人嫌いの観光―不穏な空気
はてさて、数日前は気軽に答えたけれど、危険云々以外にもう一つだけ、私が国に行くにあたって忘れていたことがあった。
私は人が大嫌いなのだ。人ってだけで眉をひそめて警戒心を強めて、それが男ならなおさら警戒する。見知らぬ男性と仲良くおしゃべりするくらいなら不定形のスライムと歓談を交わすほうがましに決まってる。
私とは心の底からそう思うような子供なのだ。花がきれいだとか花吹雪が舞い散るとかそんな言葉にすっかり乗せられて頭から抜けていたけれど、お祭りとは人の織り成すもので、たくさんの人がいてこそ意味がある。
「……ロウ……」
「大丈夫だ」
冬の間過ごしていた住処を立って数日。私は一番近い隣国『セイクリッド』という国の中でロウと手をつないで歩いていた。私の隣にはロウとフラウが、前にはアイが、後ろにはメグがいて、ちょうど私の四方を囲うような形で人ごみをかき分けていた。
『それにしても、さすが大都市、精霊が多い』
アイの響くような声に、周りの人が驚いたように周囲を見回す。そっか、普通は頭のなかに声が聞こえたりなんてしないもんね。
「そうね。でも、あんまりミオに近づかれると大所帯になってしまうから、我慢してもらわないと」
そう言いながら、メグは周囲を見る。低く平たい屋根が立ち並ぶ街。屋根の周りには飾り立てるようにして花が置かれていた。あれが降臨祭で使う花なのだろうか。そんなふうに意識をそらしてみても、大量の人は消えてくれない。
怖い。だって、いくらロウがいてもちょっと気を抜いた隙に攫われてしまったら? もう奴隷は嫌なのに。
「大丈夫だ、ミオ」
ロウがそう言って力強く手を握り締めてくれる。
「大丈夫。信じてる」
全幅の信頼を置こう。そう決めたのだ。何があっても、ロウの言うとおりにしていれば大丈夫。依存に近いかもしれないけれど、いい。私はそうじゃないと、子供に戻れないから。
「それにしても、すごい人ね」
セイクリッドの街並みを埋め尽くすように人が行きかっている。でも、不思議と子供の姿はない。なぜだろうか。
「おい、まただぞ」
ふと、そんな声が聞こえた。視線を声がしたほうに向けると、怯えたような表情の男性と、初老の女性が話していた。二人の服装はこの地域に即した一枚の布を全身衣にしたようなもので、東の、私とフラウがいた国とはずいぶんと装いが違う。私たちはかなり浮いていた。
「怖いねえ。今度はどこの子だい?」
「ミリアだよ。あの子頭がよかったから誑かされたわけじゃないだろうけど……帰ってくると思うか、母さん」
「……神様にお祈りしておこうね。そうすればきっと、あの子がひょっこり帰ってくるかもしれないじゃないか」
「ああ。ったく、もうすぐ降臨祭だってのに、人さらいかよ……」
彼らはそう言って家の中に入っていった。私はフラウの手も握った。
「人さらいって……」
「ええ。気を付けましょうね」
「気を付ける必要はない。私が守る」
力強い言葉に、安心する。なんだろうか、今までどおりものすごく不安や恐怖を感じるのだけど、今までと違って、不安や恐怖を跳ねのけられるだけの安心と信頼がある。なんだかそれだけで、この群衆が怖いものではなくなったような気がするのだ。
「ねえ、お店とか、見ていく?」
「お金、ないわよ?」
「見るだけだよ、フラウ」
商品を見るのなんていつ振りだろうか。私は二人の手を取って、スキップしそうなくらいウキウキしていた。
商店街はセイクリッド出入り口以上の賑わいだった。売り子の客引きの声、客の喧騒、楽しそうな笑い声。人の世はこんなにも楽しそうで、幸せなもので満ちていたのか。
私は銀細工の露店をちょっとだけ見てみた。イヤリングからブレスレットなど品のいい装飾品が木製の商品だなに陳列されている。
「嬢ちゃん、気に入ったのはあったかい?」
「……ううん、ちょっと」
確かに綺麗だけど。
きれいなんだけどね。
「ごめんなさい、綺麗なんだけど、こういうの、やっぱりつけられないや。それじゃあね、おじさん」
「ん? ああ、またよってくれよ、嬢ちゃん、旦那」
主人は気のいい人で、私をいぶかしむことなくそう言ってくれたけど、やっぱり妙に申し訳なさがある。
なんだかああいうのを付けると、拘束されているように感じてしまうのだ。イヤリングだったら、つけられるかな。でも、耳に穴をあけるのは、怖いし。
「それにしてもいろいろあるのね」
フラウがきょろきょろとあたりを見回しながら言った。すごく子供っぽい印象を受けるのだけど、そんな様子もかわいらしい。
「降臨祭はどこもこんなものだ。神は金よりも銀を好むという理由で、この日だけは普段日陰者の銀細工が金よりも高値で取引される。まあ本物は高価だから、さっきミオが見ていたようなものは鉛に色を付けただけの偽物だがな」
「え、うそ」
あれ偽物?
「銀があの値段で売られているわけがないだろう」
「どれくらいなの?」
私はこの世界の文字が読めない。まあ識字率百パーとかいう国とは違ってこの国は文字を使わずに一生を終える人が半数を超えるのだ。私は貴族の生まれだけど、まあ物心ついたころから奴隷じみたことやってたんだから、勉強できるわけないよね。
「そうだな、そこの大衆料理屋の二食分、程度か? 破格の値段だな」
「へえ。安いんだ」
物価もよくわからない。何しろ人らしい生活を営んでいた時期も短かったし、監禁生活が長かったせいで買い物一つしたことがない。ええっと、確か1モルでミカイヤの赤いやつが一個買えたんだっけ?
「あなた貴族の出よね?」
フラウが聞いてきた。
「うん。一応。家じゃずっと召使いみたいに」
「奴隷のように」
ロウが訂正してきた。
「……奴隷のように、家のことやってた」
「いくつ?」
「十四。でも、家にいたのは十一の時まで」
「なんで?」
「ロウと一緒に飛び出した。理由は聞かないで」
フラウは不思議そうに首をかしげた。
「……家を捨てた子が、陛下の側室? どうやって?」
私は曖昧に笑ってごまかした。
「ごめんね、フラウ」
「……あ、ご、ごめんなさい、変なこと聞いて」
フラウが謝ってくれた。うん、それだけで十分。
「いいよ、フラウ。もう許したもん」
「……無神経だったね、私」
「いいの、私はもっと無神経だから」
ちょっぴり『わがまま言っても許してね』という雰囲気を作ってみる。
そう思っていたら、ドン、と背中を押された。なんとか体制を整え、地面に倒れ伏す前に反転して、しゃがんだ状態に持ち直す。私の背を押した人物を見る。すると、彼女は。
「た、助け、助けてください、助けてください!」
ロウに縋りつくようにして懇願する、十歳くらいの女の子がいた。
え? どうなってるの?




