近づく冬―けれど心境は暖かく
時が過ぎるのは早いものだ。この世界に産まれてもう十四年。十一まで母親と両親に虐げられ、十四まで貴族の家で拷問と共にテーブルマナーや言葉遣いを徹底的に仕込まれて、王様に献上されたかと思うと道具扱い。
あはは、ホント、よく生きてた。笑い事じゃないけどね。でも、こんなふうに軽い調子で流せるくらいには、今までの人生は過去のものとして私の中で処理できていた。面と向かって話題にされると泣いちゃうけど、大きな進歩だ。
人間と関わりを断って数か月が経っていた。私は再び野生児に戻り、狩猟生活を営んでいた。この前と違うのは、普段、服をちゃんと着ているということ。
「……やっぱり変だよ、フラウ」
「そうかしら? 私はとってもかわいらしいと思うわ」
着せられた子供っぽい青色のワンピースを見ながら、フラウがほめてくれる。そういうフラウの格好は、町娘が着るような、簡素だが作りのしっかりしていて丈夫な服を着ていた。王宮暮らしが長かった彼女がこういった下々の服を着るのを最初は嫌がっていたのだが、もう慣れたようだった。私にとってしてみれば、こんな森で服なんて気を遣わなくてもいいと思うのだが。
そりゃ、ロウの目があるのはわかるのだけれど、ロウはこの世の誰より安全なんだから、別にかまわないと思うのだが。
「やっぱり、狩りをするときと普段とで服を着替えるなんて変だよ」
今日のお昼ご飯はウサギの切り身を香草で包んで焼くだけという簡単な料理だ。味付けに、ロウが湖から持ってきた岩塩の削りを使った。狩りの時の、奴隷が着るような麻布でできた上下単色の服は、テリトリーの澄みの方にたたんでおいてある。最初はくすんだ色だった服は、返り血を吸って黒く染まっていた。茶色に少し近い黒色を、血染め色と名付けよう。なんてね。
こんな冗談が思いつくくらいには、私はリラックスしていた。関わる相手はわかりやすくロウとフラウのみ。
住んでいる場所は低草ばかりが生えた森の広間と呼んでもいい半径三十メートルくらいの狭い円形のスペースだけ。この私たち三人のテリトリーには、森の中では完全に場違いな巨大な箪笥が二つ、置いてあった。私とフラウの箪笥だった。そこには季節にわけて着るものからなぜかフォーマルな場にも着ていける正装が何着か入っている。
「何が変なものですか。あなたは人であることをあきらめたわけではないのでしょう? それなら服にも気を使うべきだし、竜語(唸り声)でコミュニケーションをとるなんてもってのほかです。人なら人の言葉を使うべきです」
うー、と唸る。なぜかフラウは私とロウが竜語で話していると『人語で会話しなさい!』と叱るのだ。そりゃ、感情と簡単な気持ちしか伝わらないから細かい指示とかには向いてないけど、これでもロードドラゴンのお嫁さん候補だし、旦那の言葉くらい解せないとまずいと思うの。
まああくまで候補だし、私だってその気があるわけじゃないけど、一応ね。
「わかってるけど、ついね」
「もう。……あら、オオカミが来るわね」
東の方角から、三頭のオオカミがやってきている。距離は三十っていうところだろうか。その距離の動物の気配を探れるようになったのだから、フラウも十分野生化している。
ロードドラゴンと私のテリトリーに近づくバカはめったにいない。それでも獰猛な肉食獣は何を勘違いしたのかたまに襲いに来る。そうした場合は、その肉食獣のお肉が食卓に並ぶのだ。
「ロウ、後ろを固めて」
「もうやってる」
彼がそう言った瞬間、木の合間を縫って、オオカミが飛び出してきた。私は冷静に前に飛び込むと、すれ違い様に頸動脈を切り裂いた。地面に崩れ落ちると同時に、オオカミ三頭は大量の血を流して失血死した。
「汚れちゃったね。掃除しないと……。でも、毛皮が手に入ってよかった。コートだけじゃ寒いし味気ないしね。ロウ、こいつら洞窟に持って行ってほしいな」
オオカミたちがやってきた方向から、精悍な顔立ちをした青年が歩いてくる。彼の服装は王族かって言いたくなるくらい豪華で、でも実際は魔法で作ったものだから汚れ知らずの便利なものだ。
「わかった」
ロウは頷くと、竜の姿に戻ってオオカミ三頭の骸をひっつかむと、極寒の冷凍洞窟へと飛び立っていった。
「冬場の住処も探さないとね、フラウ」
「ええ。さすがに肌寒くなってきたわ」
文明とかけ離れた生活を送っているため、私たちは季節によって住む場所を変えなければならない。夏場は涼しいところへ、冬場は温かいところへ。私とロウはここでもギリギリ死なずに済むのだが、間違いなくフラウは凍死してしまう。さすがに、私を生活様式的な意味で人間たらしめてくれている彼女に死なれるのは困る。というか、そう言った理論武装を全部抜きにしてみれば、彼女は好きだ。大好きだ。
あの王宮で私を人として気遣ってくれた。こうして私に世話を焼いてくれる。まるで聖女のような人。聖母のような人。きっと私は彼女のためなら自身の身を捧げることだって厭わない。
「寒そうだけど、大丈夫?」
私はフラウの手を包み込んで言った。彼女は笑って、私を抱き寄せ、膝に私を乗せた。
「大丈夫よ。こうすればあったかいわ」
「むー。私は暖房じゃないよ?」
「冗談よ。でも温かいわね」
抱きしめられて、ほっとする。フラウの体は冷えているのかちょっぴり冷たいけど、私の心を温めてくれた。
「……半竜の私は、心の温度が体温なんだよ」
「あら、嬉しいわね」
「……冗談じゃなかったらよかったのにね」
「そう言ってくれるだけでも、嬉しいわ」
彼女の言うとおり、私はすっかり警戒心というものを薄れさせていた。でも大丈夫なのだ。フラウは私と同じくらい野生の嗅覚が発達したし、ロウは相も変わらず最強だし。私は久しぶりに、『無力な子供』という身分を堪能していたのだ。
「帰ったぞ、ミオ。洞窟もかなり手狭になってきた。冬を越えるのはたやすい」
「よかった。あとは住処の確保だね」
「そもそも今から温かいところに移動するというのも普通に考慮に入れてもよいと思うのだが」
私は首を振った。
「冬越えくらいしてみたいよ、せっかく野生に生きてるんだし。……わがままかな」
「いや、このくらいなら構わない。いざとなれば移動すればよいのだから」
フラウも同意してくれる。
なんだか最近甘やかされてばかりだ。狩りもロウが行くことになったし、狩り専用着を手に入れてからはフラウも山を駆けるようになった。未だに小鳥やウサギを仕留めるので精一杯だが、それでもご飯の足しになっている。このままだと太りそう。
「じゃ、いっぱい食べて太らないと。脂肪がないと凍え死んでしまうわ。ミオ、食べられるうちに食べておきましょうね」
王宮にいた人のセリフとは思えない。森林での野生生活は、こんなにも意識を改革させるものなのか。脂肪を蓄えないと死ぬというのは間違いないのだが。
「そ、そうだね」
「ミオはただでさえほそっこくて、今より二回り大きくなってようやく標準ってくらいなのに小食なんだから」
「だってお腹がいっぱいで」
「そう言うなら仕方ないけど……」
フラウが心配そうな声をかけてくる。
ふと、キジのような甲高い鳴き声が聞こえた。
「……とりあえず、ご飯食べよう」
私はフラウの膝の上から降りようとして、降りられなかった。腰をフラウに掴まれたのだ。
「今日は一緒に食べましょう? ロウ、ミオの分を取ってくださる?」
「うむ。では、いただこう」
「いただきます」
私は挨拶と共に、ウサギの肉にかじりつく。ううん、おいしい。塩しか調味料振ってないから大味だけど、塩くらいしかないのだから仕方ない。というか塩があればしばらく食いつなげるのだ。ロウがこの前持ってきた岩塩はまだまだ大きいし、あとは水さえ……。
「そう言えば、ロウ、水の確保はできてるの?」
「候補地の周りには不凍湖がある。私かフラウで汲みに行けばいい。さすがに、水の保存は難しい」
量も必要だしね。
「ところで、ロウさん、冬越え用の住処ってどこにするつもりなんですか?」
「正直、この辺りは冬の間はあらゆる生物が死滅すると言われる極寒の地になるからな。候補地はどれも洞窟だ。一番有力だと思うのは、百メートルの地点に不凍湖があり、出入り口が三つあり、そう広くない場所だ」
「狭くないとだめなの?」
「私たちは三人いるのだ。できるだけ狭い空間で身を温めあったほうがいい。広い空間だと熱を奪われる」
「わかった。ほかにいい場所がないなら、そこにしようよ」
私がいうと、ロウは頷いた。
「だが、まだほかにいい場所があるかもしれん。ミオに寒い思いはさせたくないからな」
「私は好きで冬越えしたいんだよ?」
「訂正しよう。死ぬほどの、が頭につくほど寒い思いはさせたくない」
私は微笑んだ。
「ありがとう、ロウ」
「ふふふ、私からも、ありがとう」
「いや、気にするな。私こそ、好きでお前たちの面倒を見ているのだから」
ロウは照れたようにそう言った。こうやって親しい人と何気ない会話をしながら思う。ああ、なんだろうな、こういうのなんて言ったらいいんだろうな。ああ、そうだ。
幸せだ。




