれはそれはもう、とびっきりの笑顔で」
「とびっきりの笑顔ねぇ……」と若干不審そうに此方を見ながらも、納得して荷物を置いて応接室へと向かっていく。そんな彼の背中を笑顔で見送る。
角を曲がって部屋に入っていく音が聞こえると、一旦私は仕事の手を止めて、忍び足で応接室のドアの前まで行き、ドアにそっと耳を近づける。少し聞こえ難いが、なんとか中での二人の話声が聞こえた。
『さぁアドルフ。お疲れでしょう?立ち話もなんだから、ここに座りなさい』
『え、座りなさいって、えっ、この石の上に?いやいや、こんなんじゃ逆に痛ぇし疲れちまうだろ』
『ここに座りなさい』
『いや、でもソファあるし』
『座りなさい』
『これ座ったら絶対痛いやつ―――』
『座れ』
『はい』
もう台詞だけで、中の光景が目に浮かぶようだ。先輩のあまりに残酷で痛々しいアドルフへの仕打ちに、思わず「ハンッ」と鼻で笑ってしまった。
『疲れたでしょ、なんせ一人でオークの巣を一個丸まる壊してきたんだから』
『い、いえ大丈夫です』
『疲れていないと?そんな筈ないわよね。オーク数体だとCランカーでも手一杯の筈なのに、ゴブリンが無数に居る上にオークが何十体もいる巣を破壊するだなんて普通出来ないわ。そんな依頼はBランカーの人に依頼するもの。でも感謝してるわ。頼んでも無い事を勝手にやってくれて、その手間も省けたし。当分はあの地帯は安全でしょう、依頼も出してないのにもう殲滅してくれたんだから』
『……あの、フリージアさん?もしかしなくても、怒ってます?』
『怒ってます?今の状態の私がここで「怒ってません」とでも言う可能性が少しでもあるとでも思えたなら私はアンタに驚きの意を隠せないわ。もし仮にここで女の一人でも連れてきたものなら、私はこの怒りを抑えられる気がしないし、する気もないわ』
『で、でも待ってくれって。確かにフリージアの言いつけを破っちまったのは悪かった。でも、あのまま巣を放置してたらあの付近に住んでる人や業者の奴等が被害にでるのは時間の問題だったんだ。もう巣を壊滅させるって言う選択肢しかなかったんだ。分かってくれ、フリージア』
『本音は?』
『もうゴブリンにムカついて皆殺しにしようと思ってたら、フリージアとの約束忘れてた』
思わず本音を漏らしたアドルフさんに『もう一枚』という先輩の声と共に『あ゛ぁぁぁあッ!!』と彼の断末魔の様な叫び声が聞こえた。恐らく、これからの尋問で彼女の機嫌を損ねる度に、膝の上に石を置かれていくのだろう。
自分の鬱憤は先輩が果たしてくれるだろうと、部屋の中の現状に納得しドアから離れて仕事に戻ろうとしたた瞬間。
「おい」
「あ゛ぁぁぁあッ!!??」
唐突に後ろから肩を掴まれて声を掛けられ、中でアドルフさんと先輩が居るのにも関わらず驚きのあまりその場で思わず大声をあげてしまった。
「だ、だっだだ誰ですかッ!?」
慌てて後ろを向きドアを背にして、その人物を見る。
そこにいたのは、この村の住人ではないが最近見たばかりの人物だった。
「ア、アデーレさん?」
「いや、そんなに驚かなくて良いだろ……」
先日このギルドで依頼を受けたAランカーのアデーレ、その人だった。彼女はドアに縋り付いていた私に、何をやっているのかと不審者を見るような目で見ている。
「なんでアデーレさんがここに……?」
「いや、呼んでも返事が無かったからどうしようかと思ってたら、奥から断末魔の声が聞こえたから誰かいるんじゃないかと思って―――じゃなくて!!」
「ちょッ!?」
若干申し訳なさそうに説明し始めたと思った途端に、いきなり大声を出しながら表情を険しくて顔を近づけてくる。少しでも動けば鼻と鼻がくっついてしまう程の至近距離に思わず身を後ろへ引く。
何故、彼女がこんなにも感情を高ぶらせているか分からない為、今の現状に頭が追いつけない。「えぇっと……」と言葉を濁しながら考えていると、痺れをきらせたアデーレが声を荒げる。
「アンタ、緊急依頼っていうから急いで行ったってのに終わってるってどういうことだよ!」
その言葉を聞き、思い当たる事があったと思わず「あ」と声を漏らしてしまった。
アドルフさんが受けた依頼先から来た緊急依頼に偶然この村に立ち寄ったアデーレさんが依頼を受けて、先輩と一悶着あった件のことだ。アドルフさんは現在進行形で折檻執行中だが、あの件での私のやらかしてしまった事は折檻を受けまいと就業時間中にやったおにごっこで解決したと思い込んで頭の隅に追いやっていた。まぁ正直やらかしたと言っても自分は仕事を全うしただけで、先輩が怒るというのが理不尽以外の何ものではないという気がするが、言うと後が怖いので思っても言わないようにしている。
だが、蚊帳の外となっていた依頼を受けたアデーレは違う。村に立ち寄って緊急依頼があったから善意で受け時間を掛けて、いざ到着で討伐に向かおうとしていたところで「もう討伐は終わってるよ」と言われてしまえばこうやって怒るのは可笑しくない。
「まぁギルドや依頼主との情報伝達ミスっていうのは珍しくないから、百歩譲って間に合わなかった事は良しとしよう。でも聞いたら、なんでも元から護衛依頼を受けてたのはこの村の奴らしいじゃねぇか。なんで同じギルドから受けた依頼でこんな事になんだよ!そこら辺の情報伝達とかはしてないのかよ!」
「いや、これはその……」
そう言われると、ぐぅの音も出ない。情報伝達をしっかりとしていなかったのは確かだ。私と先輩がしっかりと話したりしていれば、アドルフさんに連絡を取り現状の報告をしたりして今回の事は済んだだろう。
それに先輩が管理しているアドルフさんが受ける依頼書と、私が管理している一般の依頼書はまったくの別枠というのも、原因の一つだろう。だが、それを彼女に説明する訳にも行かない為、相変わらず言葉を濁すことしか出来ない私を見た彼女は溜め息をついて立ち上がる。
「……はぁ。悪かったな、まぁアンタはまだ若いからギルド嬢やってまだ短いだろうから、あんまり言い過ぎるのも大人気ないか」
「い、いえ……。此方こそ申し訳ありません。今回の件は完全に此方のミスです。お詫びと言ってはなんですが、報酬の方は此方が全額支払わせて貰います」
「いや、いいよ。別に金が欲しかった訳じゃないし。それに報酬はあっちで渡されたし。元から護衛として雇われてた奴が、要らないって言ったらしいやつなんだけど」
「あぁ……」
その要らないと言った人物はアドルフさんなのだろうと、想像が大体ついた。あの人は受ける依頼数が少なくても、その一つ一つの依頼の報酬が尋常ではないので金にあまり執着が無いのだ。
そんな彼の姿を想像していると、アデーレから貨幣が入っているであろう袋を前に出した。
「これ、渡したいからよ。その護衛の奴か、居なかったらアンタの上司とかは居ないのか?」
「え、お二人ですか?私にではなく?」
彼女の怒りが収まり順調に物事が進むのだと思ったが、彼女の言葉に嫌な予感を感じた。
「そうだよ。アタシがこの金を貰ったけど、本来は討伐した奴に渡されるべきもんだ。だったら渡してやるってのがスジってもんだろ」
「いや、その、報酬の方は私のほうで渡しておきますので……」
「そんなポンと他人任せなんかに出来る訳ないだろ。もし、色々と都合がつかないってんなら、さっきの情報伝達のミス云々について上司に話させて貰いたい。」
「ウ゛」と声を漏らしてしまう。護衛の本人、もしくは自分の上司もとい先輩を呼べという事は、つまり中で拷問紛いな事をしている加害者か被害者どちらかを連れて来いという事。
正直言えば後ろで未だに呻き声が聞こえる部屋に入るのも嫌だし、入って呼んだとしても女性が来たと言えばさらに酷い事になる事は見に見えているから、それも嫌なのだ。
「その、私の方で全てやっておきますので……。報告の方はしっかりさせて貰います」
「だから、そこら辺は下の奴に任せて終わらせる訳にはいかねぇよ。下のミスは上の責任で、こういうところをしっかりしとかねぇと、また同じミスを繰り返しちまうだろ」
「いや、本当に勘弁してください。後で私が怒られておきますので、それで手を打ってくださいよ。あ、そうだ。この村で作ったおじぃさんが作った高性能な土鍋があるんですよ!もう大人数で鍋料理食べるなら是非買いって感じの土鍋が!!もうあれ買ったら彼氏とか友達とか呼んで色々呼んで鍋やるしかないってね!まぁ私は彼氏も友達も居ないんですけどね!あはははっ!!なんでこの村は過疎してるんでしょうかって話ですよ!若い人もう一桁しかいないとか頭おかしいんじゃないかなって!!あはははははッ!!!!―――さぁ行きましょう」
「ちょちょちょ、待て待て待てッ!なんなんだよ。急に土鍋語り出したと思ったら今度は急に笑い出しやがって。お前人格が分裂でもして頭イッてんじゃねぇのか」
アデーレさんの腕を掴み、そのまま出口に向かうと逆に引っ張られて後ろにつんのめってしまった。逃げられるのを防がれた上に、酷い誤解をうけてしまった。
どうしたらいいのかッと頭の中で考えていると、中から痛みを感じながらも怒りを訴える声が聞こえた。
『その声はカトリナッ!?カトリナかッ!?テメェよくも笑顔で息吐くように嘘つきやがって!!何が俺の活躍を聞いて喜んでただ!笑ってない目で人を石抱に座らせて黙々と石追加する奴が喜んでる訳ねぇだろ!!そんな腹黒だから彼氏も友達も居ねぇんだよッ!!』
「―――さぁて、お仕事お仕事」
『嘘、嘘だから待ってッ!!君は腹黒なんかじゃない!君は腹白(?)だ!!だから早く部屋に入ってきてこの状況をどうにかして!もう足が限界なの!痛みを通り越して何も感じなくなり始めたの!!これきっと足がもう限界だよって危険信号送ってる合図ぅぅうぁぁぁァッ!!追加は駄目!!追加は駄目だって!!限界なんだって!!』
『限界?あぁ、でもよく言うじゃない。『限界を超えろ』って』
『それ使う場所違うでしょ!?絶対にッ!!頑張っている人を労う為のもんでしょ、それっ!?ただ攻撃を喰らう被害者側が限界を超えろって何ッ!?マゾにでも目覚めろってかッ!?どんだけ最悪な台詞だ---------あぁ駄目!もう駄目ッ!!アドルフさんの綺麗な両足が傷モノになっちゃうッ!!』
『大丈夫。たとえ傷モノになっても皮を剥げば新品よ』
『カトリナー!カトリナさぁんッ!!早く入ってきてぇ!!石抱に開放されても俺の足のお先が真っ暗なんですけどぉ!!』
足だけじゃなくアンタのお先も真っ暗になっちまえばいいのにと、ドアの向こうで叫び続けている彼に念を送る。
「アドルフ?」
「え?」
後ろにいるアデーレさんが突然彼の名前が呟いた。アデーレさんはアドルフさんの名前に思い当たる事でもあるのか。驚いた表情で彼女を見ると、顎に手をやり考えている彼女の姿があった。
「なぁ」
「は、はい?」
「鉱山の依頼主に聞いたら、護衛として来た男はアドルフって名前だったんだ」
あ、ヤバイ
「そ、それは凄い偶然ですねぇ」
「そして、そのアドルフってのはこのノーランス村を拠点にしているらしいんだ」
「へ、へぇ~……」
「……………………」
「……………………」
「開けろ」
「はい」
何で私の周りの人間はこうも我の強い人しか集まらないんだ。