表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔術師狩りの捗(はか)はおいきか  作者: エシャロット
15/19

第12回「走る水、落とされる陽とのぞく月」

これは、浅間椎子が倒れ伏す前のエピソード。


そして、世界のゼロに至る過程のエピソード。


至り、そして、イチから始まった、とある悲劇、その再演。


それまでに、いったい、何が起こっていたのか。

それは─────

 【シイコ・センゲンが意識不明の重体に追い込まれた謎の事件。その発生より3週間前のできごと。】



 ──ごめんね、ショウちゃん……




「──ああ、久しぶりにこの夢を見たな……」




 カーテンの隙間から差し込む朝日の光。


 導かれるように。


 その光を目でたどると、白いブラウスを身にまとい、陽光に勝るとも劣らぬきらめきを誇る金髪を風になびかせる美人がそこにいた。


 その美しさは、ああ───なるほど、確かに。


 憎らしいまでに、絶対だった。


 チクリと胸を刺す痛み。その正体に、俺はこのとき、ようやく気づき始めていた。




 本当に、久しぶりにこの夢を見た。

 ここ何年も俺の脳裏にこびりついたまま、悪夢のように繰り返し見続けてきた、その夢だが。

 最近になって、それを見る機会が減ってきていた。



 窓辺りの、薄いカーテンから差し込む淡い陽の光。

 それに負けないほど輝くゆるく長い金の髪。そして、同じように日差しを透かす白いブラウス、その下にある艶やかな柔肌。


 この陽光の化身、フィリアさん。俺にとっての先輩であり、その他、いろいろと微妙、または複雑な。そういう、しかし、特別な関係にある人。

 この陽のもとで女性と過ごすうちに、日が落ちて、眠った後の心にまで、何か温かなものに癒され続けていったからかもしれない。


 しかし、

 これは。

 確かに。


 もしかしたら、浅間の言っていた通り、なのかもしれない。


 こんな絶対的な美が目の前に存在していたら。


 もしそれが、自分が愛する人の隣にいたとしたら。


 確かに、それは、ひどく残酷なことで。

 姫川ひすいが鬼神になるには十分すぎるのかも、しれない。

 そう感じた。





 ───そして、あれは、何年前の。いつの頃だったか。

 外の庭を、ただ静かに眺めているフィリアさんの麗しい立ち姿に、俺はまた、別の記憶へと導かれていった。

 それはほんのかすかに残っていて。

 しかし、それでも何よりも大切なものとして、心の真ん中に、眠っていた。















 目が覚めた。

 眩しい。


「───困ったわ…この子、迷子かしら」


 鈴の音のような何かが聞こえる。


 白い。

 そして、眩しかったけれど、すぐにその白いものが、僕の視界を守ってくれた。


 青い。空。それに、僕のほうを見つめて、僕の顔をきらきらと映す青い瞳だ。


 それから、何か金色のものが僕の鼻先をくすぐる。でも、それは不愉快じゃなかった。

 すべてが柔らかくて、いい匂いがして。ぜんぶが温かかった。


「……ええっと、あなた、自分のお名前、ちゃんと言える?でも、日本人よね…」


 何だか失礼なことを言われたような気がして、膨れっ面を作って、こう答えた。


「ノボルだよ。ノボル・マチカワ。そこまで、子どもじゃない」


「──あら」


 ……僕が強く返事をしたせいなのかな。目の前の女の子は、その目を白黒させてこっちを見ている。もしそうなら、謝らないと───


「あなた、英語がお上手ね。こっちで長いのかしら。いけない、それより、私のほうが名乗っていないわ。ごめんなさい。私はね、フィリア。フィリア・────────」


 なんだろう、あとのほうは、あまりうまくききとれなかった。不意に吹き抜けた風のせいだろうか。


 そう言って、興味深そうに僕の顔やら何やら、見回してくる。

 さっき子ども扱いされた以外には、不思議といやな感じがしない。不思議な子だ。


「んん……でも、どうしてこんなところで眠っていたの?」


 ……そういえば。

 僕はどこにいたのだろう。

 改めて、自分が寝ていた場所、足元を見つめる。

 柔らかい緑。

 芝生。

 じゃあ、辺りは。

 白い壁。

 ええっと。すると、ここはどこかの、庭、かな。それでも、やっぱりわからない。


「ここは、どこ?」


 よく分からないから、僕はそうきいてみた。

 女の子は、いよいよ困ったように眉を寄せた。


「うーん……ここはね、教会の中庭。あなたは……たぶん、教会に通う人じゃないわよね。ご用のあったご家族と一緒にきた、とか……?何にしても、エルダー・シスターに相談してみないと始まらないわ。ええ、そうよ。さあ、いきましょ?」


 長い。それに、ひとりで考えて、ひとりで納得して、ひとりで事を決められてしまった。


 この子は思い込みが激しいタイプなのかもしれない。でも、的はずれじゃないし、とりあえず、ついていくしかないのかな。


 だから、差し出された手を取る。


 その手まで白くて、温かい。



「あなた、手が冷たい」



「それは素直すぎる感想じゃないかな?」


「うん……でもね、」


 言いながら、見返りをしながら、女の子はふわっと笑う。


「でも、たしか、あなたの国の言葉によれば、手が冷たい人は、心が温かいらしいわね」


 すごく、いい笑顔だった。


「東の連邦では反対の名前をつけることで幸運を祈ったりもするし、そういう、反対の文化なのかしら」


 それと、やっぱり、くどい。別にそれはきいてない。


「とにかく。ほら、こっちよ」


 軽い足取りに、つられるようにして、その後をついていく。


 それが、僕と、この女の子との始まりだった。

 それから、もう一度出会うまでは………とても……───





 ────side C 1-2────


「っっ」


 目を覚ます。

 嫌な汗をかいている。

 ボクは普段、それほど汗をかかない。

 それなのに、今朝に限って……軽い頭のうずきと、言い様のない気持ち悪さを感じる。


「──お嬢様」


「チェルミーか。おはよう。ちょうどいいところにいた」


「はい、おはようございます。今朝は一段とお顔が優れませんが。それと、私の名前は……いえ、あっていますね。何か、ございましたか?」


 ちょうど、ボクのベッドのすぐ隣にかがむようにして、その女性。ボクのおつきのメイドさん。そのメイド長である、チェルミー・フローリアスが、心配そうな顔をして、こちらを覗きこんでいた。


「……うん。少し、出てくる。留守番を頼んでいいかな」


「いけません、お嬢様。それでしたら、前のように隊のどなたか、そうでなければこの私をお供に連れて」


「出てくると言ったよね」


「は──はい……」


 いつも堅い、仏頂面をしている端正な美人は、珍しくしおらしい顔になってしまった。


「そう悲しそうな顔をしないでくれ。ボクの───」


 ふう、と深く息をはく。


「私の、知人にお話があるので、出かけてきます。簡単な相手ではありませんから、貴女にはここで待っていてほしい」


「───お嬢様。まさか」


「───」


 答えないことで、応える。


 ボクは……私は、ある予感、あるいは、何かを通りすぎたような違和感を覚えていた。絶対に、これまでとは違う。何かがあって、違う「今」がある。


「それを、確かめてきます。事と次第によっては、どちらかが、生きて帰らないかもしれません。そのときは、もし、私が戻らなかったときには。以前に渡しておいた書面に従って行動してください。では、いってきます。──貴女に、お帰りなさい、と出迎えてもらえるよう、最善を尽くしてきます」


 手早く服を着替える。いつもの白衣よりも、きちっとクリーニングが行き届いているそれを羽織った。これが私の正装だから。そして、言い残すことだけを伝えて、振り返ることなく、ドアへと向かう。

 生きて戻ってこられるか、わからない、そのドアの向こうへと。


「お嬢様っ!」


「……なんだい、チェル子」


 呆れながら、少しだけ振り向く。


「やはり、私は心配でございます。明らかに普通ではありません。ですから、私が随行を、そして、私の名前はチェルミーです。──あ……」


「ふふ……ほら、いつも通りだろう?それじゃ、いってくるから」


 ひらひらと手を振り、今度こそ、部屋の外へと足を踏み出した。



 ────side C 1-2了────






 ───欧州の季節は移ろい、土地柄に相応しい湿り気がなく肌ざわりの良い初夏の風が吹き抜けつつあった。しかし、この大英連合王国においては、いまだもって不穏で陰湿な何かが見え隠れしていた────




 13年前に終結を迎えた第三次魔法大戦。世界を二分していた勢力の衝突戦争である先の大戦において、一大魔術大国であるところの英国体制派や欧州諸国、米国、日本が連なる「世界連合軍」とそれに対峙する「聖王救済軍」──英国の反体制派の諸宗派や中東、東連邦各国を基盤とする勢力───。

 大戦の最後の戦いであり、中欧国家チャコレイの総人口一億人という最大の犠牲を生んだ、戦争の爪痕「どす黒い赤」。「世界連合軍」と「聖王救済軍」の戦争は苛烈を極めたが、情勢としては徐々に連合軍側が優勢に立っていき、詳細こそ不明とされていた「どす黒い赤」という、チャコレイ全土を「どす黒い血で染め上げた」。

この大惨事をもって大戦は魔術国家としての大英連合王国が勝利を宣言して終結。その最中で、世界連合軍中佐として出征したものの「何か」に敗走し消息が途絶え、聖王救済軍側に身柄を拘束されていたと思われていた、世界第三位に序列される魔法使い「戦神」六手紀谷小舞絵(ムテキヤ・オマエ)

 その敗走の戦神が13年の時を跨ぎ衆目に姿を晒したのが、世界の春の終わりを告げる頃に起きた、聖王救済軍の中心組織ともいうべき英国大宗派極右集団、デザイア・デス・スクアッド。D・D・Sの指導者ジョージ・ベーデン=パウエル卿の襲撃、抹殺であった。

 長きにわたり聖王軍側に置かれていたはずの六手紀谷がその聖王軍主流に牙を剥いたこの事件は、英国軍の実質的トップであるクラリス・アントウェルペン王女をも混乱におとしめたばかりか、英国内外の至る地域における紛争に刺激を与えはじめていた。

 この世界が、再び戦禍に飲み込まれつつある、非常事態───



「───っていう、世界情勢なのはみんな知ってるわよね」


 英国の首都、王都バックスの北西に位置する英国軍特殊部隊「ハウンド」の兵舎。マーブル色のカーペットが敷き詰められている、中央会議室兼大広間兼休憩所。その隅のほうに置かれている客席のソファーの背にもたれて呆れ顔を隠そうともせず、万年筆をくるくるともてあそぶ若い女、日本国籍の魔術・軍事ジャーナリストを名乗る浅間椎子(センゲン・シイコ)はぶっきらぼうにそう言い放った。

 この広間には、その他に数人がそれぞれ思うままに過ごしている。


「まあ、そうだな」


 そう答えたのは今年の春にハウンドに徴用され少尉として着任した、センゲンと同年代の青年町川昇(マチカワ・ノボル)

 自身の持つ特異な魔術デバイス、魔眼(現時点で固有名称なし)の性質こそ解明されていないものの、それを保有していることを見抜き戦力として確保したプリンセス(クラリス)の下、これまでいくつかの実戦ミッションにも参加してきた人物である。「魔術を使えずに過ごしてきた」という過去のトラウマやそれに基づく先入観から、魔術行使、その実践は不足している。が、魔術行使に要する日本トップクラス、世界にも十二分に通用するほどの知識は有しており、何より修めてきた戦闘技術に長けていることの現れが、この類いまれなる「未戦の少尉」誕生の証明といえるだろう。

 なお、何ゆえその天才的な頭脳を生かした魔術を扱えなかったかというと、その強い魔力を、魔眼の網膜部分のフィルター越しに操ろうとしていたためである。彼の眼は、そのものがひとつの魔術デバイス。その回路(デバイス)を通した上で別の回路に意識の電気信号を通してしまっていたために、混線を起こして、結果として、あらゆる試験用デバイスを通しても、魔術という「成果」を挙げることができずにいたことになる。

 生を受ける何年も前から「戦闘用多機能魔術師」として育つよう、巧妙に仕組まれていた彼なのだが、まずは使用できる魔術の確認がてら、後述するハウンドの部隊長、フィリアとの模擬戦闘を中心に研鑽を積むのが日常化していた。しかし、かつての姉弟子、ひすいとは此度の戦友としては上手くいっていないようである。


「それがさぁ……」


 ペン先が、真向かいに腰かけているノボルのほうへ向く。わりと礼儀知らずな行為であるので、これをご覧の皆様にはあまり真似をしてほしくはない。


「何でその渦中の人のムテキヤがよりにもよってノボル(あんた)なんかに懐いてるわけ?まるで子猫みたいに?しかもちょっと盛ってない?」


 ───そう。いくつかの過程をすっ飛ばして、現在ではその戦神・ムテキヤがまとわりついている。ハウンドの最下級隊員であるノボルに、だ。


「いや、そう言われても」


「そうだぞ貴様、ノボルに対して文句があるというのなら、まずこの私を通してもらわねば困る」


 そう口を尖らせるムテキヤは、いまはセンゲンの対面に座るノボルの真横で、彼の肩に、外はねの下に内巻きという個性的な髪とともに頭を預けている。端から見ると恋人か、そうなりたくて媚びを売っている女性にも見えてしまう。それは偏見であるかもしれなかったが、少なくとも浅間椎子はそのような侮蔑を向けているのは間違いのない事実であった。


「いやいや、そもそも貴女のせいで私の頭に疑問符が浮かびまくっているので尋ねているのですけど………あーうん、このバカップルオーラ満載まっさかりな二人組には質問しても無駄無駄。じゃあ……ねえ、ヒスイさん。この、貴女の愛しの『先輩』を巻き込んでる馬鹿げた状況について、少し私に説明してもらえないかしら」


 

 その近くで緑茶を淹れていたところにそう水を向けられた姫川(ヒメカワ)ひすいは、日本にいた時分からノボルへの親愛と少々ヘビーな愛情を傾けている。ノボル←→ひすいとして

「後輩」を自称している、極東随一の武術道場「姫川流」での姉弟子だ。実際、ノボルを追いかけるようにして部隊に加入したこの少女は、ノボルより一階級上の中尉を任されている。元々、この世で三人だとか五人だとか、とにかく世界屈指と評価される魔法剣士、という相応の実績と実力を引っ提げて英国にわたってきた姫川ひすいとノボルとの力関係からいえば妥当な人選といえるだろう。そんなヒスイだが、センゲンからの問いかけには、しばし逡巡してから、ばつが悪そうに小首を傾げてそれに応えるばかり。それに合わせて、純日本人たる黒髪を束ねたポニーテールがゆさりと揺れる。


「いや、まぁ、その……ねえ?」


 彼女は話題の持ち手をたらい回しにするように、隣で茶請けを並べていた、このハウンドの隊長を務める英国軍大尉フィリア・クアントに目を向ける。

 そんなどうしようもない目線を送られたフィリアは、しかしやや苦い顔つきでそれと向き合い、ブロンドの長い髪を軽くかきわけてから、ひとつ頷いた。

 そうして、ようやく、フィリアとヒスイによって、衝撃の事実が明かされる…………!



「即堕ちだったものねえ…」

「即堕ちでしたからねえ…」


 二人が声を揃えたその発言を聞いたセンゲンこそとてつもない衝撃を受けたのはいうまでもない。


「えっちょま…っ!?年頃のガールなヒスイさんはともかくフィリアさんからも『即堕ち』なんていうフィクション用語が飛び出ちゃうの!?何があったの!?誰が仕込んだの!ヒスイさん貴女の仕業かしら!!?そこのところ、もっと詳しく聞かせて!!!取材させて!良い!?良いわね!?はい良い子ねー!」


「うわっこの食い付きうっざ…。ちょっとこの人グーで殴って良いですかね良いですよねはい殴りますよー」


「ヒメカワ様、少々はしたないですよ。それに、貴女が言うな、状態でございます。このようなところをお嬢様がご覧になったら、変に興奮なさってしまい精神衛生上あまりよろしくないので、できましたら控えていただけませんか」


「そういうチェルミーさんも黙っていてくれませんか。その王女殿下のお付きのメイドさんが率先して状況を混乱させてどうするんですか。俺のお茶菓子も差し上げますからちょっと黙ってて」

 



 ───元はといえば、いまでこそ、この絵に描いたようなプチハーレムに揉まれているノボルだが。彼を巡っては、ここ数ヶ月で彼に急接近していったフィリアに対して、殺意と悪意と敵意に満ちた敵がい心をぶつけていたヒスイ、という関係性もあったのだが、それについては「ドキドキ☆ムテキヤ即堕ち大事件」の終わり、そのささやかなエピローグにて解消されている。大方の予想通り、ヒスイがデレた形で。




   その1週間と5日前、天候はくもり。この頃としては珍しくどんよりとした曇り空の下で、事は起こった。


  ──── side H 1-2────



 どうもー、皆様先日来ですね!っていうか、なんかこの上辺りで軽く紹介されてたみたいなんですけど、私のこと、覚えてますか?私、姫川ひすいっていいます。花も恥じらう18歳の乙女です。でも大人のご本も買える歳になりました (ちょっと誇らしい)。それはともかく私、ほら、あの、「水面の剣精」って呼ばれてるって得意気に、それはもうブイブイいわせていた、あの子です。みなもですよ、みなも!かっこいいでしょ!むしろ、かっこいいと言え。

 まあ、ご記憶にあるかどうかはこのお話にはさして影響はないので置いときましょう。あっでも壊れものの年頃なハートなので慎重にお取り扱いくださいませ。


 閑話休題(それはさておき)、どうにもこの頃きな臭くていけません。私は先輩 (愛しの愛しのノボル先輩)の匂いをかぐだけで満足なので他は要らないんですが……。

 ついにこの一週間だけで暴動が三回も起こる事態になりました。国の行政機関であるところの警備団が鎮圧に当たってきたわけですが、それも限界が近いようで。二回目からは複数箇所で……同時多発というんですかね。そんな有り様ですから、その後の激化も収まることなく暴徒側が催涙弾、手榴弾まで使用。警備団側も閃光弾やら色々と用いて、結果として、銃撃戦に至ったケースも出て、両方に犠牲者が生まれる惨事に発展してきました。

 そういったことが英国のみならず他の主要国で散発し始めたことで、より大きなテロ行為等に対応するべく科学・魔術それぞれの白兵・火力戦が各国間での応酬へと繋がって。元々いくつかの地域での紛争のために一定の軍事力が割かれていただけに、この混乱による軍事的な動揺も大きくて、当然それに乗じて活動を活発にするテロ集団も増えてきたのです。これには、かつて宗派から追放されてなお信仰心を忘れないフィリアさんもオカンムリ!!どいつもこいつも根絶やしにしてやる!とは、各地の騒動を伝える報道をにらみつけるその青い両目が、言葉を遣わずともびしびし語っていますが、私はまずこの女をどうにか片付けたいのです。理由?先輩にすり寄ってるから。以上、極刑。


 それでも流石にそうやって悠長に構えていられることでもなくなって、この英国でも陸海空軍の他にいくつかの特殊部隊が使役され始め、いよいよ我らがハウンドにも指令が届くようになってきました。何でやねん。急に忙しくなっても困る。


「ハァ………参ったな。押し寄せてくる案件の量が膨大すぎ。これはよその国に散らばっている隊員たちにも召集をかけないとダメダネ。チェル美ちゃん、ちょっと連絡しておいて。任地の上層部(ウエ)から止められてる、とかアホみたいな言い訳使ってきたらボクの名前出して良いから」


「かしこまりました、お嬢様。しかし、恐縮ですが(わたくし)の名前はチェルミーです」


「うんうん、チェル代は可愛いね。ついでに口より手を動かしてね」


 こうしてクラリス殿下に名前をいじられながらこき使われているのは、お付きのメイドさん筆頭、チェルミー・フローリアスさん。何でか王女殿下(プリンセス)のことをお嬢様と呼ぶメイドの鑑。ナチュラルブラウンの髪をツーサイドアップに止めている、その花飾りが365日変わっているらしいシャレオツめいど。歳は25、身長は144センチ、スリーサイズも、改めてぱんつのサイズさえ測るまでもなくお子様サイズという合法ロリ。でも身体能力がとっても高い。模擬戦闘ではブルーベレーの隊員をバリバリ瞬殺してるほどのこの私も、先日腕相撲で負けました。昨日もおいかけっこしたんですけど、一方的に捕まりました。死ぬかと思いました。私ねー、経験者というかほぼ現役だからわかるんですが、得物なしでの戦いだったらなんとかギリギリ私が勝てるかなーというレベル。でも得物があればこの人相手なら一秒かからず始末できるかなって感じ。ぅゎょぅじょっょぃなぁ。

 でも、それ以外のお仕事の要領ははた目に見ていても、素人目に見ても良くない。何でこの人を筆頭メイドにしたんですか、ってプリンセスにきいてみたことがあるんですけど、そのとき「趣味」って一言で答えたときの顔を見て、あーこの殿下やっぱロリコンかぁって思いました。重度の。これまで「ストーリー」に出てこなかったのは普通のメイドさん業しかしてなかったから語っても仕方なかったからなんですって。何なんですかねストーリーって。何か「都合がー都合がー」とか言ってました。わりかし意味不明。

 ちなみに私にも鈴木さんというメイドさんを付けてもらってます。この人は生まれも育ちもカントーなのに流暢な京言葉で喋る大和撫子。先輩にしか靡かない主義の私でも、少し変な気を起こしそうな美人。考えるだけでむらむらしてきたので、今回はもう触れないでおこう。これ以上は別のところに手が、あ、いえ何でもないですとも、はい。


 と、そんなチェル何とかさんに指示を出したクラリス殿下の高そうな椅子の背がギシッと鳴る。殿下が伸びをしているのだけど、そうして身体を反らすと持ち前のたわわなお胸が露骨に自己主張してくるのでやめてほしい。胸囲の格差社会に心が折れそうになる。私だって日本人としてはそこそこおっぱい大きいのになあ……挟めるのになぁ……。


「それでね、ヒスイ。キミにはチャコレイの首都を拠点にしている過激派集団の副幹を始末してきてもらいたいんだけど」


 相変わらずオブラートなんて製造過程から省いてます的な物言いで任務を命じられました。

 ぱりっぱりの白衣 (何故かこの人は研究者みたいな白衣しか身につけない変な王女様。ロリコンだし。何かのオタクなのかなぁ)で肌も透き通る化粧品要らずの真っ白美肌、髪に至っては北極のクマさんもビックリの雪よりも白いロングヘア。全身真っ白けの中で引き立つ深紅の双眸。大動脈から出てきたばかりのように鮮やかな血の色をたたえた赤い瞳。その異様さに見つめられての言葉。何度会ってもこちらは息を忘れてしまうけれど、流石に今回は努めて冷静にそれを受け止める。


「それって……あれですよね、半島の国、ロメリアーニが生んだ虹の貴婦人───」


「そう、ターゲットはフィオナ・レティツィア・ショウ。あの高飛車貧乏貴族。チャコレイ紛争については英国軍第七六二魔術機甲師団と第五空挺師団が公的に介入して攻略が進んでいるから、キミは直接、敵後方の友軍交流地点からショウとその取り巻きが潜伏している都市中心部に向かってくれ」


 ───ロメリアーニの虹の貴婦人、フィオナ・レティツィア・ショウ。欧州の半島国家ロメリアーニの貴族に生まれた才女で、何をやっても何を見せても超一流、魔術の世界でも十二の宝石の七番目に数えられる天才。そのフィオナに対してこれだけボロクソにいうプリンセスはんぱない。そんな化け物をお使い感覚でちょっと相手してこいみたいに言うのもはんぱない。勘弁して。


「大丈夫、大丈夫。キミはあの、魔法使いの序列第四位───アイリス・ベーデン=パウエルの首を切り落とした女の子だ。アレと比べたら、あのひんにゅー貴族の命を五、六個刻むくらい朝飯前ってなもんでしょ」


 まじですか。フィオナには、「虹色の顔がある」という……いわゆる命いっぱい無敵系の属性が備わっている。ちなみに定期的に付け替えているらしく、本体の一個を見た人間は世界に指折りしかいないとか。


「あの女の顔?たしかにえろいかおしてるけど、別にそこら辺の雑誌にもいるよあれくらい。私もその手の可愛い子ちゃんの画像には夜な夜なお世話になってるから偉そうにえろぃことは言えないんだけどね」


 言い方のキツさが収まらない。

 どうやら、さっさと任地に赴かない限りは、この容赦ない罵倒を延々と聞かされる羽目になるっぽいです。


 ───side 1-2 了───









 同時刻のこと。



 ─── side F ───


 ……あはは。

 敵軍の馬鹿みたいな、旧態依然な作戦。いわゆる電撃戦というものに、(わたくし)は失笑を隠せないでいた。


「本当に愚かね、あの傲慢イングリッシュプリンセスは。こんな単純で分かりやすい戦法でこの私を炙り出せると、本気で思っているのかしら?」


「副幹、敵機甲師団がボーダー・Cに侵入したということですが」


 部下からの情報を受けて、敵の動きを把握して、軽くかわして軽やかに迎撃し、後退し、撤退すれば私たちを捕らえることはできな



 …………な、な……な…?


 ───何でしょう?急に身体が持ち上がりました。自然、足下を見下ろす形になって……なっ


「なっ────」


 ない。胸から下が、ない。


「何で?あ、あら、何ですの、これ……?」





「……やれやれ。これだから欧州のぼんくら組織の構成員というものは。どうしてこんなにも緊張感を持てないのか」


「──なぜ、あなたが、こごふ、ここに、」


「私がこうしてここにいる理由か?なに、そう難しいことではない。ただ単に、貴様には荷が重いので代わってやるだけだ」


 ───冷酷な台詞を、淡々と吐く、美しい異国の言葉を、きい、て


 ─── side F 了 ───



 ─── Side H 1-3───


 ……ここが、チャコレイの首都、アンノルン…。

 臭う……充満している臭い。火薬。火薬。血。血。血。血。

 そして何より、13年前のあの日からこびりついているであろう、鼻をつく、人体の焼ける臭い。


「……く、うっ…」、、る、


 戦場も人の血も、一桁の年齢のときにはそれ一色に染まっていたくらいだから、本当ならそんなものにあてられることはない。

 ないのに、何でここだけは、こんなにも嘔吐感が込み上げてくるんだろう。

 この場所だけは、どうあっても「いてはならない」危険信号が全身を打ち抜いてくる。


 ここに長居はできない。早くこの場所から逃げなくちゃ。

 いたら、いたら、いたら、いたら、いたら、こんなとこにいたら。








 精神が、


 壊れる。



「───」


 次に気がついたときには、私はもう軍の装甲車に揺られていた。


「…大丈夫ですか、ヒメカワ中尉。これから任務に当たっていただくのですが、顔色が悪いですよ」


 同乗している士官級の軍友が心配げに声をかけてくれた。

 姫川の道場の跡継ぎ娘としては、最低とも言うべき無様な姿を曝してしまった。


「────大丈夫です、任務に支障は来しません。作戦ポイントまでは後どのぐらいでしょうか」


「マルマルヒトマルです。当該地点からは、指令によりお一人で進軍していただくことになっています」


 10分。それだけあれば、弱者のひすいから、姫川ひすいに戻るまで余裕。


「はい。ポイントに着きさえすれば、その後は私の加速と攻防技術の警戒で切り抜けます。本作戦の護送、感謝いたします」



 ……相手は、あの魔術の最高峰、フィオナ。

 私個人で挑む相性だけでいえば、あの魔の法の支配者「魔法使い」の一人であったアイリスに匹敵するんじゃないかというほどの天敵。……ただ、あの無数の命を持つ魔女相手に、今いるハウンドの隊員で有効に戦えるような魔術を組める人もいない。もしかしたらフィリアさんが何か隠している、もっと別の力を発揮してくれたら話は違うかもしれない───

 いやいやいや、何で肝心なところで他力本願に逃げるんだ私の心。第一あの女は別の任地で戦闘を繰り広げている真っ最中のはずだ。ともに戦果を挙げて帰りこそさえすれ、万が一にも遅れを取るなんて不始末は許されない。こちらだって真剣に挑まなければ、あっさり死んで終わり。





 






───────────────────────────────────え?


 作戦ポイントに着いて、そこから水の上を、地上の何よりも速く走ってきた私の目の前にあったものは。


 見知らぬ欧米人の死骸。抜け殻。

 ………それに、ここまでたどり着くまでに、取り巻きの兵のひとりさえいなかった。

    えっ、なにこれ。もしかしてこれ、あのフィオナ…


「……ようやく到着したか」


 不意打ち。

 今日は、何度も、それだけで致命傷に直結するような凡ミスばかり。ひどいなぁ…。

 目の前のわけのわからない光景に注意が向いてしまっている間に、前方の物陰から、腰を上げるようにして姿を見せた、何者かの気配、姿に気づかないなんて。



 ただ、この人間が相手だったら、どんなに警戒してたって無駄だったかもしれない。

 こっちの人間なら、他と迷うことなんて、それもあり得ないんだけど、知覚する前に死んでておかしくない。


「六手紀谷、小舞絵………!」


「ああ、他でもない。私は六手紀谷小舞絵という名前を背負い戦場をかけ、戦場から破れ去った、敗走の欠陥品(ガラクタ)だ」


 何でこんな異形がこんなところにいるの?なんで?なんで?なんで?


「私がここにこうしているのは、単にこの女には荷が重い、そのために代わりに来たというだけのこと。貴様の相手は、この私がする」


「……分不相応って、何でそこに転がってる虹の魔女『だった』奴じゃ駄目なんですかね」


「──それは本気の問いか。娘」


 今目の前にいる、戦場における絶望。死の塊でしかない、人の形をした何かが、かすかに眉をひそめた。


「貴国の……貴様がいま仕えている国の王女へのメッセージとなる、貴様の死体を仕立て上げる役目だ。他に何があるというのか」


 無情な死の宣告。

 私のフィールド、水にひたした地表に立っていてなお、「必死」の敵対者からの一方的な物言い。



 ────。

 戦神、六手紀谷。この女を前にして気を抜くことは、それもそのまま死を意味する。

 というかエンカウントした時点でデッドエンド。この前殺されたっていう、テロリストの頭、ジョージ・ベーデン=パウエルもそうして散っていったはず。


 戦神六手紀谷の固有魔法は「自動査定(オートキル)」。自身の戦闘能力を上回らない相手であれば、相対するだけで。同じ戦場に立つだけで死に至らしめるっていう、ありえない魔法。『魔界』の『法』なんてものじゃない。

 魔界に乗り込んだって殺戮の女神としてその地を思うがまま蹂躙できるって言われてる。そんなもの。

 これを前にしたとき。六手紀谷の家に伝わってきた秘伝、六手紀谷流を打倒することは人間には不可能。生涯到達できない。生身であろうとあらゆる敵を「一対一」で葬り去る、体術、武術、戦闘技術。

 戦闘機だろうが駆逐艦だろうが、どんなに武装したモノでも息をするよりも容易く軽々撃墜撃沈させていく超絶技巧。

 その時点でこっちは勝てっこない。魔力なんて使わなくてももう魔法使いの上のほうにいるべき、戦場の絶対神。


 ………ただ。私は今、死んでない。


 ってことは。


「……あなた、いま、自動査定をオフにしてるんですか?」


「ああ。そうしてしまうと、貴様の肉体は消えてなくなってしまう。それでは王女殿下への贈り物(ギフト)にならない」


 寒い。温度変化なんてないのに、死を目の前にして体温が消えていっている。


「もう一度言うが。貴様は、この私が直接処理を施す」


 ───。

 千載一遇、命が繋がるチャンス。

 なわけない。次に瞬きする前に私はそこのフィオナと同じ血まみれの人形になっているんだ。


「せいぜい抗え。己が死の運命に。それが貴様の宿題だ」






 いざ、死刑執行のときを迎えた。




 改めて、六手紀谷の正眼にとらえられる。

 と「同じ時」の中で、私は10回、身体を左右に捌きながら前へ進む。それは単なるフットワークじゃない。回避そのもの。

 既に11回目の死が眼前に迫っていた。


「───直感。よりも速く精密。貴様の感覚は未来予知に近いそれか。『流動』を司る者としては、さして不思議でもないな」


 やめて。戦闘に入ってから喋ったりしないで。実際のバトルでそんな余裕ないでしょ普通。

 この女の声帯が震えるだけでも、幾重にも折り畳まれて飛んでくる死神の鎌がどれだけ増えると思ってるんだ。死ぬ。



 六手紀谷流。それを極めたこいつがたどり着いた場所は、動作のすべてが距離を問わず相手への攻撃に変わるという人外。


 たとえば腕を持ち上げたら、じゃない。腕が動き始めた時点から、その軌道の全部が描かれるまでが有効打。瞬きをする間の動作でさえ何百発にまで膨れ上がる殺人機械。

 なんて非常識。本当だったら、格闘する前に絶命する。


 42。もう前に歩むことさえできず右往左往するように身を翻すほかなかった。そこに動かないと死ぬ。命を取られる、詰めろみたいn


 今度は目の前。踏み込みの位置、その下方に潜り込んだ六手紀谷がある。


 かわせな


「────────っ」


 右の突き上げを避ける間も無く受けて、何十メートルもコロガッテ、その先にあった建造物を2、3件貫いてから私の身体は転がり落ちた。


「────・・──」


 もう息なんてできない、致命傷。


「……ああ、なるほど。面白い。命を失う損傷であっても容器(ボディ)が壊れないことには血と肉を直接流し込んで補強してしまうのか。どうやったらそのようなイメージを獲得できたのか。姫川の家も進んだものだな」


 ご慧眼。私には六手紀谷の打撃をかわす余地がなかったけど、直に受けないように体捌きをできる瞬間が残ってた。

 だから、肉体を損傷する前の内部の破裂から修復した。溢れ出る血肉、臓物を押し止めて流し返す。

 私は「血液補給」と名前をつけて取り扱っている。もちろん、私の場合は実の肉体だったら外側と内側のどちらが先に壊されるかわからないほどの損傷だったんだけど、魔力で全身を編み上げた精神体(アバター)だったから中身を優先させる余裕が、希望が生まれていた。


「あ……ぁ、ぅ」


 本当なら、たとえ奇跡的に身体の修復ができても、身動きなんてしたらまた全部が粉々になる。

 それを強引に、順番を先送りにして身体を起こせる状態まで引き入れる。仮にここから生き延びたとして、その後は何週間も微動だに出来なくなってる。


「─────っぺ」

 吐血もしない。流れ出る前に全部補給してるから、血も吐瀉物も出てくることはない。形だけ、唾を吐き捨てただけ。


「………もう、見えたから。あんたのデタラメ格闘術は私には通らないかんね」


 それは私の強がりなんかじゃない。もう全部の流れを見切ったから、身動きの起点からの全部の有効打をすべてかわせるし、その上で剣を振るうことができる。

 ──・・・冷や冷やしたけど、何とか「流行予知」、展開していく流れを読むほうが早く終わった。間に合った。


「良いだろう。ここからが本番だ。次の打ち合いからは貴様らと同じ土俵での一合になる。心得ろ」


 知ってる。



「ねえ、あんたこそ知ってる?」


「……何を」


 そこには傲りの類いなど一切なかった。強い。ただそこにある真贋だけを見極める強い目。


「───ここら辺、いっぱいびしょ濡れにしておいたこと」


 を口にするよりも速く、今度は私が先手を取る番。

 本当なら。

 本当なら。水で湿らせておくだけでそこは私が一番のスピードを手にいれるゾーン。これが水面といえるほどになればそれは。


 湿った地面の上でも抜刀から12回斬りつけることまでは流れるように進む。相手に何もさせない、一息のうちに。全方位から斬り結ぶ必殺剣。


 ───も、六手紀谷の身体に傷ひとつ負わせることさえ叶わない。

 こいつなら、その全部を受け流すことくらい造作もない。

 それも知ってる。



 知ってるから。

 六手紀谷が打ち込んでくる右の裏拳、打ち下ろし、肘。

 のコンビネーションですかさず入ってくる左足での膝砕き、左のフェイクから右の突き───


 さらに追い打ちを重ねてくる打撃をかわし、刃で受けていく。

 ────


 やっぱり傷つかねーよこのガンジョー女……。

 私の日本刀型の魔術デバイス。この「村雨」には、どこかの言い伝えの中にもあるように、刀身から、滴るような水が溢れ出す術式が基本魔術として織り込まれている。私の魔力が通ることでのみ発動する。それは刃の上にさらにカッターのような刀身を被せることにも使えるんだけど、全っっ然傷ついてない。

 ちょっと手強い。

 こっちから叩き切るしかないみたいですよこれは。


 刀やその魔術はもちろんのこと、その他の体術も色々交えて変則的に戦うほうが良さそう。


 下段へ斬りつけ、そこから刃を翻すようにして斜め上へとすくい切り。ある流派では呼称がつくような剣技。ひらり、ひらりと柳に風じゃないけど、軽い身のこなしで一筋二筋とかわしていく戦神。

 ─────ここを、待ってた。

 もともと、私は片手の剣士だ。だから、振るう刀もひとつの腕と拳、その他の四肢や体幹もろもろだって私の格闘術の部品なのだ!


 一見、切り上げた刀が文字通りに空を切って隙だらけに映るかもしれないいまの体勢。

 けど、そんなの足を利かせた体捌きで反転すればさらなる追撃姿勢になって、その通り左の後ろ蹴りを突き出していく。


 ひゅう、と感嘆の口笛でも吹きそうな顔つきをしながらそれを避けつつ、また一歩こちらに進んだ戦神さん。


 飛んで火に入る夏の六手紀谷。

 

「残念でした、あと一歩、遅かったよ、戦神さん」


「───!」


 それでも、向こうも伊達に戦神をやってない。

 ぎりぎりのところで危険を感知して足を引いて半身になる。


 あはは、そんなんだから足りないのよ、間抜け。


「きて────エルダー・アーーーーーク!」


「……くっ!」


 予想外。

 って顔。そんな表情、あんたもできるもんなのね、戦場では負け知らずの化け物なのにさ。


 けど、そんなもの構ってらんない。

 こっちも必死でやってるんだ。


 「左手」に「新しく」握った「剣」で六手紀谷をぶった切る。


 さすがに無防備ってわけにもいかなくて、右腕を絶妙にずらして尺骨で受け流してたけど。

 追い討ちの右の村雨も、橈骨と上腕で挟まれてるし。っていうかそっちはダメージ負ってよそうじゃないと私勝てないよ頼むよほんと。


「………っ。貴様、二刀流…いや、両刀使い……二刀使い、か。この期に及んで、とんだ隠し球を持ってきたな。左のその洋剣。刀と剣の両刀とは、ややトリッキーだ」


「まーね!こっちのアークは滅多に抜かないし、こっちを見られちゃうと後々面倒になるから、その場で死んでもらってきてるから。いやー、運が良かったですね六手紀谷さん。この剣を肉眼で拝めるのはなかなかの幸運ですよ。それに満足してそのまま成仏しちゃってください、なぁに遠慮しないで、香典弾むからさほらもう楽になっちゃえよ」


 三歩ほど後ずさりをした無様な小舞絵さんをけらけらと笑って茶化してやる。

 めっちゃ滑稽。ちょーウケるんですけどー(笑)


「馬鹿も休み休み言え。まったく、姫川としては珍しい。あの家はそういった変則的な武術を持たないものと思っていた」


「ぷふー。それ本気ですかぁ?こっちは現代武術、時代に則して臨機応変、いろんなパターンを想定して仕込んであるんですー。あんたの流派みたいに糠床みたいに大事に大事に漬け込むだけなのとは違うんですよー」


 ────あっ、やばい。しまった。調子に乗りすぎた。

 こいつを。というより、あらゆる武術、武道、また他の「道」を伝える家々のことを侮辱するのはやってはいけないこと。タブーの中のタブー。


「……いい。別に構わない。それが、貴様の本心だとは私も思わない。いくら姫川の跡取りとして未熟であろうとも、武の道に身を置く者として、そのような愚考を論じるとは、信じがたいことだ」


 うわー、さっすが大人。貫禄違うわー。


「さて、小休止もそろそろ頃合いだろう。続きをしようか二剣使い。このどす黒い赤で水浸しになった地表に、貴様の全ての血肉を加えてやろう」




 で。


 その「続き」っていうのは、結構目まぐるしくて、いちいち認識したり、こんなメタなモノローグを挟む余地はあんまりない。


 私が間合いに飛び込んで、両刀、そのフェイクに蹴りを交えたりする。四方八方十六分割。

 その全部を受け流したりがっちり受け止めたりして、掌底や肘打ち、前蹴り、やや斜めの軌道を描く三日月蹴りなんかを使って私を牽制してそのまま吹き飛ばしてくる戦神六手紀谷。


 それで。


 私がふっ飛んでいった「その場所」に初めっから(・・・・・)いた小舞絵から情もなにもない追撃が降り注ぐ。

 一発、一発の拳、脛、踵が重い。ずしん、ずしんと大地にクレーターを作っていく。こっちの足腰への負担とか一切考慮してくんない剛力お化け。でもおっぱいはそんなにないかな。


 一通り受けきって、私は下段から右の村雨を振り抜く。六手紀谷の身体は小さく(くう)に浮いている。どちらかといえば六手紀谷のほうが不利な体勢。ここから村雨を地に突き立てて軸にすれば多様な攻撃で仕留められそうな、そんな間合い、位置取り。

 だったんだけど、


「ふ────」


 踵落とし。とは違う。足全体、フットスタンプが、私が元いた場所を大きく穿つ。打ち砕く。

 私がそれをすんででかわしたのはちょうど右構えの形。その死角からこの身を打ち取ろうかといわんばかりに、戦神の蹴りが多段となって襲い来る。


 あっぶな。

 それはかわしきれない──ところだったけど、限界までのけ反って全部空振りに取った。

 これは実戦向きじゃない、アクション映画ディフェンスな避け方。

 でもいま、この時ばかりはそれをやらなきゃ死んでたかもしんない。

 むしろ、私じゃなきゃ死んでたしねいまの。ちょームリゲー。


 でも、そんな隙だらけの私のお腹やおっぱいを見逃してくれるようなぼんくらなわけないし、当然のごとく一呼吸よりも速くその身を翻して右の拳を打ち下ろしたりしてくる。


 その動きひとつひとつを、かろうじて流行予知で察知しつつ、



 あーあ、これもうなんかいめだ
















































「っぇ」


 いきなり。

 予知どころか視認もできなかった何かで右のこめかみを打ち抜かれてた。


 ただ崩れ落ちる。やば、修復しなき


「私も見えたぞ、貴様の太刀筋と体捌き」


 神経の流れよりも速くてこの時は認識できなかったけど、身のこのなしから五感全ての速度さえ一息12回の斬り結びに及ぶ私の動きを超えてきた



と。



 何それ、超人じゃん。あんたは素で人を超えちゃったから超人になってんの?


 そんな感想なんて差し挟む隙は与えてもらえない。そんな慈悲なんて降ってこない。



 もう、ただひたすらにパウンドの雨拳のあら……。

 何も見えないし何も感じられない。そんなの追いつかない。

 ガードなんて取れなかったしどっから打ち込まれてるのかもわかんない。



 それが、どんだけ続いたんだろ。


 もう私の頭部はなくなった。




 頭部があったはずの場所に、何かごちゃごちゃと言葉の滴りだけが落っこちてくる。


「そういえば……」


 そういえば何なんすかこっちは頭ぶっ潰されたんですけどもう聞こえないん








「そういえば、独房に入れられていた頃に、貴様の新聞記事を与えられて何やら読んだ覚えがある。『先輩』と呼び慕っていた弟弟子がいたそうだが。その器もたかが知れてしまうな」













 ああ?





 今なんていった?








 もしかして、先輩のことバカにした?


 



























 ねえいまバカにしたよね先輩のことバカにしたでしょバカに







「…………センパイを」


 ゆらりと身体を立ち上げる。無論、まだ頭はない。



「       貴様、まさか」





「先輩を」


 こんどははっきりとこえをだした。

 そのための口の辺りまで骨と肉と血をかき戻してたから。





「ショウちゃんを」


 ショウちゃん。

 ずっと、わたしがちいさかったころ。

 町川、昇。名前を、ショウ、って音読みしちゃったことで私が。私だけが先輩を呼ぶときの、名前になった、それ。


「ショウちゃんを・・・バカにするなぁぁああああああああっ!!!!!」


「………っ、再生術式…!?」


 最後のほうは、せっかく直して喋ってたのに声を超えて、超音波になってた。感情が限界を超えると波の制御が効かなくなるのが私の悪癖。

 もちろん、私は自己再生なんてものまで扱えるわけじゃない。ただ、「あるひとつ」の時の流れを逆に体験していくだけ。

 あくまでも私が操れるのは「流れるもの」だけ。逆に、流れていくものなら、だいたいはご覧の通りお手のもの。

 損傷した経緯も遡るから、おんなじ事をなぞるように、また経験していくから精神なんて瓦解するん だけど、その精神まで、さっきと同じように順番を先送りして、流しておいて、繋がってる状態まで戻しておく。この先生き延びても私、人間になってないなこれは。

 でもこの馬鹿神を勘違いさせたアドバンテージはでかい。


「それがてめーの敗着よ」


 適当に捨て台詞を吐いてから。

 剣を地面に突き立てる。


「────走る(切れ)


 かけ声とともに、私たちが立っている、地面の周囲3千メートルは地下水ごと引っ掻き回して全てを飲み込む濁流になる。擬似的な液状化。たとえ逃げ切ろうとも逃さない。だって。



「この速さは」


 なんて、そんなのろい声の音波が届くと思ってんの馬鹿なの死ねば?


 構わず「濁流」の上を走る。

 ────おののきなさい。貴女は既に、私の檻にとらわれているのだから。


 この辺りは上下水といったインフラが整備されてたのも私に味方した。

 こういう、辺り一帯に水の流れがあるときはもう1つ魔術を上書きできる。

 「水檻(すいかん)」。水で編み上げた水格子の檻。もちろん、私の飛び道具魔術「水切り」の要領でそれら全部が魔力で構築されたウォーターカッター。


 もちろん、飲み込んだものは容赦なく切り刻む。



 そんなもんで終わらせない。

 声も出せない戦神を仕留めにかかる。



 本当なら。水で湿らせておくだけでそこは私が一番のスピードを手にいれるゾーン。これが水面といえるほどになればそれは。


 それは。



 それは「神速」の領域。

 さっき六手紀谷が打ってきたのは、たぶんこれくらいの速度。


 だけど、私は全部の所作をそれで行える。水の上限定で。

 それは音速よりも光速よりも速い、神域の速さ。


 瞬間火力でこじ開ける六手紀谷の動作と違って、私は感覚器レベルから、全部がその神速。



 これが。

 人の身で魔法使いになってしまった、超人の限界。六手紀谷の限度いっぱい。

 初動が人間。だから、神速相手に遅れを取る。





 …………。


「あれ…」

「わたし」

「いきてる?」

「じゃあ」

「かてたの……?」


 戦神相手に勝った…?

 切り刻んで殺して……?


「やった……やった…できたよ、ショウちゃん………」





















「ああ、貴様などとは無礼な口を利いた。その非礼を心から詫びたい。貴女は立派な、『剣精』だ。水面の剣精よ───」



 え。




 なんで。





 どうしてそこにあんたの身体があるの。





「貴女の自己再生…に似た『遡生魔術』には仰天したし、その後の波状のような魔術の攻めには対抗できなかった。なので、私も身体をもう1つ用意しておいた」





 なにそれ。きいてないよ。



「ただ、私の身体を喪失させるような打撃を与えてきたのは貴女が最初だ。ゆえに、私の代替魔術までは情報がなかったろうし、それ故に貴女固有の『未来予知』も一歩出遅れた。それが貴女の敗着だ、剣精。姫川。姫川ひすい」


 ああ、死の宣告って、こういうの言うのかなあ。



「貴女は宿題をやり遂げた。非の打ち所のない及第点だ。あとは」


 うん。あとはなにもわからない。



「あとは安らかに眠れ」

























 ─────Side H 閉幕─────






 ひすいがカーテンフォール(閉幕)を向かえる、その2分前のこと。




「チェルミー。それは確かか?」


「はい。通信記録に不備は見当たりません」



 英国王女、クラリス・アントウェルペンの感情が揺らぐのは、春以来二度目。一度目は、自身が情報統制していたはずの「とらわれた敗走の戦神」六手紀谷が、彼女の知らぬところで解き放たれていたことに狼狽えていたとき。

 今度は、ヒスイを赴かせた地で待ち受けていた伏兵の存在に、明らかに動転し、顔から血の気が引いていく。ただでさえクラリスの皮膚は色素が薄く、白いベールをまといこそすれその下に流れる血の流れはよく見える。が、そのようなことも些事としてしまうような困惑がクラリスの精神を支配する。


 何故?

 なぜ、そこに六手紀谷がいた?


 なぜ、フィオナを討ち取った?

 なぜ、その上でヒスイの幕を閉じた?



「え……え……?」


 クラリスの口から、飛び出たことがないような力ない声が漏れる。それは嗚咽にも近かった。


「なんで…なぜです?なぜあの戦神が………わた、私、何てことを、ヒスイさんを、ヒスイさんを、早く……」


 そこには、いつもの芝居がかった言動など微塵もない、一人の平凡な女性のような。むしろ、十代半ばを思わせるような、そんな幼さ。


「──落ち着きなさい、お嬢様」


「…んっ!?んんっ」


 とめどもなく動揺を垂れ流していたクラリスの口がふさがれた。

 ──チェルミーの口で。


「……んんっ、んんん!」


 口づけなどという生易しいものではない。口、唇、舌、あらゆるものでクラリスを侵食する、「支配の上書き」だ。


「………」


 ぬぱ、という生々しい、ロマンの欠片もない音で、ようやくプリンセスの口と呼吸は解放された。


「目が覚めましたか、クラリス」


「………ええ」


 やや虚ろな目にはなっているものの、その声には先ほどまでの震えは消えている。

 本来の、芯の通った声で。


「──至急、フィリアに通信を繋いでください。彼女に、ヒスイの救出を最優先任務として命じます」


「かしこまりました」




 ────side P 1-3────


「………嘘、でしょ……?」


文字通り、光の速さで駆けつけた私の目の前にあった、その惨状を。私は、正しく認識することができなかった。



「なに、この、血。人ひとりの血液量じゃない。何十人、ここで死んだの?なのに、なんで……」



「なんで、ヒスイさんの身体しか、ないの?」


 それも、全部ばらばら。

 何一つとして、繋がっていない。


「───え、え?これ、え……?」


「──────────あーあ」


「ぴゃっ……!?」


 その、そこに転がっていた「ヒスイさんだった何か」が声を上げる。


「あはは、ぴゃ、だって。バッカみたい。そのバカみたいな声と顔、先輩に見せたらあんたに失望して晴れて私のほうに、振り向いてくれるかな。せっかくだから、そのまま帰ってね」


 その、ヒスイさんだった何か、が、ひとつひとつ。塊を成していって。


「………ヒスイ、さん?ヒスイさんなの?ど、どうして貴女……」


「どーして私がくっついたかって?そんなの関係ないでしょ、フィリアさんには。いいからとっとと帰ってください。あ、どうせクラリスさんから仰せつかって迎えに来たんだろうから、それじゃあおんぶでも抱っこでもして、さっさと連れ帰ってくださいね」


 えええ……。

 ひ、ひとまず……ヒスイさんが無事…無事?無事に生きていることだし、確かにこの子の言うとおり、速やかに彼女を保護して帰投しないと。


「───あ、少し待って。……ノボルくん?なに、貴方の任務は………え?こっちに来る?どうやって?」


「こうやってですよ」


「ひやぁぁぁ!」


 何の前触れもなく、真横から何ともなしにかけられたごくごく軽い挨拶みたいな声に、またしてもびっくりする。また変な声が出ちゃったわ。


「……何ですか、その妙な悲鳴は」


「ねーねー、聞いてくださいよぅせんぱーい。この人、さっきからずっとこんな調子でひっどい顔して変な声ばっか出してるんですよー。地べたにへたりこんでるし。だらしなーい。ね、せんぱいもそう思うでしょー?」


「いや、そんなことよりお前は何があったんだよ。何だこの血の海。それにこの、地平線までぐっしゃぐしゃの地面。っていうかお前のほうがわけの分からん顔つきだぞ、気は確かなのか?この指何本に見える?まったく、お前は今度は何をやらかしたんだよ」


 えええ……。

 いや、いえ、うん。正しいのよ、何よりも優先して後輩のもとまで駆けつけてきて、その子の心配をするのは、まったくもって自然で、そうじゃなければ私が張り倒す。張り倒すんだけど……

 自分の額の汗よりも、後輩の女の子の肌を濡らす赤ばかり気にしているノボルくんに、思わず、こう、


「すっ飛んできたばかりで、ずいぶんしっかりヒスイさんのことを理解できているのね……」


「………ん?あ、ああ、そ、『そんなこと』じゃないですよ!いやーどうしたんですかフィリアさんも!ずいぶんと慌てふためいてたみたいですけど、」


 ……。

 呆れた。


「それ、貴方に丸ごとお返しするわ。かっこわる」


「は……?え、あ、はい」


「………ちっ」


 ヒスイさんだけは動じていないからか、感情を隠しもせずに舌打ちなどをしている。


「あーあーあ、何で結局フィリアさんがいいとこ取りしちゃうんですか、台無しですよこの感動的シーンが。正論ばっかでバカ真面目なのに、なーんでこういう時に限って鈍感なんですか、まるでうっかり主人公くんとそれにくっついてるメインヒロインさんみたいやないか、やめーやそういうの卑怯やん」


 ………。

 ほんと、呆れるわねこの先輩後輩さんたちには。


「何を言っているの。ノボルくんのこと、これだけ心配させて。私のことはいいけれど、彼にはしっかりごめんなさい、をしてあげてね?」


「………メイン、」


 ……メイン?何かしら。


「メインヒロインめぇええええ」


「うわっお前何だよその声、どこから出してんだ、っていうか安静にしろこのわんこ娘が!」


 ────この数日後。ベッドの上で、初めて口を開けたヒスイさんから、「悔しいけど、とりあえず、先輩のことはあんたに任せます。眩しすぎる。あと、この前泥まみれにして脅したりして、ごめんなさい」

 なんて、よく分からないことを言われた。まあ……その、「この 前」までのヒスイさんはとっても怖くなってたから、その暗い水底のような瞳に、少しでも光が差し込んでくれるのなら。それに越したことは、ないわ。



 それと、この日に起きた出来事はそれだけではなかった。


「────おい、いい加減出てこいよ、六手紀谷の面汚し」


「えっ?」


 六手紀谷?あの戦神ムテキヤがまだ近くにいるの?

 ワンテンポ遅れてから、私も光学索敵(インビジブル・ハンド)で周囲のあらゆる個体の光の像を探る。


「……嘘…」


 もちろん、嘘ではなかった。本当に、彼は。ノボルくんは、3011メートル先にいた「ムテキヤ」の姿をとらえて、それに向けて声をかけていた。

 ………気が抜けていた私が、うかつだった。けれど、それを超えて、彼がムテキヤオマエを見つけることができたのは、どういうこと?

 思えば、どうしてノボルくんがあれほど速く私たちのいる地点まで移動してきたのかさえ、まだ分かっていない。いったい、何を、どうやって────


「……開口一番、面汚しとは。私がいくら落ちぶれていようとも、無銘の貴様にまで下に見られるいわれはないぞ。そもそも、貴様は何という名前だ。先に名乗るのが礼という───」


「ご託はいい。どうせお前は『世界』から逃げ出した『魔界』の『魔法使い』の恥に変わりはないし、何より日本武術の大家、六手紀谷の面汚しのほか……何て呼べばいいんだ。お前にそれが答えられるのか?……まあいい。俺は町川昇。この、姫川ひすいから『先輩』呼ばわりされている弟弟子だよ」


「───………」


 ───え。

 一声かけられた、その後の瞬きよりも速く。私の認識速度を超えた速さで歩み寄ってきたムテキヤに対して、ノボルくんはどこまでも尊大な物言いで詰め寄った。

 それに圧倒されて。あるいは、その理屈を否定できないせいか、言葉もなく右へと目をそらすムテキヤオマエ。


 それでも。私は、それ以上に、

 いま、目の前にいるマチカワノボル、という人に対して、名状しがたい「恐れ」を感じていた。

 その正体に考えを巡らせる間もなく、



「フィリアさん」


「は、はいっ!?」


 唐突に名前を呼ばれて、何とか言葉を保つようにして、答えを返した。


「この女についてなんですが、一応、『聖王』側からの拘束からは抜け出して好き勝手やっていたようです。が、まだ精神に魔術的な束縛がかかっているみたいなので、」


「な───貴様、どうしてそんなことが分かった」


 ノボルくんの台詞を遮って、ムテキヤがうなるように、問いただしていた。


「貴様は………何者だ?」


「さっき言っただろうが。醜態を公開しているのもいいが、何も分からないのならいらない口を叩くな」


 ノボルくんは、あくまでも冷静で、冷淡で、冷酷な調子でいる。あの「戦神」を前にして。


「姫川ひすいの先輩だよ。いいから黙って這いつくばれ。要らない抵抗をしたらすぐに殺すから気をつけろ。お前についている呪いを解いてやるんだ、あくまでも、お前が格下なんだよ。さっさと理解しろ」


「───…………」


 おそらく。

 おそらくこの瞬間から。


 ノボル・マチカワは。

 オマエ・ムテキヤに。


 世界第三位の魔法使いを相手にして、その上に立った。

 その上下関係は、この先何があっても、覆ることはない。

 もう二度と、ムテキヤはノボルくんには及ばない。


 そのことを、誰でもない自分自身に、最も強烈に刻み込まれてしまったからだろう。もう無言で、彼の言いなりになっている。


「上出来だ。じゃあ始める。言っておくが、お前が何と言おうと手は抜かない。こっちはひすいの救護があるんだ。本来なら貴様に割くための時間すら惜しい」


 そうして。ただひたすらに戦神を罵倒し続けていたノボルくんが、かすかにその眼を見開いた。


「───ひゃっ!?」


 は?


 いまの、


 ムテキヤの、声……?


「いい年をして小娘のような声を出すなよ三十路前。とりあえずくまなく探らせてもらう。ここ……は違う。ここ、は……」


「──っ、っ、!っ」


 驚くべきことに。

 ノボルくんは、ムテキヤの身体に触れてさえいない。

 ただ、手をかざして、時おり何かを握ったり、まさぐるように手首から動かしているだけ。


 外からはそれだけに見えるけれど。

 光学索敵を展開している私には、おおよその姿が浮かび上がって、見える。


 ノボルくんは、まさしく、ムテキヤの「全身」をくまなく「荒らし回っている」。

 ムテキヤがその風格からは想像もつかないような声を上げて、その後も声にならない声を上げ続けてもんどり打っているのはそのせいだろう。


「───ノボルくん」


「何ですか、いま、ちょっと取り込んでいるので。急ぎでなければ後にしてください」


 急ぎだ。これだけは、いますぐに、問い、答えを聞いておかないとならない。

 でなければ、彼は、「こちら側」に帰ってこられない。きっと。


「──貴方、何をしているの?」


「……何って。見て分かりませんか?あのフィリアさんともあろう人が」


 怖い。

 恐れ。

 その正体は。


 この男の、「目」。「瞳」にある。


 それが、こちらを振り向くこともなく、淡々と、ムテキヤへの蹂躙に注がれている。


「この女の『ナカ』を見て、そこから要らないものをかきだそうとしているだけです」


「どうやって……」


 どうやってそんなことを実現しているの?

 いつの間にそんな技術を身につけたの?


 まだ、もうひとつ、もうふたつ。追及しておかないといけないことは、残っていた。

 けれど、いくらなんでも、それは、これ以上は。


 私も、直視することができず、手を曲げながらこの目を隠して、顔をそむけてしまった。

 守ってあげられなかった。


「────大丈夫ですよ」


 そんな、優しい声がひとつだけ、そして、もうひとつ。この耳に届いてきて、それを包んでくれた。


「大丈夫。俺は、この程度でどこかへ行ったりしません。ちゃんと戻ってきます」


「じゃあ、いまは、ど、ど…どこ、に、」


 どこに、いるの?


「───さて、この辺りだな。最後は堪えるだろうから、覚悟を決めろ」


 長めの前髪に隠れた彼の眼は、絶えず目の前に転がっている、戦神に向いている。こちらを向いてくれない。






 でも。



 向かれたら?




「─────ぐ…ぁぁぁッッっ!」


 そんな、混濁してきた思考をつんざくように。


 どうしようもない感覚破壊と、それでいてどうしようもない艶かしさを帯びた悲鳴で、この空間の支配が終わった。

 ………このとき、ちらりと確認したことだけれど。


 ムテキヤの精神にかけられていた呪縛を暴力で解いた…その呪いは。

 彼女の下腹部の辺りにあった、みたい。



 ────side P 1-3 了────








 ──────


「っていう、ことがあったのよ」


「……………?」


 あれだけ興奮して何もかも聞き出さんとしていた浅間椎子が、いまはただ、焦点の合わない瞳で虚空を見つめている。


「…おい、どうしたんだ、浅間。取材だろ、ちゃんと記録しているのか?あと、お前、すっごい間抜け面しているんだが。せめて、その半開きの口を閉じたらどうだ」


「──────はっ!」


 どうやら、おぼろ気になっていた意識が戻ってきたようだ。


「…………町川」


「何だ」


「アンタ……何者?」


 …………。


「あれ、何この空気……」


 いまは、浅間ひとりが混乱のただ中にいた。

 自慢のセミロングの茶髪は、乱れに乱れているが、どう見ても、本人はそれどころではなさそうだ。


「いや~……私も、後半は六手紀谷さんに虐められたせいで意識が半分以上なくなってたんで、よく分からないんですけど……」


「いや分からないのならお前は口を出さなければ良いんじゃないのか、ひすい」


「いや、だって先輩が、アラサー処女に対して、あんな大胆なことしてたのに……キャッ」


 姫川ひすいは、あのときの事を思い返して、何やらぽっと頬を染めている様子だ。


「……あれには参りました。私は、ノボルに責任を取ってもらうしかなくなった」


「『《えっ》』」


 同時に反応したのは3人。

 姫川ひすい。

 浅間椎子。

 そして、フィリア・クアント。


 最後のひとりだけ、明らかに違う感情がこもっている。



 それは、喜怒哀楽の、二つ目。


「ちょっ……と、ノボルくん?」


「え、はい……」


 それにはさすがのノボルもびくびくと応えるしかない。

 それだけの迫力が、このときのフィリアにはあった。


「あとで、ほんの少し。お話ししましょうか。二人っっっっきりで。いえ、何も怖がらなくていいの。ただ少し、確認しておきたいことがあるだけ」


「いや、俺まだ何も言っていないじゃないですか。何で食いぎみなんですか、それが怖いです」


「黙りなさい」


「はい」



 ひどい茶番だ。


「……フィリア大尉。私は貴女のことを認めていますし、三階級降格処分を受けた私のほうが一つ身分は下だ。なので、貴女の意向は尊重する。だが、ノボルに手荒い真似をするのは控えて───」


「誰のせいだと思っているの?」


「私のせいですね」


 ことここに至って。

 戦神・六手紀谷小舞絵に、威厳も何もなくなっていた。












 ────side secret.────


「なあ、浅間」


「何よ、おのろけ町川」


 俺は、帰り支度を済ませて正面玄関から堂々と出ていった浅間を呼び止めていた。


「冗談はいい。お前が忠告してくれた、ひすいのことも、おおよそ正解だったらしい」


「それで?私の目利きに惚れ直したとか?」


「───お前にいくつか、頼みたいことがある」


 浅間は、思わせ振りにこちらを向いて、いかにも適当な様子で、地面に足先で輪の形を描いている。


「それって、どういう私に対して?」


「ジャーナリスト。でもなくて、情報科学の魔術のエキスパートとしての、浅間椎子にだ」


 そして、その女は。

 かすかに、しかし、露骨に。

 口許を歪めた。



※編集 12/19 22:56

内容

【元】

「さて、小休止もそろそろ頃合いだろう、続きをしようか二刀流。このどす黒い赤で水浸しになった地表に、貴様の全ての血肉を加えてやろう」


(中略)


 その全部を受け流したりがっちり受け止めたりして、掌底や肘打ち、前蹴り、やや斜めの起動を描く三日月蹴りなんかを使って私を牽制してそのまま吹き飛ばしてくる戦神六手紀谷。


【新】

「さて、小休止もそろそろ頃合いだろう。続きをしようか二剣使い。このどす黒い赤で水浸しになった地表に、貴様の全ての血肉を加えてやろう」


(中略)


 その全部を受け流したりがっちり受け止めたりして、掌底や肘打ち、前蹴り、やや斜めの軌道を描く三日月蹴りなんかを使って私を牽制してそのまま吹き飛ばしてくる戦神六手紀谷。


【補足】

まず、文と文の区切りを直しています。そして、姫川(ひめかわ)ひすいの和洋の剣を握る変則的な「二刀流」を、六手紀谷小舞絵(むてきや おまえ)の言語感覚で「二剣使い」と呼ばせる様に手を入れてみました。

筆者である私自身がしっくりきていなかったという理由もありますが、単純に二刀流とくくるのではなく、「異様」として認識して迎え撃つという六手紀谷の隙のなさも演出したいと考えてこの呼称としました。


そういった編集も含めて改めて確認していたところ、ひすいに応戦する六手紀谷の技のうち、三日月蹴りについて「軌道」を「起動」と誤変換してしまっていたのを発見し、修正いたしました。これでは描写される技が致命的に変わっていて、別物になってしまいます。

また、こうした失敗をするのも、普段から展開される戦闘における技術面での具体的な動作を描き足りない証拠かな、とも感じます。

もともと戦闘描写の不足は頭痛の種でしたし、これを機により向上を図っていきたいものです。

はい。

エシャロットでございます。



ことごとく、自分で建てたフラグを回収し続けて。

要するに伏線のようなものを広げるだけ広げて。

一応、色々書き貯めていたとはいえ、

こんな大風呂敷をいったいどうたためばいいの?


と、ほんのりと絶望に暮れた時期が、私にもありました。


しかし、私は妄想をやめることもなく。

継ぎはぎは、


しかし、やがて実りに至り。

収穫の時を迎えようと────



すればいいのになぁ。

そんな妄想ばかりが膨らむ日々。ああ、悲劇。



真面目な話を書いていきますと。

まず、これまで投稿してきた、どの一編よりも長い作品に仕上がりました。

ぷち達成感。やったね!


膨らませた要因はいくつかありますが。


まずは、まったくもって愚鈍でいたノボルくんが、ひすいがどうして、ノボルくんに。というよりは。

ひすい自身がなぜ2つの水面の闇(病み)を深めて、その敵意や悪意をフィリアさんに向けて、むき出しにしていったのか。その、ほんの片鱗に触れて、初めて気づいて。


その、眩しすぎる。人を幸福にし、それ以上にひとを不幸のどん底に叩き落とす、生まれもってのタレント。

それを、何気なく、見つけたノボルくん。


いつの日か。世界の終わりにお互いに誓い合い。

そして、ふたりの始まりとしての記憶へと導かれていき。

それは、とある教会の中庭で、なぜだかうたた寝をしていた───


という。

ここで注目すべきは、フィリアさんが名乗った場面。


どう見ても、露骨に、伏せるところを伏せています。

フィリア・クアントさんって、いったい何者なのでしょう?

そもそも、なんで、



どす黒い赤のただ中に、ひとりで、生き残っていたと思いますか?



の答は、前回投稿作で、ほぼ完全にネタバレをかましていきました。

それ自体はいつかやってみたい手法ではありましたし、


なんていうか、いったん、この世界終わってくんないかな。

っていう気分になるとき、あるじゃないですか。


あのときの私は、ちょうどそういう気分だったんですよ。


……どこかで聞いたことあるフレーズ。



余談が挟まる。

その前回で、もはや場外退場していたクラリス。プリンセス。

なんであんたが悪夢から目覚めた的なリアクションしてるの?


っていうのも今後の伏線です。楽しみですね、どうやって回収したらいいのかわかんない。

一応構想はこの作品が生まれるのと同時に誕生していますから、そこは大丈夫なのですが。


クラリスさん、化けの皮はがれてますよ。

いつもの、ボクっ子アピール。そんな人間は絶滅危惧種ですよ。いや、ボクという一人称の女性はいらっしゃるでしょうけれど、あのご仁のそれはどう考えても、道化を演じている何者か。

その外面には、「誰もいませんよ」。


そして、一番の信頼を置いている、メイド筆頭たる、チェルミー・フローリアスさんの前では、2回ほど、その素の状態。いや……もしかしたら、それさえもフェイントであるのかも。

いずれにせよ、別の表情を見せます。

ごく普通の、女性としての一面。

これはいったい。

もうネタバレ感は100%に近いのですが、それはシリーズを読み込んでいただかないと届かない場所に置いてありますので、お暇がございましたらぜひ。

いやあ、これまた明らかな宣伝ですね、失敗失敗☆


せっかく中身に触れていく後書きになったかと思えばこの冗長ぶり。もう何もいうまい。


そして、本日のメインディッシュ。本作随一のスペシャリテ。



姫川ひすいと、戦神・六手紀谷小舞絵の対決。

えええ、っていう感じですよね。魔法使いの一角をいとも容易く潰しちゃっただけでアレな存在なのに、

次はその遥か上です。

戦の神です。


どれくらいかといえば、ひとたび戦場に足を踏み入れれば。

それだけで敵軍は全滅する。



チートかよ。

そういう相手って、たいていその本領を発揮させない縛りか、敵対者の特殊能力か何かで、封殺されてぼっこぼこにされる宿命にありますよね。



さすがに、六手紀谷さんにもその洗礼を浴びてもらいました。

いきなりはどうかな、まずは、実際に殺戮の女神としての威力を発揮してもらってからのほうが凄みが増すし、


第四位を切り捨てた姫川ひすいを、これまた蚊でも潰すかのようにひねり殺してしまう。

くらいのインパクトがほしいところ。


実際、この戦いの構想を練っていたときには、

自身と姫川の実力差を正しく推し量り、

「オートキル」の封印はもちろん、

「魔力を一切使わない」

「戦闘に用いるのは、小扇子に開いた、扇子のみ」


という縛りのもと、姫川に、己が死の宿命から逃れてみせよ、それが貴様の宿題だ。


と言い放ち、実際に、姫川を自由に泳がしながらも傷ひとつ負わずに、やはり、簡単に、余裕綽々で優位に立ち続けて戦闘を終える。


そこまでのビジョンはありましたし、実際に、真っ向勝負をさせたら、それだけの戦闘力の差がありますし、それはどう足掻いても、覆りません。実力の壁は、越えられないから壁としてそこに立ちはだかります。



ただ、それを越えられることがあるとすれば、それは。

「精神の強さ」以外の要素は存在しません。

それは、この作品の主題でもあります。


この戦いでは、うっかりと、口を滑らせて町川昇その人を侮るという慢心。

そのただ一つの過ちによって、姫川ひすいのリミッターは外れて。


彼女もまた、

「人間」としての、「世界」の存在の外へとはみ出していきます。


そうなれば、六手紀谷との戦力差など意味をなしません。


魔界と魔界。魔法と魔法。


それらにおいては、序列も関係なくなります。


ただ、勝つべき者が勝つ。




そして、今回勝利を収めたのは、何ということはない。前評判の通り、六手紀谷小舞絵。当然の結果。


ただし、肝心の姫川ひすいの抹殺には一歩及びません。どれだけ殺し尽くしても。何人分の死を積み重ねても。

ただひたすらに、姫川ひすいは立ち上がります。

これを殺し尽くすことは、まさしく「神」にも不可能。

この段階で「オートキル」を発動しても姫川ひすいは倒れないかもしれません。

何しろ、神たる自身と対等に渡り合った、初めての存在。無条件で殺せる、なんて虫のいい話はございませんとも。


あとは、もう、オマケのエピソード。

フィリアさんとの和解に繋がる、フィリアさんの絶対性。

後輩をなぶられた、それだけの理由で戦神を罵り続けて圧倒する、町川くんの謎の一面。



ただ。

この物語はここで終わっていません。



浅間椎子が死の淵まで追いやられた、謎めいた事件。

それへと繋がるお話に過ぎません。


町川昇は、この一連の出来事を境にして、独断である試みに踏み切ります。

その臨時のパートナーとして選ばれたのは、かつての学友。


この世のあらゆる情報を支配できうる、ネットワークプリンセス。

浅間椎子。


この後、何が起こっていき、何が待つのか。



また、クラリス王女は、どこへ向かったのか。





ご期待だけは、なさらぬよう、お願い申し上げます。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ