エレベーター
私はあの男を許さない。
急いでいた。だから途中停止には殺気立たずにはいられなかった。
またあの男だ。被害妄想とは知りつつも、私の邪魔をするためだけにこのタイミングでボタンを押したのではないかと勘繰ってしまう。なぜ邪魔をするのだろう。どうせセックスに違いない。私に蜘蛛の巣のようにベタベタとまとわりつくことで、欲求を満たそうとし、無意識に欲求のハードルを上げているのだろう。今は単に申し訳なさそうに私の邪魔をするだけだが(本当は申し訳ないとは思っていない!絶対思っていない!仮にそんな感情が芽生えていたとして、瞬き二つする頃には蒸発している!)、行為はやがて過激さを増していくだろう。差し支えなければと言い訳して、本能では私の身体を狙っているのだろう。
駅へと到着した。人身事故によって遅延していた。少し調べたところ、数分早ければこの遅延には巻き込まれずに済んだことが分かった。
約束の時刻にはもう間に合わない。彼とのデートで一度も遅刻したことはなかったので、これが初めての遅刻となった。あの男のせいで、プライドと信頼にシミをつける羽目になったのだ。
普段から嫌いだった。何かしらドアを閉める時には、叩き付けるように閉める。勝手にゆっくり閉まりそうなのを見かけたら、わざわざドアノブを掴んで叩き付ける。いつも閉まる音に驚かされる。同じようにエレベーターのボタンを拳で殴りつけて押す。私の近くの階で彼がボタンを押したのはその音ですぐ分かってしまう(余計な情報だ。全く興味のない)。
……いくら被害妄想とはいえ、対象がいなければ成立しない。今すぐエレベーターを飛び出て、駅へと走り出したい気持ちを、その呑気な表情で丸め込もうとするものだから、被害妄想を爆発させるしかなかったのだ。理不尽なのかもしれないが、男の方にも責任はあるのである。
極め付けはあのホクロ。イモムシの蠢くような不快さを感じずにいられない。私が独裁者なら、あの男を即刻拷問にかけるだろう。私が熊なら、あの男を真っ先に襲うだろう。
男は体内のぶつを吐き出す。糞、尿、嘔吐、唾、垢、毛、体臭、口臭、……まあこうした不快の原因となるものくらいは大目に見よう。女も出している。原因が結果に結びつかない努力をしてくれれば、それでいい。しかし不快そのものの排泄は我慢がならない。その動機が悪意に満ちているか、無意識なのかは興味がない。
私には男が何を考えているか分からない。見る限り捉えどころのない行動ばかりとっている。しかし何を考えているか分からない人間なんていうのは、決まって何も考えていないのだ。せいぜいにわか仕込みの条件反射による行為と、表面だけをなぞった思想とが、矛盾によって無理矢理結合しているだけだろう。だとすると男の本質を知ろうと思えば、多大な時間の浪費は避けられない。脈絡のないものに脈絡を見出そうというのは厄介極まりない。そもそもそんなことのために費やす時間など、私は持ち合わせてはいないのだ。
仮に男の本質に辿り着き、客観的に推理して一切の責任が私にあったとしても、誰が見ても私が悪いのだとしても、私の衝動は収まらない。私の感情は正論でも論理でも止められはしない。衝動は真っ当な行き場を失ったとしても消滅せず、八つ当たりが始まるに決まっている。それが他人に向けばさらに私の立場は悪くなる。そうなってしまうくらいなら、いっそ男を完全な悪と決めつけてしまったほうがリスクは少ない。狭い思考しか許されない環境下で起こった悲劇としてシナリオを組むことができれば、同情を得ることは容易いはずだ。
私はあの男を許さない。




