22 陰謀の兆し
ベルシオン王国の北方、連なる山々を超えた先にあるスピンドル平原に、三代に渡り戦国の世を生き抜いてきたスピネル王国がある。現在の国王は、初代カーター・スピネルの弟スカバル公爵家出身の母を持つリチャード・スピネルである。だが彼には、スプラス侯爵家出身の母を持つ兄ジェームズ公爵がいた。
兄弟の順逆からすれば兄ジェームズが王位を継ぐべきだという声もあったが、正妃の子であるリチャードが即位し、彼の母マリーの弟であるネルソン・スカバル公爵が宰相として権勢を振るっている。前王の突然の死により後継者の指名がないまま決定された王位継承は、血統の違い、正妃と側妃の子という差異、そして派閥の力関係が大きく影響した結果であった。
当然、王位の決定に際してはリチャード派とジェームズ派の暗闘が存在し、その勝敗によって両者の立場は大きく変化した。そして、敗北したジェームズ派の貴族たちの間では「ジェームズこそが真の後継者である」とする考えが今なお燻っている。その中心人物は、ジェームズの叔父であるビンセント・スプラス侯爵その人であった。
近年、スピネル王国はベルシオン王国に対して度重なる出兵を行っているが、戦果を上げられず、敗戦が続いている。王都カーターズポリスではリチャード王の失策に対する不満が広がり、一部では暴動の噂すら囁かれ始めていた。
「ジェームズ様、ここ数年のベルシオン王国への出兵と敗戦により、王都でもリチャード王の資質に疑問を抱く声が高まっております。やはり、あの無能に王は務まりませんな」
「リチャードのやつ、勝てる見込みもなく無謀な出兵を繰り返しおって……。兵を出す我らの負担が分からないらしいな。貴族たちの不満も高まろうのう! なあ、ビンセント叔父上」
王都カーターズポリスの貴族街にあるスプラス侯爵邸。その自慢の庭園の東屋で紅茶を楽しみながら談笑する二人は、周囲を気にすることなく率直な言葉を交わしていた。
「まさにその通り。無謀な出兵を繰り返せば、貴族も庶民も不満が溜まるのは必定。そもそも出兵して何の成果も上げられず、貴族や兵たちに十分な補償もできないのなら、最初から派兵などすべきではないのです。無能と誹られるのも当然でしょう」
「弟は昔から考えのない男だったが、敗戦から学ぶことも知らぬ」
「順逆の理も弁えず、工夫もせず、何度も同じ失敗を繰り返し、国民を疲弊させる王など、早く廃位されるべきですな。ジェームズ様こそ王に相応しかったというのに、ネルソンが出しゃばるからこんなことになるのだ」
ビンセントは苦々しげに眉をひそめる。
「ネルソンなんぞが宰相面で威張り散らしているのも癪に障るな! あいつを嫌っている貴族も少なくあるまい」
「まったくです」
その頃、ジェームズの領地では貴族や有力者の支持が集まりつつあり、反乱の機運が密かに高まり始めていた。そして、オーガスト・ギレット伯爵は密かにベルシオン王国と接触を試みようとしていた。一方で、ジェームズの領地には正体不明の密偵が姿を現し、事態を静かに見守っていた——。
ビンセント・スプラス侯爵はジェームズの言葉に本心からの相槌を打った。紅茶の湯気がほのかに立ち上る中、彼はカップを静かに置き、深く頷く。そして、足音に気づき、顔を上げると、庭園の奥からメイドに案内された男が東屋へと近づいてくるのが見えた。
「オーガスト・ギレット伯爵様がお見えです」
メイドが丁寧に腰を折り、恭しく二人に伝える。オーガスト・ギレット伯爵は、ビンセントと同年代の恰幅の良い偉丈夫で、若い頃からの親友でもある。彼らが共にお茶を楽しみながら歓談するのは、日常の一コマのようなものだった。
「ジェームズ様もこちらにいらっしゃいましたか。お邪魔をしてしまいましたでしょうか?」
オーガストは朗らかな笑顔で歩み寄り、ビンセントとジェームズは歓迎の意を示しながら席を勧めた。
「そんなことはない。ちょうど君のことを考えていたところさ」
ビンセントは微笑みながら、オーガストが現れたことに何かの導きを感じる。ネルソンを嫌っている貴族として真っ先に思い浮かべた彼が、この絶妙なタイミングで現れたのは、偶然とは思えなかった。
オーガストは勧められた椅子に腰掛けると、静かに二人の顔を見回した。庭園の薔薇が風に揺れ、遠くで小鳥のさえずりが聞こえる。しかし、ここに集う三人の表情は穏やかではなかった。
「失礼いたします。今日は少しお耳に入れたいことがありまして」
メイドがオーガストの前にも紅茶を用意する。彼は話を始める前に、メイドが去るのをじっと待ち、周囲に人の気配がないことを確認すると、声を潜めて切り出した。
「……で、話とは?」
ビンセントが鋭く促す。オーガストは、慎重な口調で告げた。
「実は最近、リチャード王とネルソン宰相は、ジェームズ様が謀反を起こすのではないかと疑いを強めているようなのです」
「何を言うかと思えば、そんなことか。確かに私は家長として、自分こそ正当な後継者だと思っている。だが、謀反を起こすなどとは考えていないよ。そんな卑怯なことをしなくても、なるようにはなるものさ。リチャードなんて、またベルシオン王国に攻め込んでは負け戦。こんなことを繰り返していれば、遠からず皆に退位を求められるだろうさ」
「そのことが、ネルソン達を焦らせているのでしょう。ジェームズ様の存在がなければ、リチャードに代わる者はいないのです。つまり……」
ビンセントは顔色を変えて立ち上がり、オーガストの話を遮るように言葉を被せた。
「まさか! 冤罪を被せてジェームズ様を殺すつもりか」
「おそらく」
「ジェームズ様、これからは迂闊に王城には行けませんぞ!」
「王からの呼び出しには気をつけるべきでしょう」
「呼び出して、この私を捕らえて殺すと言うのか?」
「可能性は高いかもしれません」
ジェームズは、下顎を押さえながら俯き気味に考え込む。庭園の静けさが、かえって緊張感を際立たせる。ビンセントとオーガストは、じっと彼の決断を待っていた。やがて、ジェームズは深く息を吸い、天を仰いで呟いた。
「領地に引き上げて様子を見るか?」
「病気と称して領地に籠った方が良いかもしれませんな。私も領地に戻りましょう。オーガストは王都に残って様子を伝えてくれるか?」
「分かった。何かあったら連絡する」
三人は重い空気の中で大きく溜息をつき、それぞれの考えを胸に、東屋を後にした。




