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10ー1 前夜、張り巡らされた狡計 

 

 広々とした軍議の間には、数多の戦場を駆け抜けてきた歴戦の将たちが居並び、重厚な長机を囲んでいた。壁にはベルシオン王国の紋章を描いた旗が翻り、燭台の炎が戦士たちの鋭い眼光を妖しく照らし出している。室内には戦場を思わせる張り詰めた緊張感が漂い、誰もがこれから語られる言葉に全神経を集中させていた。


 その中心に座すのは、ベルシオン王ルーク・ベルシオン。濡羽色の髪を持つ若き王は、黒曜石のような瞳で眼前の地図を見据えていた。地図上には、細密に描かれた山々や河川、城塞とともに、小さな駒が並べられている。その駒は、まるで生者の運命を握るかのように戦局を象徴し、そこに立ち尽くす将たちの視線を釘付けにしていた。


「急ぎの参集、ご苦労だった。」


 低く響く王の声に、軍議の間の空気が一層引き締まる。鋭い視線が一同を舐めるように巡ると、彼の言葉を待つ者たちは、自然と背筋を伸ばした。


「皆もすでに聞いているだろうが、またしても隣国カーネシアン王国が軍を動かした。狙いは変わらず、ケルシャ城と思われる」


 言葉とともに、王の指が地図の一点を指し示す。そこにはベルシオン王国の最前線を守る砦、ケルシャ城の名が刻まれていた。


 誰もが予想していた侵攻とはいえ、眉をひそめる将もいた。カーネシアン王国の軍事行動は、ここ三年間、麦の収穫が終わるこの時期に繰り返されている。兵農分離が進んでいないこの地域では、戦争は農繁期を避けるのが通例だった。だが、今年は昨年までと違い、ベルシオンの王が交代している。前王の死をもたらした戦いからわずか一年、新王ルークがこの戦局をどう裁くのか——集まった将たちは、彼の言葉の続きを待ち構えていた。


「兵の数は?」


 問いに応じたのは、王の側近であり、知略に長けたケインズだった。彼は手元の書簡を確認し、静かに答える。


「ケルシャ城のマルク公爵軍が千、ルーク様直轄の軍が二千、ケント公爵軍とベルク侯爵軍がそれぞれ千ずつ。合わせて五千の兵を動員可能かと」


 数字が告げられると、長机の周囲にどよめきが走った。戦場では兵力がすべてではないが、それでも兵数の多寡は勝敗を左右する重要な要素である。カーネシアン軍の動員兵数が六千であることを考えれば、決して楽観できる状況ではなかった。


 しかし、そんな空気を一蹴するように、豪胆な笑い声が響く。


「敵兵は六千だと? ならばいつものように蹴散らしてやるまでよ!」


 そう言い放ったのは、銀髪赤眼の猛将、ガリオンだった。彼は不敵な笑みを浮かべ、地図上のケルシャ城に指を突き立てる。


「先に二千の我が軍が城に入れば、守りは万全だ。ケント軍とベルク軍が到着し次第、挟撃してカーネシアンの鼻っ柱を叩き折ってやりましょう!」


 その言葉に、他の将たちも鼓舞される。戦士の血が騒ぐのか、誰もが戦場を思い浮かべ、次なる展開を予測していた。


「マルク叔父御は、城で防備を固めて待っているはず。ケント叔父御とベルクは、急ぎ軍を整えてケルシャ城へ向かってくれ。」


 ルークの指示に、ケント公爵とベルク侯爵が深く頷く。


「ベルク、お前の軍とはカテナ丘陵で合流し、共にケルシャへ向かう。いいな?」


「はい、兄上!」


 若き侯爵の瞳が燃え立つように輝く。戦場は彼のような若者にとって、名を上げる絶好の機会だ。彼の胸の内には、兄王に恥じぬ武勲を立てたいという熱い思いが渦巻いていた。


 そのやり取りを見届けると、ルークは意を決したように腰を上げた。彼の漆黒の瞳が戦場を見据えるかのように鋭く光る。


「時間がない。皆の者——出陣だ!」


「はっ!」


 軍議の間が揺れるほどの大音声が響き渡った。将たちは一斉に立ち上がり、それぞれの役割を果たすべく席を後にする。


 ルーク達は戦場になると想定される、ケルシャ城へと向かった。



 カーネシアン王国軍の軍勢は、長蛇の列をなしてケルシャ城へと向かっていた。先頭にはオリボ伯爵軍八百が進み、その後にウイリアム侯爵軍千、カッパー侯爵軍千が続く。中軍には、赤地に黒獅子の紋章を掲げたオリバー・カーネシアン王直属軍二千が堂々と控え、殿軍としてユーロ公爵軍千二百が慎重に後を守る。総勢六千の兵士が、まるで鉄壁のごとく縦長に陣を連ね、ゆっくりとしかし確実にケルシャ城へと歩を進めていた。


 空は雲ひとつない蒼穹を描き、晩秋の風が穏やかに大地を撫でる。しかし、そんな静けさとは裏腹に、行軍する兵士たちの足音が大地を震わせ、鎧が擦れる音や馬の嘶きが軍勢の威容を際立たせていた。


 軍の先頭近くでは、三人の貴族が馬を並べて進んでいる。オリボ伯爵は野太い声で笑い、戦の高揚を隠そうともしない。ウイリアム侯爵は冷静沈着な表情を保ちつつ、まっすぐ前を見据え、戦略を巡らせている。そしてカッパー侯爵は、陽気に鞍の上で身体を揺らしながらも、鋭い眼光で周囲を警戒していた。


「そろそろケルシャ城が近づいてきましたな。いつものように、マルク軍は籠城の構えのようです」


 オリボ伯爵が鼻を鳴らし、眼前の丘陵の向こうにぼんやりと見え始めた城の影を睨む。


 それに応じたのは、ウイリアム侯爵だった。彼は手綱を軽く引き、馬を一歩進めると、威厳のある声で指示を下す。


「よし、予定通り我が軍が正面左を受け持つ。オリボ、お前の軍は左翼、敵の動きに注意しながら陣を張れ」


「ふん、今度こそ、ケルシャ城を抜いてみせましょうぞ!」


 オリボ伯爵は拳を握り締め、闘志を滾らせる。その目には去年の敗北の記憶が焼き付いていた。城の堅牢な石壁に阻まれ、兵を多く失ったあの日——今年こそは、あの屈辱を晴らしてみせる。


 そんな彼を見て、カッパー侯爵が肩をすくめながらも頷いた。


「去年は力攻めで多くの兵を失いましたからな。今年は王が何か策を講じているはず。まずは陣を整え、指示を待ちましょう。我らは右翼でよろしいな?」


「カッパー殿は右翼だ。全軍が着陣した後に王の指示が下る。目の前のケルシャ川をいつ渡るかは、相手の出方次第ということになる」


 ウイリアム侯爵が淡々と説明するが、その声には経験からくる確信が滲んでいた。


「もし敵が城に籠るなら、川の浅瀬を探し、そこから渡るしかない」



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