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5. 俺の家

「それで、お前の家はどこなんだ?」


 夜が明けて身支度を終えたロザリンにヴィクトルが尋ねる。

 女一人では危険だから家まで送ると言っているのだ。


「……わたし、都に行きたいの」

「はあっ? 何をしに?」

「……働きたいの」


 ロザリンは何となく恋人を探しに行くとは言い出せずに、咄嗟に誤魔化した。

 そんなロザリンをヴィクトルは胡散臭そうに見下ろす。


「勤め先は決まっているのか?」

「……都に着いてから、探すつもり」

「家に帰るぞ」


 ヴィクトルは強引にロザリンの腕を掴んで歩き出した。


「え、ちょっと待って。どうして? わたしは都に行きたいの!」

「お前、家出してきたんだろ」


 ロザリンの腕を掴みながら、ヴィクトルは分かっているんだぞと言わんばかりの目で彼女を見る。どうやらヴィクトルはロザリンのことを、親と喧嘩でもして家を飛び出した家出娘だと思っているようだった。


「ちがっ、違うわよ! 家出なんてしてない!」

「帰って、ちゃんと親と仲直りしろ。お前みたいな子供が都に行っても、働ける所なんて無いし、騙されてどこかに売られるのがオチだ」

「……帰る所なんて無い。……あんな所、帰りたくない」


 必ず迎えに来ると約束した恋人は、一年待っても帰って来ない。たった一人の肉親の祖父もいなくなり、村にはもう自分の居場所は無い。帰ってもつらいだけ。それなら都に行って恋人を探そうと決めたのに、女一人では危険だと言われ、家出娘だと決めつけられて家に帰されようとしている。

 もうどうしたら良いのか分からずに、ロザリンの目から涙が零れた。


 いきなりその場に立ち尽くして泣き出したロザリンに、ヴィクトルは足を止めて心配そうにその顔を覗き込んだ。


「……本当に、家出じゃないのか?」

「おじいちゃんは死んじゃったの。帰っても、もう誰もいないわ」


 俯いて唇を噛みながらぼろぼろと涙を零すロザリンに戸惑いながら、ヴィクトルはぎこちない手でロザリンの髪を撫でた。


「……悪かった、つらいことを思い出させて」


 涙を流しながら自分を見上げるロザリンを、ヴィクトルはそっと抱き寄せる。


「ごめん」


 昨日はヴィクトルに抱きしめられて激しく抵抗したロザリンだったが、今日はされるがままに大人しくヴィクトルの腕の中にいた。そのロザリンの反応に、思わず抱き寄せてしまったものの、てっきり抵抗されるものとばかり思っていたヴィクトルは首を傾げた。


「……今日は大人しいんだな」

「あなたって、おじいちゃんと同じ匂いがするの」


 予想もしなかった言葉が帰って来たヴィクトルの目が点になる。


「……お前、俺が年寄り臭いって言うのか? 俺がお前に臭いと言った仕返しか、それは」

「違うわよ。そうじゃないけど、でも……」


 どこか安心すると言いかけて、ロザリンは口をつぐんだ。昨日知り合ったばかりの相手に、さすがにそれは気安すぎると自分でも思ったからだ。

 それでも、ヴィクトルの胸はいつも抱きしめてくれていた祖父に似て温かく、妙に居心地が良かった。


「まあいいさ。抱いたらお前が泣き止むことは分かったから、今度からお前が泣き出したらすぐに抱くことにする」

「だから、そういう勘違いされるような言い方はやめてよ」


 頬を膨らませながら自分を見上げるロザリンが可愛らしく思えて、ふっとヴィクトルの顔が緩む。 

 ロザリンの顔にかかった柔らかな後れ毛を、ヴィクトルはそっと指ですくうと彼女の耳にかけた。ふいに頬に触れたヴィクトルの指にどきりとしたロザリンは、赤くなった顔を見られないように慌ててヴィクトルの腕の中から逃げた。



 

 すでに身寄りもなく、帰る場所も無いというロザリンを、ヴィクトルは都に連れて行くことにした。


 ロザリンのこの様子では、例え自分が彼女を村に送り返したとしても、きっとまたすぐに村を出て一人で都を目指すだろうと思ったからだ。どうしても都に行くことを諦めないのなら、自分が連れて行った方がまだ安全だとヴィクトルは考えた。


 数日歩き続けて、やっと都に着いた頃には、ロザリンはもうへとへとだった。

 村から出たことの無いロザリンは、こんなに何日も歩き続けたことも無かった。

 日中はひたすら歩き、夜は野宿。旅とはこんなにつらいものかと、もう二度と旅なんてしたくないとロザリンは心からそう思った。


「俺のことを年寄り扱いしたくせに、お前の方がよっぽど年寄りみたいだな」


 足ががくがくと震えて立っていられずに、ロザリンはその場にしゃがみ込んだ。自分と同じ距離を歩いたはずなのに平然としているヴィクトルを思わず感嘆の目で見上げてしまう。


 ヴィクトルは片手で髪をかきあげながら辺りを見回し、ロザリンの息が落ち着くのを待っていた。

 そんなヴィクトルをぼんやりと見ながら、ロザリンは一抹の寂しさを感じていた。


 思い返せば、初日の手荒い扱い以外はヴィクトルはずっとロザリンを気遣って優しく接してくれていた。ヴィクトルに出会わなければ、自分がきっとまたどこかで山賊に襲われて売られていたに違いないと思うと、今更ながらロザリンはぶるるっと身震いがした。


 偶然会っただけの見ず知らずの自分を助けてくれたうえに、心配して都まで連れてきてくれた優しい人。けれど都に着いてしまった今、ヴィクトルとはもうお別れ。きっともう会うことも無い。

 ティエリーが去って祖父が亡くなり、独りぼっちになったロザリンにとって、ヴィクトルはすでに友人のような存在になっていた。


 離れ難いけれど、これ以上ヴィクトルに甘える訳にはいかない。頑張って一人で都で働きながらティエリーを探そうと、ロザリンは改めて覚悟を決めて立ち上がった。


「ヴィクトル、ここまで連れて来てくれてありがとう。もう会うことはないと思うけど、元気でね」


 ロザリンが差し出した手をきょとんと見たヴィクトルは、頭を掻きながら呆れたように口を開いた。


「……何を言ってるんだ? まだ自分で仕事を探すつもりでいるのか? そう簡単に働ける所なんて見つかる訳ないだろ。……ああもう面倒だ。さっさと行くぞ」


 ヴィクトルはそう言うと、差し出されたロザリンの手を無視して、ひょいと彼女を肩に担いだ。ここでお別れとばかり思っていたロザリンは、いきなり担がれて訳の分からぬまま叫び声を上げる。


「きゃああっ! ちょっと、何するの? おろして! 放して!」

「放さない。……側にいてって泣いたのはお前だろ」

「知らないわよ、そんなの。何の話よ?」


 それに答えることもなくヴィクトルはロザリンを担いだまま、ずんずんと通りを歩いて行く。都をよく見知ってるのか迷う様子もなく、ヴィクトルはどこかに向かって歩みを速めていた。


 しばらく歩いて、どうやら都の中心近くに来たようだった。

 立派な店が立ち並ぶ大通りをヴィクトルはロザリンを肩に担いだまま歩いていた。通りを歩く人からの好奇の視線に耐えられず、ロザリンは両手で顔を覆った。


 都の中心を過ぎて少しした辺りにある立派な門の前でヴィクトルは一度足を止め、門番らしき男と一言二言声を交わしておもむろに中へ入った。


 ヴィクトルの肩の上でロザリンは人の気配が無くなったことに気づくと、きょろきょろと頭を動かして辺りを見回した。

 手入れの行き届いた広大な庭に、高くそびえる立派な門。ヴィクトルの目線の先には、まるで宮殿のような豪華な建物があり、ただの田舎の村娘のロザリンはその迫力に身がすくんでしまった。


「……ねえ、ここって、貴族のお屋敷じゃないの? 勝手に入ったら怒られるわよ。誰かに見つかる前に出ないと。……ねえ、聞いてるの、ヴィクトル?」


 ヴィクトルの肩に担がれたままのロザリンは、どうにか体を起こしてヴィクトルの頭にしがみついた。


「問題ない」

「問題ないって、そんな訳ないでしょ」

「ここは、ヴァロワ侯爵家。俺の家だ」


 ヴィクトルの言葉をいまいち理解しきれずにロザリンは首を傾げた。

 そんなロザリンを面白そうに笑いながら、ヴィクトルは肩から彼女を降ろすと腰を屈めて目線を合わせた。


「ここは俺の家。そしてお前も、今日からここで暮らすんだ」

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