第十二章:崩れゆく誇り
レオナルトは、執務室で深く頭を抱えていた。
夜会で暴かれた真実は、彼の立場を一瞬で危ういものにした。貴族社会では婚約破棄が軽々しく行われるものではない。それが公の場で、しかも偽りの証拠を信じて相手を断罪する形で行ったとなれば、その愚かさは計り知れない。
「……私は、一体何をしてしまったんだ」
静寂の中で呟かれた言葉に、誰も答える者はいない。
エリスとの婚約は、家の安定のために決められたものだった。最初は義務感からだったが、彼女は賢く、美しく、決して悪い婚約者ではなかった。だが、エミリアに出会い、彼は次第に彼女の涙に心を動かされていった。
「あなたにしか頼れないの……」
何度もそう言われ、彼女を守らねばならないと信じた。エリスが冷酷な令嬢であるかのような言葉を周囲からも聞かされ続け、気づけばエミリアこそが本物の婚約者にふさわしいとさえ思い始めていた。
だが、それが彼女の策略だったのだと、今さらになって気づいた。
「そんなはずは……いや、私が……間違っていたのか……」
事実を突きつけられた瞬間、彼の足元が崩れ去ったような感覚に陥った。エミリアの涙を信じ、エリスを裏切り、大勢の前で彼女を侮辱するようなことまでしてしまった。
結果、彼が得たものは何もない。いや、それどころか、彼の信用は地に落ちた。
周囲の貴族たちは冷たい視線を向けてくる。エリスを蔑ろにしたことで彼女の家との関係も険悪になり、公爵家嫡男としての彼の立場も揺らぎつつあった。
「私は、謝るしかない……」
レオナルトは決意し、エリスに会う機会を探した。だが、すでに彼女の周囲には強固な壁が築かれていた。直接会うこともままならない。
その時、彼の前に立ちはだかったのはソフィア・フォン・アイゼンハルトだった。
「まあ、レオナルト様。お困りのようですね?」
彼女はまるで楽しむような笑みを浮かべ、扇を軽く振る。
「ソフィア嬢……頼む、私はエリスに謝罪を——」
「謝罪? ふふ、それは結構なことですわ。でも、今さら謝ったところで何が変わるのでしょう?」
その冷ややかな目に、レオナルトは言葉を詰まらせた。
「お姉様は貴方の裏切りを乗り越え、新たな道を歩み始めています。そこへ突然現れて『謝罪したい』などと。随分とご都合がよろしいことで」
「私は……私は、本当にだまされていたんだ……!」
「ええ、本当に。けれど、貴方が真実を知ったのは、すべてが終わった後。もう手遅れです」
ソフィアは涼やかに微笑む。
「お姉様をあんな形で貶め、笑い者にし、平然と新しい婚約者と手を取り合った。貴族社会において、そのような行為がどれほどの愚行か、お分かりですよね?」
「……っ」
「お姉様は、もう貴方を必要としていません。いいえ、むしろ——」
ソフィアは近づき、小声で囁く。
「貴方がどれほど後悔しようと、お姉様の目には映らないでしょう。あれほど誠実だったお姉様を、貴方は自ら踏み躙ったのですから」
レオナルトの拳が震えた。自分の愚かさが、これほどまでに痛烈に突きつけられるとは。
「では、私はこれで。貴方も、お悔やみを——いえ、せいぜい後悔の日々をお過ごしくださいませ」
優雅に微笑み、去っていくソフィアを、レオナルトはただ呆然と見送るしかなかった。
彼の中に残ったのは、深い後悔と、自らの失態の重みだった。




