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魂の慟哭―凝り固まった価値観

「ミオの肌が隠れてしまうのはもったいないと思って」

 ゾクリと、全身に鳥肌が立った。今まで優しい人だったのに、急にケダモノになったかのような感覚。今まで優しい言葉といたわるようなしぐさだったのが、急に荒々しく乱暴なものにかわる『あの』瞬間に私が感じるものと非常によく似ていた。ロウも私を犯すのだろうか。あの国の王のように。前世でのお父さんのように。前々世での先生のように。前々前世での兄のように。私は何もしていない。それなのに、私が悪いかのような言葉と共に私の服を剥ぎ取り、そして私を……。

「……ロウだけは、信じてるから」

 声に出して、バラバラになりそうな気持ちを整理しようとする。そう。ロウだけは違う。ロウだけはそんな乱暴なことしない。ロウだけは何があっても味方でいてくれる。ロウだけは私が嫌だと言ったらやめてくれる。ロウだけは私が痛いと言ったらやめてくれる。ロウだけはほかの男のようにひどいことをしない。ロウだけは悪戯してこない。ロウだけは私を汚そうと思わない。ロウだけは私をボロボロにしたいと思わない。ロウだけは、ロウだけは。

 ロウだけは、ロウだけが私に優しくしてくれる。ロウだけは、男性で唯一、優しくしてくれるんだ。信じなきゃ。怖いのも、震えるのも、怯えるのも、私が弱いせい。あんなのただのリップサービスなだけ。悪意はないの。ない。だから、信じなきゃ。あんな言葉くらいで、信用を揺るがせていてはダメ。ダメなの。ダメ、ダメ。ダメ――

「ちょっと、大丈夫!? 何してるのよ!」

「え?」

 はっと、気が付くと、私は猪の血でまみれたキャミソールだったものを体に巻きつけていた。よほど、肌をさらすことを恐れていたのだろうか。

「こんな汚いものを体につけちゃいけません!」

 私のことを、女の人、じゃなかった、フラウが叱っていた。まるで、母親のように。でも、この世界の母親とは違う、厳しい中にも私を気遣う含みがあった。

「でも、ふ、服が」

「……なんでさっきまで普通にしていたのに、急に?」

「だって、肌を見ていたい、だなんて。ロウがそんな人だなんて思わなかったから……」

 ロウは、私のことを気遣ってくれると思っていたんだ。私の傷が癒えるまではそっとしておいてくれる、と心のどこかで期待していた。……でも、ロウは冗談交じりにあんなことを言った。本心なのだろうか。それともただのジョークだったのだろうか。ロウのあの態度は取り繕っているだけで、本音は王やほかの男たちと同じように、私をぼろ雑巾のように汚したい、私の悲鳴を聞きたい、私の鳴き声が聞きたい、そう思うような人間なのだろうか。

「……そっか。陛下にその、されて、男の人が怖くなっちゃったのですか?」

「違う。男の人は、みんな陛下みたいな人。でも、ロウだけは違う」

「違うって……」

「うん。好きだって、愛してるって言っても、私に襲い掛かってこなかった男の人は、ロウだけなの。だから、ロウは特別なの」

 忘れもしない、七年前。七歳だった私に、少年の姿をしたロウがこういったのだ。

『好きです。あなたを愛しています。終生あなたと寄り添いたく思います。お願いします――結婚してください』

 最初は、不思議な感覚にとらわれた。床の経験だけは嫌になるくらいある私だけど、告白されたことなんて一度もなかった。みんな私を道具としか見ていなくて、人として、恋愛対象として見てくれたのは、これが初めてなのだ。

『え、えっと、すぐにそんな重要なこと決められないし、その、お友達から、でいいかな?』

 恋愛ということは、それはやがて『そういうこと』に行きつく。そんな単純で簡単なことにも、動揺した私は気づかなかった。それから、リュカ探しと親睦の深め合いを同時並行しつつ七年の時が流れ、私はある程度ロウを信用するくらいには、仲が良くなっていた。

 それが三年前、ぷっつりと途絶えた。

 そして、私たちの交友は再び戻った。はずだったのに。

「特別って、言っても……」

「ロウだけは特別なの、ロウだけは、私を汚さないの!」

 ぎゅっと、抱きしめられた。血濡れのキャミソールごと、優しく抱き留められる。

「あの人だけじゃない。優しい人はいっぱいいます。だから、そんな悲しいこと言わないでください」

「ううん、違う、違う! ロウだけが特別なの! ロウ以外はみんなみんなケダモノなの! みんな頭の中は誰かを犯すことでいっぱいで、みんな体のいいはけ口を探しているの!」

「そんなことないわ!」

「一国の王が、私をそんなふうに扱っていたんだよ!? リッターの糞親父も私の骨を折ったり爪を剥いだり牙を抜いたり、人間らしい扱いなんてしてくれなかった! お母さんは私を奴隷のように扱ったし、お父さんだって私に欲情してた! ロウだけなの、優しくしてくれたのはロウだけなの!」

 ぎゅ、とさらに力がこもった。

「あの人が特別なんてことはない。私だって、リュカって人だってそうですよ」

「フラウが、知りもしないでリュカを語らないで!」

「でも」

「リュカは私の半身なの! 私の絶対の友人で親友で、幸せの象徴で、私の魂の片割れなの! リュカが私を傷つけるわけないじゃない! あなたの右手はあなたの左手を傷つけるの!? 違うでしょ!?」

 感情任せに、叫ぶ、叫ぶ。あふれ出る気持ちは、一度堰を切れば止めどなく流れ、口をついて様々な言葉が出てくる。

「あんなことされて、あんなふうに裏切られて、なんで期待なんてできるの、なんで信用なんてできるの! 私は最初の人生からずっと、虐げられて、弄ばれて、嬲られて、犯されるのが普通だったの! こうしてロウという人ができて、あなたみたいに優しい人がいてくれたことなんてなかったの! それが怖いの! もう裏切られたくないの! あんな絶望、もう味わいたくないの! きっと二人は私が油断するのを待ってるんだ! 私が完全に信じる瞬間を待ってるんだ! 信じた瞬間、こっぴどく裏切るために! 私の心を引き裂くために!」

「違うわ! 私も彼もそんなこと考えてない!」

「だったらなんでロウはあんなことを! 肌が見たいっていうことは、『そういうこと』がしたいってことでしょ!?」

「違うのよ、ただあなたの綺麗な肌を見ていたいと」

 私はフラウをにらんだ。

「私の綺麗な肌!? この傷跡だらけの精液に汚れきったこの私の肌のどこがキレイだっていうの! 私は汚れてるんだ! 前世はお父さんに死ぬまで犯された! 前々世では両手両足を切り落とされて、おもちゃみたいに扱われた! その前は嫉妬に狂ったお兄ちゃんに殺された! その前は路地裏で性病にかかってそのまま死んだ! この世界でだって変わらない! ずっと国王の慰み者になってて、私が綺麗になれるところが何か一つでもあった!?」

 フラウは私を抱きしめた。そんなことしないで。私は汚いの。やめて、やめて、優しくしないで。期待しちゃう。優しさを、幸せを、期待してしまう。

 気持ちと裏腹に、取りとめもない本音を私はぶちまけていく。

「竜を助けて、森に連れて行ってもらった。森で男を助けたら三か月後に攫われて、軟禁状態! やっと終わると思ったら今度は王宮に連れて行かれてそのまま王様の性道具! 私は道具じゃない! 私は人! 私は人間なの! 玩具じゃないの! 痛いの苦しいの! それでも誰もやめてくれないの! フラウはわかるの? あなたには無理やりされることがどんなに辛いかわかるっていうの!? 一度でも道具みたいに扱われたことある? どんなに気を使っても、体中から男の人のにおいがするの! 体中が、『お前は汚れたんだ』って叫んでるの!」

 私の声は擦り切れていた。涙ながらに叫ぶ内容は、一貫しておらず、とりとめがなく。それでもフラウは私を抱きしめてくれていた。

「回復するからって、死なないからって皮を剥がされるなんて想像できるわけないよ! 皮を剥かれて、その状態で犯されることがどれだけ痛いかあなたにわかるの!? 私はもう戻れないの、幸せになんてなれないの、リュカとも会えない、幸せにもなれない、それどころかもう私には人並みの生活を送ることだってできない! 

 なんで私は産まれてきたの! なんでお母さんは私を産んだの!? 私は不幸になるために産まれたんじゃない、幸せになりたくて、なりたくて、なりたくて仕方ないから生まれてきたんだ! それなのに、どうして! どうしてどれだけ頑張っても幸せになれないの、どうして私はこんな目に遭うの、人を助ければ助けるほど深く傷つけられるの、どうして優しくしたら欲望が返ってくるの、どうして私の隣にはリュカがいないの、どうして私には力がないの……」

 私はやがて、答えの出ないどうしてを繰り返すようになった。でも、それでも、私の気持ちは何も変わらない。晴れない心に、凍える体。うつろな瞳に、震える唇。刺すような風が吹きすさぶ心に、太陽は昇らない。いつまでたっても夜のまま、たった一人の広い世界で、一つだけのオアシス求めて彷徨い続けるような感覚。終わらない苦痛が際限なくやってくる。

 今は優しく抱き留め、私と一緒に涙してくれるフラウもきっといつかは、私に危害を加えるのだろう。助けてしまったから。善いことをしてしまったから。そうだ、ロウもどうにかしないと。ロウの気持ちを受け入れ続けるというのもいいことだ。それは私の不幸につながる。こっぴどく、彼の心を壊すつもりで振らないと、また危害を加えられる。また監禁される。また犯される。

「いいんです」

 涙交じりの声が聞こえた。

「いいんですよ、疑って」

 優しい優しい声がした。慈愛に満ちた、聖母のような、深い深い慈悲に満ちた声。

「あなたをそんなにした国も、あなたを守れなかった竜も、あなたに気付かなかった私も、あなたを害した父も母も、何もかもを疑ってよいのです」

 でも、と彼女は言った。

「あなたは疑っていてください。あなたは警戒していてください。私がそれを解きほぐします。世界があなたを苛めた分、私があなたを愛します。私があなたを想います。でも、この私をも疑ってください。けれどいつか」

――疑うことを忘れてしまっても大丈夫なように、私があなたを包みます。

 その言葉は、傷だらけの私の心にするりと滑り込んだ。染み入るように、心が温まった。

「……うそ、つき。いつか、私を裏切るんだ」

「……いいえ」

 ぎゅっと、私はフラウを抱きしめる。抵抗されない。殴ってこない、蹴ってこない、罵声を浴びせられたりしない。

「いつか私を、貶めるんだ」

「まさか」

 優しさを憎悪で返すのって、こんなにも辛い。辛いのに、どうしてあの人たちは、私を傷つけてきた人たちはそれができたのだろうか。

「……ありがとう、フラウ」

 私は心の底から彼女を抱きしめて、お礼を言った。

「ええ、どういたしまして」

 彼女の胸の中で、私は油断しきって目を閉じた。大丈夫、フラウなら、私を苛めたりしない。

 ゆっくりと、意識は闇に溶けていく。

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