37 闇に紛れる刃
闇に紛れる刃
夜の帳が降りると、戦場は漆黒の闇に包まれた。
燃え残った炎がちらちらと瞬き、崩れかけたエンピーナース城の石壁に影を落とす。
冷たい夜風が血と硝煙の匂いを運び、静寂の中にかすかな呻き声や馬のいななきが混じっていた。
ジェームズ・スピネル公爵は城壁の上から、朽ち果てかけた城を見下ろしていた。
砕けた石片が瓦礫となり、兵たちはその間を必死に駆け回っている。
リチャード軍の投石車は無慈悲な巨人のごとく、闇の向こうから巨大な岩弾を投げつけ、無情に城壁を削り取っていた。
「もう限界か……」
低く絞り出したジェームズの声に、傍らのビンセント・スプラス侯爵が静かに頷く。
彼の端整な顔には、これまでの戦いの疲労が色濃く滲んでいた。
ビンセントは、冷たい風に吹かれながらも、心の中で戦局を冷静に分析していた。
「ええ。城壁の耐久はもう持ちません。ですが、このまま屈するつもりはありませんな」
ジェームズは鋭い目つきでビンセントを見つめ、そしてゆっくりと笑った。その笑みには、決意と共に燃え上がる憤怒の炎が宿っていた。
「その通りだ。どうせ捨てる城ならば、最後に奴らに一矢報いてやる。夜襲だ――投石車を潰す」
瞬間、広間に集まっていた武将たちの間に緊張が走る。彼らは互いに目を合わせ、決意を新たにした。
「総力をあげての夜襲、か……」
アーロン・フレミング侯爵が厳しい表情で呟いた。彼の鋭い目が闇を切り裂くかのように細められる。アーロンは、戦士たちの疲労を感じ取りながらも、心の中で戦の流れを変える可能性を探っていた。
「兵の疲労は限界に近い。だが、それは敵も同じ。夜の闇は我らに味方する」
ジェームズの声に呼応するように、戦士たちは静かに頷いた。
誰もが、今夜が勝負の夜であると理解していた。
彼らの心には、勝利への渇望と、仲間を守るための強い意志が宿っていた。
「準備を整えろ! 夜襲の合図を待て!」
ジェームズの指示が飛び、武将たちはそれぞれの役割を果たすために動き出した。
闇の中で、彼らの心は一つになり、運命を共にする覚悟が固まっていた。
ジェームズ軍は静かに城門を開き、闇に紛れて戦場へと忍び寄った。
鎧には布を巻き、音を立てぬよう細心の注意を払う。
兵士たちは死神のごとく影となり、獲物に忍び寄る獣のような足取りで進んだ。
心臓の鼓動が耳に響き、緊張感が彼らの背筋を走る。
まるで、運命の瞬間が迫っているかのようだった。
敵陣では、リチャード軍の兵士たちが焚き火を囲み、疲れ果てた体を休めていた。
幾度となく繰り返された投石の轟音に慣れ切った彼らは、もはや警戒心すら薄れかけていた。
彼らの無防備な姿は、まるで獲物を待つ狩人の前に現れた小動物のようだった。
焚き火の明かりが、彼らの無防備さを一層際立たせていた。
その一瞬の隙を、ジェームズ軍は見逃さなかった。彼らの心には、勝利への渇望が燃え上がっていた。
「――今だ!」
ジェームズの号令と共に、沈黙を破るように矢の雨が降り注ぐ。
悲鳴が響き渡り、炎に照らされた敵兵たちが次々と地に崩れ落ちた。
剣が閃き、血しぶきが闇夜を朱に染める。
彼らの叫び声は、夜の静寂を引き裂く鋭い刃のようだった。
恐怖と混乱が敵陣を襲い、彼らの心に恐れが広がっていく。
「投石車を破壊しろ!」
アーロン・フレミング侯爵が鋭く命じる。
兵士たちは敵の混乱に乗じて駆け抜け、巨大な投石機の支柱へと斬りかかる。燃えさかる松明が投げ込まれ、乾いた木材が火を噴いた。
炎が夜空を照らし、彼らの顔に決意の光を映し出す。
周囲の混乱の中で、彼らの心は一つになり、勝利を掴むための一歩を踏み出した。
だが、敵も黙ってはいなかった。
「夜襲だ! 迎え撃て!」
混乱の中で指揮を執る敵将の怒声が響く。
瞬く間に陣営が覚醒し、リチャード軍の兵士たちが応戦を開始した。
火花散る剣戟の音が夜空に響き、戦場は一気に混沌へと飲み込まれる。
鋭い刃が交錯し、金属音が響き渡る中、兵士たちの息遣いが戦場の緊迫感を一層高めた。
彼らの目には、恐れと決意が交錯していた。
ジェームズは血まみれの剣を振り払いながら、戦況を見極めた。彼の心には、勝利への強い執着が宿っていた。
投石車はほぼ破壊したが、こちらも甚大な被害を受けている……
振り返れば、多くの味方が倒れていた。ビンセント・スプラス侯爵は肩に傷を負い、オーガスト・ドレット伯爵も深手を負いながら剣を振るっていた。
彼らの表情には、痛みと決意が交錯していた。
仲間たちの無念を胸に、ジェームズは戦う理由を再確認した。
「……撤退する。エンピナース城へ戻りぞ!」
決断を下したジェームズは、残存兵を率いて撤退を開始した。
彼の声は、戦場の喧騒の中で響き渡り、仲間たちの心に希望の光を灯した。
だが、敵の追撃が迫る中、彼らは一刻も早く安全な場所へと逃げなければならなかった。
逃げる道すらも、敵の矢が飛び交う危険なものだった。




