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窯の底――煮えたぎる澱の中で

 目が覚めると王城じごくだった。今の私には、生きながらに煉獄に突き落とされ、終わることのない責め苦を待つ罪人の気持ちを簡単に理解できるだろう。

 私の行きつく先はただひたすらに、無。もう希望はなく、僅かな心の揺らめきさえ感じない。ロウは死んだ。こんな場所に連れてこられてリュカ探しなんてできない。今の私を端的に表すならば、人形が最も適しているだろう。男に弄ばれ、ただ相手に快楽を提供し、子を産むだけの、人の形をしたおもちゃ。――いや、私はまだ月のものが始まっていない。そうなると私はいよいよはけ口としてしか意味をなさなくなる。

 私は王城の一室で目が覚めると同時にそばで私が目覚めるのを待っていた『お父様』に服を脱がされ、手ずから服を着せられる。そのまま手首をつかんで、まだ毒が抜けきっていなくて半ば夢うつつの私を連れて行く。部屋にしても廊下にしても品のいい絨毯に超一流の調度品、行きかう侍女や人間は美人ぞろい。私のような野生児がいていい場所ではなく、ましてやいることを望むような場所ではない。山に帰りたい。ロウのところに帰りたい。リュカに会いたい。

 そして、されるがまま、謁見の間についた。

「陛下。この通り不束者ではありますが、よろしくお願いします」

 『お父様』が、そんなことを言う。私は謁見の間で三つ指をついたまま、土下座のような体制で固まっている。許可があるまで国王を見ることすら許されないらしい。見たくもないが。

 『お父様』は私のいいところ(『お父様』がそうなるよう三年かけて仕込んだ)や私の魅力をまるで絹織物を紹介するときのように朗々と語る。間違いではないのだろう。絹織物と同じように、私はただの献上品だ。きっと、夜毎抱かれて、夜毎私は泣き叫ぶのだろう。そして、丹念に破かれ、ボロボロにされていくのだろう。ロウに逆鱗を移植されてから、私の体は成長を止めた。心だけが成長し、身体はいつまでたっても、あの時のまま。どんな仕打ちを受けても数日もすれば回復する。

 花嫁衣装に身を包んだ七歳児は、傍から見ればさぞかし滑稽に映るだろう。

「……十四歳と聞いていたが」

「は。しかし、彼女は正真正銘十四歳でございます」

『お父様』にせっつかれ、私は頷く。

「ふむ。わかった。では、うぬは下がってよいぞ」

「は」

 そう言って、『お父様』は下がっていった。

「さて、娘。私の側室になるにつれ、願いを一つ叶えてやろう。言ってみよ」

「どのような願いでもよろしいのでしょうか」

 私が聞くと、王は嘆息した。

「そんなわけがあるか。ここから出ることも、私以外の男と会うことも許さない。その範囲で、言うてみよ」

「私の親友に、リュカというものがおります」

 半ば自棄になって、私は答えた。

「ほう」

「そのものを、探してほしいのです。もちろん、生きたまま、五体満足で、心身ともに健康な状態で」

「探して、どうする?」

「ともに暮らす許可を、お願いいたします。もし、このお願いを聞いていただけるのであれば、私は陛下に尽くします」

 フン、と彼は鼻を鳴らした。

「許すわけがないだろう。尽くすのは、当たり前だ」

「申し訳ありませんでした」

 私はゆっくりと、額を地面にこすり付ける。ちょっとは期待、したのにな。

「……まあ、最初だからな。特別に非礼も許そう。おい、この娘を部屋に通せ」

 結局、私は一度も国王と顔を合わせることなく、謁見の間を後にした。


 それから、私は煉獄で暮らすことになった。熱せられた窯の蓋は、もうとっくに開け放たれ、私を煮ていた。昼は女が、夜は男が私を苛む。女の明け透けな出世欲、自己愛。男の底なしの性欲、支配欲。

 死のうと思った。何度舌を噛もうと思ったか。でも、死ぬわけにはいかない。リュカに会うまで、リュカと幸せになるまで死にたくない。

 リュカだけが、私の心の支えだった。


 夜、侍女たちに綺麗な夜着に着替えさせられたあと大人三人は寝転がれるような巨大なベッドで眠っていると、私の部屋の扉が空いた。

「……誰?」

「私だ」

「誰?」

「わからぬのか」

 この国の王だ。それはわかっている。こんな時間に何の用だ?

「申し訳ありません、陛下。その、このような時分に如何なご用向きでしょうか?」

 私の質問に、陛下は興奮したように頬をゆがませた。その表情に、私の寝ぼけていた頭が覚醒した。

 忘れもしないあの笑顔。他者が、男が欲情したときの笑顔。私を壊そうとする、昏い暗い欲望の視線だ。

 陛下は無言で私のベッドに向かってきた。

「へ、陛下、お戯れをっ!」

 押し倒され、のしかかられる。

 は、反撃しなきゃ! 私は爪を鋭くして陛下を引っかこうと腕を振り上げた。その時、陛下が腰から二本短剣を抜いて、私の両手をベッドに縫い付けた。

「ぎゃあああああああああああああああああああああああ!」

 私は叫んで、のた打ち回ろうと暴れる。私の力は長い監禁生活のせいで弱っていた。だから、この男の体重を押しのけることができなかった。

 毎日理由をつけて四肢を折られて、爪を剥がされて、牙を抜かれて。それはすべてこの日、私に抵抗するだけの力を奪うため。そう気づいた瞬間、心の奥底が冷え込んだ。最初から、そのつもりで。

「ふん。あの男、変わった趣向だが……面白い」

「やめ、やめてえええええええええええ!」

 叫んでも、国王は私への乱暴をやめない。服を破られ、私の上半身が男にさらされる。そのことがとても気持ち悪かった。欲望のこもった視線を向けられることが耐えられないくらい気持ち悪い。

「助けて、助けて! ヴァイオラ! ミシューカ! 助けて!」

 侍女を呼ぶと、隣の部屋から武器を持ったメイドがやってきた。

「お嬢様! 賊です……か……」

「お嬢様! ……へ、陛下」

 国王は闖入者に気づくことなく、腰からサーベルを抜いて、私の下着を切り裂いた。

「痛っ! 痛い!」

 乱暴に、乱雑に。私の肌を傷つけても、謝りもしない。

「ほう、本当に回復力が高いのか」

 腹部あたりにつけられた傷は、見る見るうちに回復していく。逆鱗によって変えられた私の体は、人並み外れた回復力がある。……で、でも、こんな状況でこんなことを知られたら、わ、私、きっと無茶苦茶にされる。

「へ、陛下! お待ちください! お嬢様はまだ月のものさえ始まっておりません!」

「そ、そうです陛下! お子はどうやっても授かることがないのです! お許しを!」

 懇願するメイドたちを、国王は睨んだ。懐から手錠を取り出すと、私の足首にそれをかけた。これで私は身動きが取れなくなった。国王はサーベルを構えたままメイドたちに近づくと、それを振り上げた。まさか、殺すつもり!? 私をかばっただけで!?

「待ちなさい! 私としたいんでしょ!?」

「ああ。この二人を殺してからな」

「ま、待って、まちな、待って下さい! 陛下! 私精一杯ご奉仕します! だからその二人はお見逃しください!」

「ダメだ」

「やめてえええええええええええ!」

 ひゅん、ひゅん、と、二つ剣が閃いた。大量の血をまき散らし、抵抗らしい抵抗もできず、二人の侍女は、私のメイドは、物言わぬ骸になった。

「そ、そんな、そんな……

「さて、奉仕するのだったな、まずは舐めてもらおうか」

 服を脱ぎながら、しかし剣はけして手放さず、彼は再び私に近づいてきた。彼はすっかり『やる気』のようだった。

「……っ! あなた、ここの侍女っていいとこのお嬢様じゃないの!?」

「この二人だけは別だ」

「何を!」

「攫ってきた娘をお前用に教育した。夜は私の相手をしつつ、昼はメイドとして働かせていた。子ができぬよう胎を壊してな」

 背筋が凍るような所業を聞いて、私は絶句した。あの二人。ちょっと話した限りじゃそんなそぶりなかったのに。

「ナンナよ」

 国王が、私の隣に座った。彼の指は、私の肌を嬲るようにうごめいていた。歯を食いしばって、それらの辱めに耐える。この先にはもっと辛いことが待っているのだとしても、絶対に屈したりはしない。

「私はな。こうしないと精神の均衡が保てないのだ」

「……は?」

 急に話し始めた国王に、私はそんなふうに返していた。国王は私の右手首に刺さっているナイフを抜いた。

「ううっ……」

 激痛を感じながらも、私は自らを守るようにして手を胸の前に引き寄せた。

「そう、そのしぐさだ。その怯える目だ。その震える体だ、その幼い心だ。それらを蹂躙し、辱めることに私は至上の喜びを感じるのだ」

「な……」

「お前は頑丈のようだ。『多少』の無茶は効くだろう。楽しみだ。本当に楽しみだ。たっぷり、かわいがってやる。たっぷりいたぶってやる。丁寧に壊してやる」

 ギシリと、ベッドがきしんだ。こくおうさまがわたしにのしかかって、こくおうさまがわたしのはだを、からだを――

 たすけてりゅか。たすけてろう。

 わたしはここよ。ここにいるよ。たすけて、たすけて。


「……」

 今、外は昼間だろうか? 私はいつものように与えられた豪奢な部屋の隅に座り、手足を力なく投げ出してただ時間をやり過ごしていた。外に出ないのは、部屋の外では女たちの下卑た噂が絶え間なく耳に入るからだ。夜は夜で国王がやってくるから、休むことなんてできやしない。だから、今が、今しか休むことができない。

 リュカは今何をしているのだろうか。私のように不幸な目に遭っているのだろうか。それとも悪事の限りをつくし、幸せに暮らしているのだろうか。できることなら、リュカだけでも幸せになってほしい。多分もう、私は幸せになれないだろうから。

 リュカの優しげな瞳を思い出す。あの瞳が濁ってしまうのは惜しいことだけど、でも、善いことをして不幸のどん底に突き落とされるよりかは、はるかにましだ。私はリュカにいい人でいてほしいんじゃなくて、幸せでいてほしいんだ。

 お願いします、神様。リュカに幸せを、私の分も、幸せを。

「あの、ナンナ様?」

 その時、部屋でノックがした。誰だろうか。こんな時間にやってくるのは。噂好きの女たちは私の部屋まできて嫌味を言うほど度胸がないし、性欲お化けの国王は昼間公務だから来れるわけがない。というか声は間違いなく女性のものだ。

「いらっしゃらないんですか? メイドはどこに?」

 メイドはいない。守りきれなかった。奉仕を申し出れば情けが出ると思っていたのに、甘かった。私はあの時助けを呼ぶべきではなかったのだ。あのとき、無抵抗に、人形のように、ただされるがままでいるのがた正しかったのだ。メイドたちは私に綺麗になることを強要したけれど、いい子たちだったのに。あんな従者を国王のわがままで切り捨ててその陛下にお咎めなしだなんて、この国はどうなっているのだろう。

「あの……まさか」

 そう言って、声はあわてた様子になった。扉を恐る恐る開けると、部屋に入ってくる。十六歳くらいの背丈に、目もくらむような美人。服はピンクのドレスで、とてもきれい。

「――! きゃあああああああああああああああああああああ!」

 そして、その美人は私を見るなり、大声を上げて叫んだ。それだけでは飽き足らず、その人は私のそばに駆け寄ってきて、私の体をべたべたと触る。

「ちょ、ちょっと、大丈夫ですか!? ――なんでこんなに傷が……それに汚れも……。ぼ、暴漢に襲われたのですか? い、生きていますか? あ、あの!?」

「……生きてる」

 私はその女性を軽く押して、立ち上がる。くらりと、頭が揺れる。

「何の用ですか?」

 じっとりと、その人をにらむ。

「あ、あの、心配で。あなた昼食会に一度も参加しておられないでしょう?」

「ええ」

 昼食会。あのロリコン変態サディストが好きな女の集まり。誰が参加するか。私の悪口や誰かの陰口より、あの男を褒め称える言葉は聞きたくない。

「でも、ナンナ様のところに誰かが食事を運んだ様子もないですし……」

「ええ」

「その、逃げ出したのでは、とうわさになっていますよ?」

「そう」

 私はゆっくりと歩き出す。人がいるんだし、せめて体を洗おう。一歩歩くたびに頭が揺れ、全身がきしむ。昨日もさんざ遊ばれて、くたくただ。いや、それ以前の問題か。もう何もやる気が起きない。生きることも、死ぬことも。数年前にはあったリュカを探そうとする熱い気持ちも、今は霞のように揺らめいている。

「あ、あの、ナンナ様は、側室内で一番陛下から寵愛されている側室……で、ですよね?」

「……寵、愛?」

 愛って、なんだったけ。泣き叫ぶ子供に無理矢理突っ込むことだったっけ。

「自覚、なかったんですか?」

「自覚も何も……」

 がたん、と躓いてしまう。受け身も取れずに、床に顔をしたたかに打ち付けてしまうけど、あまり痛くなかった。起き上ろうとして、腕に力が入らないことに気づく。

「……」

 面倒なので、這って風呂場に行こう。そうやって這おうにも、全身に力が入らない。そう言えば、昨日あの男かなり激しかったから。食事をとらずに一人籠城作戦をやっている身としては、かなりつらかった。昨日一日で彼が私に突っ込んだ回数は二ケタを超えていたはずだ。普通の女の子なら、きっと今頃ベッドの上で死体になっているだろう。

「ちょ、ちょっと、ナンナ様?」

「……体が、動かない」

 ここまでか。仕方ない。諦めよう。私は頑張った。でも、ダメだった。これが私の、この世界での結末。

「動かないって、どういうことですか? 陛下から何も言われなかったのですか? へ、陛下はお気づきになられなかったのですか? あなたが、こんなになるまで!?」

「……」

 あの男に何を期待しているのかは、知らないけど。あの男は、たぶん、穴なら木のうろでもいいんだよ。気持ちよくしてくれるなら別に、人である必要も綺麗である必要もない。泣き叫ぶところがいいとか、本人は言うけれど、そんなの嘘だ。本当にそれが好きなら、好きなことをさせてくれる人間をそれなりに扱うもの。彼の態度は、間違いなく人形や物に対するそれで、確実に私を人間扱いしていない。それでもあまりに汚れているのは嫌なのか、毎日風呂に沈められるようにして洗われるけど。

「ちょ、ちょっと、し、死なないでくださいね、何か食べるものを……」

 そう言って女性は、駆け出して行ってしまった。持ってきても、無駄なのに。食べるわけないよ。クスリ盛られてここに来たのに、ここで出された何かなんて、口にするわけないよ。毒かもしれない、媚薬かもしれない。あるいはここに縛り付けるための麻薬かもしれない。そんなわけのわからない杯を、煽る気にはならない。

「……も、持ってきましたよ、ほら、食べてくださいナンナ様!」

 私は力なく、器に乗せられた何かを振り払う。

「ちょっと、ナンナ様?」

「わ、私、は」

「ナンナ様?」

「私は、食べない。毒かもしれない食べ物は、食べない」

 そう言って、私は気を失った。

 愛しいあなた。愛しいリュカ。あなたは今どこで何をしていますか。私はかつてこの空を駆けることができた。でも翼はもがれ、あなたを探そうとする心すら挫けてしまった。

 愛しいあなたは私を蔑みますか。

 たかが犯されただけで弱気になる私を。ただロウを殺されたくらいで絶望する弱い私を。地獄の中でただ伏して痛みに耐えることしかできない私を、あなたは嗤いますか。

 ――リュカ、また会おうね。次の世界で。次の人生で。

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