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7-1  氷の王の求愛と揺れる姫  

 

 自宅へと戻ったイザベラと侍女のあやめ。外では、王城から護衛のために派遣された鎧姿の兵士が二人、門の前で直立していた。 


「やになっちゃう。あんなのが玄関の前にいたら、物々しくて落ち着かないわ」


 イザベラは眉をひそめ、溜め息交じりに呟く。その視線は、無機質な鉄の鎧に覆われた兵士たちへと向けられていた。


「此処は貴族の居住区ではありませんので、確かに少々目立ってしまいますね」


 あやめも静かに同意する。しかし実際のところ、屋敷は木々に囲まれ、大通りからは離れた場所にある。だから兵士たちが門前を固めていたとしても、外からの視線はほとんど届かないはずだった。それでも、そこにいるだけで異質な存在感を放っているのは間違いない。


 ――落ち着かないものは落ち着かない。


 イザベラの声には、どこか甘えるような響きが混じっていた。


 石黒麗子だった頃――前世の彼女は、苛立ちを感じた時には決まって湯船に浸かり、熱いお湯で心を鎮めたものだ。ささやかではあるが確実なリラックス法。けれど、この異世界に転生してからは、それがとても贅沢な行為になってしまった。


「はぁ……あやめ、気分転換にお風呂に入りたいわ! 準備をお願いね」


「承知しました。お嬢様」


 あやめは迷いなく頷き、すぐに準備へと取りかかる。


 大きな浴槽に水を張り、薪を焚べ、じっくりと湯を沸かす。この世界での入浴は手間のかかる一仕事だった。火を入れたばかりの風呂釜では、水はすぐには温まらない。付きっきりでいる必要はないが、時折薪を足し、湯の温度を調整しなければならない。


 しばらくして、あやめが静かに扉をノックした。


「お嬢様、お風呂の準備ができました」


 ……と静かに告げる。


「ありがとう、あやめ」


 イザベラは微笑み、ふわりと軽やかな足取りで浴室へと向かう。


「お風呂の後は、お食事にいたしますか?」


「そうね。お願い」


「承知いたしました」


 湯気がゆらめく浴室へ足を踏み入れると、湿った空気が肌を優しく撫でる。イザベラはあやめに手伝われながら、するすると衣服を脱がされていく。


 他人に服を脱がされるのは――着るのも、脱ぐのも――貴族なら当たり前のこと。最初は戸惑い、羞恥に頬を染めたものだが、今ではすっかり慣れてしまった。


 猫足付きの白い陶製の湯船。貴族にしては小ぶりだが、それでも体を伸ばすには十分な広さがある。心地よい熱がじんわりと肌を包む。肩まで沈めると、温もりが骨の芯まで染み渡った。


「背中をお流ししましょうか?」


 あやめの申し出に、イザベラは首を横に振る。


「一人でゆっくり浸かりたいの。背中はいいわ」


 本当は、肌を触れられるのが恥ずかしいだけなのだけれど。


 全身の力を抜き、ふぅと息を吐く。瞼を閉じると、熱い湯が全身を包み込み、精神的にも肉体的にも疲労が溶け出していくようだった。


 ──ベルシオン王国国王、ルーク。


 彼の名が脳裏をよぎった瞬間、意識が急に冴え渡る。


 突然プロポーズされるなんて。


 脳裏に、彼の姿が浮かぶ。長身、端正な顔立ち。噂では氷のように冷たい男。女に見向きもしない、感情のない王。しかし、今日の彼は……違った。


 あの鋭い瞳に射すくめられたとき、心が妙にざわついた。


 ……どんな人なんだろう?


 これまでの噂では、冷たい氷のような男だと聞いていた。女に見向きもしない、ただひたすら王の責務に徹する男。そう思っていたのに――


「今日のルークは、とても情熱的だった……」


 知らぬ間に頬が熱を帯びる。


 ――イヤイヤ! これは湯のせいだから!


 慌ててタオルを取り、顔を押し当てる。心臓が速くなっているのを感じるのは、お湯の温度が高いせい……そう、きっとそうだ。


 湯船の中でタオルを取り、顔を拭う。肩から腕へと滑らせ、ゆっくりと撫でるように流していく。


 一目惚れ……だって?


 ……まさか。


 でも、もし本当に彼がずっと私に惹かれていたのなら……?


 氷のように冷たく、数多の女性を突き放してきた彼が――もし、私のせいでそんな態度を取っていたのだとしたら?


 イザベラは、無意識に湯の中で滑らかな肌を撫でる。指先が肩を伝い、腕へ、そして足へと滑っていく。湯の熱が心臓の鼓動と混ざり合い、妙な浮遊感を覚えた。


 湯の中に、そっと身を沈める。温かな水が頬をなで、耳を覆い、視界が揺らぐ。水面にぷくぷくと泡が立ち昇る。


 ──ブハッ!


 一気に息を吐いて水上に顔を出し立ち上がると、栗色の髪が滴をまといながら輝き、その雫は肌を伝い、胸の谷間に吸い込まれていく。


「ああー! もう!」


 ルークの顔が頭から離れない。


 ブルブルと首を振るが、それでも思考は堂々巡りを繰り返す。


「なんなのよ……本当に……」


 独りごちる。眉を寄せ、首を左右に振るが、熱のこもった瞳が脳裏に焼き付いたまま。


 大きく息を吐き、両の頬を軽く叩いて、気持ちを切り替える。


「……あやめー! 出るわー!」


 浴室の扉を開くと、あやめがすでにバスタオルを広げて待っていた。


 イザベラの体についた水滴を、そっとタオルで押さえるように拭っていく。手際の良い動きの中にも、彼女なりの気遣いが感じられる。


 イザベラは、硬くなった表情を緩めようとするが、どうにも戻らない。


「今日は散々だったわね」


 あやめの唇に、わずかな笑みが浮かぶ。


「さようでございますね」


「さて……王城に住まなくてはならなくなったわけだけど、どうしようかしら?」


 髪を拭かれながら、イザベラは考え込む。








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