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6. お前を放っておくつもりはない

 ロザリンはヴィクトルの家、ヴァロワ侯爵家で住み込みで働くことになった。


 自分で仕事を探すと言うロザリンに、都では紹介も無しに働くのは難しいし、お前みたいな世間知らずの田舎者を野放しにするのは危険とヴィクトルが言い張ったのだ。

 ロザリンはその強引さに呆れながらも、住む所も仕事も一度に決まったのは有難かった。それに気安く話せる友人のように思えていたヴィクトルと少しでも近くにいられるのは心強かった。


 しかし、知らなかったとはいえヴィクトルは侯爵家の子息で、ただの村娘の自分とは身分が違う。それに自分は彼の家の使用人になったのだから、いつまでも友人気分でいてはいけない。これからは立場をわきまえなければと、ロザリンは自分に言い聞かせた。


 住む所と仕事を与えてくれたヴィクトルに感謝して、精一杯働こう。働きながら、この都のどこかにいるティエリーを探そう。そして出来ることなら、ティエリーと一緒におじいちゃんの眠るあの村に帰りたい。

 都での新しい暮らしを前に、ロザリンはそんなことを考えていた。




 ヴァロワ侯爵家で下女として働くことになったロザリンの担当は洗濯に決まった。


 礼儀作法を身につけておらず、働いた経験もないロザリンが出来ることは掃除と洗濯くらいだったからだ。洗濯くらいなら村でもいつもしていたし造作も無いとロザリンは軽く考えていたが、甘かった。ヴァロワ侯爵一家だけでなく、そこで働く使用人の分も合わせると洗濯物は大変な量で、かなりの重労働だった。


 井戸のある洗濯場に集められた大量の洗濯物を、水を張った(たらい)で一枚ずつ押し洗いし、汚れの酷いものは灰汁を使うか、煮沸する。洗い上がったら、干場に張ってある紐にかけて干し、乾いたらまた一枚ずつ火熨斗(アイロン)をかける。

 それを繰り返しているうちに、たった数日でロザリンの白い手は荒れて火傷痕だらけになった。


「……痛っ」


 ロザリンは、火熨斗(アイロン)で火傷して出来た水膨れの痛みに顔をしかめた。洗濯物を絞る手を休めて、ヒリヒリと痛む所にふうーっと息を吹きかける。


 都に行ったきり帰って来ない恋人のティエリーを探しに一人で都まで出てきた。

 それなのに仕事に慣れるのが精一杯で、いまだにティエリーを探しに行けずにいる。ティエリーのことを忘れた日など無いし、会いたい、探しに行きたいと気が急くものの、今はまだ日々の暮らしに追われていた。


「……いつになったら探しに行けるのかな。……ティエリー、どこにいるの?」


 逃げるように出てきた村で見たのと同じ青空を見上げながら、ロザリンはティエリーを思い出していた。必ず迎えに来ると言い残して去った彼とは、もう一年以上会っていない。まだ自分のことを覚えていてくれているだろうか。


「ロザリン!」


 ふいに自分を呼ぶ声にロザリンが振り返ると、そこにはヴィクトルが立っていた。

 ロザリンがヴァロワ侯爵家で働きだしてからヴィクトルに会うのはこれが初めてだった。

 数日振りに会うヴィクトルに一瞬懐かしさを感じて、ロザリンは思わず顔が緩みそうになった。けれど自分はもうこの家の使用人になったのだから以前と同じ態度ではいけないと、ロザリンは咄嗟に気持ちを切り替えた。


「こんな所にいたのか。探したよ」


 親しみを込めた笑みを浮かべながら自分に向かって歩いて来るヴィクトルに戸惑いながら、それでもロザリンが立場をわきまえて跪こうとすると、ヴィクトルがそれを止める。


「俺にそんなことする必要ない」

「そういう訳にはいかないわ」

「……あれ? お前、泣いているのか?」


 目敏(めざと)くロザリンの目の淵に溜まった涙を見たヴィクトルは、ごく自然にロザリンを引き寄せてそのまま抱きしめた。周りにいた他の使用人たちから小さな悲鳴のような声が上がる。


「お前は抱いたら泣き止むからな」

「ちょっと! やめてよ、こんな所で!」


 かしづかれることに慣れている様子のヴィクトルは使用人の視線が気にならなくても、ロザリンはそうはいかなかった。自分達を見ながらひそひそと話をしている周りの視線が気になって仕方ない。ロザリンは両手でヴィクトルの胸を押しやるようにしてそこから逃げた。

 そんなロザリンの手に目を留めたヴィクトルが、眉をひそめながらその手を取った。


「……何だ、この手は? ……酷いな」

「働いているんだもの、当たり前よ」


 そう言いながらも、荒れて火傷だらけの自分の手をヴィクトルに見られるのが恥ずかしくて、ロザリンは隠すようにその手を引っ込めた。両手を後ろに隠して視線を逸らすロザリンにヴィクトルは申し訳なさそうに口を開く。


「洗濯以外の仕事に変えるように言っておく」

「やめて! このままでいいの。わたしは礼儀作法も身についていないし、他に何も出来ないから。ここで働かせてもらえるだけで有難いと思っているの。……だから、わたしのことは気にしないで放っておいて」


 何も出来ないのに特別扱いされて他の仕事をまわされても、きっと居心地が悪くなってしまう。それならここでどうにか頑張っていきたい。そんなロザリンの剣幕に、ヴィクトルは納得がいかない顔をしながらも渋々言葉を飲み込んだ。


「……分かった。お前がそう言うなら、このままここで働けばいい。ただし、俺はお前を放っておかないから」

「どういうこと?」


 不思議そうに見上げるロザリンの目を覗き込みながら、ヴィクトルが目を細めて甘く微笑む。


「最初に、俺に側にいてって言ったのはお前だからな」

「言ってないわよ、そんなこと」

「言った」

「言ってない!」


 笑いながら洗濯場を後にするヴィクトルの背中に、たまらずにロザリンは言葉を投げる。

 そして、ヴィクトルの笑い声が聞こえなくなった頃、ロザリンはやっと自分を取り囲む冷たい視線に気がついた。自分とヴィクトルのやり取りを見ていたらしい他の下女たちが、互いに顔を見合わせながら聞こえよがしに話している。


「……抱かれたとか、側にいてとか、何なの? あの女」

「……新入りのくせに、ヴィクトル坊ちゃまを誘惑する気?」


 ……だからあれほど勘違いされるような言い方はやめてと言ったのにと、ロザリンは頭を抱えてしまった。

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