到着、新たな住処――新たなる生活
今度は遥か南、芳醇な土地と温かい気候が特徴的な大陸で腰を落ち着けることにした。山のふもとの森の中に、低草がびっしり生えて、自然の絨毯みたいになっている円形の広間があった。ところどころになぎ倒したかのように木が転がっており、ロウがここに来るまでにいろいろと準備していたのだということが分かった。半径は三十メートルくらいの広間で、ロウはここで生活するつもりなのだろう。行く当てがないので文句もないけれど。
「ついたぞ、ミオ」
「ありがと」
轟音と共に、ロウが降り立った。彼の手から降りると、私は城から攫ってきた女性を抱きかかえる。両手が空になったところで、ロウは人の姿を取った。
「……ねえ、ロウ、ドランは?」
「死んだ」
少しだけ、暗い気持ちになる。彼はすごくいい人だったのに。なぜ死んでしまったのだろうか。でも、そういうことを軽々しく聞いてはいけないだろう。
「残念、ね。また三人で暮らしたかったのに」
「そう言ってくれて、あいつも喜んでいるだろう」
……。
私は彼女を横たえる。
「同じ部屋にいたが、知り合いか?」
「ううん。知らない」
ロウの質問に、女の状態をチェックしながら答える。服は移動の際に傷つき、そこかしこにほつれがあったり破けたりしていた。顔色は悪くないから怪我はしていないだろうが、心配だ。そう思って、かぶりを振る。
ダメダメ。悪いことをしないと。
「この子、どうする? ロウ、慰み者にでもする?」
そう聞く私の手の平は、じっとりと汗ばんでいた。もしこれでロウが快く返事して、彼女を暗がりに連れ込んだら、いったい私は彼女にどう償いをすればよいのだろう。
「私はミオ一筋だ」
予想はしていたけど、実際に聞いてみると嬉しい。
「でも、性欲くらい、あるでしょ?」
「女性はそういう欲望のはけ口ではない」
私は思わず笑みが浮かんでしまう。
「……ロウみたいな男が、たくさんいたらいいのに」
ぎゅっと、後ろから抱きしめられた。たぶん、これがあの国王にされたのなら、何が何でも振り払おうとしただろう。でも、ロウなら、信じられる。
「本当に、すまない。私が遅れたせいで、君の心に取り返しのつかない傷を……」
「慣れっこだから大丈夫だよ。いつものこと」
心からの本心だった。繰り返してきた人生の中で、路地裏に連れ込まれてそのまま死ぬまで性処理の道具扱いされたことなんて、一度や二度では済まない。それに比べたら、今回、なんて……。
「すまない」
「……遅い、のよ」
私の声は、震えていた。なんでだろうか、視界も歪んでいる。頬を伝う液体の名前が、思い出せない。ああ、そうだ。これは、涙か。私は、泣いているのか。あんな奴に少し犯されただけで、こんなにも心が打ちのめされているのか。情けない。
「うう……ぐすっ……。でも、ありがと……」
それから私は、ロウに抱きしめられたまま、泣きやむまでずっと、彼に背を預けていた。
私が泣き止むころには、女の人も目を覚ましていた。彼女は目覚めると私と、私を抱きしめるロウを不思議そうな顔で見た。
「あ、あの、あなた、は? そ、それに、あのロードドラゴンは?」
「私がロードドラゴンのロウだ、小娘」
すっと私から離れて、ロウは女の人のそばによった。
「人間の体にも……なれるんですか」
「そうだ。いいか、勘違いするなよ、娘。私はお前を助けたのではない。お前のことをミオが助けろ言ったから助けたのだ。いいな?」
女の人は不思議そうな顔をしつつもうなずいた。私は彼女の手をつかんだ。
「私はミオ。よろしくね」
「あ、はい。私はフラウディア・テスカートと申します。あの、私、いつ帰れるのでしょうか?」
フラウディア……フラウはロウのほうを見ながら聞いた。
「返すと思うのか?」
「……ですよね」
はあ、とフラウはため息をついた。彼女はみるからにとても悲しそうで、暗い表情をしている。つい、謝罪の言葉が口をついて出そうになるのを、ぐっとこらえて、ふんぞり返る。そう、私は悪になるのだ。この人が、ううん、この女が、私の最初の悪事だ。
「ま、死にたくなかったらいうこと聞いてね」
「……少しエラそうではないですか?」
「偉いの。この場で権力を得る方法は腕力ただ一つよ。そして、私はロウの次に力を持ってる。わかる? この場では法律も何もない。あるのは、『強い奴が偉い』っていう単純な理屈よ」
言っていて、とても心苦しい。今すぐ、抱きしめて優しい言葉をかけるべきなんじゃないか、仲良く手を取り合って生活できるんじゃないのか。そんな考えが頭から離れない。
……思い出せ。そもそも私はなぜあの城に行くことになった。あの男を助けたからだ。善いことをしたからだ。だから、もういいことはしない。そう決めたんだ。
「……わかりました。それで、私は何をすればいいんでしょうか?」
「え?」
何をすればって……何をさせればいいんだろう。だってここでするべきことなんて狩りくらい。で、フラウは狩りなんてできない。じゃあ、何があるの?
「……ちゃんと出されたものは食べること。毒を警戒して食べないなんて許さないんだから」
苦し紛れ、私はそんなことを言っていた。違う、これはいいことなんかじゃない。そう、毒殺しやすくするための方便なんだから。
「ふふふ、優しいんですね」
「うるさい! ……とにかく、私は晩御飯の調達に行ってくるから。ロウはフラウさん、じゃない、この女を見張ってて!」
私は恥ずかしくなって駆け出していた。何よ、優しいだなんて。私は、そんな評価ほしくない。優しいからなんだというんだ。善い人だからなんだっていうんだ。優しければ幸せになれるの? いい人だったら幸せになれるの?
違う! 優しさも、善行も、食い物にされるだけだ。隙を見せて優しくすれば、付け入られて、また今までみたいに、理不尽に殺されるんだ。
走っていると、イノシシを見つけた。子供もいる。親子のようだ。私はイノシシの正面に立った。
「いただきます!」
イノシシが私に気づいてダッシュのための助走に入ったところで、私は鋭い爪で彼らの首を刎ねていた。生き物を殺すのだって、悪いこと。でも、こうやって自分で自分の食糧を調達するのは、なぜか、充足感がある。ただ食事を与えられるのではなく、生きているという感覚が、体中を駆け巡るのだ。私は下着のワンピースを脱いで、裸になる。近くにあったツルと大きな葉っぱで簡易服を作ると、脱いだワンピースでイノシシの死体をくるんで、背中に担ぐ。頑丈な人間の衣類は背負い袋にもってこいだった。
「もっといるかな」
私はさらなる食料を求めて、森の中を駆けた。




