第六章:エミリアの微笑み
私は、ようやくこの場所までたどり着いた。
煌びやかなドレスに身を包み、微笑みを浮かべながらレオナルト様の隣に立つ。かつて孤児院にいた頃は想像もつかなかった。平民の母から生まれ、貴族とは程遠い環境で育った私が、今や公爵家の跡取りの婚約者。すべては、私の計画通り。
でも、ここに至るまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。
エリス・フォン・アイゼンハルト。私の人生を変えた女。
彼女に初めて会ったのは、まだ私が孤児院にいた頃だった。あの頃の私は、誰よりも惨めな存在だった。母は平民で、父は貴族だと聞かされていたけれど、私を引き取ってはくれず、孤児院での生活を余儀なくされていた。
そんなある日、彼女が現れた。美しく、優雅で、どこまでも気高い彼女。何の苦労も知らないような顔をして、慈善活動と称して孤児院に足を踏み入れた。
——なんて、恵まれた人なのかしら。
私がどれだけ努力しても届かない高みを、彼女は生まれながらにして持っている。それが、許せなかった。
だから、私は試してみたのだ。
わざと階段から落ち、そして、泣き叫んだ。
「エリス様が私を突き飛ばした!」
まわりの大人たちが駆け寄ってきた。心配そうに私を抱き起こし、優しい言葉をかけてくれる。その一方で、エリスは無表情に私を見つめていた。
でも、それでいい。彼女が何も言い訳しなければそれだけで、私は被害者になれる。
——これが、私の最初の成功だった。
その後、私は父に引き取られ、貴族としての生活を手に入れた。
でも、それだけでは満足できなかった。私は、もっと上へ行きたかった。貴族の中で確固たる地位を築くには、ただの令嬢では駄目だった。だから、私はターゲットを探した。
そして見つけたのが、レオナルト公爵子息。
彼は次期公爵として将来を嘱望されている上に、なんとエリスの婚約者だった。
最初は、ただの偶然を装った。
「まあ、レオナルト様ってとてもお優しいのですね! 貴族の方で、こんなに平民のことを考えてくださる方は初めてです!」
何気ない会話の中で、彼に『純粋で可憐な令嬢』という印象を与える。彼は私を面白がるように微笑んだ。
次に、私は『弱さ』を見せた。
「実は……私は半分平民の血を引いているせいで、貴族の方々から冷たい目で見られることが多いのです……」
レオナルトは眉をひそめた。
「それはひどい話だな。貴族である以上、出自など関係ないはずだ」
「でも……エリス様は、違うようで……。私が貴族社会で生きていくのは許されないと、遠回しにおっしゃっていました……」
この言葉が決定打だった。
レオナルトは以前からエリスの冷静すぎる態度に対し、何となく距離を感じていた。そこにエミリアの言葉が加わり、彼の中でエリスの印象が『冷酷な貴族』へと変わっていった。
涙を浮かべながら語ると、彼は優しく私の手を取った。
「辛い思いをしてきたのだな……」
彼の瞳に浮かぶのは同情。そして、それはやがて愛情に変わる。
貴族社会において、人の評判は何よりも大切だ。私は小さな噂を流し続けた。
「エリス様は、高慢で冷たいお方」
「平民のことを見下しているらしいわ」
「最近は、使用人にも厳しく当たっているとか……」
何の根拠もない噂だったが、次第に周囲はそれを真実だと思い込むようになった。
そして、決定的な事件を作り出す。
孤児院での『事件』。
ある日の慈善活動で、私はエリス様と再会した。笑顔で話しかけ、仲良く活動している姿を皆に見せる。
——ここで、決定的な証拠を作る。
周囲の人々がいなくなったのを確認し、私は自ら階段下へと歩いた。そして、息を整え、大きく叫ぶ。
「きゃああああっ!」
私は階段の下に倒れこみ、痛みをこらえるふりをする。駆け寄ってくる人々の前で、震える声で訴えた。
「エリス様に……私の母が平民だから、慈善活動に参加する資格がないって……突き飛ばされました……」
涙を流しながら、上目遣いで見つめる。集まった人たちの表情が怒りに染まる。
——これで、エリスは終わり。
証人も揃い、エリスの名誉は地に落ちた。そして私は、レオナルト様の元へ行き、泣きながら訴えた。
「怖かった……でも、レオナルト様がいてくださるから……」
彼は怒りを露わにし、私を抱きしめた。
「君を守る。こんなことをするエリスとの婚約は破棄する」
そして、私を見つめ言った。
「君に婚約者になってほしい」
私は目を潤ませ小さく「はい」と、頷いた。
エリスは愚かだった。貴族社会では、善意や誠実さなど無意味。重要なのは、どれだけ自分を有利に持っていけるか。
私は、ついに手に入れたのだ。
公爵家の婚約者という地位、そして——
エリスのすべてを奪うという最高の勝利を。
私は幸せだった。 念願だった貴族の身分を手に入れ、さらに憧れだったレオナルト様の婚約者という立場まで得たのだから。
それなのに——
「……あの子、まだ何か言っていたのかしら?」
ふと、頭をよぎったのはエリスの妹、ソフィアのことだった。彼女がどんなに天才令嬢と呼ばれていようと、私には関係のないこと。今さら何をしたところで、私の地位が揺らぐはずもない。
「まあ、あの子は姉のことが好きなのね。でも、もう遅いわ」
私は笑みを浮かべると、窓の向こうに目を向けた。そこには、私を待っているレオナルト様の姿があった。
「エミリア、待たせたね」
彼は私の手を優しく取る。その温もりが、まるで私を守ってくれるかのようで——心地よかった。
「はい、レオナルト様……はやくお会いしたかったです」
彼の前では、私はいつも慎ましく、健気であろうとした。その方が、彼の庇護欲を刺激できるから。
「何か困ったことがあったら、何でも言ってほしい。君のためなら、僕は何だってする」
「……レオナルト様」
私は彼を見つめ、少しだけ涙ぐむ。
「私、まだ怖いんです……」
「大丈夫だよ、エミリア。僕が君を守る。誰も君を傷つけさせたりしない」
そう言って、彼は私の肩をそっと抱いた。まるで、私が頼れるのは彼だけだとでも言うように。
——そう、それでいいの。
私は満足そうに微笑む。
過去を思い出すまでもなく、私はこの手で確かに勝ち取ったのだ。
エリスを貶め、レオナルト様の婚約者としての地位を得た——この勝利を。