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9. 再会

 一年ぶりにやっと会えた喜びのあまり、ロザリンはティエリーの首に両手を回して抱きついた。


「ティエリー! ティエリー! 会いたかったわ! どうして迎えに来てくれなかったの? わたし、ずっと待っていたのよ」


 ロザリンはいつものように頬をくっつけて摺り寄せ、ティエリーが同じように返してくれるのを待っていた。けれど、いつまで待ってもそんな気配が無いのを不思議に思い、ロザリンは頬を離してティエリーの顔を見た。


 優しい青灰色の瞳は以前と変わらないのに、ティエリーはまるで知らない人間を見るような目でロザリンを見ていた。目を見開き、息を呑んで、そしてまるで動揺しているかのように視線を彷徨わせ出した。


「……ティエリー? どうしたの?」


 ロザリンは戸惑いながらティエリーの顔を両手で挟んだ。するとティエリーは躊躇(ためら)いがちにロザリンを見ながら呟いた。


「……君は、誰? ……私を知っているの?」

「ティエリー? 何を言っているの? わたしよ、ロザリンよ。忘れたの?」

「……分からない。……私は、何も思い出せない。……君のことも分からない」


 ティエリーの言葉にロザリンが混乱していると、ふいに強く吹いた風がティエリーの前髪を巻き上げた。彼の額からこめかみにかけて大きな傷跡が残っていた。

 あまりに痛々しいその傷跡にロザリンが言葉を失っていると、その視線に気づいたティエリーがふっと笑った。


「これ、跡が酷いだけで、もう痛みは無いんだ」

「……その傷はどうしたの?」


 身元が分かって村を出た時まではそんな傷跡は無かったはずと思いながら、ロザリンはティエリーに尋ねた。


「一年位前かな。田舎からこっちに出てくるときに事故に遭ってね。崖から落ちたらしくて、気がついたらこうなっていた。……痛みは無いけど、これが原因で昔の記憶が無いんだ」


 軽く肩を竦めながら、まるで大したことではないように話すティエリーに、彼の頬に触れていたロザリンの手が止まった。


「……記憶が、無い? ……何も?」

「何も覚えていない」


 もしや自分のことも忘れてしまったのかと、ロザリンは泣きそうになりながらティエリーを見た。


「……恋人のことも?」

「そういう人はいなかったんじゃないかな。こっちに来て一年経つけど、誰も何の連絡も無いし、訪ねても来ないから」


 にこやかに笑うティエリーにロザリンは胸が引き裂かれそうになった。


 結婚を約束した自分が目の前にいるのに。必ず迎えに来るというあなたの言葉を信じてずっと待っていたのに。わたしはあなたの行き先も親の名前も教えてもらえなかった。わたしが連絡しなかったんじゃなくて出来なかったのに。

 わたしのことまで全部忘れてしまったの?


 無言のままティエリーを見つめるロザリンの目に涙が滲む。

 ティエリーは自分の頬に触れたまま、目に涙を溜めるロザリンに戸惑っていた。


「……君は、私のことを知っているの?」


 親し気に自分の名を呼ぶロザリンに、ティエリーがそう問いかけた時、ふいに誰かが無遠慮にロザリンの腕を掴んでティエリーの腕から引き摺り下ろした。


「おいっ、お前! 下女のくせに、いつまで若様に無礼を働いているんだ!」


 地面に転がったロザリンを、他の下女たちが力づくで引っ張り後ろに下げた。

 訳の分からぬままロザリンが顔を上げると、その場にいる使用人全員がティエリーの前に跪いていた。


「若様、新入りが大変なご迷惑をおかけしてしまいました。今後はこのようなことが無いように教育致しますので、どうかお許しくださいませ」

「……若様? ティエリーが?」


 顔を上げたまま、ぽかんとティエリーを見つめるロザリンの頭を、古参の下女が後ろから無理やり押して下げさせた。


「御長男のティエリー様だよ。ヴィクトル坊ちゃまの兄君の。頭を下げなさいっ」


 ティエリーが若様? ヴァロワ侯爵家の長男? ヴィクトルの兄?

 ますます混乱して訳が分からぬまま、ロザリンはティエリーに対して頭を下げていた。


 



 その日の夜更け、相部屋の他の下女たちがすでに寝息を立てている中、ロザリンはシーツにくるまりながら考え事をしていた。


 一年待っても帰って来ないティエリーを探すために、自分はこの都に出てきた。

 他に雇ってもらう当てはないけれど、ヴィクトルの好意に応えられない自分がいつまでも居座るわけにはいかないと、給金を貰ったらここを去るつもりでいた。

 それなのに、探していたティエリーは同じ屋敷の中にいた。しかも記憶を失って、自分のことも忘れてしまっている。


 どうしたらいいのかと、ロザリンは頭を悩ませていた。


 ヴィクトルの想いに応えられないから、出て行かなければならないのに。

 でも、ティエリーの側にいたい。例え彼が記憶を失くしていても、自分のことを忘れてしまっても、それでもティエリーの側にいたい。


「……ティエリー、どうしたらわたしのことを思い出してくれるの?」


 ロザリンは迷いながらも、このままヴァロワ侯爵家に残ることにした。

 ここで下女として働きながら、ティエリーの記憶が戻るのを待つことに決めた。


 ティエリーとは結婚の約束をした恋人同士だったけれど、彼は自分のことを忘れてしまった。

 今は侯爵家の長男とただの使用人の間柄。

 それでも、ティエリーの側にいることをロザリンは選んだ。

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