竜としての転機
私は森の中で息をひそめて隠れていた。5メートルにも及ぶ巨体が『隠れる』などというのはばかばかしいが、とにかく今は体を休めなければどうにもならない。全身にやけどがあり、翼膜は破れて飛ぶことができない。体のあちこちに傷があり、息をするのにも苦しみが伴う。世界最強種たるロードドラゴンが、なんたるザマだ。……いや、ここは人間の強さをほめておくべきだろうか。
「グゥルルルル……」
小さくため息をつく。この森は比較的静かだ。というより私の前でバカ騒ぎをするようなモノは、人間くらいだろう。竜状態の私が隠れることのできる場所など、低いもので高さ10メートル近くもある『ユグドラシル』種の木が林立するこの森くらいだ。ここに落ちることができたのは、幸運……いや、奇跡と言っても過言ではない。
私がこうして地を這いつくばい、身体を丸めて回復を待たねばならなくなったのは、ひとえに彼ら人間の裏切りのせいだ。
私たち竜族は永い間、エシュロス王国と協力関係にあった。私は人の姿を取って王と共に戦場に立ち、必要ならばこの姿になって敵を蹴散らした。初代国王と協力関係を結んだのは、ひとえに彼らがもたらす食料が非常に魅力的だったから。
――しかし、いつの間にか利害が一致していただけの関係だったものは、守護するものと守護される者という二つの役割に書き換わっていた。どの歴史書を探っても、私と初代国王が交わした約束は出てこない。
愚かなるは私。この時点で私はほかの竜たちをまとめて山へ戻るべきだったのだ。
私はその程度なら口伝で済むだろうと思い、ある日王を呼び出し、歴史書の不備を伝えた。
「……物に目がくらんだか。飛びトカゲよ」
耳を疑った。
彼らの中では私たち竜族は『遠い昔から続く友』でもなければ『契約に則り守ってくれる守護者』でもなく。
『知能を持つ下僕』だったのだ。
いつの間に、こんなことになったのか。それは私にはわからない。だが、私のこの『失言』が元で、竜の立場は一気に悪くなった。扱いがどんどんひどくなり、やがて、きっかけとなる事件が起こる。
人間が幼い竜を訓練中に死なせたのだ。事故だと王は言い張ったが、調べれば調べるほど、不穏なことがわかってきた。
竜を嫌悪する『反竜主義者』の人間が教官だったこと。その竜は特に体が弱かったこと。その教官もそのことをわかっていたこと。ほかの竜は必死に止めるよう叫んでいたこと。
「もう、貴国ではやっていけぬな」
一連の事件すべてを調べつくした後、私は王に言った。調べ終わってみれば、単純だった。竜を死なせた男は『竜だから』という理由で、常軌を逸した訓練を、行っていたのだ。その竜は幼いがゆえに人間との距離の取り方がわからず、いざとなれば力づくでなんとかできたものを『ほかの竜に迷惑が懸るから』という理由でずっと耐えていたそうだ。
竜と人間は対等。もしくは竜が上。その意識を幼い竜から奪ったのも、その男だった。夜ごと『お前が何かすればほかの竜に迷惑がかかる』と脅していたそうだ。
「そうか。ではさらばだ」
王は、私を殺すよう、周りの人間たちに指示した。誰もその命令に不服そうな顔はしなかった。『意識改革』はもう完全だったようだ。
それから私は竜の姿に戻り、戦った。王は早々に行方をくらまし、逃げて行った。奴を殺せなかったことが、唯一心残りだ。私は戦いやすいこの森へと逃げ、そこで戦った。当然のように万単位の軍が私の『討伐』のために行軍した。もう処刑ですらないというのが、妙に悲しかった。我々はずっと肩を並べて戦った友だろう!? そう叫ぶことができたなら、どれほどよかっただろうか。叫ぶ間もなく、私は大量の冒険者、騎士、国家軍に追われる身となった。今でも、本当に不思議だ。なぜ処刑ではない。なぜ討伐なのだ。いつから私は、魔物扱いされるようになったのだ。私と人間は、戦友ではなかったのか。そんな思いが何度も胸中に生まれては消える。そして、やがて私の胸にはただただ虚無感があった。
城にいた竜はすべてが魔法と毒にやられて死んだ。私以外の竜は、そう強くないのだ。逃げようとした竜は山のようにいた。だが、そのすべてが領地を出ることすら叶わなかった。残っている同族はもはや、人間とかかわりを断ち自然に生きる者と私のみとなった。情けない。これが私とは。
今まで戦い続けて、私は多くの人を手にかけた。魔法使い、騎士、竜騎士、戦士。様々な人間を殺した。万単位で葬った。だが一向に人間の攻撃の手はやまなかった。
口からの炎で百人を焼き、爪で何人もの体を吹き飛ばし、しっぽで何十人と払った。
戦っても戦っても、私を殺そうとする人間たちはいなくならなかった。私は不利を――不可能を悟り、飛び上がり、山へと帰ろうとした。その時、何十人もの魔法使いを集めて使われる『攻城魔法』を使われ、私は地に落ちた。落下した先は、未開の森の中。未開ではあるが、戦っていた場所とそう遠く離れてはいない。ここももうすぐ突き止められる。その時が、私の終わり。今首に剣を突き立てられれば、生き残ることはできない。
「グァ……」
ちろりと炎を出して感覚を確かめる。もう炎袋に炎粉が残っていない。もう炎は吐けまい。体の動きもどんどん鈍くなってくる。……毒か。全く、人間とは厄介な。……ここまでか。そう思った時、視界の隅の草むらが、がさがさと音を立てた。
「何ものか」
私は人の言葉で言った。もうずっと人間と共にしたせいで、人の姿をとらずとも人語を操れるようになった。
まあ、それももう意味がなくなるが。もう、人間と話すことなどない。これが最後だ。
「ドラゴン?」
現れたのは、小さな女の子だった。金髪に、青い瞳で、整った顔立ちをしている。人間基準で言えば、愛らしい顔。年のころは十前後だろう。着ている服はボロボロで、体のあちこちに擦り傷切り傷が見られる。どうやらこの近くに住む村娘のようだ。……しかしこの森、女子供は立ち入り禁止に指定されいたのでは? 注意しようとして、やめる。もう私は役人ではないのだ。
彼女は脇に籠を抱えており、その中には薬草が山のように摘まれていた。どうも、薬草摘みに来たらしい。だが、この山の草は薬にすることもできるが、どちらかと言えば毒草、というようなものばかりだ。こんな辺境にこの近辺の草を適切に調合できる腕の薬師がいるとは思えない。まさか、薬ではなく毒を摘みに来たのか? もしかしたら、私を殺しに来たのかもしれない。この子も、金で雇われた人間かもしれない。
女の子は私の突き刺すような視線を意にも介さず、私のそばに来た。
「私に近づくな。殺す」
「怪我してる」
私の忠告を無視して、彼女は私に近づいてきた。全く恐れている様子はない。
「怖くないのか?」
「何を恐れろと? 手負いじゃない」
年の割にずいぶん難しい言葉を知っているな、と私は思った。
「ああ。貴様ら人間のせいでな」
少し意地悪したくなって、私はそんなことを言った。
「そう。人は傲慢だから。ほら、見せて」
だが彼女は謝らなかった。それどころかより近づいて、私の傷を観察する。
「いつの傷?」
「ついさっき」
「これ、腐敗毒よ。……というか、ドラゴンって腐敗毒に汚染されても回復しなくなる程度しか影響力ないのね」
少女は淡々と、驚いたようなしぐさを見せた。
「人間ならばどうなる?」
「もうズルズルに腐ってるところ」
ともすれば残酷なセリフも、彼女は臆することなく口にする。豪胆で、悪く言えば、無遠慮。
「そうか」
私は内心で舌打ちした。人の姿を取れば、耐久力や体力が非常に弱体化する。それでも人間の百倍はあるが、それでも比較相手が人間なのだから、弱々しいことには変わらない。人間の姿になって身を隠すことができないことが判明し、苛立つ。
「かわいそうに。これ、個人が付けた傷じゃないよね。よってたかっていじめられたのね」
彼女の物言いはまるで弱い者をかばうようで……それが、妙におかしかった。
「よくわかったな」
少女はクスリと笑った。
「ドラゴン相手にタイマンできる人間がいたら見てみたいわ」
「タイマン?」
意味が分からず、聞いた。
「一対一、ってこと。まだ敵はいるんでしょ?」
少女の問いに、うなずく。はあ、と彼女はため息をついた。
「……ねえ、取引しない?」
彼女はいきなりそんなことを言った。
「取引、だと?」
その言葉は、私の心をささくれ立たせる。かつても、取引をしてこの結末だ。
「そう。私はこの籠の中身を調合して、解毒薬を作れるわ。私は苦いし下手したら死ぬけど、代わりにあなたには人を探してもらいたいの」
私の下僕になれ。そんな言葉を想像したが、少女から発せられたのはそんな安い取引だった。
「人?」
「うん。誰かは、まだ言えないけど。どうするの?」
人探し、か。
「できない。私はもう人とかかわらない」
「そう。仕方ないわね」
去るのだろうな。そう思っていたのだが、彼女はどこにもいかなかった。にっこりとほほ笑むと、彼女は籠の中にある薬草をいくつか取り出して、口に含んだ。よほど苦いのか、今まであまり動かなかった表情がこれでもかというくらい苦々しいものに変わっている。
「ん」
少女は私の口元までくると、地面を指さした。
そこに口を置けということか。
私は言われた通り顔を少女の前の地面まで持ってくる。そして、私は口を大きく開けた。
「気持ち悪いかもしれないけど、ごめんね」
そう言って、少女は口の中から薬草が咀嚼されたものを私の舌の上に置いた。私にとってそれは粒のようなモノなのに、口全体に苦みが走る。こんなものを少女は口に含んで咀嚼したのか。
「飲んで」
言われるままに、その苦い草を飲み込む。不思議と、毒かどうかなど少しも警戒しなかった。
すると、今まで膿むように痛んでいた傷口が、すうっと楽になったのだ。
「すごい、ここまで早く効くなんて。さすがドラゴン」
少女はそう言って私の鼻先を撫でた。
「子ども扱いするな」
「ごめんね」
彼女はそう言って手を離した。全く。
「なぜ治療した?」
「だって、苦しんでたんだもん。あ~あ。見捨てりゃよかった。せっかく今世は悪に生きるって決めてたのに」
不思議なことを少女は言う。
「じゃあね、ドラゴン。縁があったらまた会いましょ。……いや、あなたはもう人間と会う気がないのね。それじゃね。もう二度と、会うことはないわね」
そう言って、彼女は再び森の中に消えようとした。その時。
「!」
少女が振り返り、籠を捨てて私のところに戻ってきた。不思議に思っていると、私の死角から鎧を着た男が一人、草むらから躍り出た。彼の手には剣が握られ、腰だめに構えられた剣は私の首を狙っていた。
なぜ、気づかなかった。普段なら匂いや耳でわかろうものなのに。なぜ、こんな人間一人、見えなかった。ああ、そうか、私は少女に見とれていたのだ。私の体をなんでもないことのように治療した少女に、視線を奪われたのだ。だから、気づかなかった。なんて、体たらく。まるで、これでは人間のようではないか。人間に永くかかわっていたせいで、私も人間のように死ぬのか。
「覚悟!」
「させないっ!」
私が死を覚悟した時。少女が、男の剣と私の間に入った。
ドッと、もはや聞きなれた音が年端もいかぬ少女から発せられた。
「なっ」
驚いたのは私だけではなかった。男も驚いて、胴体におもいきり剣を突き立てられた少女を見ている。
大量の血をまき散らし、彼女は地面に倒れ伏した。致死量か? 死ぬ? 彼女が? 一瞬思考のすべてが混乱しそうになるが、ハッとなる。
「ガアアアアアアアアア!」
恨みたっぷりに叫び、大口を開いて男を口に含む。
「ひゃああああああああああああああああ!」
バキ、ゴキ。そのまま咀嚼し、血と肉を鎧と剣ごと飲み込む。
「……ふ、ふふ。さすが、ドラゴン」
不敵に笑うと、少女はそのまま気を失った。いや、違う。死にかけているのだ。
「……させはしない」
私は少女の首筋へ、顔を近づけた。そうさ、死なせはしない。恩返し? 違う。もっともっと違う感情だ。この気持ちは、違う。そんな安い感情ではない。
私は少女に秘術を施す。これが、私の竜としての転機だった。