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マリンチェ ―裏切りの花嫁―  作者: なつの真波
Chapter5. チョルーラの惨劇
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4

 空が赤く燃えた。火が付けられている。マリンチェはアギラールの手を振りほどき走りだした。行く先々で、エスパニャ軍は圧倒的な力の差を持ってチョルーラの人々を殺めていた。

 振り下ろされる剣。色鮮やかな布が燃え、火のついた人が悲鳴を上げながら転がってくる。

「……け、すけ……」

 掠れた言葉とともに伸ばされた手が、マリンチェの足に触れ、そして力尽きる。

 焦げた臭いがする。

 何かが燃える臭いだ。だが、生臭さも混じっている。臭気が目に染みた。喉が疼く。

「やめて……やめて」

 乾いた舌の先からいくらやめてと叫んでみても、声は届きもしないかった。

 喧騒と怒号。逃げ惑う人々の悲鳴が辺りに響き渡る。中にはマリンチェに声をかけてくるチョルーラの民もいた。

「何をぼさっとしているの! 逃げなさい! 〈白い顔〉の異人が来るわ!」

「わ、私は」

 言いかけた途端、すれ違っていた女性が悲鳴を上げて倒れた。背後に、エスパニャの戦士がいた。息を呑む。冷たい炎のような瞳がマリンチェを捉えた。ぞっと身が怖気だつ。動けなくなると同時に剣が振り上げられる。

 死の臭いを嗅いだ気がした。

「この子はマリンチェだ! エスパニャ軍の通訳だ!」

 叫び声とともに抱きしめられた。アギラールだ。戦士は驚いたように二度、三度瞬きをして軽く謝罪をしてから去っていった。アギラールの腕の中、マリンチェはただ震える自分の体を抱きしめるしか出来なかった。

「マリンチェ」

 アギラールの声に唇を噛む。目の前の女性はもう息をしていなかった。死は確かに、濃厚な臭いをそこに漂わせていた。

 マリンチェはアギラールの腕を解いて立ち上がった。歩き出す。どこへ行けばいいのかなんて判らなかったが、じっとはしていられなかった。そして、その姿を見つけた。

 見覚えのある、けれどあの時と違って血に汚れた彼女の姿だった。

「あなた……どう、して」

 ひゅう、と呼気の交じる声音だった。彼女は虚ろな目のままマリンチェを見、そしてその隣にいたアギラールを見た。

「ああ、そうか」

 目を閉じた。死に行く者の顔だった。

「あなた、裏切ったのね」

 末期の言葉になった。少女の遺体を見下ろし、けれどもう、マリンチェの眼から涙は流れなかった。唇を引き結び、立ち上がる。

 街を見据えた。戦場と――否、虐殺の舞台と化したチョルーラの街を見据える。

 死体が積み上がっていく。悲鳴が響き渡り、血の色に染まっていく。川辺に、道端に、亡骸が重なっていく。

 アギラールが静かにマリンチェの手を握ってきた。マリンチェはただ真っ直ぐ、瞬きもせずに街を見据えた。

「逃げないわ」

 エスパニャ語で、告げる。

「私は見届ける」

「マリンチェ」

「私はメヒコを裏切った。その結果がこれなら、私は見届けなければならない」



 エスパニャ・トラスカラ軍の猛攻で、二、三時間もたたないうちにチョルーラは壊滅した。三千ほどのチョルーラの民は全て死に絶えた。

 ――それは後に、チョルーラの大虐殺と呼ばれた。



 噂を聞きつけたのか、テウディレとクイトラルピトックがチョルーラに現れたのは三日後の事だった。コルテスは激怒した。モクテスマ殿と友好を結びたいというのに、チョルーラの民を使って策略を練るとはどういうことだと怒鳴り散らした。チョルーラの惨状を前に、テウディレは震え上がったようだった。すぐに王に確認をすると飛んで帰っていった。戻ってきた時には今まで以上の財宝や大量の食料を持って来た。モクテスマの書簡もそこにあった。曰く、チョルーラ人の陰謀は甚だ遺憾だが、アステカ帝国としては一切関与していない。何かの誤りである――さすがにこれには、コルテスは苦笑いを示すだけだった。

 そして再度、テノチティトランは物資も多くない。これほどのエスパニャ人とトラスカラ人を受け入れることは出来ないのでお引取り願いたいと願望を告げてきた。当然のごとく、コルテスはこれを無視した。

 進軍した。アステカ帝国の首都テノチティトランは湖上都市だ。周囲を高い山々――イスタクシワトルとポポカテペトルという二つの火山――に囲まれた高原の中、大きな湖テスココに浮かぶ街である。まずはこの山越えが難所かと思われた。だが、厳しくはあったが先の進軍で山越えに慣れていたことと、トラスカラ軍という大きな力が加わったことでそれほど苦労はせずに進んだ。

 アギラールはマリンチェが気がかりだった。あの一件以来、極端に口数が減った。通訳として役目はこなしているがそれだけとも言えた。進軍のさなか、それでも懲りずにやってくるテウディレとクイトラルピトックの言葉を淡々と訳し、時折やってきた不可解な来訪者の言葉も訳した。助言もしてはいた。これは呪い師だ、という。呪いの術を持っているといったがコルテスはそれを一笑に付した。マリンチェは特に気を害した様子もなく、そう、とだけ頷いた。モクテスマの差し金だと皆判っていたが、もはやテノチティトランは目の前だった。

 山を超えきったところでまた、テウディレとクイトラルピトックが現れた。しかし今度は今までと違った。いつもどおりの贈物はもとより、コルテスを安堵させる一言を持ってきたのだ。

「モクテスマ殿は貴方方をテノチティトランに迎え入れることをお決めになられました」

 テノチティトラン自体は豊かな土壌ではないため、近隣の街々から物を輸入している。その為満足な歓迎は出来ないかもしれない。そう付け足されはしたが、そんなことは些細な問題だった。苦渋の選択ではあっただろうが、コルテスはそれを大いに喜んだ。近くの街に入り、ささやかな歓迎の席を設けさえした。その夜アギラールは、マリンチェとクイトラルピトックが連れ立って席を外すのを見た。

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