ソレとの追いかけっこ
死ぬ。今足を止めたら間違いなく死ぬ。
トタン屋根の上を足が滑らないよう、スーツを着て鞘に収まった刀を片手に慎重にでも全速力で如月 枷憐は走っていた。
平日の昼間、寂れた工場地帯にトタンのうるさい音が響く。
「これ絶対脅威判定間違えただろ、お前」
「いや、君相手だとこんなモノだと思うぜ」
如月は走りながら右斜め後ろを同じように走るパートナーの黒鶴に叫ぶ。黒鶴はさほど息を切らした様子もなくさらりと言ってのける。
俺相手にって真面目に仕事してません報告は要らないと怒鳴りたいがそれは確実に死ぬ気がしてやめた。先程から二人の後ろを追ってきているモノの音がでかくなっているからだ。
走り続けているとトタン屋根の端が見えてきた。向こうにトタン屋根が見える。如月は飛び移ろうと速度を上げ、端ギリギリで足に力を入れ飛ぼうとした。その瞬間、足下のトタンが吹っ飛んだ。
「はあ!?ウソだろ」
「おっと危ないな」
衝撃で二人はそのまま路地裏に落ちる。黒鶴は猫のように着地をする。如月は無様に転がった。上からトタンの破片が降ってくるのをその場を飛び退くことで直撃を避けた。
壊された建物は木材が保管されていたようで爆発して燃えていた。
如月は自分に影が落ちたことに気づいた。上を見て絶句した。飛び移ろうとしていたトタンの上から追いかけて来ていたソレは顔を覗かせていた。
ソレは黒い影だった。見た目は影だが実際は黒い粘り気のある泥だ。遠目から見ると影に見えるソレは龍の形をしていた。
つまりソレは龍の影や龍の泥と言えるモノだった。
ソレが今、顔を覗かせておまけに歯をカチカチと鳴らしている。トタン屋根が吹っ飛んだのはソレが尾でトタンを弾いたのだろう。
如月は見上げて後悔した。見上げなくても分かったはずだ。今日の俺たちの仕事はアレを祓うことだろ。どうする。動くか。いや、下手に動くと馬鹿みたいな速さで襲われる。多分反応出来ない。
ぐるぐると頭の中で案を出しては取り下げる事を繰り返していると隣で黒鶴がしゃがみ込んだ。
「何だ」
「何って待ってるのさ。君がどう動くか指示を出すのを」
「………自分で動く気は無いのか。…とりあえず…走れ!」
こうなればもうヤケクソだと言わんばかりの声量で如月が叫ぶ。実際ヤケクソだった。それと同時に二人は路地の奥に向かって走り出す。後ろからソレも追いかけてくる。飛べるソレはまるで遊ぶかのように二人の後ろを付かず離れずの距離を保ちながら、周辺の建物を崩す。
二人の後ろをもの凄い音が追いかけてくる。破片や瓦礫は頭上を降り注ぐ。
黒鶴が大声を上げる。
「なあ、このまま何処に向かうんだ。どこかで迎え撃った方が良いんじゃないか」
「迎え撃つって何処で。一本向こうは住宅街だぞ」
「なら逆」
「路地ばっかだ」
足を動かし続ける。路地裏は人が通ることを想定して作られていないため、如月は何度も放置された廃材やパイプに足を取られ躓きそうになる。その度に余裕の無い思考が苛立ちを覚え、舌打ちが出る。
後ろを走る黒鶴は身軽にそれらを避けている。
兎に角捕まらないよう走っていても限界が来る。どうにかしようと焦ったのがいけなかったのだろう。咄嗟の判断を間違えたようだ。
何回曲がったか分からないが最後に曲がった先は行き止まりだった。
拙い、間違えた。引き返さないと。
勢いよく止まりそのままふり返る。スーツの裾が勢いよく翻る。ふり返った先には通路を塞ぐようにしてソレが浮いていた。歯をガチガチと震わせ体をうねらせて悪意をまき散らしている。
如月は左斜め前にいる黒鶴に視線をやる。黒鶴の顔には焦りという類いの感情は浮かんでいなかった。実際、内心では如月の焦り具合を見て面白がってすらいた。
それを知らない如月は輪を掛けて焦る。
どうすればこの状況を切り抜けられる。正面突破か。いや無理だ。確実に死ぬ。万が一億が一に何らかのことでアレを抜けられたとして、抜けた先は瓦礫ばかりだ。第一崩れたことで視界が悪くてまともに周りが見えないだろ。知らないうちに死んでましたって事になるのがオチだ。
如月は考えた末に結局、正面突破しかないと結論づけた。死ぬのなら何もせずに気づいたときに死んでいるより少しでもアレにダメージを入れてから死ぬほうが良いと考えたからだ。
善は急げと言うように如月は握り絞めていた鞘から刀を抜いた。刀を傾けると太陽の光を反射してキラリと光る。その様子を見て、黒鶴は刀を抜かずにゆっくりと路地の端の方に壁の方に下がり、背を預け傍観の体制に入った。
如月はその様子を見て目の前のソレに集中する。心臓は痛いくらい静かに鳴っている。
吸って、吐いて、吸って、吐いて。体の重心を確かめるように深呼吸を繰り返す。視線はソレから逸らさない。
ソレも如月から視線を逸らさない。真っ黒な影だけだが如月は見られている感覚があった。歯を鳴らし、ひときわ大きく体をうねらせる。自分を大きく見せ獲物に恐怖を覚えさせるように。
刀を握る如月の手にじっとりと汗が出る。
先程までの騒音がウソだったかのように周りには静けさが漂っていた。何処かで鳴いている雀の声だけが響いている。
にらみ合いが続く中、何処かで瓦礫が崩れたような音がした。
それと同時に如月が地を蹴った。




