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44  ベルシオン軍 進軍開始

 夜明け前の薄闇の中、ベルシオン王国の軍営地に重厚な軍靴の音が響いていた。鎧の擦れる音、馬のいななき、戦旗が風を切る音が、冷えた空気を震わせる。長い列を成す兵士たちは静かに武器を構え、これから始まる戦いへの覚悟を噛み締めていた。


 イザベラは城の城壁の上から、その光景を見下ろしていた。風が長い栗色の髪を優雅に揺らし、彼女の碧眼は遠くの地平を見据えている。大地を踏みしめるベルシオン軍の姿は、まるで地を這う黒鉄の奔流のようだった。


 軍の先頭には、漆黒の軍装に身を包んだルーク・ベルシオン王がいた。濡羽色の髪が風に舞い、その瞳には確固たる決意の炎が宿っている。彼は堂々と馬上に立ち、静かに前を見据えていた。隣には、銀髪赤眼の猛将ガリオンが戦馬『黒龍王』に跨り、鋭い視線を前線へと向けていた。ハルバードを携えたその姿は、戦場に舞い降りる銀狼そのものだった。


 その後方には、知略の要であるケインズが控えている。金髪碧眼の知将は冷静な表情を崩さず、時折メガネを押し上げながら戦況を見極めるように軍列を見渡していた。その傍らには、マルク公爵やケント公爵、そして若きベルク侯爵らが騎乗し、それぞれの軍を率いていた。


「……とうとう行くのね」


 イザベラは小さく呟いた。彼女の言葉は誰にも届かないが、その声音には確かな感情が宿っていた。戦場に向かうルークを見送ることは、これが初めてではないはずなのに、策略をめぐらし確実に勝てる状況を作ったはずなのに、万に一つも不安はないはずなのに、今日に限って胸の奥がざわめく。


 まさか、私、ルークを心配しているの? それとも……。


 ルークがふと振り返った。城壁の上のイザベラを見つけると、彼は微かに口角を上げ、まるで「必ず勝利して戻る」と告げるように視線を送った。


 それに応えるように、イザベラはそっと頷いた。王として進む者と、それを見送る者――その立場の違いが、二人の間に張り詰めた緊張を生んでいた。


「総員、進軍!」


 ルークの号令が響き渡った。その瞬間、大軍が一斉に動き出す。無数の馬蹄が地を叩き、武器の鈍い輝きが朝日の中できらめく。黒鉄の奔流は、スピネル王国へ向かい、嵐のごとく駆け出した。


 イザベラはその姿を見送ったまま、静かに拳を握る。


「ルーク……必ず、生きて帰ってきて」


 彼女の言葉は風に溶け、遠ざかる軍勢の背中を追い続けた。


「お嬢様、そんなに眉をひそめていたら、美しいお顔が台無しですよ」


 思わず漏れるイザベラの本音に、隣で控えていたあやめが、ふわりと微笑みながらイザベラの顔を覗き込む。彼女の声には、どこか柔らかな響きがあった。


 本当にお嬢様は強がりなんだから……。


「ふん、ルーク様はあれくらいの戦でどうにかなるような方ではないでしょうに」


 セバス(小太郎)は腕を組みながらそっぽを向いたが、口調にはどこか不器用な気遣いが滲んでいた。


 イザベラはふっと溜息をつくと、馬鹿にしたように微笑む。


「……勘違いしないでね、心配なんかしてないわよ」


 あやめが優しくイザベラの手を取り、そっと握る。


「本当に素直じゃないんですから、イザベラ様は。仕方がないから、ルーク様が帰還されるまで、お嬢様のそばは私たちが守ります。ね、小太郎?」


「そうだな、今回はその役を引き受けよう。でもイザベラ、ルーク様がお帰りになったら、今度こそ結婚だな。 ははははは」


 思わず素(小太郎)にかえったセバスが、肩をすくめながらもイザベラを守るように寄り添う。


 遠ざかる軍勢を見送りながら、イザベラの胸の内にあるもやもやは、二人の言葉で少しだけ和らいだ。


 ベルシオン軍は王城を後にし、スピネル王国へ向かうため進軍を開始した。


 道中、彼らはベルシオン王国内の広大な平野を越え、青々とした草原を駆け抜けた。春の訪れを感じさせる花々が風に揺れ、戦の足音を知ることなく咲き誇っていた。農民たちは道端から軍勢を見送り、敬礼を送る者、静かに祈る者、そして幼い子供を抱えながら国王の背を見つめる母親の姿もあった。




 ベルシオン軍は国境を越え、スピネル王国へと向かっていた。


 国境に近づくにつれ、景色は変わり始めた。峻険な山々が視界に広がり、冷たい風が吹き抜ける。険しい峠道を進む兵士たちの間には緊張が走る。霧が立ち込める岩場を抜けると、視界の先に荒れ果てた村が広がっていた。


「……これは……」


 馬上のガリオンが眉をひそめる。赤い瞳が、焦げた大地と空を映していた。


「内乱が始まる以前から、スピネル王国の統治は乱れていた。貴族間の争いや過度な搾取が続いた結果でしょう」


 ケインズが冷静に言いながら、馬上で地図を広げる。彼の指が戦略的要地をなぞりながら、次の行動を練っていた。


「このまま進めば、明後日には前線に到達する」


 ルークは前を見据えたまま頷く。


「ベルシオン軍の力を見せる時だ」


 兵士たちは疲労を感じながらも、王の言葉に奮い立つように歩を進める。戦場はすぐそこまで迫っていた。



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