第二章:幼き日々と運命の交差
私がお姉様を大好きになったのは、物心ついたときからだった。
エリスお姉様は私にとって完璧だった。美しく、気高く、そして誰よりも聡明。幼い頃の私は、お姉様の後をついてまわる子犬のようだった。
「お姉様、私も一緒に読んでいいですか?」
膝の上に大きな本を広げていたお姉様は、ちらりと私を見て、小さく頷いた。
「読めるの?」
「がんばります!」
けれど、書かれている文字のほとんどが分からず、私はすぐに眉をひそめた。それを見たお姉様は、静かに本を閉じ、私の手を取った。
「最初は簡単なものからにしましょう」
そう言って渡されたのは、子ども向けの童話集だった。私は嬉しくてたまらず、お姉様の隣にぴたりと寄り添った。どんなに些細なことでも、お姉様と一緒なら、それは私にとってかけがえのない時間だった。
私はお姉様に追いつきたかった。
お姉様の読む本を真似て、難しい学問にも手を伸ばした。貴族の子女が習うものだけでは満足できず、数学や哲学、果ては魔道理論にまで興味を持った。はじめは周囲もただの子どもの好奇心だと軽く見ていたが、私が次々と書物を読み解き、論理的に考えを述べるようになると、やがて「天才」と称されるようになった。
だが、それだけではなかった。
私が世間に広く知られるようになったのは、新たな魔道具を次々と開発するようになってからだ。魔力の少ない者でも扱える小型の魔道具、生活を便利にする装置、戦闘用の護符——私の発明は貴族社会だけでなく、王国全体にも影響を与え始めていた。
「この魔力を溜めておける魔道具のおかげで、魔力の弱い兵士でも戦場で活躍できる」
「ソフィア嬢の開発した水が湧き出す装置が画期的だ!」
私の名は、学者や魔導士たちの間でも頻繁に語られるようになった。
それでも、私にとってはどうでもよかった。ただ、お姉様の隣に並びたい、その一心だった。
そんな私たちの間に、もう一人の人物が関わるようになった。
レオン・ヴァルディアス。
彼は父上の親友であるヴァルディアス侯爵の息子であり、私たち姉妹の幼なじみだった。
「エリス様、ソフィア様、今日も一緒に遊びましょう!」
彼は明るく快活で、子どものころから剣を握るのが好きだった。最初はお姉様にばかり懐いていたが、お姉様はどちらかというと乗り気ではなかった。
「私は剣よりも本のほうが好きなの」
「ええー! でも剣の訓練も楽しいですよ!」
レオンはめげずにお姉様を誘い続けたが、お姉様は結局、一度も彼と剣を交えることはなかった。代わりに、なぜか私が付き合うことになり、その結果、私は貴族令嬢にしては珍しく剣術を覚えることとなった。
「やっぱりソフィア様はすごいですね!」
「ふふん、もっと褒めてくださってもよろしくてよ?」
そんな風に笑い合いながら、私たちは幼少期を過ごしてきた。
やがて、エリスお姉様が婚約することになった。
婚約者はレオナルト・フォン・グランツ公爵子息。名門貴族の嫡男であり、王家に次ぐ権力を誇る一族の跡取りである。
「エリス様、貴女との婚約は名誉なことです」
公的な場での彼は、常に完璧な態度を取っていた。しかし、私の目には、どこか形式的で感情のない関係に見えてならなかった。
「お姉様、婚約者様との仲は良好ですか?」
私が尋ねると、お姉様はほんの少しだけ考え込んでから答えた。
「……必要以上に親しくする必要はないわ。婚約とは家同士の結びつき。私情を挟むものではないもの」
私はその言葉に、少しだけ胸をざわめかせた。
お姉様は、本当にそれでいいと思っているの?
——そう思いながらも、私は何も言えなかった。
このときはまだ、お姉様の婚約が悲劇の始まりになるとは、予想していなかったのだから。