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5,交差する過去と現在

 高校がばらばらになると、華恋への想いは次第に薄れていくと思っていた。しかし、現実は彼女へと向けられる愛は日に日に募るばかりで、その絶対量は減るどころか増え続けていく。だが、その思いとは裏腹に、彼女の噂はよからぬ方向へと転換していったのだ。


 いわく、華恋は誰とでも寝る。

 いわく、華恋は性病である。

 いわく、華恋は援助交際をしている。


 など、数え上げたならば、悪評は枚挙にいとまがない状況だった。


 私は華恋を追った。

 それは久しぶりの追跡であり、やけに気分が高揚する自分を押さえることができなかった。尾行は簡単だった。なぜなら彼女の実家を私は知っていたし、制服を着た男子校生が、よもや女子高生をスト―キングするなどと、誰が一体考えるだろうか。


 華恋は極限まで短くした制服のスカートに、だるだるのルーズソックスを合わせて、綺麗な黒髪を茶色に染めたコギャルと化していた。それは私を失望、あるいは幻滅させたが、流行に敏感にならざるを得ない現代社会の犠牲者なのだと擁護してしまえば、そのフラストレーションも存外、緩和されたものである。


 私の尾行は数か月に及んだ。その間に当時の彼氏や友人関係、果てには愛人関係に至るまで把握するようになっていた。


「お前、まだ華恋のことつけてんのかよ」 


 不良と呼ぶには些か爽やかな青年へと変貌した男に声を掛けられた時には、心臓が尻の穴から飛び出しそうになった。不格好に驚く私を揶揄することもなく、彼は関心したように笑った。


「しゃーねえな、お得意さんだし、協力してやるよ、タダで」


 彼は写真の時と同じように、一週間の期限をつけた。こと華恋に関する仕事に対して、私は彼を信頼、あるいは尊敬していたし、彼が一週間後と言うのであれば、それは確定事項なのだと、そんな予感があった。


 私は高ぶる気持ちを押さえながら、華恋と再会してからのことを考えた。そこには会ってどうする、なにをしたい、なにをされたい。などの希望的観測は皆無であり、まるで彼女と会うのは使命であり、それは運命なのだと整理する方が、よほど腑に落ちるのだった。


「このホテルに行ってくれ、部屋番号は602だ、金は払ってある、ああ、気にしないでくれ。ずっと引っかかってたんだ、中学生の時にほら、な、わかるだろ? だからその詫びとでも思ってくれたらいいよ。それより、中三の時に華恋の男を刺したのって――、あ、いや、何でもない。とにかく借りは返したからな、あとはお前次第さ」


 一週間後、指定された場所に行くと彼はそう言った。

 渡された黒いマッチ箱にはホテル名と住所、電話番号が記載されていて、つまり、ここに華恋がいるということだろう。


 そのホテルは一見すると普通のマンションのような佇まいだったが、一度ロビーに足を踏み入れると異空間が広がっていた。小さな小窓には受付と書かれた札が掛かっていたが、そこに人はいない。その横にある壁には部屋番号と室内写真、そして料金が記されている。小さなボタンが付いていて、おそらくそのボタンを押せば受付から中年の女が顔を出すのだろう。


『部屋番号をお選びください』


 突然の機械音にピンと背筋が伸びる。私はロビーの先にあるエレベーターまで小走りで向かい、急いで乗り込んだ。六階で降り、602の扉の前で私は硬直していた。この場所がどういった所であるのか分からないほど子供ではなかった。この扉の向こうに華恋がいる。あの白く、美しい天使が。今、私を待っている。私は部屋をノックした。コンコンと控えめに、私は天国への扉をノックした。


「え? うそ、玉木くん? だよね」


 白いワンピースを着た華恋は、出会ったころのように艶のある黒髪を、顎のラインで揃えていた。私が一番好きな髪形であり、それはとても彼女に似合っていた。私たちは久しぶりの再会を喜び合った。私たちは並んでベッドに座り、私は彼女を説得した。そうすることが正解なのだと、自然と出てきた言葉だった。


「優しいんだね……」

 彼女は言った。


「ねえ、玉木くんて下の名前なんだっけ」

 私は答えた。華恋は少し驚いてから優しく微笑む。 


「じゃあ、なおくんだね」

 そう言って彼女は、私の頬にキスをした。


 高校を卒業し、私は町工場へ就職した。

 仕事が上手くいかずに、あるいは対人関係に嫌気がさして半年で辞めてからは、コンビニでのアルバイトや、深夜の警備員などで食いつないでいった。


 そうして私はいつの間にか四十歳を迎え、本来あるべき人間の寿命を全うしたところで、そろそろ自殺でもしようかと考えていた。


 やがて、私はウーバーイーツの配達員となり、誰とも関わらないよう生きていた。一人で、静かに、誰に迷惑をかけることなく、ただ生きていた。その日も、雨の中、町を自転車で疾走し、乾いた料理を運んでいた。もの考えぬロボットのように、私の心は死んでいた。


 古びたアパートの階段を上り、インターフォンを鳴らす。扉の向こうからトタトタと人がやってくる気配がした。扉が開く、白いワンピースを着た痩せた女だった。


 それは、私の天使だった。


 華恋がそこにいた。私は生命の息吹を体に宿す。エネルギーが体内に満ちてゆく。私は再び人間に戻っていった。


「え? うそ、玉木くん? だよね」


 彼女はそう言って微笑んだ。


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