表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/31

7. 甘い砂糖菓子

 ロザリンを放っておくつもりは無いと言ったヴィクトルは、その言葉どおりに彼女を放ってはおかなかった。


 翌日の昼、ロザリンが干場で洗い終わった洗濯物を干していると、視界の端に何かを手に持ったヴィクトルがこちらへ向かってくるのが見えた。

 昨日のヴィクトルが去った後の他の下女たちのやり取りを思い出したロザリンは、わざとヴィクトルに気づかぬ素振りをして洗濯物を干す手を休めることなく動いていた。


 そんなロザリンを面白がったヴィクトルは、まるで小鴨のようにロザリンの後ろをついて回る。そして時折いたずらっ子のようにロザリンが干しているシーツをかき分けて顔を覗かせた。

 それでもロザリンが手を止めずにいると、ヴィクトルがいきなりロザリンの腕を掴んだ。


「何をするのっ?」


 戸惑うロザリンの腕を掴んだヴィクトルは、無言で手にしていた容器の蓋を開けた。そして、その中身を自分の指先に取ると、火傷痕の残るロザリンの腕にそっと塗りつけた。


「これは火傷を綺麗に治す薬だ。お前にやる」


 薬を塗り終えると、ヴィクトルはそれをロザリンのエプロンのポケットに入れて、干場を立ち去った。ぽかんとヴィクトルの後姿を見送ったロザリンは、ポケットから薬の容器を取り出して見た。

 変わらずに優しく接してくれるヴィクトルに意地悪な態度を取ってしまったと後悔しながら、ロザリンはぎゅっと容器を握りしめた。


 ヴィクトルがくれた火傷の薬は驚くほど良く効いた。ずっとヒリヒリ痛んでいたのが和らぎ、赤みも引いてきた気がする。

 今度ヴィクトルに会ったらちゃんとお礼を言いたい。でも今度はいつ会えるのだろうとロザリンは思っていたが、そんなことを考える必要は無かった。


 ヴィクトルが翌日もまた、ロザリンに会いに干場に来たからだ。


「これは手荒れに効く薬。お前にやる」


 昨日と同じように、ロザリンのエプロンのポケットに薬を入れて立ち去ろうとするヴィクトルの腕を、今度はロザリンが掴んだ。いきなり腕を掴まれたヴィクトルが驚いた顔でロザリンを見る。


「……あの、ありがとう。昨日の火傷の薬、すごく良く効いて、もう痛くないの。あなたのお陰よ。ありがとう」


 はにかむように礼を言うロザリンを優しい眼差しで見たヴィクトルは、ゆっくりと彼女に向き直るとその髪を撫でた。そしてロザリンの頭頂の髪にそっと口づける。


「また来るから」


 ヴィクトルに口づけられた髪に手を置いて顔を真っ赤にするロザリンの耳に、他の下女たちのひそひそ声が入って来る。


「……ほら、やっぱり」

「……何なの、あの女」


 ……立場をわきまえなければ、気をつけようと心に決めていたはずなのにやってしまったと、ロザリンは再び頭を抱えてしまった。




 翌日もその次の日も、またその次の日もヴィクトルは薬を手にロザリンに会いに来た。

 気持ちは有難いが、さすがに毎日薬を貰っても使い切れないとロザリンが断ると、ヴィクトルは分かりやすく肩を落として帰って行った。


 どこか後ろ髪を引かれながらも、ここで働く以上いつまでも友人気取りではいられないとロザリンが気持ちを入れ替えようとしているのを知ってか知らずか、ヴィクトルは翌日もいつものようにロザリンに会いに来た。


 もう薬は必要ないと断ったはずなのに、今度は何の用かとロザリンが(いぶか)しんでいると、何かを企んでいるような笑みを浮かべながらヴィクトルが近寄って来る。思わせぶりな顔でヴィクトルは手にした四角い容器の蓋をロザリンの目の前で開けた。


「……わあっ、綺麗!」


 そこには可愛らしい花の形を模った小さな砂糖菓子が入っていた。ロザリンは初めて目にする繊細で美しい色合いの菓子に思わず目を奪われてしまった。


「都で今一番人気の菓子だ。お前にやる」

「こんなに綺麗なお菓子、初めて見た。……嬉しい。……大事に取っておくわ」


 花の形をした鮮やかな砂糖菓子を、ロザリンは目を輝かせて眺めていた。それを見たヴィクトルは、笑いながら容器の中から砂糖菓子を一つ指でつまみ上げた。


「取っておいてどうする。ほら、口を開けろ」


 その言葉についつられたロザリンが口を開けると、ヴィクトルはつまんだ砂糖菓子をぽいっとロザリンの口の中に入れた。


「……美味しい」

「気に入ったか?」


 自分を見るヴィクトルの優しい眼差しに、どう返したらいいのか分からずにロザリンはぎゅっとエプロンを握りしめて下を向いた。


「……わたしはただの使用人よ。特別扱いしないで」

「何を言ってる。お前は俺の嫁だろう? 特別扱いするのは当たり前だ」


 訳の分からないヴィクトルの言葉にロザリンが呆気に取られていると、周りの下女たちがざわめきだした。ロザリンは彼女たちの詮索するような視線から逃げるように、ヴィクトルの手を引っ張って壁際に連れて行く。


「……ちょっと、何を言ってるのよ? 嫁って何の話よ?」


 声を潜めて問うロザリンに、何を言ってるのかと言わんばかりにヴィクトルは肩を竦めて答える。


「お前がもう嫁に行けないと言うから、俺がもらってやると言っただろう?」


 そういえば、都に来る途中でそんなやり取りがあったとロザリンは唖然とする。


「お前は俺の嫁だから、いくらでも特別扱いして甘やかす。当たり前だろう?」


 ロザリンの顔の両側の壁に手をついたヴィクトルは、強張った顔で自分を見るロザリンの頬にそっと口づけた。


 壁を背にしたロザリンは、自分の頬に口づけるヴィクトルに戸惑いながらも、心のどこかで自分がときめいているのを感じていた。

 ヴィクトルは躊躇(ためら)うことなく、真っ直ぐにロザリンに気持ちをぶつけて来る。

 ロザリンは、このままではヴィクトルの愛情に飲み込まれて流されてしまいそうだった。


 自分にはティエリーという恋人がいて、彼を探しに都に出てきた。

 ……ヴィクトルの気持ちには応えられない。このままここにいてヴィクトルの優しさを利用するような真似はしたくない。

 ……ここを出よう。これ以上はここにはいられない。


 ロザリンはそう心に決めて、優しく自分を見つめながら髪を撫でるヴィクトルを見上げた。

 



 そんな二人を屋敷の二階から見ている女性がいた。


「――あれは、ヴィクトル? 一緒にいる娘は誰かしら?」

「奥様、あれはヴィクトル様がお帰りになられた際に連れ帰った娘でございます」


 奥様と呼ばれた女性が、手にした扇子を口元にあてながら首を傾げた。


「……連れ帰った? ヴィクトルが?」

「はい。こちらで雇ってやれとヴィクトル様が仰せになり、洗濯をさせておりますロザリンと申す娘でございます」


 侍女の言葉を聞いた女性は、目を細めて眩しそうに眼下の二人を見下ろした。


「……そう。……微笑ましいわね」

ブックマーク、評価など頂けると励みになります。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ