魔術師狩りの捗はおいきか(水面に映る闇、あるいは病みを映す水面・中編)
──side ジョージ──
この大英連合王国において、私たちがテロリストと呼ばれるようになったのはもう何年前のことであったか。
別段、後悔があるわけでも、ましてや誰に恥じることがあるわけでもない。
私たちの信念に間違いなどあるはずがないのだから。
──────「あのようなもの」の存在を認めるわけには、いかないのだから。
さて、そろそろかような雑念など捨てねばなるまい。日の出とともに、今日も神に祈りを捧げることで一日が始まる。
「……主よ、その御力に──」
祈りを捧げ出したところで、無邪気な声の横槍が入った。
「邪魔をするよ、ジョージ───おや、お祈りの時間だったか。これは失礼」
……無邪気、というのはあくまでも声色の話であって、当人はさぞかし邪気に満ちあふれていることだろう。小さく嘆息しながら声のしたほうへ向き直った。
「君はデリカシーという言葉を知っているかね、グレン?」
ちょっとした意趣返しの皮肉だったが、そことは異なるところで反発の声が上がった。
「やめてよね、それは人が勝手に呼んでいる通り名でしょ?僕にはジェスターっていう名前があるんだから、そっちで呼んでよ」
ジェスター……「バランサー」と呼ばれる第三勢力に属するエージェントで、「薄氷に咲く紅蓮」の異名を取るほどの絶対的な力を持つ、戦術兵器級の魔術師───
どうせ、そのジェスターという名前も偽名に決まっている。だというのに───
「つまらないことに拘わるあたり、所詮は子どもか」
「ジョージ……そうやって僕を子ども扱いするの、そんなに楽しいかい?」
そうして不満そうな声を漏らすジェスターは、どう見ても子どもにしか見えない体躯をしている。
──もっとも、顔はいつも深く被ったローブで隠されているのでどんな人相の少年かもわからないし、何よりもそのローブに隠しきれないほどに感じられる圧倒的な魔力の気配からして、ただ者でないことだけは明らかだ。
彼がいるだけでこの場の体感温度が5度は下がる。手早く用件を聞いてお引き取り願うとしよう。
「それで?君がこうして私のもとを訪れたということは、バランサーからまた何か働きかけがあるのかね?」
私がそう尋ねると、ジェスターはくっ、と笑い声をこぼして答えた。
「ああ、君の娘さん───アイリスだったっけ?彼女に一仕事お願いしたくてね」
ジェスターはそう言うと、さも愉快げに肩を揺らしている。
………ろくな「仕事」ではないのだろう、が──
「ジェスター……それは、抑止力に対する抑止という、我らが『聖王派』の目的に資するものであろうな?」
私がそう問いかけると、ジェスターはぴたりと身体の動きを止め、いよいよもって凄みを帯びた声でこう答えた。
「──当然じゃないか。僕がこれまで、君たちに損をさせる仕事を持ってきたことがあるかい?」
どこからともなく肌を刺す冷気が場を支配し始め、ふと傍らの鉢植えを見やると、可哀相に、凍えるあまり枯れはじめていた。
──やれやれ、これは根負けするほかないようだ。
「───いいだろう、詳しい話を聞こうか」
私の承諾を得て、ジェスターの声は一転して弾みだす。
「近々渡英してくるそうなんだけれど……ジョージ、君は水面の剣精と呼ばれている日本の少女を知っているかい?」
──side ジョージ・了──
俺の過去。少女が壊れ、少年を壊したという昔語りが終わる頃には、しとしとと降り続けていた雨も止んでいた。
昼下がりの柔らかな日差しが降り注ぐこの詰め所の空気は、しかし重苦しさに満ちている。
あの、春の陽射しのような温かさのある美貌をしたフィリアさんでさえ、ひどく深く沈んだ面持ちで言葉を返してくる。
普段、猟犬部隊のリーダーとして毅然とした振る舞いを見せるフィリア・クアント大尉の姿とは思えない有り様だ。
「それで、マモルという少年はどうなったの……?」
──確かに、俺が語ったところまででは、死に至ったか微妙なところだろう。
もっとも、一般人が当時免許を持っていた俺の拳を雨のように浴びたなら確実に死んでいただろうが。
「医師の診断では、まず再起不能とのことで、その後警察病院に収容されたのですが……」
そこまで言いかけて、俺はちらりとひすいを見やる。
俺の視線を受けて、ひすいが後を継いだ。
「……私も、『彼』がどうなったかは聞かされていません。父も、『お前には兄などいなかったと思え』と」
淡々と、ひすいはそう答えた。
実のところ、俺もひすいとマモルのその後については知らずにいたのだ。
「それは、どうして──?」
とフィリアさんが尋ねてくる。
「……ひすいはあの日以来、抜け殻のようになってしまって……いわゆる無言無動というやつです。布団に寝たきりで、ずっと同じ天井を見て――いえ、焦点の合わない目をして……俺は、ひと月と待たずにその責任から逃げ出したんですよ」
俺が唇を噛みながらそう答えて面を上げると、
「そう……」
その透き通るような碧眼に憐憫の色を滲ませたフィリアさんの視線が俺を迎えた。
───罪悪感、良心の呵責。そういった言葉で自己弁護を図るような惨めな真似はしなかったが、そんな俺の姿は単なる強がりにしか見えなかったのかもしれない。
と、それまでただ悠然と話を聞いておられたクラリス殿下がおもむろに口を開かれた。
「ノボル、キミはヒスイの心が完全に死んでしまったと思ったんだろう?けれど、彼女はこうして立ち直って、キミと同じ戦場に立とうとしているんだ───閑話休題、ここからはそんなヒスイの初陣の概要を説明しよう」
──side アイリス──
あの真っ黒いポニーテールのハラキリ娘──たしか、名前は……そう、ヒスイちゃん。
あのお嬢ちゃんにちょっかいをかけてから3日後。
私ことアイリス・ベーデン=パウエルは、お父さんのジョージから特命を受けて、再びその子と邂逅するために王都バックスの郊外に赴いている。
正確には、今回のターゲットはこの英国の王女、クラリス・アントウェルペンだ。
あのお姉さん、何を思ったのか指揮官のくせに最前線に立って、今日も偵察に出ているんだとか。
うちのお父さんみたいな武闘派ならいざ知らず、クラリスは研究者気質の軟派者だと聞かされている。
そして、その護衛についているのがヒスイちゃんだそうだ。
あの子の魔法剣術の評判もどこかで耳にしたけれど、このあいだの様子では私の精神体・エアリアルを打ち破れるとは思えない。
要するに、絶好のカモがネギまで背負ってきてくれるんだ。
大気と同化しながらひとりほくそ笑んでいると───早速対象を発見。
何故かクラリスが前を歩いて、その5歩後ろを保ってヒスイちゃんがついていた。
お父さんの指示では生死問わず、とのことだけれど。
せっかくのご馳走だもん。簡単に殺しちゃったらもったいないよね。
そうだなあ…とりあえず軽い一酸化炭素中毒にでもして、卒倒してもらおうかな。
エアリアルの構成を変換しながら宙を飛び、間合いを詰めていく。
歩数にして、あと5歩。その瞬間。
「ふむ。やれやれ、本当に惜しい能力だね」
「──えっ、きゃっ……!」
不意にクラリスが呟くと同時に、私のエアリアルが解けて生身になってしまった。
驚く隙さえ与えられず、私はクラリスに胸ぐらをつかまれて地面に叩きつけられた。
いったい何が……
と、状況の理解が追いつかない私の頭上から、クラリスの冷たい声が降ってくる。
「まあ、あいにくボクの『凍結』とは相性が悪いようだけれど、ね」
───凍結!?
ふと見れば、私の身体はずぶ濡れになっている。
まさか、私のエアリアルを強引に凝縮点まで下げたっていうの?
「そうとわかれば近づかないまで───え、あれ?」
後ろへ跳んでアバター化しようとした。のに、私の身体には何の変化も起きなかった。
「ああ、説明がまだだったね。ボクの凍結っていう概念は魔術そのものに対しても有効なんだ。一度体感した術を凍結させるくらい、寝ていてもできるよ」
───何よ、それ!人の魔術を……イメージの体現を無効にできるってこと!?そんな、そんなのってイメージ魔術師の……ううん、それどころじゃない!全ての流派の「魔術師にとっての天敵」じゃないのよ!
私は一気に冷静さを奪われてしまった。
「……っ、それなら、肉弾戦で黙らせてやる!ひょろい王女様の一人や二人、素手で十分仕留められる──」
そう叫びながら再び間合いに踏み込むと、クラリスは余裕綽々といった顔でこう答えた。
「ふむ、それは一理あるね───でも、さ」
と、突然身体中に嫌な重さを感じた。
「もう一人いるの、忘れていないかい?」
そのクラリスの声に応えるように、ゆらりと躍り出てきた影。
──ヒスイ。ヒスイ・姫川。
その、真っ暗な湖面のような目がこちらを見ている。
「嫌ですよ、殿下。私だけじゃなくて、私たちです──ねえ、アイリスさん?」
ヒスイのその声に呼応するように、重さが実体化してくる……これは、
「え、えっ、あ────」
それは、赤ん坊。
「あ、あ、あああああいやああああああ!!」
それも、頭の潰れた、赤ん坊。それが、わた、私の、
身体中にまとわりついて───!
「あら、水子をご覧になるのは初めてですか?その子たちは私と、───兄さんとの間にできて、中絶させられたかわいそうな赤ちゃんの化身。ずっと私と一緒にいたんですよ?」
そう饒舌に語りながらも、気づけば刀を抜いている。
その鞘から水が溢れ出している。これが、噂に名高い宝刀のレプリカ────
「さて、先輩をたぶらかそうとしたお仕置きはここまで。あとはこの『村雨』で楽にしてあげる。さよなら、アイリス・ベーデン=パウエル」
抜き身一閃。その切っ先からほとばしった水の刃が迫ってきて。
「──、ぁ……」
世界が傾く。それが、自分の首が飛ばされたせいだと認識したところで、私の意識は途切れた。
───side アイリス・終───
※2020年2月13日編集。
・セリフやト書きの改行。手入れ。
・その他描写の追加。
大変ご無沙汰をしております。
初めましての読者様には、初めまして。
またもお詫びから入る後書きになりますが、何につけても―――
前後編の二部作の予定だっただろ!何だよ中編って!
あとな、短いんだよ今回!!
―――というお叱りの言葉は免れないと存じます。はい。
実はリアルのほうで病気をしまして、入院中に執筆したり、何とかこうにか作品を書き上げた、それを見返してみたらもう一旦満足してしまいまして。
こら、お前はどこのお偉いさんだ!入院で世論を煙に巻く戦法が通じるとでも思ったか!
などというお叱りの声も歓迎中です。深夜テンションって怖いですよね。
閑話休題。
本作では謎のエージェントがテロリストの首領と通じていたり。
何故か(理由はシリーズの中で明かされる予定ですが)そのテロリストの娘の派遣先では相性抜群のユニットが待ち構えていたりしました。
実はこれは、ノボルに対して打たれた布石なのですね。
もちろん、首謀者は雪のような白髪をなびかせる、クラリス王女殿下その人。
その布石に対して、ノボルはどのような反応を返すのか?
ノボルの心のあり方が問われる次回、後編。
どうぞまた気長にお待ちいただければ、執筆者として幸いに存じます。