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28. 目覚めと再会と

 レースのカーテン越しに窓から入る優しい光でロザリンは目覚めた。


 体のあちこちが痛むのを不思議に思いながら瞼を開けると、そこは見知らぬ部屋のベッドの上だった。

 ヴァロワ侯爵家の自分の部屋でも、ティエリーの部屋でもない。


 天井近くまである大きな窓には花柄の可愛らしいカーテンがかけられて、ベッドには同じ柄の天蓋がついている。ふかふかのベッドに肌触りの良いシーツ。

 優美な曲線を描くシャンデリアに、香りのいい花がたっぷりと生けられた花瓶の置かれたテーブル。

 ロザリンには見覚えのない物ばかりだった。


「――気がついたのね、ロザリン」


 聞き慣れたその優しい声のする方に、ロザリンはぼんやりとしたまま視線をやる。するとベッド脇に立っているカリーヌが、心配そうに自分の顔を覗き込んでいた。


「カリーヌさん、……あの、ここは?」

「あなたの部屋よ」

「……わたしの?」

「ここはね、ヴィクトル坊ちゃまのお母様が遺されたお屋敷なの。いつかあなたを連れてヴァロワ家を出る時の為に、ヴィクトル坊ちゃまが部屋を整えていたのよ」

「……ヴィクトルが、わたしの為に? ……でも、こんな豪華なお部屋……」

「あら、あなた知らないの? ヴァロワ家とは関係なく、ヴィクトル坊ちゃまはお金持ちなのよ。お祖父様が遺された店が都にいくつもあってね、……」


 ヴィクトルの乳母だったカリーヌは、ロザリンの知らないヴィクトルの話を話し始めた。


 ヴィクトルの母が平民だということはいつだったか彼自身が話してくれたが、国で一、二を競う程の資産家だった彼の祖父が、侯爵家子息とはいえ次男である孫の将来を案じて、都にある複数の店を彼に遺したということ。

 ヴィクトルが前にロザリンに贈ろうとした白蝶貝と真珠の髪飾りは、その店で特別に作らせたものだったこと。



「カリーヌ、今日はやけに口が滑らかだな」

「ふふっ、ロザリンが目覚めてヴィクトル坊ちゃまがお喜びになるだろうと思ったら、ついしゃべり過ぎましたね」


 夢中で話をしていたカリーヌが気づかないうちに、ヴィクトルが部屋に入って来ていた。

 内緒話をしていたつもりがヴィクトルに聞かれて、少しばかり気まずそうにしたカリーヌが肩を竦めて後ろに下がる。それと入れ替わるようにヴィクトルがロザリンの枕元に来た。


「ロザリン、体の調子はどうだ? 薬を持って来た」


 ヴィクトルが手に持っている薬湯を見たロザリンが、ゆっくりと体を起こした。まだ完全には傷が癒えていないロザリンをいたわるように、ヴィクトルがベッド横のテーブルに薬湯を置いて、彼女の体を支えた。

 時々ロザリンが痛みで顔をしかめるのを見て、ヴィクトルが申し訳なさそうに目を伏せる。 


「……つらい目に遭わせてしまって、すまない」

「何を言っているの? あなたのせいじゃないわ。それよりも、助けに来てくれてありがとう」


 穏やかに微笑むロザリンを、ヴィクトルは目を細めて眩しそうに見ていた。


「ヴィクトル?」


 ロザリンに名前を呼ばれて、ヴィクトルがはっと我に返る。つい心を奪われてしまっていたことを誤魔化すように、ヴィクトルは慌てて傍らのテーブルの上に置いてあった薬湯を取った。そして、それを飲ませようとスプーンですくってロザリンの口元に運ぶ。


 自分が差し出したスプーンを困ったような目で見るロザリンに気づいて、ヴィクトルは一瞬不思議そうな表情を見せた。けれど、すぐに思い出したように小さな声を上げて、気まずそうにそっとスプーンを皿に戻した。


「……そうだったな。つい余計なことをしてしまった」


 横でそのやり取りを見ていたカリーヌがそっと進み出て、ヴィクトルに代わってロザリンに薬湯を飲ませた。


 薬湯を飲み終えたロザリンは、まるで霞がかかったようにぼんやりとする頭で、自分の身に起きたことを思い返していた。カリーヌの話では数日間眠り続けていたらしく、頭がぼうっとしてなかなか思考が定まらない。


 ロザリンは、おぼろげに覚えていることを頭の中であげてみた。

 ノアイユ公爵家の地下牢で鞭で打たれたこと。ヴィクトルが助けに来てくれたこと。知らない男達に馬車で攫われたこと。目の前でティエリーが血を吐いて倒れたこと……


「ティエリー!!」


 突然、大声で叫んだロザリンに驚いて、側にいたヴィクトルとカリーヌが振り返る。


「ティエリーは!? ティエリーはどうしたの?」


 血の海に倒れたティエリーの姿を思い出したロザリンが悲愴な叫び声を上げた。

 真っ青な顔ですがるように自分を見るロザリンを宥めるように、ヴィクトルが彼女の元へ行き、その傍らに座った。


「兄上はノアイユ邸にいて、シャルレーヌが看ている」

「……え?」


 ロザリンの表情が固まったのを見て、ヴィクトルが慌てて言葉を続ける。


「俺が助けに行ったときは、兄上はまだ意識が無く絶対安静だったんだ。それにノアイユ家の主治医は毒に精通していて、無理にヴァロワ家に連れ帰るよりもノアイユ邸に残した方がいいと判断した。シャルレーヌがお前にしたことは許せないが、彼女が兄上を傷つけることは無い。それに、念のためにマルセルを側に残してある」

「……それで、ティエリーの容態はどうなの?」

「昨日、兄上はもう大丈夫だとマルセルから連絡があった。二、三日したらヴァロワ家に帰って来る」

「……助かったのね。良かった」

 

 強張っていたロザリンの表情がほっとしたように緩む。様子を伺うようにロザリンの顔を覗き込んだヴィクトルが、気遣わし気に口を開いた。

 

「兄上がヴァロワ家に戻る日に合わせて、出来ればお前も連れて帰りたいんだが、大丈夫そうか?」

「わたしなら平気よ。早くティエリーに会いたいわ」

「そうか。それなら良かった」


 話が終わったのを見たカリーヌが、少し休むようにとロザリンをベッドに横たわらせた。そしてヴィクトルはゆっくりとロザリンの傍らから離れて、部屋から出ようとドアに向かって歩き出した。

 ロザリンが横になったまま、ヴィクトルの後姿に声をかける。


「ヴィクトル、あなたには心から感謝してる。ありがとう」


 薬が効いてきたのか、少し眠たそうに目を瞬かせるロザリンに、ヴィクトルは優しく微笑みかけた。


「礼なんか要らない。言っただろう? 俺はお前が笑っていてくれたら、それでいいんだ。早く元気になれ」




 三日後、ティエリーがノアイユ邸から戻るのに合わせて、ロザリンもヴィクトルとともにヴァロワ邸に戻った。

 先に帰り着いていたティエリーは、マルセルに体を支えられながら玄関先でロザリンを待っていた。


 馬車の中から自分を待つティエリーの姿を見つけたロザリンは、馬車が停まるや否や、居ても立っても居られずにティエリーの元へ駆け寄った。


「ティエリー! 心配したのよ。もう大丈夫なの?」

「シャルレーヌがつきっきりで看病してくれたお陰だ。……ロザリン、私はまた彼女に命を救われたよ」


 ロザリンとティエリーの様子を見ていたヴィクトルが、ゆっくりと馬車から降りてきた。再会を喜び合う二人の前に立ったヴィクトルは、おもむろに口を開いてティエリーに尋ねる。


「シャルレーヌはどうしている? 黙って兄上を見送ったのか?」

「……お前も知っているだろう。ノアイユ公爵と彼女の兄の命懸けの嘆願で、どうにか命だけは許されたが、シャルレーヌは身分を剥奪されて平民になった。もはや私との結婚は無理だと諦めたようだ」

「あれだけロザリンを身分違いだと罵った自分が平民に落とされるとは、皮肉だな」


 感慨深げに呟くヴィクトルに、躊躇(ためら)いがちにティエリーが口を開く。


「婚約は解消するが、彼女には二度も命を救われた。これからも私に出来る限りのことはしてやりたいと思っている」

「爵位を剥奪され断絶したノアイユ家と関わり合いになることは、ヴァロワ家にとっては得策ではないし、あの女がロザリンにしたことを思えば自業自得だ」


 シャルレーヌに対する嫌悪を隠すことなく、まるで吐き捨てるように言うヴィクトルを、ティエリーは困ったような顔で見ていた。


「だが、あの女に恩を受けたのも、ヴァロワ家次期当主も兄上だ。好きにすればいい。俺は兄上の決めたことに口を出すつもりはない」

「ありがとう」


 ヴィクトルの言葉にほっとしたようにティエリーが口元を緩めた。

 その時、ふいに強く吹いた風がティエリーの髪を揺らして、その隙間から額に残る傷跡を晒した。それをヴィクトルは何も言わずにじっと見ていた。

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