49 ジェームズ・スピネル公爵の決断
### ジェームズ・スピネル公爵の決断
兄リチャードが敗北し、圧倒的な兵力のルークの軍相手に自軍だけで当たらなければならなった状況に、もはや抗う術を失ったジェームズ・スピネル公爵は、エクロナス城に籠城していた。しかし、補給線を断たれ、兵士たちは日に日に疲弊していく。
城内の空気は重く、至る所に負傷兵の呻き声が響いていた。倉庫の食糧は底を尽きかけ、配給される薄粥はもはや味を持たなかった。井戸の水も泥の味がし、飢えと渇きが兵士たちの活力を奪っていた。痩せこけた兵たちは、壁際に寄りかかりながら虚ろな目で遠くを見つめている。
ビンセント・スプラス侯爵がため息をつく。「もはや潮時だ、ジェームズ殿。」
その顔には焦燥の色が濃く浮かんでいた。彼にとって敗北は、単なる戦の終わりではない。リチャード王が退けられれば、政局も大きく変わる。自らの地位を守るためには、早期の決断が必要だった。
「降伏が遅れれば、我々の価値はさらに下がる……」
低く呟いた彼の声には、焦りと打算が滲んでいた。
アーロン・フレミング侯爵も苦渋の表情を浮かべる。「このままでは全滅です。生き延びる道を考えるべきかと。」
だが、その目にはまだわずかな闘志が宿っていた。剣を置くことは、すなわち誇りを捨てること。しかし、もはや戦う力すら残されていない現実が、彼の意志を押し潰そうとしていた。
「……本当に、これしか道はないのですか?」
ジェームズは拳を握りしめた。悔しさが込み上げる。しかし、現実を無視することはできない。兵の顔には疲労と絶望が刻まれ、士気は地に落ちていた。
「……降伏しよう。そして、ルーク・ベルシオンに忠誠を誓う。」
その言葉が城内に響いた瞬間、重苦しい沈黙が流れる。
「決断されましたか……」ビンセントが目を伏せる。
アーロンは険しい表情を崩さぬまま、静かに立ち上がった。「ならば、降伏の使者を送る準備を始めましょう。」
ジェームズはゆっくりと壁際へ歩み寄り、石の冷たい感触に手を添えた。その先には、果てしなく広がる夜の闇。そして、その向こうにいるのはルーク・ベルシオン。
「ルーク・ベルシオン……あの男の知略が、ここまで我らを追い詰めたのか。」
かつては対等の敵と見ていた。しかし今、その名を口にするたび、己の敗北が現実となってのしかかる。
城の壁を見上げたジェームズは、心の奥でこれまで支えてきてくれた部下たちに謝罪した。「これが最善の道だ……」
### 降伏の使者
翌日、エクロナス城からの使者がベルシオン軍の本陣へと赴いた。ルーク・ベルシオンの幕営に迎えられたのは、ジェームズの信頼厚き腹心、グレゴリー・マーチ男爵であった。
ルークの前で使者は深く頭を下げ、恭しく口を開く。「我が主、ジェームズ・スピネル公爵は貴殿に降伏し、忠誠を誓う所存です」
テントの中に緊張が走る。ルークは顎に手を当て、じっと使者を見つめた。
「なるほど。つまり、彼らは命乞いをするわけか」
テーブルの向こうでウイリアム侯爵が静かに頷いた。「兵糧も尽き、援軍もない。もはや時間の問題だったでしょう。」
オリボ伯爵が口を挟む。「しかし、彼らをそのまま受け入れるのは危険では? 腹の底ではいつ裏切るか分かりませんぞ。」
ガリオンは腕を組んでうなる。「武装解除させた上で、ある程度の監視をつけるべきだな。」
ルークは皆の意見を聞きながら、ゆっくりと視線を巡らせた。「ジェームズはどこまで本気で忠誠を誓うつもりなのか……」
ケインズが静かに言った。「ジェームズ公爵は聡明な男。彼がこの状況で降伏する以上、戦況を冷静に見極めたのでしょう。だが、問題は彼の家臣たちです。」
ルークは目を細めた。「……降伏を受け入れよう。ただし、条件を付ける。ジェームズ公爵には忠誠の証として、一定の兵をベルシオン軍に編入してもらう。」
ウイリアム侯爵が頷いた。「兵の一部をこちらに組み込むことで、裏切りの芽を摘むというわけですな。」
ルークは微笑を浮かべた。「そういうことだ。さらに、ジェームズ公爵は領地を削り侯爵に格下げとし、さらに領地替えを行う。武装解除後に誓約の儀式を行い、忠誠の証を立てさせよう」
オリボ伯爵が眉をひそめる。「それだけでいいのですか?」
「ジェームズが本当に忠誠を誓うならば、何の問題もないはずだ」ルークは静かに言った。
テントの中に再び静寂が訪れた。しばらくして、ウイリアム侯爵が口を開く。「異論はない。では、この条件を使者に伝えよう」
ルークは頷き、使者の方を向いた。「ジェームズ公爵に伝えよ。これが我が軍の決定だと」
グレゴリー・マーチ伯爵は一礼し、静かに幕営を後にした。
こうして、ジェームズ・スピネル公爵の降伏は正式に受け入れられることとなった。




