18ー1 コンラット城降伏、そして
ケルシャ城でマルク軍と合流したルークたちは、一路カーネシアン領へと侵攻し、コンラット城を目指していた。この三年間、毎年のようにこの城を拠点としてベルシオン領内への侵攻が行われてきた。しかし、先の戦いでコンラット城を治めるユーロ公爵は大きな損害を被り、現在、城を守る兵はわずか五百。疲弊しきった城に、ベルシオン軍の影が迫る。
「くそっ……ベルシオンの奴らめ……!」
ユーロ公爵は拳を握りしめ、深く息を吐いた。砦の上から見下ろせば、遠くの地平線に黒々と連なるベルシオン軍の陣。槍が林立し、漆黒の甲冑が鈍い光を弾いている。その威容に、兵たちは次第に言葉を失っていた。
「この兵力では長くは保たぬ……援軍を求めねば。しかし……」
オリボ伯爵の軍は先の戦いで壊滅状態。とても助力を期待できる状況ではない。王都に援軍を求めたとしても、間に合うはずがない。ユーロは焦燥に駆られながら、唇を噛み締めた。
沈黙を切り裂くように、敵陣から高らかに響く声。
「二時間だけ待つ。それまでに降伏しない場合、総攻撃を開始する。降伏するなら命は取らぬ。ベルシオン王国に服属し、ルーク・ベルシオンに忠誠を誓うなら、所領も安堵とする。城兵の命を無駄にしないよう、賢明な判断を求む!」
整然と響く声が、冷たい刃のようにユーロ公爵の胸を貫いた。刻々と迫る死の宣告。城内に漂うのは、血の匂いと恐怖の気配。
秘密裏に裏門へと回り込むガリオン将軍の兵たちが、息を潜めて攻撃の時を待っていた。
「二時間……それまでに決断せねば……」
ユーロ公爵の額にはじっとりと汗が滲む。喉が渇く。手にした剣の重みが、これほどまでに堪えるものだとは思わなかった。脳裏に浮かぶのは、先の戦いの光景。倒れていく味方、染み渡る鮮血、響き渡る断末魔の叫び。
兵士たちもまた、動揺を隠せずにいた。剣を握る手が震える者、息を呑む者、ただ目を閉じる者……。
「公爵様……」
進言を求める部下の声が震えている。視線を向ければ、どの顔も蒼白だった。このまま戦えば、間違いなく皆が死ぬ。
城門の外では、すでに戦の準備が整えられつつある。黒い波のようなベルシオン軍が、音もなく包囲網を完成させつつあった。逃げ場は、ない。
ユーロ公爵は拳を握ったまま目を閉じ、そして——ゆっくりと開いた。
「……降伏する!」
重い声が響く。その瞬間、城内の空気が張り詰める。
「使者を立て、開門の準備を!」
命令が下ると、兵たちは驚愕と安堵が入り混じった表情で互いを見交わした。ひとり、またひとりと剣を地に落とす。
ベルシオン軍の最前線では、漆黒の鎧に身を包んだルーク・ベルシオンが、ゆっくりと城門の奥を見据えていた。その瞳には、勝利の確信と、次なる策を見据える冷徹な光が宿っていた——。
まもなくコンラット城の表門が、鈍く軋む音を立ててゆっくりと開かれた。その音は、敗北の宣告のように静寂を裂き、冷たい風が城門を抜けていく。城壁の上では、降伏を決めた兵士たちが肩を落とし、疲れ切った顔をしていた。彼らの鎧は泥にまみれ、剣の柄を握る手は微かに震えている。
白旗を掲げた使者が、息を詰めながらベルシオン軍へと進み出た。続いて、武装を解除した城兵500と、蒼ざめた顔のユーロ公爵が両手を挙げて城門を潜る。兵士たちの目には安堵と屈辱、恐怖が入り混じり、その足取りは重かった。
裏門で身を潜めていたガリオン将軍の軍に出番はなかったが、戦わずして一城を落とせたことは幸いである。
「賢明な判断に感謝する。これからは我が軍として戦ってもらう。城に200を残し、手勢を率いて従軍してくれ」
「は! 承りました。……人質を出さなくてもよろしいのですか?」
「今は貴方が人質のようなものだ。我が軍のために本気で働いてくれないようなら、その時は考えるしかないが。まずはオリボ伯爵領まで先導してくれ」
ルークと対面したユーロは、人質を取られる覚悟をしていたが、予想外の寛大な処遇に言葉を失った。だが、その寛大さの裏には確かな計算があることを、ユーロは悟る。ルークは単なる慈悲深い王ではない。この状況を最大限に利用し、敵を戦わずして味方に引き入れる戦略家なのだ。
「それではオグト城まで道案内を致します。先陣を我が軍300が務めますので、後をついてきてください」
「オグト城のオリボ伯爵とは面識があるのだろう。できれば降伏交渉の使者もお願いしたいのだが、良いか?」
「は! オリボ軍も多くは残っていませんし、徹底抗戦するとも思えません。その任、喜んでお受けしましょう」
「うむ。頼んだぞ!」
ユーロ公爵軍を先頭にオリボ領へと進軍したベルシオン軍は、その日のうちにオグト城を取り囲んだ。そしてユーロが降伏の使者として立つと、城兵が200しかいないオリボ伯爵もすぐに降伏を受け入れた。
「イザベラ嬢の言う通りになりましたな」
ルークの側で馬を進めるケント・クラネル公爵が笑う。
「本当に…………」
「ここまで一兵も損なわず、むしろ兵が増えてしまいましたな。まさに好機だったということか! それにしても、こんなにすんなりと。イザベラ嬢の慧眼には恐れ入りますな」
「私も驚きましたよ。……惚れ直しました。しかし、ここからですね。王都カーネシアポリスも近づいていますし、オリバー王がどう出てくるか? まだカッパー侯爵軍やウイリアム侯爵軍は合流できていないはず」
カーネシアン王国を征服すること——それがイザベラとの結婚の条件だ。ルークは是が非でも勝利しなければならない。彼の心の中には、ただの戦争ではない、個人的な想いと使命が渦巻いていた。




