24-1 王妃候補の憂鬱な日常
「イザベラ様、ルーク陛下のお誘いの準備は十分でございますか?」
「今やってもらっているでしょう。パーティーの度に朝からずっとお肌のお手入れや髪や衣装の準備に追われるのは、本当に拷問だわ! こんなことなら庶民の方がよっぽどマシね」
イザベラは腕を組みながら、ため息混じりにぼやいた。鏡越しに映る自分の姿を見つめ、目元を引き締めるように軽く瞬きをする。その表情には明らかな不満が滲んでいた。
対照的に、セバスは口元に薄く笑みを浮かべながら彼女を見つめ、肩をすくめて揶揄うように言う。
「そりゃあ、庶民は庶民で大変だろうよ。だが、少なくともこんな贅沢な拷問には遭わんだろうな」
その言葉にイザベラはムッとし、ジロリとセバスを睨みつけた。が、彼は動じるどころか、余裕の表情を崩さない。そんな彼の態度にますます苛立ちを覚えながらも、イザベラは再びため息をつく。
そんなやり取りを見ていたあやめが、イザベラの髪をすき整えながら微笑み、落ち着いた口調で諭すように言った。
「イザベラ様はルーク様に求婚されているお立場なのですから、まだ良いのですよ。貴族の娘の仕事は良き伴侶を見つけること。そのため、毎日社交の場やパーティーに出席なさる方がほとんどですのに、イザベラ様はそこまでする必要もないのですから」
あやめは櫛を動かしながら、イザベラの長い髪を丁寧にまとめていく。その指先の柔らかさが心地よく、少しだけ気が緩む。しかし、次の瞬間、あやめはくすっと微笑みながら、さらりと一言。
「いっそプロポーズをお受けになってしまえば、午前のお茶会には出席せずともすみますよ」
「……それはそれで別の問題が増えるんじゃない?」
イザベラは視線を逸らしながら、少し考え込むように口元に指を当てた。確かに、王妃になれば今のように社交に駆り出されることは少なくなるかもしれない。しかし、その代わりに王妃としての役割が増える。そう考えると、果たしてどちらが良いのか、簡単には答えを出せそうにない。
多くの国では『シーズン』と呼ばれる春から夏にかけて、貴族たちは自領を離れて王都の別邸で生活し、社交を繰り広げるのが通例だった。それはここベルシオン王国においても同じことである。
昼間は多くの貴族の娘たちが離宮に集まり、挨拶を交わしながら親睦を深め、恋話に盛り上がったり、殿方たちの噂話(品定め)をしながら女たちのネットワークを広げたりする。そして、通りかかったり訪れたりする殿方たちと出会い、言葉を交わし、親睦の輪を広げ、自分の良き相手を探すのである。
この国では、ルーク以上の高位の殿方はいない以上、婿探しという意味合いでは茶会に出向く必要性はない。イザベラが茶会に出かけるのは、どちらかと言えば、この国で貴族として生活していくための情報収集や友好関係の構築が目的だった。
今日もマルク・クリスト公爵令嬢の茶会に招待されて離宮に行くことになっている。未来の王妃と目されるイザベラと誼を結ぼうとする貴族は多く、彼女を中心にした社交の輪が広がっていた。
王室との関係を深めたい貴族にとって、イザベラが王女になる前の今は、茶会に招待する絶好の機会だった。王女となれば格式が上がり、気軽に招待できなくなるからだ。そのため、今イザベラへの招待が集中しているというわけである。
この国に何のコネクションも持たないイザベラにとっても、相手からコネクションを求められるのは歓迎すべきことだった。彼、彼女、そしてその家の情報や性格を知っておくことは、今後の立ち回りにおいて極めて重要な意味を持つからだ。
「結婚しても、王妃は王妃としての役割が増えるじゃない……。あーん、庶民になった方が良いかしら」
イザベラは冗談めかしてそう言いながら、椅子の背もたれに軽くもたれかかる。
すると、それまで黙って聞いていたセバスが、冷ややかに言い放った。
「庶民は庶民で大変なんだぞ。それに庶民のお前を『嵐雲党』は助けんしな」
その言葉に、イザベラはピクリと眉をひそめる。
彼の言葉は事実だった。『嵐雲党』が彼女を助けるのは、彼女が王族や貴族としての立場を持つからであり、もし彼女がその地位を捨てるのであれば、彼らにとって何の価値もなくなる。彼らは義理や感情で動いているわけではないのだ。
それを理解しながらも、イザベラはふと微笑み、何気なく問いかける。
「小太郎は助けてくれるんでしょう?」
「助けるわけないだろう」
即答するセバス。その表情は、ほんの僅かに口元が動いただけで、まったく感情を感じさせない。
しかし、イザベラは彼の本心を見抜いていた。本当は助けてくれるはずだ。そう確信しながら、彼女は少し拗ねたように頬を膨らませる。
「つれないのね。いいわよ。自分で何とかするから」
そんなやり取りに、あやめがくすりと笑いながら、コルセットを手に取る。
「イザベラ様、締めますよ。それ!」




