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10ー2 前夜、張り巡らされた狡計②    

「ウイリアム様、今日中に渡河して川向こうに陣を張るのはどうでしょう?」


 オリボ伯爵が提案するが、ウイリアム侯爵は首を横に振る。


「気持ちは分かるが、それはすなわち、すぐに城攻めに移るということだろう。だが、状況を見ろ。今年の城兵は去年とはわけが違う」


 彼は馬上から手を上げ、城の周囲に張り巡らされた防壁を指し示した。


「去年は千の兵しかいなかったが、今年はすでに三千の兵が守備についている。さらに、後方から二千の援軍が近づいているという情報もある。六千の我らが、三千の城兵を攻めるのは不可能ではないが、ケルシャ城の堅牢さを考えれば、こちらの被害は甚大になるだろう。ましてや、後方から敵援軍が迫るとなれば、最悪、挟撃される危険すらある」


「なるほど、戦上手のウイリアム様ならではの冷静な判断ですな。つまり、城を力攻めするのではなく、城兵を誘き出す作戦に持ち込むべきということか」


「その通りだ、オリボ殿」


 彼の言葉に、オリボ伯爵とカッパー侯爵は深く頷いた。城を無理に攻めるのではなく、敵を城から誘い出し、野戦で決着をつける。これはウイリアム侯爵が得意とする戦法であり、カーネシアン軍が過去に何度も勝利を収めてきた戦略だった。


 三人は最後にもう一度頷き合うと、それぞれの指揮下にある軍へと戻り、速やかに陣を敷く準備を開始する。


 こうして、カーネシアン王国軍の各軍は当初の予定通り、ケルシャ川の手前で慎重に陣を張った。布陣が完了すると、中央のオリバー王の本陣に諸将が集い、戦の行方を決定づける軍議が始まる——。


 夕陽が傾きかけた戦場の空に、緊張の色が深まっていく。


 カーネシアン王国の本陣に張られた豪奢な天幕の中、軍議は重々しい空気の中で進められていた。中央の長机の上には、羊皮紙に描かれた戦場の地図が広げられ、その上には各軍の駒が並べられている。燃え盛る松明が薄暗い幕内を照らし、戦を前にした諸将の顔を影と光で浮かび上がらせていた。


 その場の中心にいるのは、カーネシアン王オリバー。濃紺の軍服の肩には金糸の刺繍が施され、王の象徴たる真紅のマントが重々しく垂れ下がっている。彼は指先で盃を弄びながら、冷たい眼差しで集まった武将たちを見回した。


「城に籠るベルシオン軍を叩き潰す良い手立てはないものか?」


 重々しく発せられた王の言葉に、天幕の中に張り詰めた緊張がさらに濃くなる。誰もが思案し、一瞬の静寂が訪れた。しかし、その沈黙を破ったのは、軍略に長けたウイリアム侯爵だった。


「やはり、三千の兵が守るケルシャ城を力攻めするのは愚策。城壁に立て籠もる敵を相手に正面から挑めば、こちらの損害は甚大なものとなる。野戦に持ち込むのが最善の策でしょう」


 ウイリアム侯爵は悠然と腕を組み、視線を鋭く光らせながら言葉を続けた。


「聞くところによると、援軍として城に入ったベルシオン王ルークはまだ若く、戦の経験も浅い。未熟な王ならば、誘いに乗る可能性は高いでしょう」


 その言葉に、他の将たちは興味深げに耳を傾けた。確かに、新王としての威厳を示さねばならない立場にあるルークが、挑発に耐えられるかは疑問だった。


 ウイリアムは、地図の上の駒をすっと動かしながら続ける。


「まずは全軍で一気に渡河し、渡河中に敵が攻め寄せてきたところを叩く。兵が水を渡る最中はどうしても混乱が生じるが、それは敵も同じ。相手が攻め込んできたら、すかさず反撃し、乱戦に持ち込む。戦場の混乱こそ、兵の士気を奮い立たせるもの」


 彼の口角がわずかに吊り上がる。まるで、すでに勝利を確信しているかのように。


「もしそれでも出てこないようなら——」


 彼は、地図上のケルシャ城の横を指し示した。


「城の側面を、これ見よがしに悠々と通り抜け、あえて敵の前で後背を晒してみせる。そして、馬鹿にするように挑発しながら通り過ぎるのだ。いかにも『お前たちは臆病者だから攻めてくる勇気もないのだな』と言わんばかりにな」


 その言葉に、数人の将がニヤリと笑う。


「もしルークが若さゆえの血気に駆られ、我々の後を追ってきたとしたら——そこが好機」


 ウイリアムは駒を指で弾き、ある一点へと動かす。その場所は、ケルシャ城からそう遠くない丘陵地帯だった。


「ここで、追ってきたベルシオン軍を待ち伏せる。我らの部隊を先行させた後、左右に分けて森の中に潜ませる。そして、敵が深追いしてきた瞬間、挟撃を仕掛けるのだ。殿軍は、敵が罠に嵌ったと知れたら逃げるふりをしてさらに敵を引き込み、完全に包囲網を閉じる」


 指先で駒を囲むように配置し、ウイリアムは不敵に笑った。


「つまり、敵をおびき出し、誘い込み、三方から一気に殲滅する。敵が野戦に引きずり出された時点で、勝利は我らのものとなる」


 その言葉が終わると同時に、天幕の中には静寂が広がった。戦略の巧みさに、誰もが一瞬言葉を失ったのだ。


 次の瞬間——


「面白い」


 オリバー王が満足げに頷き、豪快に笑いながら盃を掲げた。


「それでいこう。若き王ルークには、戦の厳しさというものをたっぷりと味わわせてやるとしよう」


 天幕の中に、将たちの低く不気味な笑い声が広がる。狡猾な罠が着々と張り巡らされ、ケルシャ城を囲む戦場には、すでに静かなる死の気配が満ち始めていた——。

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