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4 散策  1 くノ一あやめとの出会い  

 1 くノ一あやめとの出会い


 小太郎の姿が、まるで幻のようにふっと掻き消えた。まばたきする間に彼の気配さえも失せ、まるで最初からそこに存在しなかったかのように、空間だけがぽっかりと虚ろに広がっている。


 イザベラは目を瞬かせ、思わず目を擦った。見間違いかと何度も瞬きを繰り返すが、そこにはもう誰もいない。確かにいたはずの存在が、まるで幻のように消えたのだ。記憶の中で何度も見ていても、実際に確かにそこにいたはずの小太郎が、忽然と消えた事実に驚きを隠せない。


 ただの身体能力ではあり得ない。ここまでの動きができるとは……。忍びとは、まさしく“影”のような存在なのか。


 ……やっぱり忍者ってすごいわね。


 魔法の存在しないこの世界で、一瞬にして姿を消すその技術は、ほとんど魔法に等しいものに思えた。闇と同化するような身のこなし、無音で動く足取り、存在そのものを消し去るような気配の断ち切り方――かつて読んだ忍者ものの小説に登場する超人的な技術を、現実に目の当たりにした。


 あの瞬間移動のような動きは一体……? 疑問が浮かんだものの、考えても答えは出そうになかった。ただ、忍びというものが並外れた技能を持つ存在であることだけは理解できる。


 目の前の少女がすっと膝を折り、流れるような動作で頭を下げた。

 残された、たった一人のくノ一。


 薄暗い部屋の中、闇に溶け込むように彼女は静かに佇んでいた。背筋をぴんと伸ばし、無駄な動きひとつなく、まるでそこにずっと存在していたかのように。静寂すら支配する姿は、ただの侍女ではないと一目で分かった。まるで精巧な人形のようにも見える。しかし、その漆黒の瞳の奥には、確かな意志が宿っていた。


「お嬢様」


 澄んだ、しかしどこか感情を抑えたような声音が、静寂を破った。

 澄んでいるが、張り詰めた糸のように研ぎ澄まされた声。冷たい冬の朝の空気のように透き通っている。無駄な抑揚を排したその口調は、感情を押し殺すことに慣れた者のものだった。


 イザベラは彼女をじっと見つめる


「これからこの屋敷では、私が身の回りのお世話をいたします。なんなりとお申し付けください」


 彼女の声音は控えめでありながら、揺るぎない忠誠心を感じさせる。


 肌は白磁のように滑らかで、鼻筋の通った整った顔立ちは、どこか博多人形を思わせる。だが、その瞳だけは鋭い。まるで闇夜を裂く刃のように、油断なく光を宿している。


 イザベラは、彼女の佇まいをじっくりと観察した。


 動作は極めて洗練され、無駄がない。一つ一つの仕草が静謐でありながら、まるで猛禽が獲物を狙うような緊張感を孕んでいる。


 それも、ただの下働きの忍びではない間違いなく、強者の、戦いを得意とする者のそれだ。


 イザベラは、ふと微笑む。


「なんと呼べば良いかしら? あなたの名前は?」


 イザベラが問いかけると、彼女は一瞬だけ逡巡したように見えた。そして、静かに一礼し、やや伏し目がちに名乗る。


「あやめ……と」


 静かな名乗りだった。


 その名を聞いた瞬間、イザベラの脳裏に、一輪の花の姿が浮かぶ。


 あやめ――紫色の花弁が艶やかに揺れる、気高くも妖しい花。けれど、その奥には、隠された刃がある。古くから武士の間では「殺女あやめ」と読まれることもあった。


 灯りに照らされた横顔は、整った白面に影を落としていた。

 肩までの漆黒の髪はひとつに束ねられ、余計な装飾もない。だが、風が吹けばしなやかに揺れ、まるで一振りの刃のように鋭さすら感じさせた。その髪の一本一本にすら、無駄な乱れはない。研ぎ澄まされた彼女の立ち姿からは、張り詰めた気配が漂っている。


 イザベラは、ふと脳裏をよぎった言葉を噛みしめる。


(あやめ……殺女。なるほど、くノ一らしい名前ね)


 “あやめ”――それは、“殺女”を意味する名。忍びの名として、あまりにも象徴的だ。生まれた時から戦いの影に生きることを運命づけられた者にだけ、与えられる名なのかもしれない。


 ふと、イザベラはあやめの瞳をじっと見つめた。そこに浮かぶのは、迷いのない鋼のような忠誠心。決して表には出さないものの、その眼差しの奥には、小太郎に対する敬意、そして自らの使命を全うする確固たる決意が秘められていた。――決して口には出さずとも、その眼差しはすべてを語っていた。


(この子は、小太郎に忠誠を誓っている……そして、私にも)


 その忠誠がどこから生まれたのか、今は分からない。だが、イザベラはその忠誠心を利用するつもりも、試すつもりもなかった。ただ、受け入れようと決めた。


「なら、あやめ――明日は付き合ってもらうわ。長旅の疲れを癒したいし、少し街を歩いてみたいの」


 イザベラは、自然と口元を綻ばせながら続ける。


「少し気晴らしがしたいの」


 あやめは、ほんの一瞬、わずかに瞳を揺らした。まるで、主の意図を読み取ろうとするかのような慎重さ。だが、次の瞬間には、何事もなかったかのように、鋭い眼差しを取り戻し、静かに頷いた。


 その頷きには、迷いも疑問もない。ただ、主の命に従うという、忍びとしての確固たる決意があった。


(……やっぱり、芯の強い子ね)


 そんな彼女の姿を見つめながら、イザベラは少しだけ口元を緩めた。


(明日は、少し気分転換ができるといいわね)


 イザベラは、そっと窓の外を見た。明日は少し違う景色が見えるだろうか――そんな淡い期待を抱きながら。



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