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僅かな変化―崩れるきっかけはたった一言

 攫われた、という感覚はなかった。世界最強、この世を総べるロードドラゴンを目にして、彼に掴まれた時はもうだめだと思って気を失ってしまった。殺されるという気持ちの方が強くて、再び目を覚ますことができたときには本当に安堵した。

 目が覚めた時には森の中の、開けた場所にいて、見知らぬ青年がナンナを抱きすくめている様は非常に驚いたし戸惑ったが、まるで泣く子を抱いてあやすようなその雰囲気を醸す二人に、つい胸を打たれてしまったのだ。それに、今まで監禁して道具同然に扱っていた相手を前にためらうような子が、悪意を持って人を攫うという思考ができるようには思えなかった。

 彼女はナンナと名乗らなかった。ミオという見知らぬ名前を名乗った。偽名のつもりだろうか、と最初は思ったけれど、青年にもそう呼ばせていることから、もしかしたらナンナという名前は呼んでほしくない名前なのか、と思い始めた。リュカという人にも、ミオと呼ばせたがっていたから、たぶん、間違いない。

 かわいらしい子だ。私は照れ隠しで森の奥へと消えたミオを見てそう思った。悪ぶろうと必死になって、それでも悪になりきれずに。なぜあのような善良な子が悪ぶろうとするのか、知りたいと思った。好奇心からではなく、純粋に、助けてあげたいのだ。

「……動揺していないようだな」

 彼女が去ったあと、青年が私にそう言った。彼は私に敵意を持っているようだった。顔からではわからないが、声色が敵に使うものだ。一切の容赦を許さない冷たいその声に、背筋が震える。

「ええ。これでも後宮ですから」

 後宮は、控えめに言って伏魔殿だった。きらびやかな装飾の奥をちょっとでも覗いてしまえばもう後戻りはできない。あるのは悪意と敵意と権謀術数渦巻く疑心暗鬼の巣窟だった。私が後宮に入ることが決まった時は誇り高い気持ちでいっぱいだったけれど、今はどうなんだろうか。心労を重ねて得たものと言えばほんのちょっとの寵愛と、きらびやかな服やおいしいお菓子。それらは底意地の悪い質問に冷や汗をかきながら答えるような生活を送ってまで、手に入れたかったものなのだろうか。それにその寵愛ですら、もはや疑わしいときた。

「ミオがいないうちに言っておく。もしミオを傷つけるようなことがあってみろ。お前を生きながらに地獄の業火で焼いてやる」

「あなたがほうけてどこかに行っていたときのミオのような目に遭わせるという意味ですか?」

 脅迫には嫌味。悪口には陰口。私が後宮で身につけたものと言えば、こんなくだらない技能だけ。私は一体何をしていたのだろうか。あの子がその身にはすぎる欲望をぶつけられていた時、私は呑気に『明日はお目通りがあるかしら』なんて思っていたのだ。あるわけがなかったのに。陛下ははけ口代わりに、貞淑な妻も教養ある愛人にも目を向けず、ただ悶え苦しむ奴隷のようなあの子を求めたのだ。今はもう会えなくなってしまったが、幼子を嬲って喜ぶ変態から離れられてよかったと納得してしまうのはなぜだろう。もし自分があんな目に遭っていたら、と感じただからだろうか。

「ああ、そうだ。だが、ミオを大切に扱うというのなら、私もそれ相応に報いよう」

「ミオは、守ってあげなければいけません」

 自然と、そんな言葉が出ていた。

 彼女はまだ子供だ。なぜあんな目に遭って気丈に振る舞えるのかはわからないけれど、あんな態度を続けていたらいつかはちきれてしまうだろう。そうなる前に、私たちで守ってあげないと。壊れてからでは遅いのだ。

「それはわかっている」

 さも当然、という風に彼は頷いた。少しだけ、むっとなる。相手は世界の頂点。そんなことはわかっている。だが、あの子を長い間放置しておいて、保護者面するのはどうなのだろう。

「ところで、ロウさんはリュカという人物に心当たりはありますか?」

 もしかしたらこの人も、陛下のように弱みに付け込んだのだろうか。

 ほんの短い間しかあの子と会っていないが、それだけでもすぐにわかるほど、はっきりとリュカは『弱点』だ。ミオはきっと、リュカの名前を出されたらそれだけでもう手も足も出なくなってしまうに違いない。

「探してはいるが、どんな人間か本人ですら皆目見当がつかないとなると、お手上げだ」

「探しているんですか?」

「ああ、近くの国へ飛んで、綺麗なところから薄汚れた路地裏まで、隅々と」

 驚いた。ロードドラゴンと言えば傲慢と力の象徴のようなものだったのに。それなのに、まさか幼い少女ひとりのために、街々を探し回っているだなんて。

「だが、希望がないわけではない」

「え?」

 思いもしなかった言葉に、つい驚きの声をあげてしまう。希望がある? 性別も容姿も性格も何一つわからないのに?

「つまり、ミオのよう本名と名乗っている名前が一致しない人間を探せばいいのだ。『本名とは違う名前を名乗る人間』なら『リュカ』という手がかりよりはまだマシだ」

「それでも、わからないかも」

「わからなくても、もしかしたらリュカの方から接触があるかもしれない。私はそれにかけてみる」

 ダメ元、ひとひらの希望。そんなものにすがっているロードドラゴンが、まぶしかった。彼のやっていることは闇雲に世界を探っていて、闇の中を明かりも持たずに進むようなものだ。……でも、私には彼自身が明かりのように感じた。リュカという人が見つかるかどうかはわからない。でも、きっといつか見つけるだろう。

「そんなことをしなくても、手っ取り早く見つける方法はあります」

「なんだと?」

「どこかの国の王に取り入り、リュカを探すようお触れを出させればよいのです」

「国とはもう関わらない。それはミオだって」

「あの子がリュカを探すために努力を惜しまないと思いますか?」

 ロードドラゴンは黙った。

「……それは、そうだが。なぜキミはそこまでミオを気に掛ける?」

 率直な質問だった。そんなに不思議なモノだろうか?

「傷つく子供を見て放っておけるほど、私は冷たくありません」

 伏魔殿で人の闇を見続けたからこそ、なお思う。あの子には幸せになってほしい。あの子を最初に見た時のあの姿。ガリガリにやせ細って、食料も飲み物も大量にある後宮で餓死しかけていて、それでも食事を放棄して。股間や太ももにこびりついていた白濁液。虚ろな瞳に加えて、ところどころに散見される乱暴のあと。何があって後宮に上げられたかは知らない。でも、あそこまでボロボロにされるのは絶対に間違っている。強姦魔でもあそこまでこっぴどくしないだろう。

 私は、傷ついたあの子が痛ましくて痛ましくて、見ていられなかった。助けてあげたいと思ったのだ。

「同情か?」

「そうですね。これ以上苦しむあの子を見たくない、と思いました」

 でも、と同時に思う。ロードドラゴンの助けで、あの子は自分を取り戻した。この人が持ってきた肉をためらいなく口にして、信じられない速度と力で人を圧倒し、殺そうとした。実際に手はかけていないけれど。

『お前が私を犯した回数だけ、刻んでやる!』

 あの言葉を言った時の、憎悪に満ち満ちた顔を私は忘れられないだろう。笑ったら天使のように見えるであろう顔を憎悪に歪ませて、陛下を斬るあの子は、まさしく化物というにふさわしかった。

 彼女を化物にしたのは、誰なのだろうか。

「……巻き込んで、すまない」

「そう思うなら、帰してください」

 どこに帰るというのだろう。陛下が傷つけられ、その現場にいた私はその下手人と共に逃げ去った。きっとあの国に私の居場所はもうないのだろう。父にも母にも会えないだろう。悲しさとさびしさが沸き起こった。

 ――だが、その一方であのストレスだらけの後宮から解放され、あのおしゃべり好きで噂好きで悪口と嫌味がなにより得意という魔物たちから逃げることができた。そう思うと、別に、気楽な生活もいいか、と思えるのだ。

「無理だ」

「そうですか。それなら、せめて私に不自由させないでください」

「約束しよう。ただし、ミオの不利益にならないならな」

 あくまでミオにこだわる彼に、可笑しくなってしまう。世界で最も力のある存在が、あの少女のために恐喝さえするのだ。そんな前置きしなくても、不利益になった瞬間消せばいいものを。この場で力の差を『わからせ』ればいいものを。それなのに、あえて言葉で、押さえつけようとする。あまりの優しさに、あまりのぬるさに、ほっとする。

「ええ、よろしくお願いします」

 私はぺこりと礼をした。

「ただいま!」

 それと同時、草蓑を身にまとっただけの姿になったミオが帰ってきた。そのあまりに非常識な格好に、私はぎょっとする。

「な、なんて恰好してるの!? 女の子がそんなはしたない!」

 立ち上がって澪のそばに行くと、ロードドラゴンの視線からミオを守る。この子は何を……あまりに無防備すぎる。男に無茶苦茶にされたのに、なんでこんなにも軽関心がないの?

「え? でも、これ運ぶのに布が必要だったから」

 どちゃりと、血まみれの布を地面におろし、中を開く。――うっ。

 その中には、解体されたイノシシがあった。ミオの手先は血に濡れていて、その指先でイノシシの体を引き裂いたのだということはたやすく想像できた。

「だ、だからって、女の子がこんな恰好……」

「服これしかないし、いつかあなたもこうなるのよ?」

「む。私、こんな恰好死んでもしませんから! ……ロードドラゴン!」

「なんだ」

 私が彼を呼ぶと、彼は怒られた子供のように身を縮こまらせた。

「あなた、この子の幸せを願っているんでしょう! こんな恰好でいることが常態化した女の子が、人の世で生きていけるわけがないでしょうに!」

「い、いや、しかしだな、ミオがこれがいいと」

「甘やかしすぎです! あなたは飛べるんですから、人の町で私とミオの分の服を用意して来てください!」

「いや、しかし保存はどうするのだ」

「そんなもの箪笥も買えばいいでしょう!」

「……簡単に言うがな。いやまぁできるが」

「何を渋るのです?」

 いや、ううむ、と彼は言い渋った。何が理由でもあるの?

「いや、ミオの肌が隠れてしまうのはもったいないと思って」

 は? 私の頭の中が疑問符でいっぱいになった。私のとは違って、ミオはもっと深刻だった。完全な無表情から、一転してロウを憎々しげににらんで、低い声で言う。

「ロウ、今すぐ服を持ってきて。長そで長ズボン」

「いや、ここは暑いぞ?」

「それでも、長そで長ズボン」

「いや、しかし」

「……今まで楽しかった、ロウ。さよなら」

 ぎょっとするようなことを言って、ミオが踵を返した。あっさりと、まるで知人と別れるように軽い調子で、彼女は森の奥に行こうとする。

「待て待てわかった! 冗談だ、冗談。すまなかった」

 ロウは必死でミオをとどめようとする。

「今すぐ、お願い」

「わかった。少しだけ待っていてくれ」

 そう言うとロードドラゴンは再び竜の姿になって、飛び上がった。あっという間に空の点になって、どこかへと飛んで行った。あとには、私と、震えるミオが残された。

「……ロウだけは違うって、信じてるから」

 その声は、まるで自分に言い聞かせるようだった。

 軽い気持ちで彼が言ったのは本人だってわかっているだろうに、怯えずにはいられず、疑わずにはいられない彼女が憐れでならなかった。そして、やっと気づいた。どうしてさっきまであんな格好で彼の前に出ることができていたのか。


 ミオは『彼だけは自分をただの子供として見てくれる』、そう信じていたのだ。


 それがたった一言で崩れてしまうなんて、いくらなんでも彼が憐れだ。だがそれよりも、たった一言で警戒しなければならないと思う彼女の心情が、痛ましかった。

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