31. 一緒に帰ろう
ティエリーは十日経ってもノアイユ邸から戻らなかった。
それからさらに数日経って、ティエリーとともにノアイユ邸に行ったマルセルがヴァロワ邸に戻って来た。ヴィクトルと一緒に来て欲しいとのティエリーからの伝言を受けて、ロザリンはノアイユ邸へ向かった。
以前ノアイユ公爵に攫われて無理やり連れて来られたロザリンはその時のことを思い出して、ノアイユ邸が近づくにつれて表情を硬くしていた。それに気づいたヴィクトルが、自分がついているから大丈夫だと優しく微笑みかける。
馬車で着いてみると、ノアイユ邸は以前とは様相が違っていた。
屋敷の周りは兵で囲まれていて、中はすでにほとんどの使用人が去ったらしく人影は無く、薄暗かった。圧倒されるほどの絢爛豪華な屋敷も、こうなってみれば不気味でしかなかった。
マルセルに案内されてティエリーの待つ部屋へと向かったロザリンは唖然とした。まるで使用人部屋のような粗末な部屋にシャルレーヌが眠っていたからだ。
シャルレーヌの傍らにいたティエリーが、ロザリンとヴィクトルに気づいて椅子から立ち上がった。
「わざわざ来てもらってすまない」
ほとんど眠れていないような疲れ切った顔をしたティエリーにロザリンは言葉を失くした。
「シャルレーヌの容態はどうなんだ?」
黙っているロザリンの代わりにヴィクトルが尋ねた。
それにティエリーは視線を下にそらして首を振る。
「……シャルレーヌは命は何とか取り留めたが、もう二度と歩けない」
ロザリンとヴィクトルが顔色を変えてティエリーを見る。
ティエリーはゆっくりとロザリンに向き直り、苦しそうに顔を歪めて口を開いた。
「……ロザリン、許してくれ。私はシャルレーヌを見捨てられない」
「兄上!」
声を上げるヴィクトルの隣で、ロザリンは静かに目を閉じた。
「君を愛している。けれど、シャルレーヌは恩人だ。すべてを失った彼女を見放すことは、私には出来ない」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ! あの女がロザリンに何をしたか忘れたのか!? ロザリンがどんな思いで兄上を待っていたと思ってるんだ!」
ティエリーに掴みかかるヴィクトルを制するように、ロザリンがその肩に手をかけ、そして穏やかにティエリーに微笑みかけた。
「……知っていたわ。あなたがそう言うだろうって。そんなあなただから、わたしは好きになったの」
「……ロザリン。……すまない」
「わたしのことは気にしないで。覚悟はしていたから大丈夫よ」
そう言うとロザリンは、項垂れるティエリーをその場に残して部屋から出て行った。
納得できない顔をしながらも、ヴィクトルはロザリンを放ってはおけずにその後を追うように部屋を出た。
そうしてマルセルをティエリーの元に残して、ロザリンとヴィクトルはヴァロワ邸に戻った。ヴィクトルは沈むロザリンにかける言葉も見つけられずに、二人はずっと無言で馬車に揺られていた。
翌朝、まだ空は薄暗く、かすかに東の空に赤みが差し始めた頃。
ロザリンはわずかな荷物を手に持ち、一人でそっとヴァロワ邸を後にした。
誰にも何も告げずに離れるのは心苦しいけれど、これ以上ここに居ることは耐えられなかった。ティエリーがシャルレーヌを連れて戻る前に、少しでも早くここを離れたかった。
……カリーヌさん、良くしてもらったのに、何も言わずに去ってごめんなさい。後で必ず手紙を書きます。……ヴィクトル、黙って去ったらきっと怒るわよね。ごめんなさい。でも、あなたの顔を見る勇気がないの。
心の中で二人に謝りながらロザリンが広い庭を歩いて門に向かっていると、誰かが門の前に立っていた。こんな早い時間に誰だろうと、不思議に思いながらロザリンは目を凝らした。
「……ヴィクトル」
いつからそこにいたのか、待ちかねたような素振りでヴィクトルはロザリンに向かって歩いて来た。
自分が逃げるようにヴァロワ邸を去ろうとしていたことを見透かされていたと知ったロザリンは、気まずさに下を向いた。
「どこへ行く気だ?」
「……村へ帰るの。もう、ここにはいられないから」
「身寄りは無いんじゃなかったのか?」
「それでも、ここにいるわけにはいかないでしょ」
次々に尋ねてくるヴィクトルに、困ったようにロザリンは言葉を返した。
「俺の所へ来ないか?」
ヴィクトルの言葉に驚いてロザリンが顔を上げた。
真っ直ぐに自分を見つめる黒い瞳に言葉を失くしていたロザリンは、すぐにはっとしたように視線を逸らして首を振った。
「……だめよ、わたしはあなたを愛していないもの」
「俺が愛している」
優しく自分を見つめるヴィクトルに、居たたまれずにロザリンは震えながら顔を上げた。
「あなたと居ると、あなたの優しさを利用しそうで嫌なの」
「利用すればいい。俺は構わない」
「どうしてそんなに優しいの? わたしを甘やかさないで。頼ってしまいそうになる」
「好きな女を甘やかすのは当たり前だろう?」
穏やかに微笑むヴィクトルに、固く握った手を振るわせて顔を強張らせながらロザリンが呟く。
「わたしはティエリーを愛しているの」
「最初に俺と出会った時から、お前は兄上を愛していた。俺は兄上を想うお前を好きになったんだ。だから、兄上を想うお前のままで、そのままで俺の所に来ればいい」
見開いていたロザリンの目から一筋の涙が流れた。
それを見たヴィクトルが優しくロザリンの髪を撫でる。
「彼が好きなの」
そう言いながらロザリンはヴィクトルを見上げた。ヴィクトルがロザリンの目を見て微笑み返した。
「知ってる」
「忘れられないわ」
「無理に忘れなくてもいい。俺はずっとお前の側にいる」
ロザリンの目からぼろぼろと涙が溢れ出して、ヴィクトルがそっと彼女を自分の胸に抱き寄せた。
「好きなだけ泣けばいい。ずっとこうして抱いていてやるから」
声を上げて泣き出したロザリンを両手で抱きしめながらヴィクトルが囁く。
「気が済んだら、一緒に帰ろう」
ヴィクトルの胸で泣きながら、ロザリンはこくりと無言で頷いた。
いつの間にか柔らかな朝焼けが二人を包んでいた。
これにて完結です。
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