魔術師狩りの捗はおいきか(水面に映る闇、あるいは病みを映す水面・後編)
凄惨な戦闘を終えた姫川ひすい。
彼女はいったい何を思って、そのような非業に手を染めたのだろうか。
───side エシャロット───
「──ハァ、──ッァ、ハ──」
苦しい。
この胸が、今にも引き裂かれるような。
そして、この眼球がただれて腐り落ちてしまいそうな。
そんな責め苦が私の心身を苛む。
けれど、それでもなお。
私はこの「執筆」を投げ出すわけにはいかない。
それが、「彼」の最期を見届けた私の役目だからだ。
「さぁて、──続けるよー……」
もう一歩として歩けない。けれど、それももはや関係ない。
生けるモノすべてが死に絶えた、この世界に。眼前に広がる、この壮大な地平に。
「彼」の足跡を遺す。
次に生まれくる「きみ」たちへ。
「彼」の知り得たすべての希望を遺す。
それは、ただ一人この「世界」に残された、この不老不滅の魔法使い──すなわち「魔界」からの力を得る私にしか為し得ない「キセキ」だろうから。
──side エシャロット・了──
「───と、まあ、こういった経緯でヒスイの初陣は無事大成功に終わったんだけど。何か感想はあるかい、ノボルくん?」
と、そのグラマラスな身体に白衣を羽織り、これまた雪のように白い髪をかきあげたクラリス王女殿下は、いつもの邪悪な笑みを口許にたたえながら、そう俺に質問を投げかけられた。
後輩である姫川ひすいと再会を果たしてから4日後。
俺、町川昇は殿下から、昨日行われたひすいと殿下の作戦の様子を、録画機器の映像とともに紹介されたところだった。
───このお方は、いつもこうだ。いつも、平気な顔をして人の心を掻き乱される。
今の俺は、それはもう、苦虫を噛み潰して飲み下したような表情をしていることだろう。少なくとも、拳を固く握りしめて、ぐっと怒りを堪えているのは間違いないのだ。
しかし、俺ももう大人だ。今どきの子どものように、カッとなって殿下に対して突っかかることはしない。今すぐに殴り倒したい感情も圧し殺して、こう答を返した。
「質問……差し上げたい質問は、いくつかございます」
今の映像を観る限り、アイリス・ベーデン=パウエルの最期の瞬間まで、彼女の身体には何も異常は起きていない。
だというのに、ある場面から突然、アイリスは自分の身体に何かが乗っかってきたかのように、それを振り払う動作をしている。
音声からも、その動揺は痛いほどに伝わってきた。アイリスは、いったい何に対してそこまで過剰な反応を示したのか?
その問いに対する殿下のお答えは。
「ああ、あれはヒスイの精神干渉系の魔術、『水子』だね。ボクにも見えなかったけど、相手の身体中に頭の潰れた赤ん坊の幻影を投影するらしい。全身がずぶ濡れになった人間にしか効き目がない、という制約がある代わりに対象者の精神を混乱させる効果が高いのが特徴かな」
───は?
水子?
それは妊娠中絶の成れの果てというとんでもない単語だが、気にも留めぬ様子でろうろうと続けていく殿下。
「うん、絵に描いたような精神汚染だね───いやはや、ヒスイの魔術の幅広さには驚かされたよ。まだ十代の若者なのに、昨日だけでも2種類の系統の魔術を披露してくれたんだからね。一つに秀でる者は、大抵はそれに呼応するナニかが欠けているものだけど、あのコは違う。突出した才能に対して、それを上回る影を伸ばしている───」
そう饒舌に語られながら映像端末を折りたたみ、その背を撫でる殿下はご満悦の様子だった。
───2種類。もう1種類は、アイリスを仕留めた、水面を跳ねる小石のように水の刃を飛ばしていく射出系統の魔術『水切り』だ。
その精度こそ4年前よりも向上させているが、水切りのほうは昔からひすいが得意にしていた魔術だ。『水面の剣精』という彼女の通り名の由来となったものでもあるときいている。
………が、
「そんな……そのようなおぞましい魔術を使うような娘ではありませんでした。私の知るひすいは、」
俺の知るひすいは、もっと純水のように純粋で、曇りなく淀みのない魔法剣技を追い求める、いうなれば求道者のような存在だった。
あの娘は、鬼のごとき魔法使いのようであったが、悪鬼には持ち得ない気高さを持っていたのだ。
だが、これではまるで───
「まるで?そうだなあ……まるで、血に飢えた獣のようだ、とか?」
そんな殿下のお言葉にハッと顔を上げると、眼下に殿下のその血の色をたたえた双眸が迫っていた。
「いいかい?それはね、キミがあまりにも不甲斐ないからだよ」
殿下の白く冷えたお言葉が胸に突き刺さる。
「キミ……ハウンドに来てから、まだたったの一人も狩れていないじゃないか。キミがそんなザマだから、ヒスイが道を示してくれたんだよ」
俺が……狩れていないから?
俺が人を殺せていないから、ひすいは自ら進んで道を踏み外したと?
「ヒスイも作戦前に、強い目をしてこう言っていたよ。『先輩は私を救いだしてくれた。その手を血で汚して、あの呪いのような状況から解放してくれた………そんな、私の救世主である先輩が、再びその手を血で汚すことをためらうのなら───』」
冷たい汗が背中を伝うのを感じた。違う、それは誤解だ、ひすい……!
「『今度は、私が、先輩を、救う』と、ね」
俺は脱力感のあまり、よろよろと椅子に腰をおろした。
───違うんだよ、ひすい。俺はお前を救えなかった。目の前で実の兄を滅多打ちにして、お前がひた隠しにしてひた向きに守っていた日常をぶち壊しただけだ。
水子。中絶。俺が駆けつけたときにはもう、赤ん坊を孕む状態になっていた。
……ますます、俺はお前の何かを救うことなどできていないじゃないか。
そんな誤解の果てに、ひすいは人をその手にかけた。かけてしまった。
その絶望感に苛まれ、思わず天を仰ぎ見る。
しかし、
「……お言葉ですが」
声が震える。
だが、まだ確かめなければならないことが残っていた。
「何故、殿下とひすいだったのです?」
「ん。どういうことかな?」
「何故……何故、アイリスと相性の良い───そう、出来すぎなくらいに都合よく殿下があの場に居合わせたのですか?」
俺の追及にも、殿下は小首をかしげるだけだった。
そうやっていれば何もかもごまかせるとお思いにならないでいただきたい。
俺はさらに続ける。
「『薄氷に咲く紅蓮』。またの名をジェスター。テロ組織と国とを行き来し情報売買のほか戦場にも姿を見せるという謎のエージェント。噂によれば少年のような風貌ということですが、彼の得意とする魔術もまた氷の属性と聞いています」
氷……殿下の魔術系統も、「凍結」。これは偶然の一致だろうか?
「ふうん……聞いたことはあるけれど、彼の魔術はボクのそれとは違って、広範囲の対象を一気に、それはもう乱暴に凍結させるものらしいじゃないか。そのあまりの冷気に皮膚が、肉が逆剥け、その様がまるで紅蓮の花のようだ───とか。ちょうどキミたちの国に残っている紅蓮地獄から名を取った、とか───それで?」
殿下はそう朗々と語ると、続きを促してきた。
白々しいにもほどがある。これではまるで俺の憶測が正解だと認めているようなものだ。
……が、しかし。
「それで、何が言いたいのかな?」
俺の眼前に迫る、鮮血の両目に炎が点る。
「───つ、つまり……殿下とジェスターは……」
俺は思わず言葉に詰まる。それが真実だとしたら。
この大英連合王国を揺るがす一大事。
いや、そればかりか、俺は今、現役最強とまで呼ばれる至高の戦術級魔術師とたった一人で相対していることになる。
我ながらとてつもなく大きな墓穴を掘ってしまったことを痛感する。
殿下の爛々とした視線から逃れるように、俺は目をそらしてこう言うしかなかった。
「し、親類関係にある、とか……」
「…………?」
俺の苦し紛れの妄言に、殿下は一拍の間目を瞬かせて、そして。
「あははっ……あーっはっはっは!」
盛大に笑い出された。
それはまるで、無邪気な子どものように。
「ああ、本当に笑わせてくれるね。確かに魔術適性は家系ごとに共通性が見られるという見解もあるけれど、っくく、それにしても……」
殿下は、ひとしきりそうお笑いになって、こう告げてこられた。
「───キミにはまだ、早かったね。せめて魔術師の一人でも狩ってから、出直してくるといい」
──side フィリア 2 ──
「準備はいいかい、フィリア?」
殿下のお声がスピーカーから響いてくる。
「──はい、万全です」
既に、私の姿は純白のノースリーブワンピース一枚になっている。
そのワンピースも、私の全身と同調して淡い光に包まれていた。
これが、私の精神体化したときの基本的な衣装だ。
もっとも、肉体を丸ごと魔力で再構築しているのだから、衣装には別段意味があるわけではないのだけれど。
「では、始めるよ」
殿下のお声とともに、室内の照明が落ちる。
広大な暗闇に、私の放つかすかな光だけがぽつんと取り残された。
───放射線量、上昇します。現在の線量は環境基準値です───
続いて、無機質な機械音声が実験の進捗状況を知らせてきた。
ここは英国のとある軍事実験棟、その最深部だ。
こんな施設が、私たちが普段寝起きしている寮棟の目と鼻の先にあるだなんて、知りもしないでしょうね。
………ノボルくん。ヒスイさんの作戦以来、ひどく落ち込んでいるようだけど……。
───対象の心拍数に変動が見られます。対象の……──
「ああ、もう……うるさいわね。やることをやればいいんでしょう?」
浮わついていた意識を集中させ、周囲に向けた。
私の索敵魔術、神の見えざる手は、常人には見えない放射能をも可視化する。
「ふーっ……」
自然と呼吸が深く、長くなっていく。それにつれて純白だったワンピースが真紅へと染まっていき、そして。
「……っ……!……」
私の背中に、真っ白な両翼が形成されていく。
人の身において、人ならざるモノを顕現させる秘術。
それはまるで、神話に描かれる百獣の女王のような。
───放射線量、減少に転じました──
無論、室内に放たれている放射能は減少などしていない。
それでも、放射線量が下がっているのは。
「抑止力の翼、展開……!」
私の翼が、放射能を吸収しているからだ。
両翼の純白が、混濁していく。
このとき、普段は青い私の両目も、その混沌と同じ色になっているそうだ。
「アーユーオーケー?」
と、再び殿下のお声を伝えるスピーカー。
「……アイムオーケー、目標は……?」
私の問いに呼応するように、遠くに目標物となるデコイが出現したようだ。
距離にしておよそ、三千メートルか。照明もない中ではあるけれど、インビジブル・ハンドによってその造形は手に取るようにわかった。
「目標確認、狙撃します」
「ふぅ……」
思わずついてしまったため息。これは実験の疲労感から、ということにしておこう。
予定通りに実験を終えた私は、寮棟に戻りシャワーを浴びようとしているところだった。
脱衣場で服をたたんでかごにしまったところで、私は背中を姿見に映した。
傷跡の一つも残っていない、まっさらな肌。
自分の代謝の良さに独り失笑して、シャワールームへと入った。
「……───」
温かいお湯を胸で受け止めながら、つい考えごとに耽ってしまう。
この胸はどうやら人並み以上には豊からしく、殿下もボンッキュッボン!は世の男子の理想なんだよ!と鼻息を荒くしておられたけれど、実際のところ身長からスリーサイズまで私より一回り大きい殿下にそう仰っていただいたところで、あまり自慢に思うことはできなかった。
殿下……クラリス・アントウェルペン王女殿下。
「聖王派」を気取るテロリスト連中に対する抑止力、「ディクテュンナ派」とも呼ばれる「世界連合軍」の急先鋒を務められるお方。
そして、その「ディクテュンナ」なるものの鍵を握るのが私である、ということらしい。
「私の……あの力に、いったいどんな意味が……」
そのとき、ピッとシャワールームのカードキーが解除される音が聞こえた。
───妙だ。
よどみなくお湯を注いでいたシャワーの蛇口をひねり、指輪型の「マジックデバイス」を手に取った。
この時間にシャワールームの清掃は入らないはずだし、何か不備でもあればアナウンスがあるはずだけれど、それもなかった。
いったい何者が───
ガチャ、と扉が開き、
「───え!?」
──side フィリア 2・了──
「くそっ……」
寮棟まで戻ってきたところで、独り悪態をついた。
殿下から出された宿題は、どれも俺の手には余るものばかりだったからだ。
ひすいの誤解、クラリス王女殿下とジェスターの関係……気が重くなる一方だった。
「いかん……とりあえず、シャワーでも浴びて頭を冷やそう」
カードキーにカードを通し、シャワールームへ。
頭の中に渦巻く問題から目をそらすように、乱雑に服を脱衣かごに放り込み、扉をガチャ、と開き、
「え───!?」
と耳に突き刺さるような謎の声に顔を上げると、二つのたわわな双丘があった。
白い腕に抱きかかえられた、二つの……
腕の先に目をやると、キラリと指輪が光っている。
見覚えのある指輪だ。これは確か……
「いい加減に……」
そうそう、なぜか若干震えているが、この声の持ち主でもある、あのフィリアさんのものに相違ない──
「いい加減、扉を閉めなさーーーーーい!」
すべてを理解したその刹那、俺の視界はまばゆい光に包まれ、そして暗転した。
「あの……その、だ、大丈夫、かしら?」
頭上からのフィリアさんの声に、意識を取り戻した俺。
さらにフィリアさんがこう続ける。
「ごめんなさいね?突然のことでびっくりして、手加減できなかったというか……記憶が飛んじゃったりとか、していないわよね?私のこと、ちゃんと見えてる?」
俺は記憶を遡る。
「見えていた、といえば……確か、2つのたわわな……」
「今度はその目を焼ききってあげようかしら?」
そう言って俺の眼前にデバイスを突きつけるフィリアさんの微笑みは、どう見ても本気のそれだった。
「すっ、すみません!フィリアさんが先に入っているとは思いもしなくて……!」
「……ふぅ。もういいわ。私も油断していたのは事実だし、次からはできるだけ部屋のシャワーを使うから……」
そう言って促されるまま、俺はフィリアさんの太ももから頭を上げた。
「でも、ノボルくん……あなた、どこか変だったわよ?すごく、思い詰めた顔をしていた……」
顔に出ていたとは不覚だった。
フィリアさんに隠し事はしたくないが、そうおいそれと人に話せる内容でもないだろう。
そうして押し黙っていると、おもむろにフィリアさんが口を開いた。
「ごめんなさい、無理に訊こうっていうわけじゃないの。ただ、あなたは前に身を呈して私のことを守ってくれたでしょう?そんなあなたが、何かを背負い込まされているのだとしたら、心配で……」
「フィリアさん……」
「私が力になれるかはわからないけれど、あなたが話してもいいと思って、私にきいてもらいたいと思うことがあったら……話してみてくれないかしら?」
フィリアさんは、ずるい。
フィリアさんはいつだって真っ直ぐで。
そのくせ、間違ったことは絶対に言わない。
俺は、彼女に対して自分が抱いている何か特別な感情にこのとき気づき、そして、
「……少し、考えさせてくれますか?」
その答からも、逃げることの許しを求めた。
いったい、どこの乙女の思考回路なのだろう。
今度ひすいと顔を合わせたら、あいつお得意の乙女回路をからかうのはやめてやらねばなるまい。
そうして、決まりが悪く頭をかく俺を見ても、
「ええ。またあとで、ゆっくりお話ししましょう」
フィリアさんは、またそうやって陽だまりのような笑みを向けてくれるのだった。
今日も雨か。
宿舎の自室。夕闇を塗りつぶしながらしとしとと降り続けていく雨音を耳にしながら、俺は思いを巡らせていた。
「………───」
フィリアさんの笑顔。
……それはもちろん俺の思考を占めてやまなかったが、そんな少女のような恋わずらい以外にも考えなければならないことがあった。
俺は、ある決断を迫られている。
そして、その決断を下すには、自分の持つ力についていくつか整理しておかなければならないことがあるのだ。
クラリス王女殿下が俺のなかに認めてくださったという「魔術師狩りの力」。それがどういった性質のものかを把握し、可能であれば手なずけ、場合によってはそれを正しく行使していかなければならない。
かち、こちと同じテンポで時を刻み続けている時計の針は、もうすぐ9時を指そうとしている。無論、ここでは夜の、である。
先ほどから、俺の矮小な思考回路は、大車輪のごとく壮大な軋みを上げながら、しかしどこか冷静にひとつ、ふたつの答を導き出していた。クラリス殿下との会話。フィリア大尉と経験したいくつかの出来ごと。それらから導き出された俺の推論は、簡単にいって次の通りだ。
まず、俺の眼は普通ではない。この両目には、イメージ魔術を扱うための装置である「マジックデバイス」が仕込まれている。
それは、たとえばフィリアさんと初めて会ったとき、彼女の光化した魔術の反応を感知し、あまつさえその実体を引きずり出すことに成功した。
させられた、というのはあくまでも俺の臆測であって、クラリス殿下の胸中はいまだ計り知れないのだが。
それはともかく、特性上伏せられていたはずの術の看破、そしてその解除を意図せずにしてしまったことになる。
他にも何か秘密がありそうだったが、しいて当たりをつけるのであれば、おそらくフィリアさんと交わした念話に答がありそうな気がしている。念じた思いを相手に伝える。その力に関して、俺は何かによって何らかの働きかけを行った。それは、きっと──
コンコン、と扉を軽くノックする音が聞こえてきて、俺は思考を切り替え、それに応じた。
「どうぞ、鍵は開いていますので」
俺のその声から、一拍置いて。少し遠慮がちに扉がキィと音を立てた。
「こんばんは、ノボルくん。今夜は、よく考えられたかしら?」
という高く、しかし深みのある美しい声とともにフィリアさんの姿がこの目に映される。
「はい、――」
お陰さまで、色々と熟慮することができました――。
そんなことを返そうとセリフを用意しておいたのだが、そんなチャチな文言など一息で吹き飛ばされてしまうほどの容姿だった。
少しむし暑い、夏を感じさせる空気だけを残していつの間にか晴れていった雨雲。カーテンのすき間からさし込む上弦の月に照らされて。
フィリアさんの砂糖細工のように繊細で白い肌が映える。
その身にまとうも、純白のワンピース。肌の白さに初めて触れたのは、それが真っ先に視界を埋めたからだ。黄金のきらめきを持ち、長くたゆたうブロンドの下で。その、艶かしい身体のラインが、はっきり透けて見える。それはまさしく、彼女が下着等の野暮ったいものを一切身につけていないことの表れでもあった。
フィリアさんの目差しは、しかし月光のごとく清澄だ。そこにはまったく淀みがない。その大胆不敵な様は、どうやらデザインされたものであったらしい。
「それは良かったわ。それじゃあ、早速お話に入りましょう。今夜は、きっと長い夜になるから」
お互い、一生忘れられなくなるような――。
俺が腰かけていたベッドに躊躇なく並んで座ってきたフィリアさんの言葉に、俺はようやくようやく考えが追いついて、彼女のために用意しておいたヤカンを満たす熱い湯と、彼女のお気に入りらしいフレーバーティーを差し出した。
「長い話になるだろうと思って、喉を潤し心を落ち着けるよう、ご用意しておりました」
その俺の言葉にフィリアさんは心地よい笑顔でうなずき、流れるような手つきで紅茶を淹れてくれた。
「ありがとう。私、特に集中したいときにはこの香りを選ぶようにしているの。あなたにはまだ言っていなかったと思うけれど、覚えていてくれたのね。嬉しいわ――とても、嬉しい」
かんきつ類がいくつか混ざった独特の香りが漂い、二人並んだその距離を埋めていくように感じられた。磁器のカップ、これもフィリアさんの趣味にならったものだが、琥珀色を揺らしながら口に運んだとき、俺たちの肩はぴたりと触れていた。
「――」
かすかに身じろぎしたあと、フィリアさんはくすりと微笑んだ。何てことだ、このドキドキ感も計算のうちだったのか。何という演出家なんだ、この人は。
「――それで、あなたの持つ牙、魔術師狩りの力についてだけれど」
お互い姿勢を正し、触れ合っていた肩を、ほんの少し名残惜しそうに離して、ついにフィリアさんが一石を投じた。俺の心も波紋を広げるように反応したが、しかしまだ悠然としてもいる。
それを察してか、彼女はさらに続ける。
「あなた自身でも復習はだいたい済んでいるようだから、私からは要点の再確認だけになるかしら。基本的に、あなたの推測通りだと思うし」
俺はうなずき、続きを待った。
フィリアさんは身ぶり手振りも交えながら説明を続けてくれた。
「まず、ノボルくん。あなたの眼に備わっている基本性能として、魔術行使の関知能力と、それに対する魔術解除が挙げられます。あるいはキャンセル、ジャミング、これは好きな言葉を選んでくれて構わない。とにかく、この力こそ、クラリス殿下が『魔術師狩り』にあなたを推した理由――あなたが持つ『特別製の眼』よ。こういった能力そのものは実は私も殿下から伺ってはいたのだけど、実際に体感してみて私なりに分析した結果でもあるから、自信を持っていいわ」
その言葉を受けて、俺はひとつ、深い息をついた。
あの殿下と、ほかでもないフィリアさんから頂戴したお墨付きだ。それは誇りに思いたい。
ただし、たとえばアイリスが使っていた、気化する魔術を打破することはできなかった。何でもああ見えてアイリスの魔術は魔の法、すなわち魔界の法であり人智を超える世界を治める法、俗にいう「魔法」の領域に達していたらしく、それも第4位の魔法使いであるとのことだった。
考えるほど、ついしかめ面になっていたのか、見つめ合うフィリアさんが手を伸ばしてきて、俺の表情をいじくる。やがて満足したのか、にっこりと笑み手を引っ込めた。何だこれ、どこの恋人同士だ?
さておき、世界に現存するといわれる5人の魔法使い、その4つ目の魔法に対して俺のキャンセリングが通用しなかったその理由は、対象範囲の違いや俺自身へ働きかける意志の有無、そして魔法としての格、等々、いまだはっきりしないようだ。
「――あと、これは私も本当に驚いたのだけど。私があなたと交信するのに使った念話、あの伝播魔術。覚えているかしら?」
フィリアさんのその言葉にも、俺は首を縦に振る。やはり、ここにも何かあったのだろう。
「あれ、本当は私からしか発信できないのよ」
ぞくり、と背筋を何かが走っていくような感覚を覚える。
「あの術でお互いに会話することなんてできないはずだった――。ここまでいえば、あとは察してもらえるかもしれないわね」
片一方からのみの意志の伝播が、双方向になったわけ。
その理由は実に単純。
俺も、その片一方への通信をそっくりそのまま真似してみせた、ということだろう。
「これは確かに驚きですね。魔術のイメージを再現、いやこの場合、コピーアンドペーストしたような……?」
俺の問いかけに、フィリアさんは首肯とも首振りともつかない、微妙な動きで応えた。
「うーん、どうかしら。確かに私オリジナルの術を、その場で体感してすぐに再現してみせたのだから、すごい性能だとは思う。思うのだけど、その効果について、どうにも論理的な説明ができなくって」
なるほど。フィリアさんのいう通り、ここまでで確認できた俺の眼に備わる基本能力では説明できない現象が起こっている。
つまり、俺たちはまだ、この眼についてすべてを理解しているわけでもないのだろう。
ひとしきり話終えた俺たちは、どちらからともなく、また肩を寄せあっていた。なかなかどうして、懲りないふたりである。
目の前に仲良く並んでいるカップも、もう空だ。そこには、ただかんきつ類の香りだけが残っていた。
「そういえば、俺の能力についてこうして時間を割いてもらって話してきたわけですけど」
それは、このときはまだ、他意のない、何気ない問いかけだった。
だって、そうだろう?こんな、恋人のように甘い余韻に浸っている間に。まさか、俺たちの命の在り方にまで踏み込んでしまっていたことになんて、どうして気づけようか。
「フィリアさんの光学迷彩について殿下が仰っていた、『公式には』一件も打ち破った例がないという……。それって、非公式には破られたことがあるってことですか?」
ふと。
それまでは月の光のように澄みわたっていたフィリアさんの顔に影が落ちた。
「――そうね。せっかくだから、もう少しだけ、昔話をしましょうか」
それは、ほんの13年前に起きた、この世界で観測された最大の戦禍の話。
中欧の一国、チャコレイ。かの国の国民すべてを亡きものとした「どす黒い赤」と、ある一人の報われない戦神の話だ。
※2020年2月14日より編集中。
何年ぶりかわかりませんが、とにかく最新話がようやっと書けましたので、ひっそりと更新しておきます。
いい加減、はっきりしていなかった主人公、ノボル・マチムラの能力について色々と明らかになってまいりました。
果たしてそれが正解であるかはわからずとも、そこまで手を伸ばす覚悟を決めることができたのは。
ひすいという可愛い後輩に惨たらしい真似をさせてしまったという後悔と、
そしてその日だまりのように温かな優しさで応援してくれたフィリアのお陰であるという。
何ともはや、うしろ向きな男ですね。こう書くとまったくモテなさそう。
それはさておき、前後して何やらきな臭い雰囲気も漂わせるフィリア。
彼女に秘められた壮絶な過去とは?
運命の歯車はいかようにして噛み合うのか?
また次回、ご期待のなきようお願いいたします。