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閑話2 ひったくり犯を華麗に撃退!  

 


 喜び勇んで商店街に向かえば、そこには喧騒と活気に満ちた世界が広がっていた。煉瓦敷の大通りには色とりどりの屋台が軒を連ね、果物や焼き菓子、異国の香辛料が混じり合った甘く刺激的な香りが漂う。商人たちの威勢のいい声が飛び交い、客たちの笑い声が絶え間なく響いている。


 通りの一角では、露天の宝飾店が色とりどりのガラス細工を並べ、その奥では革職人が器用に鞄を仕上げていた。パン屋からは焼き立てのパンの香ばしい匂いが広がり、隣の屋台では煮込んだ肉料理が湯気を立てている。イザベラは思わず鼻をくすぐる香りに足を止めた。


 その雑踏の中、イザベラはあやめと並んで歩いていた。早速購入した絹のフード付きマントを羽織り、身を隠すようにしながらも、気分はまるで鳥かごを抜け出した小鳥のように軽やかだ。普段の王城での窮屈な生活から解放され、心が浮き立つ。


「王城を抜け出すなんて、私も大胆になったものね」 


「お戯れを。王妃候補と名高いお方が、こんなところで露天の串焼きを頬張るなど――」


 呆れたようにあやめが呟いたが、その手にはしっかりと焼き立ての肉串が握られている。イザベラはくすりと笑い、細長い指で果物の屋台から熟れたオレンジを手に取った。


 その時――


 スッ――


 ほんの一瞬、肌に触れるか触れないかの微かな違和感。風に紛れた細い指が、イザベラの買ったばかりのサテンのバッグに忍び寄る。


「――甘いわね」


 次の瞬間、ひゅっと風を切る音がし、あやめの手が少年の手首を捕らえた。まるで猛禽が獲物を掴むかのように、鋭く、迷いのない動きだった。


 捕まえられたのは、十歳にも満たないだろう小柄な少年。煤けた髪、痩せた腕、そして驚愕に見開かれた茶色い瞳。袖は擦り切れ、靴は片方のつま先が破れていた。


「い、痛っ……!」

「私の財布を狙うなんて、いい度胸ね」


 イザベラは微笑んだ。が、その微笑みは決して甘やかしではない。そこには、自分を狙う者への余裕と、相手の動揺を楽しむ悪戯な気配があった。


 少年は必死にもがくが、最強のメイド忍者、あやめの手を振りほどけるはずもない。彼女の指は優雅で華奢ながら、掴んだものを逃がさない確かな力を持っていた。


「ご、ごめんなさい! お腹が空いてて……!」


 少年は観念し、今にも泣き出しそうな顔で謝る。イザベラは小さくため息をつくと、ちらりとあやめを見る。忍びのあやめは、無表情ながらも微かに唇を引き締め、警戒を解いていない。しかしあやめは、少年の手首をそっと解放した。


「名前は?」

「……ケンタ」


 か細い声が返ってくる。


「まったく、しょうがないわね」


 イザベラは懐から数枚の硬貨を取り出し、近くのパン屋の屋台へ向かうと、焼きたての丸パンを買って少年の手に押し込んだ。


「ほら。しっかり食べなさい」

「……!」


 ケンタは驚き、じっとパンを見つめる。しかし、すぐに食べようとはしなかった。


「どうしたの?」


 イザベラが問いかけると、ケンタはぎゅっとパンを握りしめ、言いにくそうに口を開いた。


「……妹がいるんだ。俺だけ食べたら、リナが……」


 その言葉に、イザベラの眉がわずかに動く。


「じゃあ、妹のところへ行きましょう」


 そう言って、彼女はもういくつかのパンを追加で購入した。ケンタは驚いたように見上げたが、イザベラの表情は変わらない。


「案内しなさい」


 ケンタは戸惑いながらも頷き、小さな足で路地の奥へと歩き出した。


 細い路地を抜け、雑多な木箱や樽が置かれた裏通りへと進むと、そこにはボロボロの布をかぶった小さな少女が、縮こまるように座っていた。痩せこけた顔に、大きな瞳。


「リナ!」


 ケンタが駆け寄ると、少女は顔を上げ、兄を見つけてぱっと表情を明るくした。


「ケンタ、おかえり……!」


 イザベラはパンを差し出す。


「さあ、食べなさい」


 少女は一瞬ためらったが、ケンタに促されるようにして、そっとパンを受け取り、小さな手で大切そうに抱えた。


「……ありがとう、お姉ちゃん」


 その時――


「おい、ケンタ! 何してんだ?」


 低い声と共に、二人の少年が姿を現した。ひとりは少し大柄で短い黒髪、もうひとりは細身で鋭い目つきの茶髪。


「トキヤ、ラオ……」


 ケンタが呟く。


「お前、まさかまた盗みやったのか?」


 黒髪の少年トキヤが、険しい顔でケンタを見る。


「いや、違うんだ! このお姉さんが……!」


 ケンタが慌てて説明しようとするのを、茶髪のラオがじろりとイザベラたちを見上げた。


「……なんでこんな金持ちそうな女が、俺たちに親切にするんだ?」


 疑いのこもった声。イザベラはふっと微笑み、静かに言った。


「そんなの、私の気まぐれよ」


 トキヤとラオは顔を見合わせたが、しばらくしてトキヤがふっと息を吐いた。


「……まあ、悪い人じゃなさそうだな」


 その時、ケンタが思い出したように声を上げる。


「そうだ! お姉さん、さっき市場の裏の秘密の抜け道、知りたいって言ってたよね?」


「抜け道?」


「うん! 俺たち、よく衛兵から逃げるのに使うんだ。知ってると便利だよ!」


 少年たちは得意げに、路地の奥へと指を差した。その先には、まさか王城へ戻る際に役立ちそうな、思いもよらぬ秘密が隠されているとは、イザベラも当然まだ知らなかった――。



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