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11ー1 戦場の狼煙 1    

 

 カーネシアン軍の作戦は、夜明けとともに静かに幕を開けた。


 赤みを帯びた朝霧が薄くたなびく戦場。東の空から陽がゆっくりと昇るにつれ、遠くの陣営から立ち上る灰色の炊煙が視界を染め始めた。それはまるで、これから始まる戦乱の狼煙のようにも見える。


 山城であるケルシャ城の尖塔から、この異変を見つめる数人の影があった。


 黒を基調とした王衣を纏い、背筋を真っ直ぐに伸ばした青年――ベルシオン王国国王、ルーク・ベルシオン。

 鋼のような肉体を鎧の下に秘めた歴戦の将軍――『銀狼』の異名を持つガリオン。

 眼鏡越しに冷静な光を宿す参謀――知略をめぐらすケインズ。

 そして、堂々とした体躯を持ち、長年戦場を経験してきた老将――ケルシャ城の守将マルク公爵。


 彼らの目は、遥か遠くに広がる敵陣を捉えていた。


「……敵兵が食事を終えれば、いよいよ動き出すな」


 マルク公爵の低く渋い声が、静寂の中に響く。


 彼の視線の先では、カーネシアン軍の兵士たちが、焚き火の周りで最後の食事をとっていた。鍋の湯気がゆらゆらと立ち上り、焼き立てのパンを割る音がかすかに届く。戦いを前に、最後の安らぎを享受しているようにも見えた。


 しかし、それはあくまで戦前の静けさに過ぎない。次の瞬間には、剣戟と血飛沫が飛び交う地獄へと変わるのだ。


 ルークはじっと遠方を見つめ、微かに目を細める。


「六千の敵を相手に、三千で守る……」


 彼は静かに呟いた。


 自らを鼓舞するような言葉ではない。状況の確認に過ぎない。だが、その声音には確かな自信と覚悟がにじんでいた。


「渡河中を狙うのですか?」


 ガリオンが口を開く。鋭い声が空気を切り裂くように響いた。


 その問いに、ケインズが眼鏡を押し上げながら続ける。


「定石では、敵軍が川の半ばまで進んだところで一斉に叩くべきでしょう。水流に足を取られる彼らは、まともに防御もできません」


 二人の視線がルークに向かう。


 彼はゆっくりと腕を組み、しばし沈黙する。


 ルークの頭の中で、膨大な戦術が絡み合うように巡っていた。


 ここで出撃するべきか、それとも城の守りを固めるべきか。

 戦うべきはいつか、どの地点でか、どの戦力をどこに配置すべきか。


 その全てを、数瞬のうちに計算する。


 そして、静かに口を開いた。


「……我らは三千。城を守る限り、容易には落ちん。加えて、二千の援軍が間もなく到着する。野戦に持ち込むのは、それを待ってからだ」


 冷静な判断だった。だが、戦意を削ぐような発言ではない。ルークの声には確信があり、その場にいる全員に安堵と緊張感を同時に与える。


「ですが、陛下」


 マルク公爵が、低く唸るように口を開く。


「千の兵で渡河中の敵に矢を浴びせ、即座に引けば、大した損害も出さずに済みます。さらに、敵が追撃してきたなら……城壁の上から矢の雨を降らせましょう」


 彼は不敵に微笑む。まるで、老練な漁師が獲物を追い込むかのような笑みだ。


 だが、ケインズは慎重だった。


「ですが……敵は矢盾を構えて渡河してくるはずです。一、二射では大きな被害は与えられません。さらに、奴らの数は倍。おそらく一気に渡り切る気でしょう。我々が千で迎え撃っても、両翼から包囲される危険があります」


 冷静な分析だった。


 マルクは黙り込み、ルークは静かに思案する。


 ── 最善の一手は何か?


「……ならば、騎兵で急襲し、即座に撤退するのが最適だな」


 そう言ったのは、ガリオンだった。


 その言葉に、ルークがゆっくりとうなずく。


「騎兵の数は?」


「五百ほどだ」


「少ないな……」


 ルークは天を仰いだ。


 五百の騎兵では、敵軍に与えられる被害は微々たるものかもしれない。それでも、騎兵ならば迅速に襲撃し、即座に引くことができる。下手に歩兵を出せば、敵の罠に嵌る可能性が高い。


 ――最適解は、騎馬の疾風となり、敵陣をかすめること。


「……ガリオン、頼めるか?」


 ルークが静かに問うと、ガリオンは拳を胸に当て、微笑を浮かべた。


「はっ!」


 彼の目には、戦いへの熱意が宿っていた。


「敵を深追いするな。被害を最小限に抑えることを最優先とせよ」


「心得ております」


 ルークは満足げにうなずき、ケインズに視線を向けた。


「敵が渡河を始める動きを見せたら、すぐにガリオンに伝えよ」


「では、私も尖塔に移動します。ガリオン将軍、私が手を振ったら、敵の動きがあったということです」


「わかった」


 二人が急ぎ部屋を出る。ルークとマルクも、後を追うように階下へ向かった。


 風が強くなってきた。


 戦の匂いが、空気に混じり始める。


 ── 嵐の前の静寂が、ついに破られようとしていた。




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