4 散策 3 ベルシニアの繁華街にて 捕縛
ガタガタッ――!
無骨な靴音が、軋む階段を震わせた。鈍い振動が床板を伝い、イザベラの足元にまで響く。瞬く間に、鎧を纏った衛兵が五人。迷いのない足取りで駆け上がり、イザベラを取り囲んだ。腰に剣を光らせた五人の衛兵が視界を埋め尽くした。
その中心に立つ男の手には、一枚の紙。陽光を受けてわずかに反射するインク。そこには、優雅な微笑を浮かべたイザベラ・ルードイッヒの肖像が克明に描かれていた。
「イザベラ・ルードイッヒだな!」
低く響く声。命令口調に宿る、疑いの余地なき確信。その声が場の空気を張り詰めさせる。
(あら……? もう手配書が出回ってるの? ずいぶんお仕事が早いのね)
イザベラは軽く目を伏せ、口元に微かな笑みを浮かべた。心の奥に広がるのは驚きよりも、むしろ呆れに近い感情。まさか、こうも簡単に捕まることになるとは。
隣に立つあやめが、音もなく身を引き、そっと手を動かす。鋭い眼差しが衛兵を見据え、今にも跳ね上がろうとしていた。
しかし、イザベラはわずかに睫毛を震わせ、抑えるように視線を送る。
(ここで騒ぎを起こすのは悪手ね。あやめが本気を出せば、この程度の相手、瞬く間に片づけてしまうでしょうけど……)
けれど、それでは後々の面倒が増えるだけ。逃亡者としての罪はさらに重くなり、追っ手の数も増える。何より――今はまだ、流れに身を任せた方が得策に思えた。
イザベラは、ゆるりと小首を傾げ、涼やかな笑みを湛える。
「はい。その通りでございます」
衛兵たちの間に、一瞬の沈黙が流れた。
「……王城に連行する!」
王城――?
イザベラの眉が、わずかに動いた。
普通ならば、罪人はそのまま近隣の牢獄に送られるはず。だが、わざわざ王城に連行されるということは、それなりの高官が取り調べを行うということだろう。
(ふうん、これは……少し、面白い展開になりそうね)
甘やかな声で、そっと紅茶のカップを指差し、上目遣いで懇願する。
――微笑みは柔らかく。
――声のトーンは甘く優雅に。
イザベラは、長い睫毛を伏せ、唇に指を添えながら微笑む。
「少しだけ、お時間をいただけませんこと?」
柔らかく甘い声。まるで密やかな恋の誘いでも囁くかのように、耳に心地よく響く。
「せっかくのティータイムを楽しむ余裕もないなんて、悲しいわ。お茶が済んだら、ちゃんとおとなしくついて行くわよ?」
(伊達に公爵令嬢をやっているわけじゃないのよ。どうせならビップ待遇でお願いね)
「おー願い。ウフッ♡」
ニッコリと、甘く、けれどどこか妖しい色香を滲ませる“魔性の微笑” と懇願の眼差し。
衛兵たちの間に、ざわめきが走る。
「……少しだけ、待ってやる。変な真似はするなよ!」
ぶっきらぼうに返事をするも、その顔には赤みが差していた。ゴホンと咳払いをしながら、腕を組む仕草には、どこか落ち着きのなさが見え隠れする。
(チョロいわね)
イザベラは優雅に微笑みながら、カップを持ち上げた。
――ふわりと広がる、甘やかな茶葉の香り。カップの縁に触れた唇が、じんわりと温かさを感じる。紅茶を一口含めば、滑らかに喉を通り、芳醇な味わいが広がった。ケーキを口に運べば、バターの濃厚な香りと果実の酸味が絡み合い、舌の上でとろける。
ああ、美味しい。こんな状況だからこそ、なおさらね。
(まあ、死刑の無限ループを味わった後だし……牢獄の一つや二つ、どうということもないわ)
紅茶を最後の一滴まで堪能してゆっくりとカップを置き、優雅に微笑む。
「それじゃあ、連れて行って。抵抗はしないから、暴力はなしでお願いね?」
衛兵たちはわずかに気圧されながらも、イザベラとあやめを挟むようにして階段を降りていく。
店の外へ出ると、まばゆい陽光が降り注いだ。
真昼の太陽が、白く輝く石畳を照らし、衛兵たちの鎧に反射してキラキラと光を散らしている。停められた黒塗りの馬車が、蒼穹の下に静かに待ち構えていた。
ガシャン、と扉が開かれる。
中には、黒革張りの座席と、薄暗い燭台の灯り。重厚な空間が、異様なまでの静寂を漂わせていた。
イザベラとあやめが乗り込むと、衛兵たちが続けて乗り込み、彼女たちを挟むように座る。
ゴトリ、と車輪が動き出した。
窓の外には、黄金色の陽光を浴びた街並み。露店の果物が鮮やかに並び、人々の笑い声がどこか遠くから響いてくる。
けれど、この馬車の中は別世界のように静かだった。
イザベラは、まるで王宮の舞踏会に招かれた淑女のように、静かに腰を下ろす。
その向かいで、あやめもまた、主の動きに倣い、しんと澄ました表情で座る。
衛兵たちはじっと彼女たちを見張っていたが、その瞳の奥には、警戒と――それ以上の、得体の知れない不安が見え隠れしていた。
沈黙の中、馬車はゆっくりと王城へ向かう。
(さて、次はどんな手を打つべきかしら……?)
イザベラはふっと笑みを浮かべ、燦々と輝く昼の光を浴びながら、静かに目を閉じた。




