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8ー2 忍びの忠義  

 


「お嬢様、明日、王城に引っ越しなさると考えてよろしいですね?」


 低く穏やかな声が、室内の静けさを切り裂くように響いた。黒と銀で統一された執事服に身を包み、完璧な礼節を体現する小太郎ーーいや、今はセバスだ。彼はイザベラの傍らに控え、まるで長年仕えてきた老練な従者のように恭しく頭を下げていた。


 イザベラは、優雅な仕草で髪をかき上げながら、窓の外へ視線を移す。燃えるような夕陽が西の空に広がり、ベルシオンの王都を黄金色に染め上げていた。王城の塔が長く影を落とし、街の喧騒が遠くに霞む。


「そうね。一時的に、ここに留まるのは悪くないわ。でも、いつでも逃げられる準備はしておいて」


 その言葉に、セバスは薄く口の端を持ち上げた。


「別の国にもアジトはあります。いざとなれば如何様にでも」


 何気なく放たれたその言葉に、イザベラは内心驚きを隠せなかった。やはり、小太郎たちは単なる「使える忍び」どころではない。異世界転生者である麗子にとって、この世界はまだ未知の領域だったが、少なくとも忍びの力があれば、どんな状況でも生き抜いていけるのではないかという希望が芽生えた。


「……他の国にもアジトがあるなんて。小太郎の一族って、思っていた以上に凄いのね」


 呟くように言いながら、イザベラは指先で髪の先を弄ぶ。


 彼女にとって、この世界の貴族社会は醜悪で、息苦しいものだった。誰もが権力を求め、影で陰謀を巡らせ、同盟を組んでは裏切る。麗子として生きてきた彼女には、到底馴染めるものではない。しかし、小太郎たちのような存在がいることで、少しだけ「戦えるかもしれない」という気がした。


  ――忍びって、本当に面白いわね……。


 そして、忍びを使役しているルードイッヒ公爵家もまた、侮れない存在なのだと改めて思う。


 とはいえ、イザベラの記憶にある父・ジオルグ公爵は、正室以外の側妻に甘く、肝心な場面で決断力に欠ける「腑抜け」の印象が強かった。


 お父様って、側妻の言いなりのボンクラかと思っていたけれど……意外と外では出来る人だったのかしら?  ――いや、そんなことはないわね。


 無意識のうちに笑みを漏らしながら、彼女はセバスに問いを投げた。


「お父様たちのその後はどう?  何か情報は入っている?」


 セバスは静かに目を伏せ、冷静に報告する。


「ジオルグ・ルードイッヒ公爵様は、お嬢様と王太子との婚約破棄の影響で、王国内での立場を大きく揺るがされております。派閥内の求心力が弱まり、ライバル貴族たちからの追い落としの動きも活発化しています」


 イザベラは目を細めた。


「……やっぱり、そうなるわよね」


 父・ジオルグ公爵は、これまで貴族社会の泥沼のような闘争を生き抜いてきた老練な策士だった。彼が率いる派閥は王国内でも随一の規模を誇り、王太子の婚約者を出すほどの影響力を持っていた。


 しかし――。


「とはいえ、父もそう簡単に崩れるような人じゃない。痩せても枯れても、大派閥の頭を張る男よ」


「ええ。ですが、王太子ヘインズ殿下の動向が問題です」


 セバスの言葉に、イザベラは片眉を上げた。


「あの無能王太子が、ね」


「ええ。彼は王太子としての器量を問われ続けておりますが、これまでその座を保ってこられたのは、ジオルグ様の後ろ盾があってこそ。しかし、今となっては……」


「まあ、考えなしに何かと嫌がらせをしてくるでしょうね。お父様には申し訳ないことをしたわ」


 イザベラは小さくため息をついた。


「ジオルグ様も、自身の派閥貴族との関係強化に奔走しているようです」


 それを聞いて、彼女は静かに俯いた。


 ……お父様、苦しい立場に立たされているのね。


 ほんの少し、胸が痛んだ。たとえ父親としての情が薄かったとはいえ、彼はイザベラを育てた人間だ。


「セバス」


 彼の名を呼ぶと、セバスは即座に跪いた。


「はい、お嬢様」


「グランクラネル王国の貴族たちの動向、各家の内情、人間関係をすべて調べてちょうだい。いつ何に役立つかわからないから。それと、このベルシオン王国の貴族社会もね」


 彼女の瞳には、鋭い光が宿っていた。


 ――これは、麗子としての考えではない。イザベラ・ルードイッヒとしての決断だ。


 セバスは薄く口元を歪め、まるで満足そうに頷いた。


「承知いたしました」


 彼の背筋が伸び、跪く姿勢が一層端正に映る。


(このお嬢様は、やはり面白い)


 忍びとしての本能が、彼に囁いていた。


 一瞬、部屋に静寂が満ちる。


 イザベラは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


 さて、私はどうしたらいいのかしら?


 指先で唇をつつきながら、考え込む。


 だが――。


 またしても、不意にルークの顔が脳裏に浮かんだ。


 黒曜石のような瞳。濡れた夜闇のような漆黒の髪。彼が見せる、どこか危険な微笑み。


 ――イケメンな王様が、情熱的に迫ってくる……!


 胸がどくん、と跳ねた。顔が熱を帯びるのが自分でも分かる。


 いかん、いかん! 何を考えてるのよ、私!


 慌てて脳内ルークを抹消しようとする。


 ほら、消えた。私は何も考えてない。冷静な貴族の令嬢よ!


 両手を腰に当て、堂々と胸を張る。


「ふん! 舐めるんじゃないわよ!」


 彼女は満足そうに独りごちた。

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