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魔術師狩りの捗(はか)はおいきか  作者: エシャロット
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魔術師狩りの捗はおいきか(新生猟犬部隊──ザ・ハウンド──始動)

作中の用語について、説明が第一部に集中しております。

お手数ですが、第一部からご覧いただければ幸いに存じます。

──魔術師狩り?

 右を向いても左を向いても魔術師だらけというこのご時世に、何とも物騒なワードだ。


「そう、言葉通りの意味だよ。といっても、狩る対象は我が大英連合王国や同盟国に仇なす軍事魔術師が大部分を占めるのだけれど。部隊名は、ザ・ハウンド──猟犬と揶揄する者もいるね」


 クラリス王女殿下は、そう仰って肩をすくめてみせた。

 ……ああ、英国の猟犬部隊といえば、聞いたことがある。現代魔術社会においても魔術大国として君臨し続ける英国が擁する、戦闘系魔術に特化した軍事魔術師の中でも選りすぐりのエリート集団で組織された、特殊部隊。


「そのトップが、まさか殿下であらせられたとは……驚きました」


「そうかい?王族が軍に所属することは、別段珍しいことではないだろう」


「いえ、お言葉ですが、それは国威発揚のための形式的な配属であって、生命に危険が及ぶ最前線の特殊部隊に所属する王族など、聞いたことが──」


「ん……そうか、ははっ。それはごもっともだ」


 冗談を申し上げたつもりはないのだが、何がそんなにおかしいのか、殿下は腹を抱えて笑っておられる。


「ああ、いやいや。すまない。たしかにキミの指摘通り、これは極めて特別な措置だよ。ただ─」


 特徴的なシニカルな薄笑いを浮かべ、殿下はこう付け加えられた。


「───ただ、このボクに生命の危険が及ぶということは、まずないのさ。詳しく知りたければ、これから紹介する同僚たちに尋ねてみるといい」







「──というわけで、これからキミたちの同僚となるノボル・マチカワくんだ。彼もこう見えてなかなかデキる男だ。遠慮なくこき使って、ビシバシしごいてやってくれ。以上!」


 決まった。そう言わんばかりに、胸を張られる殿下。いや、しかし、これは───


「……ええと、殿下?」


「おっ、早速質問かい?いいだろう、発言を許可する。いやぁ、やる気のある新人を発掘できて、ボクも鼻が高いよ」


「いえ、ノリノリでいらっしゃる中恐縮なのですが……」


 改めて、ぐるりと周囲を見渡してみる。

 そこには、人っ子一人いない、寂しげな会議室が広がっていた。


「この会議室、誰もいないじゃ──!」


 声を荒げかけたその瞬間、視界の端で───いや、視界の外側(・・・・・)、それも真後ろで微かにキラリと何かが光ったように見えた。

 おかしなことだが、それについて考えるより先にその光を追い、光源の辺りにタックルをかます。


「きゃっ……!」


 すると、そこに輝くような金髪の女性が姿を現した――正確には、ずっとそこにいたのだろう。賊が紛れ込んでいたとは、まったくもって不覚だったが、殿下に危険が及ぶ前にこうして制圧できたことの意味は大きいだろう。


「動くな。貴様、何者だ。どうやって姿を隠していたかは知らないが、俺の眼はごまかせない。貴様の目的によっては、この場で命を失うことも──」


「わっ、待って!待って!降参、降参よ!」


 苦しげに降伏の声を上げる女。何とも歯ごたえのない賊だ。この程度の脅しであっさりと折れるとは──



「──あっはは!そうなってはハウンドリーダーも形なしだね、フィリア」


 突然、殿下がもう我慢ならない、といったご様子で哄笑された。

 どうでもいいが、今日はよく笑われるな、この方は。

 ──ん?


「ハウンドリーダー……?フィリア……?」


 ハウンドの、リーダー?

 今、俺が組み敷いているこの女が!?

 目線を下に戻す。

 ……あ。


「……ええと、そろそろこの手を離してくれないかしら?」


 この手。

 その、俺の手は女……いや、女性の胸ぐらをつかんでいる。


「しっ……失礼いたしました!」


 慌てて手を離すと、女性はほっと息をつきながら身を起こした。


「いえ、謝らなければいけないのは不意を突いて驚かせようとした私のほうよ。ごめんなさいね、ノボルくん。ノボル・マチカワくんであっているわよね?」


 しまった──まさか、配属初日に上官を押し倒してしまうとは……。


「どうだい、フィリア?彼の眼、なかなかの性能だろう?」


「そうですね。上手く隠れおおせたと思って声をかけようとした瞬間、ほんの少し術への集中を切らしただけでしたのに……」


「うん、うん」


 「フィリア」さんと言葉を交わしたのち、何やら満足げに頷かれた殿下が、こちらに向き直られる。


「キミの眼は実におもしろい!フィリアの光学迷彩を看破するばかりか、実体を引きずり出すとは恐れ入ったよ。いや、いいんだ、謙遜するんじゃない。何しろ、現在に至るまで彼女の迷彩を相殺できる魔術は公式には一件も発見されていなかったんだ。キミの眼は魔術の兆候を捉えるだけでなく、魔術的干渉にも応用が、いやいや、そちらが本筋である可能性も──」


「あの、殿下……」


「何だい、フィリア。ここからがおもしろいところじゃないか!」


「いえ、ノボルくんの耳には入っていないと思われますが……」


 急展開に目を白黒させている俺の様子を、フィリアさんは哀れむように見つめてきていた。



「いやすまない、紹介が遅れたね。彼女がフィリア・クアント大尉……我がハウンドの部隊長だよ。ああ、階級については飾りみたいなものだけれど、ボクは少佐で、キミが少尉だ。これもまあ、しょうもない規則で、我が隊は尉官級以上を採用することになっていてね。キミの階級については、ボクの一存で決めさせてもらった」


「殿下よりご紹介にあずかりました、フィリア・クアントです。そして、先ほど姿を隠していた術の正体がこれ……光学迷彩(インビジブル・レイ)よ」


 クアント大尉が、おもむろに手の平をこちらに向ける──と、その手が瞬間的に透明になった。

 ……にぎにぎ。


「インビジブル……不可視、というわけですか。しかし、大尉。それでは視覚的に見えないことにはなるでしょうが、まるで気配が感じられなかったことの説明にはなりません。見えないだけで、たしかにそこに存在しているわけですから……あと、私の手を握るのはやめてください」


「そこで、これ」


 不意に、俺の手を握りしめていた大尉の手の感触が消えた。離れた、ではなく、突然その場から消えてなくなったかのような──

「そんな、馬鹿な……」


「私の迷彩には段階があるの。回折によってあたかも光が透過しているかのように見せるのが第一段階。第二段階は自身の肉体・装備を光の粒子に変換する魔術なのよ」


「粒子変換……!?そんな大魔術が、既に実用化されているとは……」


 理論上は実現可能とされていても、ハイリスクハイリターン。常人にはとても受容できない危険性を孕んでいるため、非現実とされてきた技術だ。


「その実現には、フィリアの魔術適性が大きく寄与しているんだよ」


 魔術適性……魔術師の持つ精神性に依存する、魔術の属性か。


「フィリアの魔術適性は光熱に関係する魔術に対して顕著に示される。そして、まず自身の肉体を精神体(アバター)に置き換えることで、粒子変換への橋渡しとしているんだ。つまり、厳密には三段階の工程を踏んでいるというわけだね」


 透明化、精神体化、魔力から光への粒子変換。

 精神体……自身の肉体を、イメージの蓄積である想像世界(イデア)から引き出した自己意識に置換する、イメージ魔術の一つの到達点。一般には魔力による肉体の再構築と認識されており、理論上それをなしえた時点であらゆる物理的干渉を超越できるほか、各種魔術の性能向上が期待されていた高等技術だ。


「しかし、精神体は自己意識をいかなる状況下でも中性に保てなければ崩壊してしまうと聞きました。それを自ら不安定な状態にするのは──いえ、それどころか、自己意識そのものでもある精神体を改変するということは、いささか以上に危険では……」


「──……」


 俺が疑問点として指摘していくなかで、不意に大尉が目を伏せた。


「良い着眼点だ。たしかに、いかに適合する魔術適性を有した魔術師であろうと、本来的には自己意識の形──つまり、人間としての形状を超える自己改変は難しい。機能を発展させる実用例はほかにもあるけれど、新規に部位を付け足したり、まったく別のものに書き換えてしまうと、その精神に多大なる負荷がかかるためだ」


 精神への多大なる負荷──この場合、身体がバラバラになるような……いや、あるいは身体中の皮膚を、肉を剥かれながら光熱に曝すような苦痛だろうか。そんなものを受けて、真っ当な精神が堪えられるはずがない。そう、真っ当な──


「──まさか、大尉は……」


「ふむ、やはりキミは勘が鋭いな。──いいね、フィリア?」


「……」


 刹那の間、殿下の問いかけに対して逡巡を見せた大尉だったが──


「──ええ、構いません。この魔術を知らせるということは、いずれそのことも知られるということですから」


「そうかい」


 そう仰って、殿下はまた口元を歪ませた。


「まあ、何ということはない。キミと同じさ。キミが眼に『マジックデバイス(  MD  )』……イメージを魔術として現実化する橋渡しを仕込まれたように、彼女も精神に魔術的施術がなされた、いうなれば一種のサイボーグだ」



──side フィリア── 



「──どうだった、フィリア?ノボルくんについて、初対面の感想は」


 殿下が、まださも愉快そうにお尋ねになられた。


「……そう、ですね。礼儀はわきまえているようでしたし、人柄も純朴そうで好青年という印象でしたが──」


「違うだろう。ボクがきいているのは、そういうことじゃない」


 ゆらりと席を立たれ、私の背後に回り込まれる殿下。


「実戦とまではいかないにせよ、彼に魔術を使った戦闘行為をわざわざさせたんだ。その戦闘技術を体感した、生の声が聞きたいな」


 殿下は、言葉でまとわりつくように、さらに私の首元に手を這わせて、指先で顎までをなぞられた。


「──……」


「どうしたんだい、キミらしくもない。いつになく歯切れが悪いじゃないか」


「……殿下、彼は──」


 私は一度上げかけた顔を、再び伏せた。


「……彼の経歴は、一通り把握しておられると……そう、仰いましたよね?」


「ふむ。そうだけれど……あの魔術以外に気になることでもあったのかい?」


「ええ。私の迷彩を第一段階まで無効化した魔術も、もちろん驚愕に値します、が……それよりも脅威に感じたことがあります。私を押さえつけた彼の手。あの手からは──」


 自分の胸元に手を当て、胸中に渦巻く不穏なものを掻き出すようにして、固く目を閉じる。

 ──不意に、古く寂れた記憶がフラッシュバックした。

 それでも、今でも鮮明に思い出せる、この手を染める赤。

 赤。赤。赤。

 手だけではない。私の服も、髪さえも、そればかりか見渡す世界のすべてを染め上げた、どす黒い赤。


「──血の、臭いが……しました。彼は、既に人を殺したことがあるのではないでしょうか?」


 記憶にあるのは、染み込んだ血の色だけれど。

 そうして顔を上げて見つめ合った殿下の目の色は。

 ──ほかのどんな赤よりも鮮やかな、生きた血の色なのだった。



──side フィリア・終──



 正直に白状しよう。俺は、人殺しだ。

 殺した人数は一人だが、殺してきた回数はとても数えきれない。

 いってしまえば、こうして夢を見る度に、俺は繰り返し、ある男を殺してきた。


──若い男女の声が、聞こえてくる。

 無論、夢の話である。

 正確には、タガが外れたように叫び続けている男と、壊れたようにうわごとを言う少女の声だ。

──本当に、虫酸が走る。

 今、こうして「これは夢だ」と冷静に分析できているというのに、この──これから目の当たりにする光景には、ひどく心を掻き乱される。

──ショウちゃん。

 その、少女の声が耳に入ってきて、そして。

──俺は、男の顔面を幾度となくこの拳で叩き潰した。

「──……」

 やあ、おはよう、諸君。

 今朝もいつも通り、目覚めは最悪だった。

 普通、起きたら顔でも洗うものだろうが、俺はそれをしない。

 薄暗い中、手探りでテレビのリモコンを手に取り、スイッチを入れた。

 日本の朝にホームランをかっ飛ばすお馴染みの情報番組を期待していたが、画面の向こうでは欧米人が真面目なトーンで昨今の世情を伝えていた──ああ、そうか。俺は今、英国にいるのだった。

 ちなみに、俺が朝一で顔を洗わないのは、別に不潔にしたくてしているわけではない。

 ──だって、そうだろう?

 目が覚めて鏡を見たら、そこには口を吊り上げて笑う自分の顔があるのだから。

 そんな自己ホラーを二度、三度と繰り返したら、鏡なんて見たくなくなるというものだ。

 さて、いい加減顔も元に戻った頃合いだろう。

 両の手の平で表情を確かめつつ、テレビを消した。

 さあ、顔を洗って、朝食の支度をしよう。郷に入っては郷に従えというやつで、手軽なパン食にも慣れてきた。今日はちょっと気を利かせて、ハムエッグでも作ってみるか。



「どう?ノボルくん、英国の暮らしには慣れてきたかしら?」


 そんなこんなで今朝もうんざりする寝起きだったわけだが、いま隣を半歩進んで歩いているフィリアさんから向けられた声は陽光のごとく柔らかく明るいものだった。


「そうですね……まあ、もともと根なし草みたいな生活でしたから、住むところを与えていただいているだけ楽なものですよ」


 今日は祭日。それも、竜を退治したという極めて人気の高い聖人の命日だそうで、英国中の教会で典礼が執り行われるらしい。

 俺は無宗教だが、それでも竜退治と聞くと、ちょっとわくわくする。

 ともかく、そんな高揚感に溢れる英国の王都バックスの街中をフィリア・クアント大尉と連れ立って歩いているわけだが、これも殿下から拝命した任務の一環である。断じて、お祭りにかこつけて遊びに出ているわけではない。

 なお、先日は結局、ほかの隊員を紹介されることはなかった。殿下によれば、構成員は常に各国で何らかの任務に当たっており、一カ所に集まることは稀である……とのことだった。


「そう……苦労してきたのね──あ、おじさん!今日の『俺特製日替わりサンドイッチ』二つ!」


 俺の話に相づちを打ちつつ、パン屋らしき移動販売車の前で足を止めてノンストップで店員に発注していた。きっとこの店の常連なのだろう。


「やあ、フィリアちゃん。グッドなホリデーにラブデートかい?」


「やだ、レオダさん!そんなんじゃないですよ。新しい同僚に、祭日のバックスを案内しているところなんです」


「そうか、そうか──おい、坊主、ちょっと耳を貸せ……嫌そうな顔するんじゃねえよ。そうそう……いいか、フィリアちゃんが男を連れて歩くのなんて俺ァ初めて見たぞ。頑張れよ」


 何をだ、親父。


「ふふっ。ここのサンドイッチ、独特な味付けだけど美味しいのよ。はい、これノボルくんの分」


「ど、どうも……」


「どうしたの?変にドギマギして……あ、わかった。あのおじさんに何か変なことを言われたんでしょう。あのおじさん、いつもあんな調子なんだから、気にしていたら駄目よ。素直に楽しみましょう?」


「いや、楽しんでいる場合じゃないでしょう……」


 そう言っている間に、悦に入った表情でサンドイッチをぱくつく大尉。駄目だこの人、まるで聞いていない。

「気を抜くのも大概にしてください。いいですか、今日は殿下の密命で典礼を狙うテロリ──んぐっ」


───密命をこんな天下の往来で口に出さない。


「あ……」


 大尉の左手が俺の耳に触れたかと思うと、その指先から彼女の声が響いてきた。伝播魔術の応用か。

 大尉はにっこりと笑うと、さらに言葉を継いできた。


───これでいいのよ。今から殺気立っていたら、街の人々の祭日が台なしになるわ。そればかりか、そのテロリストたちに私たち特殊部隊の存在を気取られてしまう。敵の構成も何もわからないうちにこちらだけ情報を流してしまうことが、どれだけ危険か……わかるでしょう?


 たしかに、大尉の言う通りだ。俺もまだまだ詰めが甘い。


「果たして、気を抜いていたのはどちらでしょうか──ふふっ。私のサンドイッチを上げちゃったから、あなたの分をもらうわね」


 ひょいと俺の手からサンドイッチを引ったくって、美味しそうに食べる大尉。

 その、一見無邪気そうな横顔からは窺い知れない心中で、いったい何を見据えているのだろうか。

 ごくりと口の中のものを飲み込んでから、ふと気づく。

 大尉が口止めに突っ込んできたサンドイッチは、彼女の食べかけだった。



 ──そのとき。清風のような気配を感じて振り返ると、人垣の向こうで――光線の具合なのか、ライムグリーンの髪をした女が笑みをこぼしたように見えた……が、すぐに雑踏の中に消えてしまった。


「ノボルくん?」


 異変を察知した大尉が、軽く目を閉じる。数秒の後、彼女が今度は俺の袖をつまんだ。


───特に変わった存在は見受けられないわ。私の光学索敵(インビジブル・ハンド)にも、敵らしき反応はない。

 光学索敵……降り注ぐ光線に魔力を通すことで、生体の発する赤外線や魔力による造形物が微量に漏らすといわれる魔力光を感知するほか、光の透過、回折等従来の方法による迷彩化さえ、光線の進路の変化で識別できるという、反則級の軍事魔術だと聞かされている。


───申し訳ないです、少々過敏になっていたようですね。

 俺の袖をつまんでいる大尉の手を見つめながら、試しにそう念じてみた。


「えっ……?」


 何やら驚いた様子だが、どうやら大尉の伝播魔術は双方向で交信できるらしい。本人がそのことに気づいていなかったはずはないが──


───い……いえ、大丈夫。そのままで問題ないわ。表面上ではただの散策を装いながらも、常に敵の存在には感覚を研ぎ澄ませることを忘れないで。


───了解。


 大尉は俺の腕から手を離すと、軽やかな足取りで先に立って、ちょうどこの頃降り注ぐ、春の陽光のように破顔した。


「さ、いきましょう。聖ジョージの祭日は、まだ始まったばかりよ」



 聖ジョージ……教会に語り継がれる、竜殺しの伝説の主人公だ。

 曰く、神の加護もありいかなる責め苦にも屈せず、その信仰を守り通した頑強な精神を持っていた、と。

 竜を退治した逸話と相まって、この英国そのものや、戦士の守護聖人として広く知られている。

 ──奇しくも、今日この聖人の典礼を狙っているテロリスト組織のリーダーも、ジョージというファーストネームなのだ。


 「偶然なもんですか。誇り高い聖人の名前をその身にいただきながらテロリストに身を落として、挙げ句には不遜にもその殉教を記念する日に、その御名も利用してプロパガンダを働こうという腹積もりよ……本当に、万死に値するわ」とは大尉の談だが、このときの彼女の顔つきにはさすがにたじろいだ。だが、特にテロリスト、と言ったときに語気が強まったように感じられたのも、気のせいではないだろう。


「しかし……これも大きな声では言えませんが、かつて伝統魔術を異端として弾圧していた教会がこうもイメージ魔術には寛容で、魔術師たちがこぞって教会に集い聖人を崇めるというのも、何だか不思議ですね」


「そうね……宗教の教義の解釈って、結局のところ当世の支配者階級の思惑で変質するものだから……その辺りはイメージ魔術側──特に王立魔術協会ね。ここが上手く営業したみたいよ」


 利害が一致すれば、異端も異端と見なされなくなる、ということか。


「大……」


「何かしら、ノ・ボ・ル・くん?」


 俺の呼びかけに対して間髪入れないどころか食い込んで返してくる大尉。今ばかりはその眩しい笑顔が怖いです、はい。


「フィリアさん」


「よろしい」


「フィリアさんは、英国を代表する魔術師のお一人でしょう?そんなあなたが、母国の国教の教義について、そのような軽口を叩くのは問題にならないのでしょうか?」


 不意に大尉が足を止めた。また何かまずいことを口走ってしまったのだろうか。


「私は……私は、いいのよ。私には──」


「──そこのお嬢さん。君からは、神のご加護が感じられないな。可哀相に、その若さで道を誤ってしまったのかね」


「───この男……!」


 大尉の表情が豹変したのは、その宗教臭い指摘によるものではないだろう。

 俺の眼には、この男──薄汚れた黒衣に身を包んで道端に突っ立っている大男が、その衣装の中に隠し持っている何か長い柄物の像が、おぼろげながら見えている。大尉の索敵魔術なら、それが何であるかまで特定できているのかもしれない。

 ──敵襲だ。


「やれやれ参った。想像していたよりも察しが良いようだ。これは、面白がって声をかけるべきではなかったか」


 男がその黒衣を脱ぎ捨てた。その顔には、俺も見覚えがあった。何より、漂わせている気配の密度の高さが尋常ではない。

 この男が突然姿を見せたという事態の急転に。いや、その男が何者であるか、既に悟っているかのように息を飲んだ様子でいたフィリアさんが、唸るようにしてその男の名を呼ぶ──


「ジョージ・ベーデン=パウエル卿……!」


「聞きしに勝るご慧眼……恐れ入ったよ、フィリア・クアント大尉。そこの青年にも感づかれるとは思わなかったが……ただの猟犬というではないようだ。しかし、何とも惜しい。君たちのような才能が、かような邪道に身を落としているとは、嘆かわしい限りだ」


「能書きは要らないわ。まさか、あなたが直々にやって来るとは思わなかったけれど。ここで会ったが百年目……きっちり粛正してあげるから、覚悟なさい」


 大尉とジョージが睨み合い、対峙する──いや、改めて周囲に目を向けると、5人の手下がいたようだ。


「お蔭さまで我々も人手不足でな。何、彼らも腕利きの護衛というわけではないよ。ただ血気盛んな若い衆を適当に見繕ってきただけだ。私たちの果たし合いに邪魔立てはするなと厳命してあるから、気にする必要はない──ただ、君という獲物を前にして、彼らがそれを守れる保証はどこにもないがね」


「まったく……どちらが猟犬なのかしらね」


 張りつめた空間の中、言葉を交わしながら、互いにすり足で一歩、間合いを詰めていく両者。

 次の一歩で開戦だろう。

 俺は、今一度ジョージが手にする、その柄物を見やる。

 それは、一本の槍だった。兵器型としても、槍を模したデバイスとはまた珍しい品だ。穂先までの長さにして2メートル程度の短槍だが、それを持つジョージの上背も同程度ということも手伝ってか、大男が腕を引いて構えているようにさえ見える。恐ろしいまでの迫力だ。


「ノボルくん……あなたはバックアップをお願いね」


 左手の人差し指に嵌めた指輪型のデバイスを光らせながら、大尉は俺に指示を出す。周囲の手下どもが手を出してくるようなら食い止めろという意味だろう──大尉は、あくまでもジョージの一騎討ちの誘いに対して真っ向から切って捨てる覚悟だ。


 左手と左足を前に出す右構えで、右手は何かを握るような形。これはおそらく──


「ふ……っ!」


 短い吐息とともにジョージが踏み込んできた。


 シンプルだが一分の隙もない、渾身の力を込めた突きだ。その巨体に似合わず、全身の連動は驚くほど精巧だった。


 それに対して──いや、その一歩先に、大尉の魔術武装が展開した。

 指輪が光に包まれ、その形状を変化させる。指輪は柄に変わり、その柄に対して両端から光──光熱の刃を形成する……言ってみれば、ダブルセイバーだ。

 大尉は疾風のような突きに対して一歩踏み込んで、難無くそれをいなして返す刃でジョージを斬りつけた。勝負あったか──たしかな手応えを感じたはずだが、大尉の残心もまた完璧で、だからだろう。


「──届かんよ」


「───!?」


 一度膝をついたジョージが再び立ち上がって放った不意打ちにも、かろうじて対処が間に合った。

 ──だが、肉体へのダメージはかすり傷で済んでも、今の一撃……いや、再起は大尉の精神に深い傷を負わせたようだった。


「治癒魔術……いえ、そうじゃない。私の斬撃を、受けなかったことにした──?」


 顔面蒼白にそう呟く大尉に対して、ジョージは逆に闘志を燃やして高らかに勝利を宣告する。


「君の攻撃は威力・速度ともに十分だった──が、足りないものが一つだけあった。信仰の力だよ。信じるべき神に見放された君の攻撃は、異教徒の攻撃と同じだ。私には、異教徒の攻撃から身を守る、神のご加護がついている」


 異教徒の王によるありとあらゆる拷問を受けても無傷であったとされる、聖ジョージの伝説の再現──?

 たしかに斬られたはずのジョージの胸板には、微塵も傷が残っていなかった。

 自身の攻撃を一切合切無効化する相手。その絶望感に打ちひしがれて、今度は大尉が膝をつくことになった。



 ──これは、まずい。 



 そう判断した、俺はとっさに地を蹴り駆け出した。


「冥界にて悔やむがいい。その身に頂戴していた神のご加護に背いた愚かしさを──」


 止めとばかりに繰り出されたジョージの突きの前に躍り出る。


「ノボル……っ!」


 大尉の悲痛な叫び声を背に、突き出そうとするジョージの右手首を両手で押さえ込んだ。


「何……!?」


 次いで、一歩後ろに跳びながら、その手首を下方向に引っ張り込む。

 ジョージの巨体にも効くかはいささか不安だったが、それだけで相手は手を地面に打ちつけられて槍を手放し、前のめりになる形でダウンした。

 不意を食ったジョージが体勢を立て直そうとする動きを迎える形でその首に左腕を尺骨側からかけて、敵の顎に左の膝を叩き込む。

 その左足を引いて軸足とし、右前蹴りで相手を突き放す。距離を見計らって右足を抱え込み、着地したその右足を軸として左の後ろ蹴りを──。


「あまり甘く見てもらっては困るぞ、青年」


 手刀で後ろ蹴りを払い落とされた。不意打ちから続けざまにコンビネーションを浴びておきながら、さすがテロリスト集団を束ねる怪傑だけある立ち回りだが、その動作は織り込み済みだ。

 バランスを崩すことなく左足をつけた俺は、腰と背筋の回転で、がら空きになったジョージのレバーに右の正拳突きを叩き込んだ。


「ぐっ……かはっ……!」


 手応えからいって、おそらく臓器を破壊するには至らなかっただろうが、それなりに有効な打撃となったはずだ。

 その証拠に、先ほどとは違って即座に回復して反撃、とはいかないようだった。

 アップライトスタイルに構え直して、敵の真実に迫る。


「甘く見られて困るのはこちらも同じだ。貴様の詭弁に付き合うつもりはないぞ」


「──気づいていたか」


「当たり前だ。貴様は神のご加護がどうとか言っていたが、何ということはない。あの超人的な回復も、ただのイメージ魔術だよ。異教徒云々の性能はともかく、ご自慢のデバイスさえ奪ってしまえば、そんな回復もできなくなる」


 地面に落ちた槍を足で抑えながら、相手の最大の武器を無力化したことを告げた。


「投降するなら早くすることだ。さもなくば──」


 後ろをちらりと見やる。


「大尉の光の矢で焼け死ぬことになる」


 そこには、戦意を回復して魔術武装を展開した大尉の姿があった。

 ダブルセイバーの形状を取っていたデバイスだが、今は柄を伸展させて弓のデザインになっている。

 様々な補助魔術を行使する指輪、白兵戦を捌くためのダブルセイバー、距離を置いての射撃を可能とする弓。可変式MDのすべてのフォルムを自在に操れている今の大尉なら、心配要らないだろう。


 ──だが、ジョージはなおも不敵な笑みを浮かべていた。


「ふ……クアント大尉に対する牽制だけのつもりだったが、おもしろいオマケを頂戴できたな──帰るぞ、アイリス」


「──何だ……!?」


 ジョージがアイリスと口走った途端、猛烈な突風を受けて体勢を崩す。

 そのとき、先ほど空目したライムグリーンの髪をした女が目の前に現れた。


「初見でお父さんに一発入れるとは、なかなかやるね。お兄さん」


「お父さん……だと?」

 ジョージ・ベーデン=パウエルを「お父さん」と呼ぶ、この娘は、すなわち……。


「余計なことを言うものではない」


「あはは、ごめんなさい」


 何とも軽薄なテンションの女だが、いつの間にかその手にジョージの槍を持っている──しまった。


「じゃあね、お兄さん。今度は私とも遊んでよ──」


 そう言い残したところで、再び前を向けないほどの突風が俺たちを襲う。


「くっ……!」


 荒れ狂うような風が止んだ頃には、アイリスと呼ばれた女も、ジョージたちも、綺麗にいなくなっていた。


「──敵は、いったの……?」


「ええ、逃げられました。こうなっては仕方ないですね……一度帰投して、態勢を立て直しましょう──」


 そう言いながら振り返ると、大尉の姿勢が崩れ落ちるのが見えた。


「フィリアさん!」


 すんでのところでその身体を受け止める。


「あれ……おかしいわね。力が、入らないわ……」


 大きな動揺と、それを押してのMDのフォルムチェンジなど、無理が祟ったのだろう。

 神経系に異常を来している恐れがある。一刻も早く、病院に搬送する必要がありそうだった。


「──ノボル・マチカワです。負傷者の搬送をお願いします」


 携帯端末で軍事病院への救急搬送を要請していると──


「──ねえ、ノボルくん……」


「何ですか、フィリアさん。気をしっかり持ってください。救急隊が急行してくれるとのことですから」


「ううん……そうじゃなくって。さっき、ジョージの横槍で言えなかったこと……」


「え?ああ……」


 か細い声しか出せなくなっている大尉の口元に耳を近づけると、俺の顔に大尉が手を伸ばしてきた。


「私は、ジョージの言う通り、神の加護を受けられない身になってしまったけれど……私はいいのよ」


 大尉の震える手をそっと支えると、彼女はこう尋ねてきた。


「──私には、殿下や、あなたたちハウンドの仲間がいるから。きっと、いるかどうかもわからない神様なんかより、私を守護してくれるでしょう……?」


「──もちろんですよ、フィリアさん」


 こうして。

 俺の初任務はほろ苦い結果に終わったが。

 今後生涯違えるわけにいかない約束を、大尉と──いや、フィリアさんと交わすことになるのだった。




※2020年1月22日編集


・改行、ト書きその他による見やすさ、セリフの主の判別についての向上。


・セリフ、描写の手入れ。


・罫線「──」の統一。


・ジョージ・ベーデン=パウエルの槍型デバイスの全長において、単位表記を「m」から「メートル」へと変更。


・「side P」としてシリーズ化していたフィリアのエピソードの第1部の表記を「side フィリア」へと変更。



※2020年2月12日編集


・冒頭、ノボルとクラリスふたりの会話からの場面転換をより明確にするため、改行を追加。


※2020年2月13日編集


・「マジックデバイス」、作中での通称「デバイス」についてクラリスが言及した際のセリフで、『』で作中用語であることを明示。そして、それがどのような働きをするアイテムであるかを極力自然な会話であるように努めて、簡易な紹介を盛り込んだ。


※2024年7月4日編集


フィリアが宗教の教義について言及した場面の「宗教の教義って」を「宗教の教義の解釈って」に修正。

第二作目の投稿です。

このような駄文にお付き合いいただけた方がおられましたら、心より感謝申し上げます。

結局のところ、第一部に続いて、説明不足はそのままに勢い任せで好きな部分の描写に終始してしまいました。

何だかんだ申し上げても、もうしばらくはこのスタイルで習作を続けることになりそうですが、何卒温かい目での見守りと、容赦のないご指摘を頂戴したいと存じます。

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