魔術師狩りの捗はおいきか(正義のカタチ)
side dialogue-less/viewing from the master
とある小国の、人気のないなにがしかの辺境の地にある店。
隠れ家的な酒場「エシャロット」。
店名に恥ずかしげもなく自分の名を冠してしまう気ままなオーナーの趣味というだけで経営されている、いつも閑古鳥が鳴くばかりのこの店に珍しい来客があったのは、つい3日前のことだったか。
少しすすけた赤い外套を身にまとった、背が高くがっしりとした体格に加えてピンと伸びた背筋から、1つのレンガ壁が迫ってくるような迫力を感じさせる男だが、あくまでも酒場の客。無論、その実人間である。
男は、表情こそ、表情筋のレベルからコントロールしているように見えるが、その内心では狂っていた。怒り狂っていた、ともいう。
その男の名はジョージ。
ジョージ・ベーデン=パウエル卿。
世界に仇なす魔術テロリスト集団「DDS」総帥にして。
ほんの1週間ばかり前、実態不詳の第3勢力「バランサー」のエージェント、「薄氷に咲く紅蓮」の異名を取る戦術位魔術師であるジェスターという風貌さえフードで隠す少年からの「依頼」の交渉に応じ、結果として自分の娘であるアイリス・ベーデン=パウエルを「どうあがいても死から逃れられない作戦」へと送り出した人物でもある。
ただし、ジョージは娘を死地に送ったことを後悔していない。そのような甘えなど13年以上も前に置いてきている。そしてその程度のことで覆るような半端な覚悟で事に当たっていたわけでもない。
しかし、一人の「指揮官」として正しいことをなしたが、一人の「父親」としては最低の行いであったと、静かにその率直な心情を吐露していく。
エシャロットは、ただそれを黙って聴くだけ。聞く、ではなく聴く。耳を傾ける。
ひとしきり語り終えたジョージは、お気に入りのボトルキープ───普段は寡黙な客としてグラスに揺らして楽しんでいた最高ランクのウイスキーだ───をあとグラス一杯半というところで残して、「ムーンフィリア」なるナニモノかの強奪と強制発動を予告し、店を去っていった。
エシャロットは、それをやはり黙って見送る。
見逃す、ではなく、あくまでも見送る。
その目には、どこか哀愁とも諦念ともつかない、憂いを帯びていた。
彼と会うことは、もう二度とないと。
エシャロットはどのようにしてか、そのことを本質的に知っていた。
最後に1つだけ、彼女……エシャロットは見目麗しい細うでの女店主であるのだが、その口から漏れた言葉。
「『魔術師狩りの捗はおいきか』──か」
それはある鬼才の魔術科学者が「この世界」にかけた、呪いの言葉だった。
モトコ・マチムラ。
経歴上この世に存在しなかったことにされているが、まず間違いなくこの世のすべてに支配力を及ぼしていた悪鬼もかくやというマッド・サイエンティスト。
「世界の正義」の味方を標榜する大英連合王国、その王女クラリスから「マチムラの女狐」とのそしりを受けるモトコがこの世界に巧妙に仕組んだ布石の着火点、最も表面的な座標を示す言葉が魔術師狩りうんぬん、ということである。
魔術師が魔術師を狩る。噛み合い自滅の道を辿っていく。
発言当初はその真意をそう説明していたモトコは、いまはもういない。いてはならない存在として「世界」によって「世界」から抹消されてしまった。
魔術師の仕事の捗り具合など、エシャロットには何の興味も関心もない事柄である。
だというのに彼女がその言葉を引用したのは、ひとえに、モトコがいまもその大いなるデザイン通りに進めている「真意」に対する憐憫と憤怒の情故であったのだ。
店を出てからのジョージの行動には一切の隙もなかった。
とかく辺境の地であるが故に、見渡す限り荒野の広がる地平の向こうから走ってきた一台の車。
何かの軍事物資を運んでいたであろう、その軍用車に向けて親指を立てて停めさせ、乗り込みながら行き先の希望を伝えて彼自身を運ぶよう依頼した。
そのいつも通りのポーカーフェイスの下、厚い胸板の奥に秘めている強く深い、熱くそして冷ややかな決意。
それらは直後、一瞬にして灰燼と帰した。
いや、より正確にいえば、まず損壊したのは乗り込んだ車だ。
戦車の類いではないとはいえ、分厚い装甲をものともしない何者かによる攻撃。完全に想定外の死角から襲い来た敵襲。
その不覚の事態においてなお、ジョージは冷静沈着に槍型のMDを手に執り起動。その身に受けた損傷を耐え、克服した状態に強制移行する独自のイメージ魔術、「異教阻害」によって無傷の状態に復帰して車外に転がり出て、そして。
己の生涯がそこで閉じることを知った。
この者がいま、自分の前に立ちふさがるということは。自分はもう、終わったのだと。
自分に与えられた役割はもう果たされていたのだと。エンドロールへの記名もとうに終わっているのだと。
そうして、世界中の誰もが知る大悪党は。
しかして誰にも知られることなく、唐突に。そして厳かに、その閉幕を迎えた。
その晩のこと。
思わせ振りに始まったフィリアの回想は、実際のところさほど長いものではなかった。
いまから13年前に中欧諸国のうちの一国、チャコレイにて発生した世界最大の戦禍、通称「どす黒い赤」。
その国中の民が犠牲者となり、生き残った者は一人だけであったという負の伝説。その「独り」であったのがフィリアだったという、重い、重い告白。
そして、これは一般に知られていない、というよりも情報が錯綜し真相が深層へと沈んでしまっていることだが───遅れて現れたという、当時「戦神」の呼び名を冠していた戦略位の魔法使い、六手紀谷小舞絵。
彼女の名前を聞いてピンときた、この物語の主人公・ノボルは、「公式には」一件も確認されていないというフィリアの魔術「光学迷彩」を打破した魔術というのは実はムテキヤの魔法によるものかと問うたが、フィリアはうつむいたまま、小さく首を横に振った。
ムテキヤは、その場に現れ、誰とも戦っていないにも関わらず、既にすべてを失った敗者のように顔面蒼白で、全身に人の血を浴びどす黒く染め上げられていたフィリアに対してさえ何の反応も示さずに立ち去ったという。
深まるばかりの疑問に顔をしかめるノボルの頬をそっとなで、触れるだけの浅い口づけによって弛緩させるフィリア。
このときから、フィリアはノボルに対しての情愛を隠すのをやめ、積極的にスキンシップと愛の囁きを繰り返すようになった。
そして、彼女と過ごした短い日をやはりいとおしく感じていたノボルも、心からそれを受け入れていた。
ともかく、ノボルが抱いていた疑問への解答は。
どす黒い赤発生から数日後のチャコレイを訪れたクラリスによるものである、というノボルにとって驚くべき内容だった。
よくよく聞いてみれば、クラリスは「正義の味方」としてチャコレイの現場保存とフィリアの「保護」を任として英国から派遣され、明らかな「異質」の接近を察知したフィリアが展開した「光学迷彩」の魔術イメージそのものに対して「凍結」の魔術を行使して真っ向から打ち破って実体を引きずり出し、黒く染まった大地に叩きつけたのだとか。
その際のクラリスの表情には、普段のシニカルな余裕など一切見られず。
ただひたすらの冷徹さと、その奥で燃えるチリチリとした苛立ちと。それでいて、まるで愛しい姉妹でも見ているかのような慈愛に満ちていて。
とにかく、風になびく雪のような白い髪に見え隠れする、その鮮血を映す赤々とした目は。そんな複雑な感情に潤んでいたという話だった。
その身の上話を聴きながら、ノボルもまたどこかで、チャコレイというその国に対して郷愁めいたものを感じていた。
彼には両親がいた。それは当たり前といえば当たり前のことだが、彼の両親は研究者だった。専攻は魔術科学。先に述べたモトコ・マチムラはノボル・マチムラの母親である。
幼い頃の記憶が曖昧になっているノボルだが、両親と過ごしていた風景のなかには、チャコレイに似た景色がいくつか混ざっていた。
そのことを聞かされたフィリアの姿は、とても神々しいものだったとノボルは後に述懐している。月明かりに浮かび上がる美しいブロンド。そして泉のように澄んだ青い目。悲しみにひそめられた細い眉。それでも彼女は笑っていた。気丈にも、笑顔を保ち続けていた。
ノボルと共有できる何かが増えていくのは嬉しいことだとそういって笑うフィリア。
二人の距離は、今度こそ互いの愛によって狭まっていった。
そして、翌朝。
ノボルは部屋を出たところで、幼なじみでもある後輩、ヒスイと出くわした。
いつも通りの真っ黒で艶やかな翠髪、揺れるポニーテール。先祖返りだと言われるうす緑の両目。その瞳には、まだ若干の光が残っている。
こうして眺めてみれば、ただの可愛らしい日本人女子という風体だが、彼女は先日、「はじめてのおつかい」でアイリス・ベーデン=パウエルをその手にかけた娘だ。それも、ノボルのために任務を引き受けたと発言している。
ノボルを呼び覚ますために、と。
その後会う機会がなかったヒスイだが、いま目の前に立っているということは向こうから会いにきたのだろう。
ノボルは何か取り繕う言葉を探したが、それはすぐに終わった。
ノボルのことを食い入るように見つめていたその翡翠色の目から光が消えた。これはヒスイのなかでナニかがキレた合図だ。そして、聞き取れないほど小さな声量で何事か呟いたかと思うと、そのまま踵を返してしまうヒスイ。
彼女を追いかけるかどうかという選択肢はいまのノボルにはなかった。何故ならいま、部屋のなかから彼を呼ぶ、鈴を転がすような美しい声の持ち主が、ノボルにとって最優先される女性となっていたからである。
そして、それでいてヒスイの背中を追うことは、その可愛い後輩から向けられていた、透明で真っ直ぐな愛情に対して失礼なことであると、ノボルは考えていた。
ジョージが死んだ。
そのことは当然、クラリス以下英国王立の特殊部隊「ハウンド」のメンバーの知るところとなったが、その真相が問題だった。
なんと、ジョージはずっと姿をくらませていたムテキヤ・オマエによって殺害されたという。
ムテキヤの消息は誰にも知られていなかった。それは実のところ、クラリスその人がムテキヤに関するあらゆる情報を管理し、外部に漏らさなかったためである。
そう、ムテキヤに関する詳細を知る人物はクラリスだけであった。
そして、そのクラリスさえ知らないところで、ムテキヤは動き、ジョージという重要人物を殺害した。
完全にクラリスのデザインを超えた何かが働いている。
この朝のクラリスは普段まったく見られないほど、激しく狼狽し、激昂していた。
これまでの彼女の人生においてその計算を狂わせられたのはこれが二度目なのだから無理もないかもしれない。
そして、その「一度目」を実現し、今回の出来事を引き起こした人物とは。
そのようなことはいうまでもないことだろう。
クラリスの裏をかける人物など、モトコ・マチムラをおいて他にいない。
モトコは生きているのか。それとも死んでいて、このときこうなるべく全てを仕組んだのか。
風雲急を告げる英国。
この国に訪れるのは、神の鉄槌たる雷か、それとも悪魔の策略による惨劇か。
それを知る者は、やはりおそらく一人だけであろうことは間違いない。
皆様明けましておめでとうございます。
新年早々、このタイミングで久々の続編投稿ができました。良かったと思います。
さて、この続編では停滞がちであったストーリーを動かすことと、私自身の苦手分野であるところの「地の文」のトレーニングを兼ねまして、
あえて一切の台詞を排して書いた実験的な文章となっています。
一切の台詞を排して、といいましたが一つだけ登場人物が口を利いている場面があります。
エシャロットが口にした、「魔術師狩りの捗はおいきか」です。
この言葉をタイトルに据えたはいいものの中々生かす機会がなかったので、ここにきてできる限り象徴的に描写したいと考えました。
そしてエシャロットというキャラクタの名前。これは私自身のペンネームにも使用していますが、もともとは作品の登場人物のために用意していた名前だったのです。
この人物はあまり物語の本筋には絡みませんが、この作品世界における重要人物として設定されていますので、今後の躍動を、
どうかご期待なさらずお待ちいただければ幸いです。