28 待ちきれない王の猛アタック
パーティーの開始時刻が迫る中、イザベラの部屋の前には、すでに一人の男が待ち構えていた。
「まだか……?」
焦燥に駆られたルークは、廊下を行ったり来たりしながら苛立たしげに靴音を響かせる。彼の鋭い黒曜石の瞳は、まるで獲物を待ち受ける猛禽のように扉を凝視していた。待つことが苦手な王にとって、この時間は拷問にも等しい。
ルーク・ベルシオン王は、逡巡するように腕を組みながら扉を見つめる。何度もノックしようとするが、扉の向こうから聞こえる女性たちの華やいだ笑い声と、衣擦れの音に思いとどまる。その一つ一つが、彼の焦りを一層募らせた。
しかし、彼は待てる男ではない。
ガチャッ!
意を決したように扉を開けると——
「きゃあっ!? 陛下!? ちょっと待ってください、まだ準備中です!」
部屋の中央では、あやめが必死にイザベラのドレスの裾を整えていた。その視線の先、鏡の前に立つイザベラの姿に、ルークの世界が一瞬にして塗り替えられる。
真紅のドレスが波のように優美に揺れ、繊細な金刺繍が灯火に照らされてきらめく。彼女の肌は月光のように白く、きっちりと編み上げられた金の髪がその気高さを際立たせていた。美しい。あまりにも——。
「おお……」
ルークの息が詰まる。心臓が一瞬跳ね上がったような感覚に襲われる。
彼の視線は、金の髪から滑るように鎖骨、ドレスの緻密な刺繍へと移り、やがてその凛とした瞳と絡み合う。すべてが完璧だった。
ずいっ
無言のまま、ルークはイザベラへと歩を進める。
イザベラは戦慄した。彼の目が、あまりにも真剣で、深く、熱を帯びている。じわじわと迫る彼に、思わず後ずさるが——
背後に椅子がある。逃げ場はない。
「……美しい」
低く響いたその声は、驚くほど真剣だった。まるで宝石を愛でるような、いや、それ以上の敬意と渇望が滲んでいる。
ルークはそっとイザベラの手を取る。大きく温かな手が、指先からゆっくりと熱を伝えてくる。
「あなたがどんな衣装を着ても魅力的なのは知っている。だが、今日の姿は——格別だな」
「べ、別に特別なことはないわ。ただのパーティードレスよ」
「いや、違うな。この美しさは、まるで——」
ルークの口元が妖しく微笑む。その瞳が狡猾に細められ、まるで一瞬先の動きを読んでいるようだった。
「——花嫁のようだ」
「!!」
イザベラの顔が瞬時に染まる。熱い。心臓が痛いほど早鐘を打つ。
「な、何を言ってるのよ! これはただのドレスで、花嫁衣装とは関係ないわ!」
「関係はなくない。こんなにも美しく、わたしの隣に立つのがふさわしいあなたを見れば……早く正式に迎え入れたくなる」
ルークの腕がするりと伸び、イザベラの腰を包み込むように引き寄せる。
「ちょ、待って、あやめがいるでしょ!」
「いませんよ!」
さっきまでいたはずのあやめが、いつの間にか気配を消していた。
実はこっそりカーテンの影から覗いていたあやめは、密かにガッツポーズを取る。
「くっ……あやめのくせに気が利くんだから!」
イザベラが顔を覆う。その仕草さえも可憐で、ルークは目を細める。
彼は、さらに距離を詰めた。
「イザベラ、今夜のパーティーが終わったら、わたしとふたりで過ごさないか?」
「ダメよ!」
「なぜだ?」
「そもそも今日はパーティーが主役でしょ? あなたに付き合っていたら、どこかに連れ去られそうだもの」
「……さすが、わたしのことをよくわかっているな」
何度拒まれようと、ルークの決意は揺るがない。むしろ、そのたびに彼の狩人の本能が研ぎ澄まされる。
ルークは心底残念そうにため息をつく。だが、その漆黒の瞳は揺らがない。
「だがな、イザベラ。今日こそ、わたしは諦めんぞ」
その言葉とともに、ルークは彼女の手の甲にそっと口づけを落とす。
その仕草は、まるで彼女の心に刻み込もうとするかのように、ゆっくりと、丁寧に。
「パーティーの間も、あなたから目を離すつもりはないからな」
「……好きにしなさい」
ルークの執拗さに呆れつつも、その真っ直ぐな想いが心の奥をくすぐる。
イザベラはため息をつきながらも、ほんの少しだけ微笑んだ。
そして、いよいよ華やかな夜の幕が上がる——。




