生まれる繋がり―ただしそれは人ならざるもので
さて、あれから十日ほどが過ぎ、そろそろ本格的に冬になった。もう紅葉も終わり、冬の足音は木の葉を散らせた。もうすっかり冬になった、寒々しい空に私はいた。
「さ、もういいか?」
「うん」
「ええ」
今日でこのテリトリーともしばしのお別れだ。あったかい服と毛皮を山ほど持って行って、あとは箪笥の中にしまい、置き去りだ。円形の広間の中心にぽつんと立つ豪華な箪笥が二つ。人が来れたならどう思うだろうか。
私はロウの手の中で肌寒い思いをしながらも洞窟に着くのを今か今かと待っていた。毛皮とか毛布とかコートとかを五枚重ね着しているが、寒い。隣のフラウに至っては十枚重ね着しているが寒そうだった。もしかしたら氷点下十度とかを下回っているかもしれない。さすがに言いすぎかな。
「ロウは寒くない?」
「ミオは優しいな。私は全く問題ない」
頼もしい言葉に、安堵する。無理をしているとなったら罪悪感もひとしおだ。
「無理しないでね、本当に」
「ああ。無理はしない」
そう言っていても、言葉の端々に私のためならいくらでも無茶する、という気概が感じ取れるのだ。嬉しいけど、ちょっぴり悲しい。
「ねえ、お願いよ、私、あなたが無茶して怪我なんてしたら、もう気が気でないの」
「……そうか。それなら、本当に無茶はしない」
「よかった」
私は今度こそ安堵の息をついた。
「ね、ねえ、ミオ。いまさらだけどちょっと怖くなってきちゃった」
「え? どうして?」
フラウは私をぎゅっと抱きしめてきた。
「え?」
「あなたが洞窟生活で凍え死んじゃわないか本当に心配なのよ」
「私だって、フラウが凍死しちゃったら、耐えられないよ」
だって、私のわがままが殺したようなモノじゃないか。そんなの、罪の重さでつぶれてしまう。
「そうね、そうよね。お互い、死なないように頑張りましょう」
野生生活で何度か交わした会話だった。慣れないフラウはいつも、死なないように頑張ろうというのだ。だから私はいつも言うのだ。
「うん。私が守るよ」
何があっても、私の体を差し出してでも、守るよ。
洞窟の中は私たち三人がぎりぎり入れるかどうかというくらい狭い場所だった。正直寝て起きるくらいしかやることがないくらい狭い。出入り口はここしかなく、入り口を固められたらどうしようもないのではないだろうか。
「ねえ、ロウ、ここ大丈夫なの?」
「問題ない。私が全力を出して殴れば穴が空く場所が何か所かある。いざとなればそこを開ける」
「……それ、大丈夫なの?」
「大丈夫だ。よく考えてほしい。ロードドラゴンの私が人間状態とはいえ全力を出さねば空かぬのだぞ? 頑丈に決まっているだろう」
「それもそうだね」
私は洞窟の中に入って、一番奥に陣取って寝転がる。
「フラウもおいでよ」
私が手招きすると、ゆっくりと彼女もやってきて、私の前で膝をまげて横になった。
「ロウは?」
「私も今日は寝よう。少し提案なのだが、これからは凍死対策に、三人全員で眠ることはせず、誰か一人が眠り、ほかは起きてその眠る誰かを見守るというのはどうだろうか」
ロウの提案に、私たちは目を見合わせる。
「賛成よ!」
二人して叫んだ。
「よし。では、最初に眠るのはミオだ。六時間ほどしたら起こして交代だ」
「十二時間起きてるの?」
「そうなるな。辛いか?」
「全然。これくらい軽いよ」
私はにっこりと笑って言った。
「ミオがいいなら、それで行こう」
「わかった。でもまだ私眠くないんだけど」
「そうか。だが、寝てもらわねば困る」
むう。私はロウの言うとおり、目を閉じる。フラウが体を起こしたのがわかった。私は思わず、その服の裾をつかんだ。
「いかないで」
「どこにもいかないわ。ロウ、この子の隣にいてやって」
「わかっている」
すっと、ロウが私のすぐ近くまで来てくれた。
「見守っていてやるから、ゆっくりと身体を休めろ。六時間したら起こす」
「ん」
私は眠りについていった。
フラウに肩をゆすられて目を覚ました。ゆっくりと目を開ける。
「起きた? 交代だよ」
「ん……わかった」
目をこすりながら、周りを見る。あまり周囲は変化していないようだった。なんだか温かいんだけど、空気がこもっている気がする。
「次はロウが眠る番ですよ」
フラウはニコニコと笑いながらロウに言った。
「……わかった。頼むぞ、フラウ」
ロウはそう言うと、竜の時のように体を丸めて眠りについた。私はロウにもたれかかる。
「寝にくいんじゃない?」
「大丈夫だよ。ロウは一度寝ると敵意がない限り起きないんだよ。時間ピッタリに目が覚めるし。だから、悪戯するなら今だよ。敵意がないならたぶんなんでもできるんじゃない?」
くすくすと私が笑うと、フラウも楽しそうに頬を緩ませた。
「そう。でもよかったわ。ミオ、寒そうに体を震わせているものだから」
「あ~、うん、ちょっぴり寒かったかも」
度々目を覚ましていたのだ。ちゃんと着込んでいるのだけど、大自然の前では、毛皮も布も紙同然なのだ。こんな調子で大丈夫だろうか。食料は確保できているけど、暖の取り方はもう少し研究の余地がありそうだ。
きっとほんのちょっと前までなら、『食料がほしければ言うことを聞け』と脅されるかもしれない、なんて不安がっていたかもしれない。ああ、そうか、こうやってそんな懸念を笑い飛ばせるだけの信頼が、絆っていうんだ。
「ちょっと前の私だったらきっと、その気になれば私でも行ける場所に食糧を保管するように言ったかも」
「どうして?」
「ほら、今はっきり言ってロウ頼みじゃない、食料も、温度も」
フラウはわずかに眉を潜ませたが、それからすぐに元の柔らかい表情に戻った。
「そうね。でも考えてみて。あなたはまだほんの十四歳。何もかも自分でやろうとせずに、守られることを覚えてね。今は、今までのあなたの状況とは違うの。周りのすべては敵じゃないわ。私も、ロウもいる。だから安心して守られていなさい」
「……でも、私」
何かを言おうとした私。でも、フラウに抱きしめられて、私は口を閉ざした。はっと、彼女を見上げる。
「自分で自分の身を守らないと死んでしまうのは、過去のことよ。子供のうちは、大事に大事に守られていなさい」
「……わかった」
抱きしめられていると、心の奥底があったかくなる。体はちょっぴり冷えるけど、そんなの全然関係ない。嬉しくて、今にも泣き出してしまいそうだった。
「ありがと、フラウ」
「気にしないで」
このままロウが起きるまでずっとこうしていたい。
「ねえ、フラウ。もしよければなんだけど」
「何?」
「ロウが起きるまで、抱きしめていていい?」
ごめんね、わがままで。怒られるかな、なんてちょっぴり思ったけれど。
「いいわ。そんな申し訳なさそうな顔しないで。こんなのわがままのうちに入らないわ」
そう言ってフラウは、私を抱きしめる腕にさらに力を入れたのだった。守られている、守ってくれているということが実感できる。肌で感じる。魂で理解する。
私は、フラウに護ってもらっている。
――と。
『……面白い、面白いよ、あなた』
笑い声が聞こえた。どこからだろうか。人? 人!?
「フラウ、誰かいる!」
フラウの反応は早かった。私をロウの方に押し付けると、自分は反転して、洞窟の様子を注意深く見る。その眼は油断なくそして鋭く、非戦闘員であるなんて信じられないくらい、堂々としていた。
「誰?」
フラウが洞窟の入り口に向かって言う。
『僕? 僕? 僕はね、僕はね、精霊だよ。精霊。わかるかな? わかるよね。僕たち精霊はいっぱいいる。春を温かくする精霊、夏を熱くする精霊、秋を実らせる精霊、冬を寒くする精霊。僕は冬を寒くする精霊。確かね、たぶんね、昔の偉い人は僕を『氷の精霊』って呼んでいたと思うんだ。でも違うんだよね。僕には名前がないの。名前を教えて、小さな姫様』
私はフラウの背中越しに、彼を見た。小さな子供だ。でも、氷の髪の毛に氷でできた服。子供らしく半袖半ズボンなんだけど、見ているだけで寒そうだ。
『ね、名前を教えてよ、ミオちゃん』
彼はまっすぐ私を見つめて、そう言った。
――……――
この子の名前が、頭に浮かんだ。まるで無理やり埋め込まれたみたいに、気持ち悪いくらいにパッと、彼の名前が私の頭に浮かび、
「――」
その名を、口にしていた。




