13-2 敗走の軍議②
天幕の中には、蝋燭の炎がゆらめき、戦場の砂埃にまみれた将たちの顔をぼんやりと照らしていた。外では負傷兵のうめき声が微かに響き、乾いた風が帷を揺らす。鉄と血の匂いが入り混じる夜の帳は、戦の現実を嫌でも突きつけていた。
オリバー王を中心に、ユーロ公爵、カッパー侯爵、オリボ伯爵、そして作戦立案を担うウイリアム伯爵が囲むように座していた。彼らの鎧は戦場の泥と血で染まり、かつて輝いていた金属の表面は今や鈍い光を放っている。広げられた地図の上には、戦況を示す駒が並べられ、それを指し示す指先が、時折、小さな音を立てる。誰もが言葉を発せず、ただ重苦しい沈黙が場を支配していた。
「ということは、実質兵力は五千ということか……」
オリバー王が低く呟いた。その声音には、わずかに疲労が滲んでいた。王の鎧の肩当てには幾つもの剣傷が刻まれており、彼の戦歴を物語っている。手袋越しに地図上の駒をそっと撫でる。「ゴリゴリに防戦準備が整ったケルシャ城をこの兵力で落とすのは、もはや不可能だな」
その一言に、ユーロ公爵の喉がひくりと動いた。彼は唇を噛み締め、手元の杯を強く握りしめる。彼の黒いマントには斬られた痕があり、肩に掛かる鎧の端には乾いた血がこびりついていた。ここまでの戦いで、彼の軍は半数以上を失い、今やまともに戦える者はほとんどいない。自軍の壊滅に近い状況を思うと、胃の奥から苦いものが込み上げてくる。
「……何の戦果もなく撤退するのは口惜しいし、今後の士気にも関わろう」
オリバー王の目が地図をじっと見つめる。「二千の援軍だけでも叩いてから帰るとするか」
そのあっけらかんとした口調に、ユーロ公爵は思わず拳を握りしめた。指先が白くなるほど強く。肩で息をしながら、声を振り絞る。
「それでは殿を変えてもらおう。我が軍に殿を務める戦力はない。できれば我が軍だけでも帰国の許可をいただきたいくらいだ」
ユーロの訴えは切実だった。彼の軍はもはや戦場に立てる状態ではない。半数以上の兵が命を落とし、生存者のほとんども傷を負い、立っているのがやっとの者ばかりだ。戦場に取り残されることは、すなわち死を意味する。
オリバー王は、じっとユーロを見つめた。その目には何の感情も浮かんでいない。やがて、ゆっくりと頷きながら口を開いた。
「では殿はカッパー侯爵にお願いしよう。よいな?」
「は!」
カッパー侯爵が即座に膝をつき、深々と頭を下げた。彼の鎧は赤銅色に染まり、胸には家紋が刻まれている。その目には覚悟が宿っていた。
「オリボ伯爵には引き続き先鋒をお願いする」
「は!」
オリボ伯爵の唇がわずかに釣り上がる。彼は戦を楽しむ性質の男だ。興奮を押し殺しながらも、目は期待に輝いている。彼の甲冑は比較的綺麗なままで、まるでこれからの戦いを心待ちにしているかのようだった。
「ユーロ公爵は我が軍と一緒に行動されよ。それでよいな」
「……は!」
ユーロ公爵は悔しげに応じた。敗軍の将として戦場を去る屈辱が、胸を灼くようだった。拳を握りしめたまま、歯を食いしばる。
「さて、二千の援軍とやらは今どこにいる?」
オリバー王の声が響くと、側近がすぐさま地図の上に駒を置いた。ウイリアム伯爵は背筋を伸ばし、鋭い視線で地図を指し示す。
「敵はおそらくこの川を挟んで陣を敷くでしょうな。渡河の時を狙って仕掛けてくるはずです」
彼は指を滑らせながら説明する。「先に渡れば、我々は大きな損害を被る。かといって川を挟んで睨み合っていては、ケルシャ城の兵に背後を取られる。これは考えものですぞ」
「我が軍は五千、敵は二千。負けることはあるまい」
「オリバー様。千が渡ったところを強襲されれば、そこでは二千対千の戦いになります。次々に渡河が進むといえども、戦場の兵力が逆転するまでにはかなりの時間がかかる。甚大な被害が……半数以上の兵士を失うと予想します」
ウイリアムの口調は冷静だったが、語る内容は容赦なかった。事実、川を越えようとする軍を待ち伏せして叩くのは、軍略の基本中の基本だ。指揮官としてのオリバー王もそれを理解していた。
「負けずとも、戦えなくなるというのだな」
「そこをケルシャ城の兵に急襲されると、全滅もあり得るかと……」
「ウイリアムがそう言うのであれば、そうなのだろうな」
オリバー王の表情が曇る。眉間に深い皺を寄せ、重く息を吐いた。
「ここは全軍撤退を」
ユーロ公爵は、この時とばかりに主張する。
「うむ。それでいこう」
オリバー王が頷いた。その決断を受け、天幕の中に再び緊張が張り詰める。撤退戦が始まる――だが、それは決して楽なものではない。戦場には、常に死の影がつきまとう。
誰もがその覚悟を、新たにしなければならなかった。




