第12話「釣りと追撃」 ③
「進め! 敵を逃すな!」
怒号が響く。
カーネシアン軍の殿軍の最後尾を追いかけるように、ケルシャ城の城門から、マルク公爵率いる千の歩兵が一斉に飛び出した。
その動きは速く、力強かった。熟練の兵たちが一丸となり、整然とした陣形を保ちながら進軍する。彼らの足音は大地を震わせ、戦場に響き渡った。
カーネシアン軍の殿軍、ユーロ公爵の部隊が王都に進軍するため背中を見せている。
戦場で背を見せる——それは即ち、死を意味する。
全速力で追撃を始めたマルク軍将兵には、一本杉が見えたら追撃をやめて引き返すとの作戦指示が行き渡っている。
ベルシオン王国の門番として幾多の戦いを経験してきたマルク軍は『釣り野伏せ』で何度も敵を屠ってきた経験もあり、その怖さもその身に刻み込まれている。深追いすればどうなるかは良く良く分かっているのだ。
カーネシアン軍にマルク軍の猛烈な追撃戦は熾烈を極めた。
戦いは背を見せている時が一番損害が出やすいもの。殿を務めるユーロ公爵軍の将兵が次々と討たれマルク軍の中に飲み込まれていった。ユーロ公爵軍は逃げ足を早めるが、前が詰まっているため思うようにはいかない。ましてや後背から降りかかる攻撃を受けながらなのだから尚更である。
「追え! 逃がすな!」
マルク公爵が指揮棒を振り下ろすと、兵たちは一斉に疾走した。
剣が振るわれる。槍が突き出される。
「ぎゃあああ!」
悲鳴が戦場にこだました。
カーネシアン軍は総崩れとなり、敗走を始めている。ベルシオン軍の猛攻を受け、統制を失った兵たちは我先にと逃げ出していた。
「追え! 一本杉まで敵を押し込む!」
マルク公爵が厳かに命じる。
彼が率いる千の歩兵隊は、整然とした隊列を組みながら敵を追い立て、着実に撃破していく。騎兵ではなく歩兵による追撃であるため、速度は抑えめだが、そのぶん戦列を乱さず確実に進軍していた。
敵は散り散りに逃げているが、どの部隊も向かっている方向は同じだった。
ユーロ公爵軍の兵たちが次々と討たれ、鮮血が飛び散る。カーネシアン軍は逃げ足を早めようとするが、前方が詰まっているため思うように進めない。ましてや、後方からの猛攻を受けながらでは、秩序ある撤退など不可能だった。
「くそっ……! なんだこの勢いは!」
ユーロ公爵の顔が蒼白になる。
「もっと速度を上げろ! 振り返るな!」
だが、混乱の中ではその命令も虚しい。次々と倒れる部下たちを横目に、彼は歯噛みしながら前進を続けるしかなかった。
そして——
「——止まれ!」
マルク公爵の轟くような声が響いた。
一方的な殺戮を続けた全兵士が、一斉に足を止める。その攻撃をぴたりと止め、ユーロ公爵軍を見逃すようにその場に止まりユーロ軍との距離が離れ出した時には、その眼前には目印の大きな一本杉がそびえ立っていた。
「よし! 追撃はここ迄だ! 引き返すぞ!」
マルク公爵の大声が戦場に響き渡る。声が大きいのは指揮官として重要な必要条件である。
多くの敵を討ち、最小限の被害で帰還する——軍人として、これ以上の戦果はない。
「これが戦だ……」
マルク公爵は一本杉を見上げ、一息つくと、剣を鞘に収めた。
「全軍、撤退!」
マルク公爵の声が戦場に響き渡る。
彼の表情には、満足の色があった。
彼の号令と共に、ベルシオン軍は整然と引き返し始めた。
その背中に、カーネシアン軍の怨嗟の叫びが響いていた。




