9話:桃源郷への第一歩
「さっきから話が進まないんだが、それについてはどう思うよ」
「なんだ、鏡でも用意して欲しいのか?」
俺を天井に突き刺すという暴挙をしておきながら、反省するどころか俺に反論してくる始末。この爺さん、どうしてくれようか?
俺は長年掃除してない屋根裏の埃を被った頭をブルブルと振りながら、フリージアをこちら側へ来て貰おうと話しかける
「聞きました奥さん?客を天井に突っ込ませたのに悪びれる姿勢が一切ないの。可笑しいと思わない?頭の中どうなってるのかしら。スッカスカなの?カッスカスなの?」
「お前さんの頭の出来に比べれば十分に身も詰まってるし出来も良いわ」
「自画自賛なんてみっともない。生きてることが恥ずかしくないのかしら、この老人は」
「貴様は生まれてきた事を恥じろ」
人が下手に出てりゃ調子こきやがってこの暴力ジジィ、今フリージアが見てるから此方が手を出せない事をいい事に好き放題言いやがる。フリージアが後ろでも向いたら、酒瓶でも投げてやろうか。
後の報復の方法を考えていると、後ろから声が掛かる
「アドルフ」
「あ?」
「少し黙りますか」
「それはどういう――――」
いきなり酷い言われようだな、と思いながら発言者のフリージアに再び目を向ける。そして俺は呻き声の様に「うッ」と小さい声を出して固まってしまった。
「………………」
「……はい」
そう答えるしか出来なかった。
そこにあったのは弓を引くことで疲れた表情をする彼女ではなく「次、話の腰折ったら……分かるね?」と言う深くまでは言わないが、言う通りにしないと確実に殺られると言う恐怖を含んだ目がまったく笑っていない冷たい笑みを浮かべていた。
「それでディルクさん、そのおまけというのは?」
「お、おぅ………」
ほら、ジィさんまで怯えてるぞ。見た目が輩の巨漢が受付嬢に怯えながら冷や汗を掻いてるだなんて明らかに可笑しい光景だろ。
ジィさんは「ごほんッ」とまるで何かを誤魔化すかのように咳をつくと、先程まで言い争っていた俺の方に顔を向け、改めて話を始めた。
顔を向けるのが躊躇われる程に怖いのか……。
「正直その弓、長弓の威力は試し撃ちも出来なかったもんで作った儂も最大でどれ程の威力が出るかは想像がつかん。一度撃ってあまりに強すぎるなら、おまけで渡した短弓を使うといい。岩を貫けるかどうかは分からんが、大抵の魔物相手なら余裕で貫通出来る筈だ」
「これでか?」
「考えてもみろ、普通の弓でも鉄板で出来た鎧に突き刺さる位の威力はあるんだぞ。その数倍近く弦を張っているんだ、大抵の魔物位なら余裕だろ」
「この短弓でそれなら長弓はどれだけ規格外なのよ……」
確かに、そう言われて改めて考えてみると、戦争で弓に打たれて歩兵の鉄製の盾とか鎧に矢が突き刺さるのを良く見たな。俺の感覚だと、魔物や人間の肉には突き刺さるが、甲殻や鎧には弾かれる程度のものだと思っていた。大体俺と一緒に戦う人間は近接武器か魔法しか使わなかったから、あまり気にしたことが無かった。お遊び感覚で弓を選んでみたが、案外弓もそれなりに使える武器なのかもしれないな。
まぁ、それでも弓でチマチマ戦うより、拳一発で仕留めた方が早いという考えは無くならないがな。
「規格外には規格外を。今思えば逆にお前さんがそこらに売られている弓で満足する方が不気味だ。それくらいぶっ飛んだ位が頭のぶっ飛んだお前さんには丁度いいのかもな」
「一言余計なんだよ、一言が。それにアンタも人として頭がぶっ飛んでるからな?自分は違うみたいに言ってんなよ」
「お前さんは生物としてぶっ飛んでるがな」
そう批判しながら投げてきた普通より太く大きめの矢筒を片手で受け取る。この野朗、思いっきり胸元目掛けて投げてきやがった。こいつは暴力挟まなきゃ人に物渡せないのか。
「この後すぐに隣町に行かなきゃならんのだろ。こんな所で暇を潰す位なら、家に帰って最後の確認でもして来い。その矢はおまけだ。一般に売られている奴も使えるが、それは儂お手製のモンだ。もし仮にお前さんが、さっき言った岩を貫こうだなんて馬鹿みたいな事をやっても、それなら耐えられるだろ」
「なんだ急にやさしくなって。酒の酔いが頭にまで回ったか」
「さっき人の思い遣り云々を語った人間は何処のどいつだ。馬鹿な依頼だったが暇潰しにはなったという、ちょっとした感謝の気持ちだ。……ほれ、いいからさっさと出て行け。ほぼ徹夜でやったもんだから眠くて堪らんのだ」
「それはそれは。ごゆっくりお休み下さい」
「ごゆっくり休んでいた人間をこんな朝早くに叩き起こしたのは誰だったかな」
フリージアに目線を向けたら睨み返された
「まぁ帰りに酒大量に買って来るから、勘弁してくれ」
「だったら良い火酒を持って来い。この前持って来た無駄に小洒落た水みたいな酒は要らんぞ」
「けっ、選り好みしやがって。馬鹿にしてるあの酒、王都でも高値で取り引きされてる高価で貴重な酒だったんだぞ。それをマジで水みたいカブカブ飲みやがって。それでも酒呑みかよ」
少し前に討伐依頼で遠出をした時、前々からジィさんが『良い酒を買って来い、高い酒を買って来い』と五月蝿かったのを思い出し、近場の村の酒屋で売っていた一番高い酒を買って来たのだ。買う時、店主が長々とその酒の凄さを説明していたが、野朗だったので殆ど聞いていなかった。
分かったのは、飲みやすく、多くの貴族に好まれていて入手困難な酒という事。
これなら流石のジィさんも納得するだろと思ったのだが、このジジィ俺の手から奪うように手に取ると、酒瓶の口から直接飲んで、一気に飲み干したのだ。
それで出てきた第一声が『他には?』。マジでこのジジィ殺してやろうかと思ったのを今でも忘れない。
「あんな幾ら呑んでも酔えん様な物に価値は無い。火酒をストレートで飲んだ時の、あの喉が焼ける様な感じこそが酒の醍醐味よ」
「マジで喉が焼けちまえばいいのに」
そう言った瞬間、無言で俺の顔面目掛けて酒瓶を投げてくる。このジジィ、俺の体が頑丈だから酒瓶を投げることに抵抗が無くなってきやがったな。
「分かった分かった。買って来るから老人は老人らしく部屋に戻って寝てなさい」
「老人扱いするで無いわ、この悪餓鬼が。今回の労力に見合うのは火酒以外には認めんからな」
最後に物を強請りながら、奥の寝室へと戻っていった。まぁ、正直そこらの酒屋を買い占めようがまったく影響のない程に金は持っているので、俺の人としての優しさと、日頃の塵程度の感謝の気持ちの為に、まだ何処かは知らないが、依頼先の近場の酒屋で言われた通りの火酒を買ってこよう。
家主も居なくなり、用もなくなったので酒瓶の一つでも掻っさらおうかと手を伸ばしたところで、フリージアが俺の頭に木材を叩きつけてくる。また頭が当たった部分からへし折れたが、もう慣れたもので特に反応はしなくなってきた。酒瓶一つも盗めないとなると、この鍛冶場にはまったく用が無くなった事になるので、諦めてフリージアと共に外へ出ることに。
「それにしても『ゴブリンの討伐』か……」
「どうかした?」
まだ、肌寒い朝の風に吹かれながら歩いて、思ったことを呟いたところを、フリージアが反応をする
「いや、よく考えればゴブリン討伐なんて一発殴って終わってまうなって。こう、グシャと」
「ゆ・み・で、倒しなさい」グリグリ
「痛い痛い」
先程の折れた木材を俺の頬にグリグリと押し付けてくる。棘の様な先が頬に思いっきり突き刺さっているのでやめてください。
少しすると諦めた様に溜め息をついて、俺を馬鹿にした様な冷たい目で見てくる。
そんな目線より、今俺の頬に刺さり残った木片達の方が気になる。
「後、分かっていないと思うから言いますけど、ゴブリンの過剰な討伐しないでよ」
「なんでよ?ゴブリンなんていらない子達でしょ」
「この依頼はあくまで初心者向けのものなのよ。その依頼で100や200討伐してきたら明かに怪しいでしょ?巣なんて壊したものなら素性を探られるのは必然。アンタを知らない人が居なければ問題は無いけど、人づてで知っている人に伝わればバレて今後の生活に支障をきたすわ。最近は人目につく依頼は無かったからね、下手をうたないでよ?」
「任せなさい、このアドルフさんに隙はございません」
「美女がいれば?」
「かっこつけてからの、自己紹介して口説きに入ります」
「隙がガバガバじゃない」
確かに最近人目につく依頼は受けていなかったなと思い返す。前回の『ロットンウルフ討伐』は村娘のマルタに会ったが、本来は『コーラスト村』近くではなく、もっと外れに位置する沼地で討伐する筈だったので、彼女に会う事は本来有る筈なかったのだ。ま、俺としては嬉しい誤算だったが。
前までは素性がバレては駄目だと依頼をさっさと片付けた帰ってきていたが、今は正直多少リスクを冒してでも多くの女性に出会いたいと思っている。
しょうがないじゃないか、僕だって男なんだから。
「まさか、この歳になって武器を変えるとは思わなかったな」
「アンタの場合、武器を変えるというより持ったという方が正しいんじゃない?」
「確かに」
同意しながら弓を軽く振り回す。格闘戦を主にする俺は普段使うものなんて牽制の石ころと剥ぎ取りのナイフくらいなものだ。こうやって本格的に武器を握るなんて何年ぶりだろうか
「ま、いざとなったら弓放り投げて突貫してやるさ」
「アンタにいざとなる時が来るのでしょうか」
「……そんな時が来たら俺は嬉しいがな」
なにぶん俺の大抵の戦闘は拳で数発、本気を出せば一撃で終わってしまう。別にマゾという訳ではないが、劣勢にたてさせられ自分の全力を出し切らなければ勝てないという緊張感有る戦いを久々にやってみたい。あの頃は青臭かったが、成長する自分に嬉々し切磋琢磨するというのはとても充実したものだった。
「辿り着いたその先にあるのは、がらんどう……か」
そう呟きながら握っている弓を見つめる。
潤いのない乾いた生活。輝きのない暗い生き方。変わり映えのない一日。今の俺を表すなら、そんなところだろう。
強さの求めて必死になってやってきて、いざそれを手にしてみれば残ったのはただの虚無感。必死になってきたからこそ、強さ以外のものに魅力が感じず、今もこうやって手持ち無沙汰な状態が何年も続いている。
我ながら情けないことこの上ない。
だからこそ、俺は考えたのだ。その潤いを、輝きを、どうすれば手に入れられるのかと。そんな事は昔から分かっていたのだ。俺が戦いを始めた頃から。
「美女にチヤホヤされて、爛れた毎日を送りた――――」
シュッ!!
思いの丈を洩らしていると、右頬に鋭い痛みと、耳元に風を切る音が聞こえた
「……………………」
右頬に触れると、皮膚が切れたのか血がツーと流れ出していたのが分かった。無言のままフリージアに目線を向けると先程から握っていた木材を此方へ突きつけている彼女の姿があった。
「……え?」
「すまないね。人がせっかく話しているのに、物思いに耽始めたと思えば突然耳障りな台詞が聞こえたものでね。ほら、鳥肌がたってきたわ」
「こっちは鳥肌どころか流血し始めたけどな」
まぁ、流血以前にさっきからボコスカ殴られ続けているけどな。それにしても、まるで此方に非があるような言い様、何故思いの丈を少し洩らしただけで悪者扱いされなければならないのだ。
考えて口から洩らす程度なら、周りに害などないだろうに。だが、そう思っても口に出せない。口に出したら刺されるのは目に見えているから。
「んじゃまぁ、さっさと行って依頼済ませてきますかね」
「持ち物、装備の準備は出来た?」
「あぁ」
「弓は持った?」
握っている弓を見せつける
「矢は?」
背中に背負っているのを見せる
「防具は?」
強調する様に胸を叩く。あ、軽く凹んだ
「依頼書は?」
掲げる
「おにぎりは?」
鞄の中一杯に詰めたおにぎりを見せる
「はい、準備は万全ね」
その言葉に頷く。もし、忘れ物があったとしても必要な依頼書とおにぎりがあればどうにかなる。武器と防具なんて俺にとっては飾りの様なものなのだから
「後は隣町まで歩いて、馬車に乗らせて貰えば良いんだなな?」
「そうね。既に予約はしてあるからアンタの名前を言えば乗せてもらえる筈よ」
これまでの様な大型の魔物を依頼受けた場合は、依頼主から馬車などの足を用意してくれる為、この村でそれを待っていれば良かったのだが、今回の様な自分で依頼を受けに行こうとする場合は、自分から行く手立て考えなければならない。つまり、名指しで依頼を受ける上級者は歩かず暢気に待っていれば勝手に連れて行ってくれるが、初心者の様な特に名声もなく、数が多い者達は自分の足で行くか、馬車に乗せてもらうなど、色々と行く手段を自分で選ばなければならないのだ。
「久々だな。こうやって自分の足で歩いて出向くなんて」
「初心者に対しての扱いなんてそんなものよ。威勢が良くても、功績も何もない有象無象に態々色々とやってあげるとなると、キリがないからね。強ければ勝手に功績をあがるし、弱ければこのゴブリン討伐程度の依頼で命を落とすか挫折して勝手に去っていく。これが登竜門と言われる由縁よ。生き残って名を上げていけば自分の方からじゃなく、依頼の方から嫌でも近づいてくるわ」
「何とも世知辛ぇ世の中なこった」
「この職業は慈善事業じゃ成り立たないからね。弱いなら弱いなりの職業についた方がその人の為よ。身の丈に合わない事をすればその先にあるのは身の破滅だけ」
「軟弱共は大変だな」
「………アンタの場合、女関係で身を破滅しそうだけど」
「なんか言ったか?」
「なんでもないわ、アンタなら何があっても大丈夫だなと」
「おうよ、どんな奴だろうが掛かってこいってな。真正面からねじ伏せてやる」
俺の言葉の後に小さく「……背中には気をつけて下さい」と呟いていた。フリージアが何の心配をしているか分からないが、俺の背後をとれる奴なんて早々居ないから心配する事なんて一切ないんだがな。
俺は気を取り直し、手に持った弓を背負い肩を回す
「ここから俺の桃源郷への第一歩が始まるんだな」
「そうだと良いわね」
「なんだよフリージア。あんだけ積極的に手伝ってくれたのに随分と他人事みたいじゃねぇか」
「ふふふ、間違えたわ。すまないね、言葉の綾というやつよ」
気のせいだろうか、フリージアが凄い機嫌が良い気がする。先程まで俺の頬を流血させた人物とは思えないほどに。それだけ俺の桃源郷実現を喜んで貰えると言うことなのだろうか。女性はそういうのは嫌いなのではないかと思っていたが、まぁ彼女から切り出した話だから賛同してくれているのは当たり前と言えば当たり前なのか
「素敵な女性に出会えるかな」
「それはアンタ次第です」
「任せろ、俺のこの溢れんばかりの男の魅力という奴で女性を魅了するのは簡単な事だ」
「そうね、貴方なら楽勝でしょうね」
「そう褒めるなよ。ま、本当な事だがな」
「もう、アドルフったら」
「ははははッ」
「ふふふふ」
何故だろう。とても和やかで順調に話しているのに、異様な不安と嫌な予感がするのは。体もそれを感じ取ったのか、背中から冷や汗が出てくる。
きっと気のせいだ。こんな順調に事が進んでいるのに、何を不安がることがある。あるとすれば自分を信じられないその己の弱さ。まるで彼女が何かを企んでいるかのように言うのは、これまで手伝ってくれた彼女に失礼な事。
そう恥ながら、俺は手元にある依頼書に改めて目線を向ける
「えぇっと、目的地は…」
『アルタートゥム鉱山』
「………………」
あれ、可笑しい。目の前に書いてある目的地は、明らかに女性が集まるような場所を指していない。
見間違いだと思い、目を擦ってもう一度見る
『アルタートゥム鉱山』
可笑しい。何かが可笑しい。可笑しいのは自分の目か、この依頼書なのか、俺の常識なのか分からないが何かが可笑しい。
自分と依頼書を信じられなくなった俺は、隣に居たフリージアに助け舟を求める
「……なぁここって――――」
シーン
目線を向けた先には、先程まで俺に微笑みかけてくれていたフリージアは居なく、ただただ、砂埃が舞う地面だけだった
「………………」
俺は途方に暮れるしかなかった