ちょっぴり不安―だけど優しい関係で
「アイ」
私のつぶやきを、彼は聞き逃さなかった。呆けたように口を開き、目を丸くして、私を見る。それから、楽しそうに、嬉しそうに笑った。
『アイ……。アイ! 僕はアイ。冬の精霊、アイだ。うん、ありがとう、ミオ。ねえねえ、ミオちゃん、僕とお友達になってほしいな』
ふっと、洞窟の中の気温が上がった。というか、寒いと感じなくなった。
「?」
私が首をかしげると、アイはゆっくりとこちらに歩いてくる。
『お近づきのしるしに、どんなに寒い夜でも凍えなくて済むようにしてあげたよ。悪い魔法使いが使うすべてを凍らせるっていう触れ込みの魔法も、ミオには効かない。ミオの血は凍らない。ミオは寒ささえ感じない。感じなくていい。僕の領分がミオを傷つけることは決してない』
だから、と彼は続けた。
『お友達になってくれますか?』
上目づかいに、まるで乞うように。アイは私に言った。
「いい、よ。お友達になろう」
なんで彼がここに来たの、とか、どうして私なの、とか。そんな疑問はさておいて。
友達が増えた。
そのありふれた言葉が頭に浮かんだことに、素直に喜んだ。友達ができた、ではない。増えたのだ。私と友達になってもいいという人が、二人になったのだ。
『僕はね、ずっと一人ぼっちだったんだよ。ずっとずっと一人きりだった。でもね、魔力が高いミオがいて、きっと僕を見てもらえるって思ったの。すごいよ、これ、見てよ、ミオ!』
アイは自分の体を見せびらかすように、両手を広げた。
『ミオの周りにいるだけで、ミオの魔力に感化されて、体が勝手に構成されたんだ! 信じられるかい? 僕は何もしていないのに僕にしゃべるための口と、僕を見るための体をくれたんだ! その恩に報いなければ罰があたるってものだよ!』
と、彼は言うけれど、彼の声は頭に直接響くような不思議な声色で、口も全然動いていない。
「……あなた、口動いてないよ?」
フラウが突っ込むと、アイはきょとんとした。
『え、嘘?』
それから、喉を抑えて『あー、あー』なんて発生練習をしていたけれど、結果は変わらない。
『……ま、いいや。えっと、どこまで話したかな……。人と話すなんて初めてで、話したいことが次から次へと溢れてくるんだ! そうだ、ミオ、君を見込んで、頼まれてほしいことがあるんだ』
「なあに?」
ちょっとだけ、警戒する。ほんのちょっとだけだ。
『僕とおんなじように、孤独を感じて、他者との交流に飢えている精霊がいくらかいるんだ。その精霊たちとも友達になってほしい』
「……本当に?」
友達がまた増えるの? 本当に? 私なんかに友達が?
「待って」
フラウが、私の歓喜に水を差すような、そんなふうに言った。
「あなた、友達だ友達だと言っているけれど、その精霊たちのところまでミオを連れ出せって言うんじゃないでしょうね。ミオの親友として、ミオが利用されるのは我慢ならないわ」
アイはハッとなったあと、バツの悪そうな顔をした。
『……ごめんなさい。利用する気なんて、さらさらないんだ。でも、僕はみんな大切で……僕の友達を、ミオに紹介したかっただけなんだ』
「アイ、冬が終わったら、いいよ。今すぐにでも会いたいけど、やっぱり、外に出るのは……」
『本当? すぐに会いたいんだったらここに呼んでくるよ』
え? と、私が何かを言う前に。
ポンっとかわいらしい音を立てて、木の葉で作ったような服を着た女の子が、私の隣に現れた。肌の色は私に近いけれど、その肌は木目があって、髪の毛だったツルの集合体みたいなものだった。えっと……木製の人間っていえば一番近いかな。ちゃんと動いてるしめちゃくちゃかわいいんだけど、やっぱり木製なのだ。
「お? おおー。これが話すということですか……。なかなか。素晴らしいですね、ミオ、そしてアイ。ミオ、アイにしたように、私にも名づけてもらえませんか?」
名前を付ける? どうしてだろうか。どうしてそんなにこだわるのだろう。まあ、いいけど。
「メグ?」
私が言うと、木製の女の子は顔をほころばせた。
「ああ、メグ。なんていい名前でしょうか。私は恵みの精霊。秋の収穫祭で祀られたりしています。が、神様やるよりはミオの友達のほうがいいですね」
嬉しい。嬉しいんだけど……。なんだか、不安になる。なんで急にこんなに友達ができるの? 私はなんの努力もしていないのに。何も頑張っていないのに、どうしてこんなにも欲しかったものが手に入るの?
もしかしてこれは誰かの罠じゃないの? もしかしてアイもメグも誰かの幻覚?
「あなたたちいったいなんですか? いきなりやってきて友達って。ミオが混乱しています」
私の代わりに、フラウが聞いてくれた。
「え? いきなりって……。それは、そうですが。人間たちのくくりから外れ、この豊穣の森にやってきてからはずっと見ていましたよ? だから、あなたたち冬も近いのに飢え知らずだったでしょう?」
妙だとは、思っていた。都合よく毛皮が温かそうなオオカミが人数分やってきたり、特に情報収集をしたわけでもないのに狩りがうまくいったり。
「だから感謝しろって?」
「いいえ? 私としては、お友達になってほしいから、好かれようと思っただけです」
「……なんで?」
フラウの問いに、メグはため息をついた。
「……わかりました。全部説明しましょう。私たち精霊はもともと子供を好く傾向があります」
「私もう十四……」
ちょっとすねる。体は確かにちびっこのままだけど、これでも花も恥じらう乙女……じゃ、なかった。そんな綺麗な存在では、なかった。何をうぬぼれていたのだろう。私は穢れた存在なのだ。汚れきった存在なのだ。
「おや、気を悪くしてしまいましたか。そう言うつもりではなかったのですが……。まあ、とにかく。なぜかというと、子供の中ではその純粋さと魂の綺麗さとがあいまって、私たちの声が聞こえたりするのですね。精霊は精霊以外と友好的になりたいと強く思う習性がありまして、だからミオに」
「私は、純粋でもないし魂が綺麗なんてこともないよ」
この世の苦しみは大抵経験した。飢え死だってした。拷問死したことだってある。さんざ辱められたあとにゴミみたいに捨てられたことだってあった。コンクリートの足かせを嵌められて海に沈められたこともある。そう言う経験をしているうちに、どこか業の深い虚無感と無気力、そしてすべてはいつか無になるという年齢不相応の無常観を知らず知らずのうちに身に着けてしまった。
こんな私が純粋だなんて、ありえない。
「そんなことは、わかっています。ミオ、私たちは純粋で綺麗な人間が好きなのではないです。そう言う人たちは私たちと会話できるかもしれないから好きなのです。会話さえできればそこは関係ないのです。
……話を戻しますが、ミオは私たち精霊を実体化させることができます。ロードドラゴンの魔力を人の身に宿したことが原因で、凄まじい魔力がダダ漏れになっているのが主な原因ですが、魔力をダダ漏れにすること自体に害はないのでご安心くださいな。
それで、ロードドラゴンの質の高い魔力を浴び、実体化することができた初めての精霊が、彼です」
そう言って、メグはアイを指した。
「私はあなたと友達になりたいです。仲良くなりたいです。友達になってくれますか?」
「私からもお願いします」
私はフラウの腕の中から出て行って、メグを抱きしめた。感触は木そのものなんだけれど、ちゃんと温かい。本当に不思議。
彼女の説明の中は正直どうでもよかった。説明している彼女の、わかってほしいとい必死になる表情が、『友達になりたい』という気持ちに嘘はないと気づくきっかけとなった。今となっては、どうして疑っていたのだろうと思うくらいだ。
ちょっと無防備すぎるかな。でも、もし私が無防備でも、代わりにロウとフラウが守ってくれるから……。
そんなふうに依存できることが嬉しかった。今までは一人きりだった。リュカと私、お互いしか信じられないと頑なに信じていた。でも、それは違うのだ。
「……本当に、優しいのですね、ミオは。ありがとうございます、ミオ」
「友達なんだから、丁寧語やめようよ」
「ありがとう、ミオ。ミオの人生に永遠の実りあれ……」
そう言いながら、抱きしめられる。
「……まあ、ミオがいいなら、いいわ。悪意も敵意もなさそうだしね」
フラウも納得してくれたようだった。
「じゃ、今日からよろしくね、アイ、メグ」
私は微笑んで、二人と手を繋いだ。
フラウ、アイ、メグ。私の友達が、二人も増えた。今までの人生で親友を得られることさえ難しかったのに、こんなふうに友人に囲まれるなんて、初めての経験だ。ああ、この胸の奥から湧き上がる幸福にずっと包まれていたい。




