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魔術師狩りの捗(はか)はおいきか  作者: エシャロット
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魔術師狩りの捗はおいきか(水面に映る闇、あるいは病みを映す水面・前編)

──Side ひすい──



 これは自慢ではないけれど……

 ──いや、花の未成年だし、少しくらい威張っても、若さ故の過ちだ、とか何とかいって大目に見てもらえるかな?

 というわけで、皆さんごめんなさい。やっぱり自慢です。

 私は、水面の剣精グラディー・ウンディーネとまで呼ばれる、才色兼備の天才美少女魔法剣士です──って、やだ、これ自分でいうととてつもなく恥ずかしい!

 ……でも……気持ち、いい……。

 ……ふぅ。とにかく、結構な評判なのです。魔法剣術において、インハイでは3連覇、国体も少年A、Bともに連覇と、日本国内の同世代では敵無しでした。

 世界ジュニアでの優勝経験はありませんが、私の本来の魔法剣技は殺傷能力が高すぎて競技会では軒並み殺傷コードに引っかかってしまうので、まあ平たくいえば手加減してあげた結果です。先日も、実戦なら世界でも五指には入るだろう、とワイドショーで専門家のおじさんが言っていました。

 ……まあ、姫川(ひめかわ)道場の娘としては当然の実力、ということですね!


 そんな私ですが、4年前に突然姿を消してしまった愛しの先輩の足跡を辿ろうと、高校卒業後は進学せず、修業に明け暮れていました。

 先輩に会えないのは寂しくて、4年前のあの日以来枕を濡らさない夜はありませんでしたが、そんな焦燥の日々も、卒業から2ヶ月で唐突に終わりを告げたのです。雨垂れ石を穿つ、というやつですね。


──ボクは、キミの会いたいヒトのことを知っているよ。


 私の腕前をお聞きになってお訪ねになったという大英連合王国のクラリス・アントウェルペン王女殿下は、たしかにそう仰いました。


「ただ、今の彼はキミの知る彼ではない。どうやらどこかで牙を抜かれてしまったらしくてね──キミをこうして訪ねたのは、その抜かれた牙を持っていると聞いたからさ」


 是非もないことでした。先輩の居場所をご存知。先輩と引き合わせてくださる。それだけ伺えば、あとの条件なんて関係なかったのです。

 私は、また先輩と並んで歩けるなら──世界中の誰だって、殺してみせるんだから。

 もうすぐ、先輩に会える。

 飛行機の窓からは、既に街の明かりが見えています。

「待っていてくださいね──昇先輩」



──Side H・終──



「──水面(みなも)の剣精?」


「ノボル、キミなら聞いたことがあるんじゃないかな?」


 そんな、何気ない世間話のように振られたファンタジー用語に、俺は首をかしげてみせながら、あまり気のこもっていない声でこう返した。


「……さあ、知りませんね」


 そう呼ばれるにまで至る可能性のある少女に、一人だけ心当たりがあったが──あいつは既に死んでいるはずだ……俺自身がこの目で見届けたのだから、間違いない。

 ……間違いないのだが、あいつの場合は死んだのは体ではなく心のほうだ。もしも──


「ふうん……キミは存外に薄情なんだね。あのコはキミのことを先輩、先輩と心底嬉しそうに呼んでいたけれど?」


 もしも、その心が何かのきっかけで蘇っていたとしたら──?


「殿下……もしや、ひすいにお会いになられたのですか?」


「まあ、そろそろだと思うよ」


 そんないまいち噛み合わないお返事をなされる殿下は、意味ありげにホールクロックを見やった。その針は、午後の1時45分辺りを指していた。


「あら、殿下。ノボルくんには知らせておられなかったのですか?何とも意地の悪い……」


 例によって、フィリアさん───フィリア・クアント大尉の呆れ声が、アンティークチェアに悠然と腰かけるプリンセスに降りかかるが──


「任せてくれ」


 そうやってテキトーな返事を聞いて、サイドテーブルで英国式のミルクティーを用意したフィリアさんが、苦笑しながらカップを並べていった。

 カップアンドソーサーは……4客。殿下、フィリアさん、俺……この部屋には、3人しかいない。

 ……まさか。

 まさか、それはないだろう。

 そうだとしたら、俺はいったいどんな顔をして──


───先輩の匂いがする!先輩、どこですか!?


 遠くから、これまでの緊張感を一息に粉砕する間の抜けた声が響いてきた。

 匂いって何だ。犬か。


「あのコは犬っぽくて、とてもいい子だよね……虐め甲斐がありそうだ」


 どこか猫っぽいと感じるようになってきた含み笑いをなされながら、物騒な感想をもらされる殿下。前半は図らずも意見が被ったが、虐め甲斐って……あまり聞きたくない本音だった。

 そうこうしているうちに、バタバタと落ち着きのない足音が近づいてくる。

 間もなく、バンと大きな音を立てて両開きの扉が開け放たれた。


「いた!先輩、(ノボル)先輩!やっと、やっと会えた……!私です。ひすいですよ、姫川ひすい。わかりますか?わかりますよね?ああでもでも、昔に比べて出るところが出ていたりで結構あちこち成長しちゃっているので、ちょっと難しかったですか?いやいやいや、それにしても先輩、ひどいですよ!こんな可愛い後輩に一言も断ることなく姿を消してしまったと思ったら、まさか英国にいたなんて!私の驚きといったら──」


 嵐のように飛び込んできて、立て板に水でまくし立てる少女。

 そうして必死になって振り回す、背中に届く長さのポニーテールにまとめられた日本人らしい翠髪に、色素が薄く緑がかって見える両の瞳というアンバランス。


 視線を落とせば、腰には質実剛健を体現するような装飾をした日本刀型の「マジックデバイス」を下げている──ああ、間違いない。あの、俺によく懐いていた姫川ひすいだ。


「ふふっ、ヒスイさんって、本当にノボルくんのことが好きなのね。殿下から伺っていた通りだわ」


「──────…」


 一瞬、殺意に満ちた険しい表情になったように見えたひすいだったが、フィリアさんの顔を見た途端、急にうろたえ始める。


「うわっ、何この超絶美人!き、金髪碧眼……香り高い紅茶で満たされたカップを傾ける、アスパラガスも裸足で逃げ出す白魚のような指……そして、気品溢れる笑顔……絵に描いたような英・国・淑・女!」


 何だかわなわなと震え出しながら、俺につかみかかってくるひすい。


「──そしてそして、先輩のことを名前呼び!?こ、このレディーは何者なんですか、先輩!ここで問題です。このミズ・英国と先輩との関係をここまでで私が喋った文字数よりも多く答えなひゃい!」


 動揺のあまり噛みだしてしまっている。哀れなやつだ。


「いいか、まずは落ち着け。深呼吸しろ。そして、お前も席にかけろ。フィリアさんの煎れた紅茶は絶品だぞ。精神の安定にももってこいだ。黙って頂戴するといい」


「え?あ、ああ……はい。フィリアさんね……」


 虚を突かれたひすいは、俺の言った通り、馬鹿正直に深呼吸を始め、席についた。「いただきます」と行儀良く挨拶してから、ミルクティーを口に含み──


「って、先輩まで名前呼び!?──えっほ、けほっ!」


 思い切りむせた。実に4年ぶりの再会だが、この様式美は相変わらずのようだ。


「あらあら、大丈夫?私はフィリア・クアント。この部隊での、ノボルくんの『先輩』よ」


「ーーーっっ!」


 ひすいの背中を優しくさすりながらも、これまた内角高めをえぐるような発言を投下するフィリアさん。この人はたしかに天然気味だが、天然なのか狙っているのか、若干わかりづらいところだ。可哀相に、ひすいはもはや声にならない悲鳴を上げている。


「いい……」


 その一部始終をご満悦でご覧になられる駄目な大人の代表がいた。


「殿下、ここは殿下に収拾をつけていただかないと……」


「ふむ──ヒスイ、彼女は大尉で、この魔術師狩り(ハウンド)の部隊長だよ」


「えっ……あ、クラリス王女殿下!お、お恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ないことでございました」


 この英国の王女を眼中に入れずにいたり、お恥ずかしいというレベルではない粗相だったように思うのは俺だけではないだろう。


「構わないよ、むしろお代を払いたいくらいだ」


 無造作にご自分の胸元をまさぐり、本当に札束を取り出される殿下。ああ、うん。俺が間違っていた。この方に事態を落ち着かせることなんて期待してはいけない。


「それはそうと、ヒスイさん。たしか、約束は午後1時ちょうどだったわよね?」


 そう確認を取りながら、首を少し反らしながら時計のほうへ目を向けたフィリアさん。

 その指摘に対して───


「うっ……」


 ひすいはバツの悪そうな顔だ。何か事情があるのだろう。


「そうそう、初日から重役出勤とは大した器だよね」


 ここぞとばかりに追い討ちをかけていくダメ王女。


「ひあぁ……も、申し訳……申し訳……」


 あ、まずい。

 ひすいの顔面はみるみる紅潮し、その瞳には大粒の涙が浮かんでいる。

 いじられキャラのくせに、いじられ過ぎると泣き出してしまう困った癖も変わっていないようだった。


「──ひすい。何か事情があったんだろう?殿下もフィリアさんも、理解のある大人だ。しっかりご説明して差し上げろ。そうすれば、きっとお許しいただけるさ」


「ひぐっ、先輩……」


 嗚咽を漏らしながらも、拳を握って目をこすり、前を向くひすい。まだまだ世話が焼けるようだが、どうやら成長したのはそのメリハリの利いた身体だけではないらしい。





「──ひすい、もう一度きくが、その女は本当にライムグリーンの髪だったのか?」


 ひすいが怖ず怖ずと語り出した遅刻の理由は、俺たちにとって予想以上に深刻なものだった。心なしか、レースのカーテン越しに差し込む温かな陽光もわずかに陰ったように感じる。


「それで──え?ああ、はい、先輩。あのアニメから飛び出してきたような鮮やかな緑色は見間違いようがないです」


 ……なるほど。あの女──アイリス・ベーデン=パウエルは、まるで普段着のように精神体(アバター)に姿を変えているらしい。

それも、「風」のように。大胆不敵ではあるが、あの軽薄な調子の裏にどんな策略を秘めているのか……警戒するにこしたことはない。


 実質的に、アイリスが行使した「魔術」はフィリアさんが先日披露した前人未到の大魔術、「自己精神の形の改変」に似たもの。

 それほど賢い娘にも見えなかったことも勘案すると、精神が特殊であるか、「魔術ではない」アレの恩恵か───


 ともかく、ひすいの釈明を順序立てて話すとこうだ。

 きっかり10分前にはこの詰め所に着くよう、バスロータリーで乗り場を探していたところ、そのライムグリーンの髪をした女が、突然声をかけてきたらしい。


 「お嬢ちゃん……あのお兄さんと同じ匂いがするね」と。


 本当に突然のことで、その奇抜な髪色も相まって面食らっているひすいの首筋を嗅ぎながら、こう言葉を継いできたそうだ。


 「──あのお兄さんと、同じ血の匂い。二人で同じ人を殺したんだね?」と。


 その瞬間、女がひすいの過去を知る者だと理解した彼女は、迷わず腰から抜刀して一閃斬りつけた。が──


 「──届かないよ」


 女の身体が透けていき、ひすいの刃も空を切ったとのことだ。前回の邂逅で、アイリスは風──気流を操る魔術をひけらかしていた。フィリアさんの光学迷彩(インビジブル・レイ)と同じように、アバター化して自身の肉体を空気と同化させたと考えていいだろう。

 ───信じがたいことだが、アイツもまた常人ではないらしい。


 「おっかないなあ、さすがはハラキリの国のお嬢ちゃんだね」


 すっかりその姿を消したアイリスは、こう言い捨てていったらしい。


 「私も用事があって、しばらくこっちにいるからさ。今度はあのお兄さんと一緒においでよ」


 きっと楽しくなるから──そんなやんちゃな笑い声を響かせて、その場からいなくなった。




「アイリス……あの女、いったい何を企んでいるんだ……?」


「きっと良くないことよ……テロリストの用事なんて、ろくなことじゃないわ」


 俺とフィリアさんが声を落としていると、


「──あのー、先輩?」


「いやはや、キミたち……というか、ノボルか。だいぶその娘に気に入られたようだね。もしかしたら、狙いは──」


 場違いにご機嫌ながっかりプリンセス、クラリスが(たち)の悪い勘繰りを始め………


「せ・ん・ぱーい!」


 何だか隣でわんこが騒いでいた。


「ああ、聞こえているよ。ほら、お手」


「はいっ」


 語尾にハートマークでもつきそうな甘え声でお手をする少女型わんこ。


「先輩、お・か・わ・り、は……?キスでいいですか?これは振りなんですよね?」


「黙れ」


「はい……」


 どうやら、アイリスが何者か知らないので俺たちの話についてこられないようだ。

 アイリス・ベーデン=パウエル……先日俺とフィリアさんを襲撃してきた、テロリスト集団DDSデザイア・デス・スクアッドの首領、ジョージ・ベーデン=パウエル卿の実の娘であるらしい。


「なるほど……先輩と因縁がある女だったんですね」


 不意に、ひすいの声がトーンダウンしていく。


「知っていたら──逃がさずに確実に斬り殺してやったのになぁ……」


 ──思わずぞっとした。先ほどまで愛くるしく輝かせていた薄緑の両目からは光が失せ、まるで月の出ていない夜に揺らぐ湖面のように見える。


「……私からもききたいのだけど」


 その静寂を破ったのは、やはりフィリアさんだ。

 ひすいとは対照的に、その青い目には強い光が映えている。

 そして、美しいブロンドをかきわけながら、こう尋ねてきた。


「『お兄さん』ってノボルくんのことでしょう?あなたたち二人が、その──」


 ──殺したというのは、どういうことなのか?

 普段あれだけ気丈なフィリアさんも、さすがに言いよどんでいるようだ。


 すると、


「フィリアさん……貴女、ここで死ぬ覚悟があってそれをきいているんですか?」


 ひすいの真っ暗な湖面がフィリアさんをとらえる。腰の刀に手をやり、今にも抜刀しかねない緊張感があった。

 その殺気たるや、フィリアさんが反射的に指輪(MD)を構えてしまうほどだった。


「──よせ、ひすい。いずれ知られてしまうことだ。いつまでも隠しおおせることではないさ」


「……先輩、でも……でも、私、私は……っ!」


 その双眸に光を戻し、声を詰まらせるひすい。辛いことだが、逃げてばかりはいられないんだ。


「──ええ、半分は事実ですよ。正確には、殺したのは俺だけで、こいつはその場に居合わせただけですが」


 ふと外を見やると、陰っていた空から雨粒が落ちてきているようだった。

 ──ああ、そういえば。

 あの日も、こんなしとしと雨が降っていたっけな。




 あれは、今から4年前のことだ。

 俺は当時18歳、ひすいはまだ14歳のいたいけな中学生だった。

 高校卒業後、当時|この眼に埋め込まれていた《・・・・・・・・・・・・》デバイスのことなど知らず魔術師として落ちこぼれていた俺だが、幼少の頃から地元の姫川道場での武術の修行だけは何とか腐らずに続けていた。


 K県Y市の外れ、近所には安い定食屋があるくらいの小高い丘に位置するこの道場に通い続けることができたのは、ひとえに──


「ショウちゃん!早くしないとまた遅刻だーってお父さんに竹刀で地獄のめった打ち100コンボされるよ!」


「──だから、俺の名前はノボルって読むんだよ。いい加減覚えろこのわんこ頭」


 ……ひとえに、道場の娘であり幼なじみでもある姫川ひすいのおかげだろう。

 しかし、この間は本当に96コンボを食らって痛い目を見たので、先を急ぐことにしよう。


 ……細かい修行の様子は記憶の改竄の影響か欠落しているものの、豪放磊落な館主とやんちゃなひすいの存在は、間違いなく俺の心の支えだった。


 ──だが、敷居を跨げば七人の敵がいるというように、ここにも俺にとって天敵ともいえる存在がいた。


「よう、昇。今朝もうちの妹同伴させて重役出勤とはお前もずいぶん偉くなったよなあ?」


 そう声をかけてきたのは、ひすいの実兄──(マモル)だった。


「そういう兄さんこそ、いつも私たちより後に来ているじゃない。だいたいね、兄さんは生まれてすぐに入門してやっと目録、先輩はこの8年で免許……あまり言いたくないけど、あなたとは格が違うのよ!」


 ちなみに、そういうひすいはこの若さで、何と道場の最高位にあたる指南免許の腕前だ。


「……っち!覚えていろよ、お前ら!」


 俺と同い年なのに、実の妹に階級にして4つもの差をつけられている衛がひすいに抱く嫉妬は計り知れない。


 ──本当に、このときの俺たちは、衛の腹に渦巻く憎念の深さを見誤っていた。



 それから数日後。天気は雨模様。

 俺と、そして、誰よりもひすいの運命を変えてしまった出来事が起きた。

 毎朝迎えに来てくれていたひすいが何の連絡も寄越さずに来なかった。


 どうしたのだろうと小首を傾けながら道場に向かった俺は、土蔵の裏から妙な物音と声を聞いた。


 このとき、変な胸騒ぎがしたのを今でも覚えている。




「──……けて……助けて──……ちゃん……」


 とてもかすれていたが、よく聞き覚えのある――少女の、声だった。


「ああ?あいつならどうせ呑気に朝寝坊だろうよ。何しろ、お妾が、来ないんだからさあ!」


 息を弾ませる男の声。こちらも、嫌になるくらい耳にした声だ。



「助けて───ショウちゃん……」






「─────お前たち、何をしているんだ……?」


 ついに、俺は目にしてしまった。


 土蔵の漆喰の壁に押し付けられている、ひすいの姿を。

 胴着ははだけ、鋭利な刃物で切られたような袴の切れ端が、その細い腰にかかっている。


「……何だよ、お前今日に限って寝起きがいいな。何って、見ればわかんだろ?ナニだよ、ナニ」


 ──その細い腰を、がっちりと抱えて、


「何を……」


 俺の口から言葉がこぼれ落ちていく。


 姫川ひすいの、その細い腰をがっちりと抱えて、自らの腰を打ちつけているのは、


「何を……!」


 ───ほかでもない、姫川衛だった。


「何をぉぉぉおお!」


 全身の血が逆流してしまった俺は、無我夢中で衛に駆け寄った。

 そこから先のことは、まるで悪いビデオでも観ているかのようだった。


 ひすいから衛を引きはがし、地面に押し倒す。


「──っは……!」


 悲鳴なのか、笑い声なのかもわからない声が衛の口から漏れた。


「何を、何を、何を、何を、何を、何をっ!」


 俺はひたすらにそう繰り返し、言葉とともに、しかし天から落ちる雨粒よりも多くの拳を奴の顔面に打ち下ろす。

 どんどん変形していく衛の顔面。その唇が何か動いているのが見えた。


──────ざ、ま、あ、み、ろ。


 奴は確かにそう言った。

 今ならあいつの考えがわかる。


 衛だって、多少なりとも腕に覚えがあるだろうに、まるきり無抵抗で俺に殴られていた。

 あいつは、俺にこうされることを望んでいた。

 正確には、ひすいの体と、心に傷をつけるために。

 ひすいを凌辱し、打ちひしがれている彼女の目の前で暴行を受ける。


 完璧だった。

 完璧なまでに、ひすいは心を砕かれていた。



「ショウちゃん……ショウちゃん……」


 すっかりずぶ濡れになった身体を地面に横たえ、俺たちを見ているひすいは、壊れたラジオのようにそう呟き続けていた。



※2020年2月13日編集。


 セリフとト書きを分ける改行や、各所描写やセリフの手直し。

ご無沙汰をしております。

何だか大変まずいことを書いてしまったようで何とも決まりが悪いのですが、ひすいと昇の過去はこうだった、という想定は学生時代から持ち続けていました。

この出来事があったからこそ、普段は脳天気で、しかしスイッチが入るとおぞましい態度に変わるひすいと。

やけに物分かりのいい昇ができあがったと私は考えています。

精神を完全に破壊されたひすい。

彼女は何を思い、再起し、健気にも昇を先輩と呼び続けているのか。

その答は、さらなる続編にて明かされます。

それを知っているのは、現時点ではひすい本人とクラリス殿下だけ。

次回、後編にてクラリス殿下の謀略が垣間見えることでしょう。

皆様、どうかこうご期待。

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